乃木大将 その3

 長州歴史ウオーク(鳳陽会東京支部主催)が6月5日、開催された。

山口大学経済学部の同窓生たちは日露戦争で後世に名を残した

乃木希典(まれすけ)大将の旧宅を訪れた。

乃木大将が心から愛したもの。一つは野良仕事であり、もう一つが文学だ。

            ◇百姓姿      

「軍神」となった乃木大将。実は生涯で4度軍籍を離れている。その度に向かった先が畑だ。最初は長州で、あとの三度は栃木の那須野で百姓をしている。那須野の畑は妻の親戚筋から手に入れたもので、軍神らしくなく、心の傷を癒しながら土と緑に囲まれ畑を耕す日々を心から愛したようだ。

             ◇乃木少年

若き乃木少年が学者を夢みて父に無断で兵学者である玉木文之進のもとを訪ねた時、玉木は武士の子に生まれた者が武芸を好まぬなら百姓をやれ、と一喝した話は知られている。なぜ百姓か。実は乃木の父、稀次(まれつぐ)は、江戸詰めの長府藩下級武士で生活は苦しく、実は半農半武。このため希典も幼き時から野良仕事を手伝っており、玉木はこのことを知っていたのだ。というのも玉木と乃木の父、希次は親戚筋にあたり、両者は気が合う仲だったという。また、玉木自身も晴耕雨読、半農半学の生活をしており、玉木家に棲みついた乃木にとって農事は身近なものであった。このように乃木は幼少の時から野良仕事に馴染んでおり、野良仕事は乃木にとって若き頃に戻ること、乃木の本性に近いところに還ることを意味していたのではないか。

              ◇囲炉裏(いろり)
こうした経験から、乃木は近隣の農民よりも農業の知識があり、那須野の乃木家の囲炉裏には百姓方が集まり、乃木の話を熱心に聞いたという。乃木は晩年、学習院院長を務めるが、もともと学者を夢みていた乃木。人に知識を教え、指導することが好きであったようで、こうした日々をとても楽しんでいたという。また、那須野のエピソードとして、お気に入りの湧水の話がある。水はこんこんと湧いているが、もったいないとしてコップ一杯しか使わず、顔を洗う乃木。これを皆が可笑しがったという。

              ◇文学

以前の号でも取り上げた米国人従軍記者のウォッシュバーグ。乃木から特ダネをとろうと近づくが口が堅い。乃木に取り入ることができるような糸口を探していた折、探し当てたのが文学論議。詩歌の話になると子供のように目を輝かせ、身を乗り出してきたという。これが、ウォッシュバーグのいう「乃木のアキレス腱」だ。これを足掛かりに、ロシア軍のステッセル将軍の話を聞こうとすると、乃木は再び口をつぐんだという。

 美文を愛した乃木。ひとつ乃木の言葉を紹介したい。ウォッシュバーンをはじめ外国人記者と別れを告げる会でのスピーチだ。

「願わくば 互いの友情を永遠に黎明の空に消える星の如くあらしめたい。暁の星は次第に目には見えなくなる。しかし、消えてなくなることはない」と結んだ。

             (元山口大学経済学部生K)

参考: 三島通陽 「回想の乃木希典」 雪華社 昭和41年  

出典: 皆川三郎 「外国武官の見た乃木希典」 菅原嶽・菅原一彪編

『乃木希典の世界』 新人物往来社 1992年