山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年12月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
最近東京支部の様々の活発な活動にはただただ頭がさがる。ホームぺージ上でのアクセスによる交流の幅も拡がっていると聞く。
◆自分に関する緑丘会(小樽高商同窓会)との繋がりを少し紹介しよう。
かれこれ40数年前、緑丘会との最初の繋がりを持つ機会があった。就職する事になる会社の東京本社での最終面接だ。
入社してから判る事になるが、文系採用は所謂東京の私大卒が多い会社だった。きっと同じ席で面接を受けていたら少ながらす物怖じしていたかも知れない。
◆国公立、地方大学の為にその日は設定されていたのだろう。
北大2、樽大1+1 、九大1 、そして自分だ。
北大からはテニス部キャプテン、いかにもガッツ溢れる、またアイスホッケー部マネージャー、樽大は柔道部キャプテン(別に一人入社)体格は大柄、おっとりしている。何故か彼と波長があった。九大は院生で研究職希望。それにしても、なんと体育会系!そのもの。
テニス部の北大生を除いて入社式で再会出来た。
当然の結果か、研修期間中も地方体力組は最初から良い意味でも悪い意味でも群れた。各々に都会のスマートさや器用さはなかった。しかし、何処か愛されるキャラであったかも…だ。
当時その会社には緑丘会のメンバーが多く在籍する会社だった。新人研修を担当する講師も約3割方はそうだった。
◆鳳陽会でも嘗ては多くの組織内に”各鳳陽会”があったのだろう。
研修が始まって最初の土曜日には”企業内緑丘会”が開催され、2人にはその会への招集がかかった。
事務系を中心に研修されていた研修部の講師が自分も含め緑丘会の2人と一緒に、その前日の夜会でビールを飲んだ。不慣れな研修に心細さ、藻掻いていたかもしれない自分。
そんな時、研修部における”小ぶりな緑丘会”に鳳陽会員を招いてくれたのだ。(さすが大がかりな企業内緑丘会に来い!とは言われなかった)
採用実績が当時はまだ無かった会社だったので、きっと旧髙商系の田舎者に気を遣ってくれたのだろう。
別枠で入ってきたもう一人(別枠くんと呼ぼう)とは入社以来、北海道と九州と場所は隔てていたが、同じ時期、同じ仕事を担当した。
新人さんのお世話をする指導員研修も同じタイミングで受講した。営業系のもう一人も招集されていた。何せ、ぼんやりした指導員と言う性格…互いに連絡を取りながら拙くそして危うさを残しながらも、その道を3人は探った。
◆数年後、3人はそれぞれ違う道を歩んでいった。緑丘会の一人は中小企業診断士となり北海道に、自分は地元にUターン、別枠くんは本社経理部を中心に、海外、子会社で事務系での研鑽を積み、最後は財務部長(昔の経理部長)になった。株主総会用の報告書の原案を作成する立場だ。
それぞれ別の会社に在籍する事となったが年賀状等で繋がっていた。
◆特に別枠くんとは、自分が東京出張時は何度か四ツ谷で、お茶の水で飲んだ。常に前向きな良い話が聞けた。
しかし、50代半ば…病にあい、今は会う事は叶わない。
彼の家に弔問に伺った。奥さま、ご令嬢、そして猫ちゃんたちが自分を迎えてくれた。
自分が理解していた別枠くんだけではない”別の別枠くんの人となり”も伺う事が出来た。
別枠くんが在命していれば、もう互いに第一線を退いている頃なので、どんな会話に話が弾んだろうか、想像するだけでも愉しい。なかなかの社会世相についても一言居士であった彼…それが叶わぬと言う事が残念だ。
◆緑丘会と鳳陽会はまだ細い糸かも知れないが繋がった。自分の世界で言うと、研修部での4人会は再現出来ないが、緑丘会のお一人お一人と繋がる会があるなら、遠方からだが、足を運びたくなる。
『朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。』
[自分の時代には会社として、個々人に借上げマンションの提供となった。偶々だが、それより前の独身寮入居者の先輩たちは上さんも含め独身寮同窓会と称して、”集まり”を始めている。]
