1970年代、私は佐賀県の高校を卒業し、山口大学経済学部に入学した。
体育会系のサークル(部活)に入部して高校時代になまった体を鍛え直そうと、考えた。入学してすぐ、先輩に聞いた。
「山大で一番、練習の厳しいサークルはどこですか」
先輩は答えた。
「空手部と硬式庭球部だろう」
◇球拾いの日々
私は硬式庭球部に入部した。入部早々、上級生はこう告げた。
「新入部員は1年間、球拾いだ」
コートで練習できるのは上級生だけという。
私たちは球拾いの日々。そしてランニングと素振り・・・。
新入部員は50人ほどいたが、嫌気がさして次々に退部していった。
夏休みが終わったとき、残ったのは10数人だった。
練習は厳しかった。だが、上級生のパワハラは一切なかった。
私は夜中も、体育館でひとり、自主練習をした。
徹夜で壁打ちを繰り返した。白々と夜が明けることもあった。
◇歓喜の優勝
3年になって正選手となった。中国選手権大会にダブルスで出場した。
ペアを組んだのは経済学部の同級生。彼は強く、優秀な選手だった。
私たちは勝ち進んだ。ついに決勝戦に勝ち上がった。
決勝戦の相手は岡山大学の選手。決勝戦の会場も岡山大学だった。
観客全員が岡山大学の選手を応援する。相手が決めると、大声援と
拍手。だが、私たちがポイントをあげると、冷たい沈黙・・・。
苦しい試合だった。だが、我々が勝利。優勝を果たした。
やった。勝ったぞ。厳しい練習が報われた。
◇現役選手
大学を卒業して銀行員になった。日本各地で勤務した。
テニスをやってよかったと思うのは、どこに行っても
ラケット1本ですぐに仲良くなれることだ。
私は60代だが、地元・横浜市のクラブで練習を続けている。
現役選手として大会にも出場している。
大学時代は、練習が厳しく、テニスが楽しいと思ったことはなかった。
だが、今は、テニスの楽しさを体感している。テニスを続けてよかった。
(元山口大学硬式庭球部員 N)