勝海舟が恐れた、もう一人の大物
・・・偉人をナナメから学ぶ・・・
九州・熊本の私の実家のすぐ近くに、幕末の偉人の記念館が建っている。「教育勅語」の元田永孚(ながざね)、「五か条のご誓文」の由利公正から尊敬され、吉田松陰、高杉晋作から招聘のラブコールを受け、坂本龍馬が再三立ち寄り、水戸学の藤田東湖と交わり、松平春嶽のブレーンにして、岩倉具視が頼りにした男。一橋慶喜も意見を求め、感服した人物。60歳余にして暗殺されるが、若き明治天皇に御進講したこともあり、逝去を惜しまれ、多額の葬儀費が下賜されたほどの大物。
横井小楠(しょうなん)・・・。
今回、長州歴史ウォーク(鳳陽会東京支部主催、6月5日)で赤坂の勝海舟住居跡を回ったが、その勝が天下で恐れた人物として二人挙げている。一人が西郷隆盛。その西郷よりも、先に名前を挙げているのが横井小楠だ。
◇忘れられた偉人
横井小楠は思想家として当時の名だたる知識人に大きな影響を与えたが、あまり知られていない。龍馬が司馬遼太郎の小説で知名度が格段に上ったのとまるで反対だ。
では地元の熊本ではどうか。私が高校までの間、加藤清正とは異なり、親や学校の先生、あるいは各種媒体でも、ついぞ横井小楠の話を聞いたことはない。
なぜか。以下は私の仮説、というか呟きである。
◇その1 繰り返す酒失は禁物
小楠は酒癖がよろしくなかったという。頭地明晰なれど、酒を飲んでの暴力事件をよく起こした。藩が手を焼き、江戸に出されるが、そこでも酒失事件を起こし帰藩・謹慎処分に。酒に絡んだ暴力。これはいけない。時代を問わず、洋の東西を問わず。
◇その2 強すぎる口論も禁物
舌鋒鋭く相手を遣り込め過ぎるのも問題だ。論を戦わすと負け知らずで、極めて強かったという。桂小五郎からは「舌剣」と冠を付けられた。特に酒を飲んだ小楠は頭の回転のギアが一段と上がったという。
口論は勝ちすぎてはいけない。特に人前で負けを食わされた相手は心に深い傷を負い、恨みを抱く。この恨みは執拗で、消せない。口論で勝ちを意識したら、「傍目」から「引き分け」とみられるような形づくりを心がけよう。また、相手に悟られないように、逃げ道を作ってあげることも肝要だ。
◇その3 庶民を不安に陥れる、偉大過ぎる着想も禁物
あまりに大きく時代を超えた進歩的な思想は、春嶽や海舟など知的で開明的な大物しか受け止められない。守旧派からは警戒され、また生活の激変が予想される庶民を不安に落し入れる。小楠が暗殺の憂き目にあったことは先述のとおり。
◇おすすめの格言
ひとつ、私が好む横井小楠の言葉がある。当時、攘夷から開国へ意見が変節したことを誹謗されたが、小楠曰く、「昨日の非を改めるのが学問。取り巻く環境に応じて日々考えを変えていかずば進歩なし」と。大御所になればなるほど主張を変えず、また変えるのに勇気が要るもの。
論語にもこうある。「過ちは改めるに憚ること勿れ」。また、こういうのもあった。「過ちを改めざる。これすなわち過ちという」。
(学23期kz)