響け 山大管弦楽団

私は山口大学経済学部に入学し、管弦楽団に入団しました。

少年時代から昭和歌謡をよく歌い、古関裕而の曲も好きでした。

楽器は弾けませんが、クラシック音楽に興味があったのです。

 ◇ティンパニーとの出会い

入団後、トランペットを志望しました。ところが、先輩が「君には向いていない」というのです。今なら、ティンパニーが空いている(空席)といいます。

「それでいいや」と思い、ティンパニーを始めました。

 2台のティンパニーを叩きます。まず、複数のネジで音の高さを調節します。強く締めると、高音に、緩めると、低音になります。私には音程がよく分からない。耳のいい先輩に教えてもらい、皮の張り具合を手のひらの感覚で覚えました。

 ティンパニーは簡単そうに見えますが、打つタイミングが難しい。ちょっと、手を振り上げると、半拍、遅れます。「打とう」と意識する前に打たなくてはなりません。

 ◇指で数える

 ティンパニーはバイオリンなどのように始終、演奏しているわけではありません。演奏中、休みの時間がけっこう長い。私は幼児のように指を折りながら、小節を数え、出番を待ちます。ある演奏会で演奏のスピードがなぜか速まったことがあります。みんなが「どうしようか」と焦っていたところ、私が60数小節目にティンパニーを正確に打ったので、正常な演奏に戻ることができました。このときはみんなに感謝されました。

 ◇国立大学合同演奏会

 指揮者は経済学部の先輩でした。クラシック音楽にとても詳しい。指揮も抜群でした。山口の音楽界では一目置かれる存在で、それはたいした人物でした。彼は卒業後、大手企業に就職しました。

 演奏会は山口市の公共施設でやることが多く、いろんな曲を演奏しました。私はベートーベンの「運命」が好きです。ドボルザークの「新世界」も印象に残っています。

当時、中国地方の国立大学合同演奏会が開かれていました。岡山や広島など持ち回りでやります。楽器を会場まで運ぶのが大変です。特にティンパニーは重たい。持ち上げて客車に運びこむのにひと苦労しました。

 ◇商社マンに

大学卒業後、私は商社マンになりました。海外にも駐在しました。仕事が忙しく、ティンパニーを叩くことはもう、ありません。演奏会をたまに聴きに行く程度です。それでも、クラシック音楽を知っていると、お客さん(取り引き先)との会話が広がります。

学生時代にクラシック音楽をやって、教養が身につきました。管弦楽団に入ってよかったと思います。今でも当時の楽団員が山口に集まることがあります。私は日程の都合がつけば、出席するようにしています。

  (元山口大学管弦楽団員 S)