寄付の文化 その1

 寄付金といえば、米国の有名私大で羨ましいほどの寄付金を集めているのはよく聞く話だ。寄付金とその運用益で収入の半分を賄うという。何とも羨ましい限りだ。欧州の大学でも然り、アジアのトップ大学でも結構な寄付金を集めているという。

片や我が国の大学は独法化以降、国からの交付金が削減されたため財政が逼迫しており大口寄付金が欲しいところだが、なかなか寄付が集まらない。

最近ではコロナ禍で学生諸君のアルバイト先が限られており、また学資の出し手である両親も解雇や所得減になっていることから困窮学生が出てきた。大学でも学生支援に乗り出してはいるが、支援余力に限りがあることからホームページなどを通じて寄付を募る案内を出している。

◆宗教と寄付行為

 日本人の間では、寄付行為が社会に浸透しているとは言い難い。寄付はキリスト教信者の間で目立つ感がある。実際、キリスト教において寄付は愛の教えの端的な実践とされるのだ。

では、寄付行為はキリスト教に特有か。

否、ユダヤ教やイスラム教でも貧民救済は神の義にかなう贖罪の行為とされる。

仏教においてはどうか。

寄付、いわゆる「喜捨」は三法(仏・法・僧)を護持し、財への執着を解く功徳ある行為とされる。

またヒンドゥー教でも僧への施しは功徳ある行為となっている。

◆日本での助け合い

しかし、日本にも助け合いの精神はある。赤い羽根募金や交通遺児への募金のほか、阪神淡路大震災、東日本大地震や台風などの災害時には多くの義援金、救援金が集まった。

少なくともバブル期までは国際社会から「金持ち日本」と見られていた我が国。寄付人口や寄付金額の水準は他の先進国と比べてどのような水準にあったのか。「金満ニッポンでの寄付行為」は、他国と比べ遜色なかったのか。

事実は大きく異なっている。

◆寄付の国際比較

寄付白書(2017年、ファンドレイジング協会)をみてみよう。

以下、国別に

人口に占める寄付した者の割合、括弧書きで当該国のGDPに占める寄付金額の割合を示す。

米国:63%(1.44%)

英国:69%(0.54%)

韓国:35%(0.50%)

日本:23%(0.14%)

米・英では3人に2人が寄付している。アジアの韓国をみると3人に1人が寄付しており寄付人口は欧米に比べて少ないが、寄付金額のGDPに占める割合をみると英国と比べても遜色ない水準にあることがわかる。

では日本はどうか。

寄付した人は4人に1人、寄付金のGDP比は米国の10分の1、韓国に比べても4分の1ほどにとどまっている

バブル時代からこうした傾向は変わっていないという。

◆寄付の報道 

大口の寄付があると、時々ニュースで取り上げられる。

先日も宮崎県のN市で精肉・飲食業を営んでいた方が事業売却した際、「地元の方に支えられ、共に歩いてきた感謝の気持ち」として、市に8億円余りを寄付した美談が報じられていた。

高齢者による自治体への「匿名」の大口寄付は時々報じられる。またタイガーマスクのランドセル寄付というのもあった。

こうした寄付行為は日本において一般的とは言えない珍しい行為であるがゆえに希少で価値あるニュースとして取り上げられるのではないか。

 ◆渋沢栄一の「泥棒袋」

ただ日本には私財を投じるにあたり、「分相応に」、また「付き合いで」金一封を、という文化もある。

ここに目を付けたのが渋沢栄一だ。まず隗より始めよと渋沢が行った寄付集めが語り草となって残る。

渋沢は自ら「渋沢栄一、金●●万円寄付」と書いた奉加帳と一緒に大きな鞄を持ち歩き、相手が逃げにくい形で寄付を迫った。寄付を迫られた者は面と向かって断わりにくい。寄付者は渋沢が携えていた大型鞄を陰で「泥棒鞄」と呼んでいたという。

また渋沢は、救貧・防貧の資金集めに、現在の帝国ホテル近くにあった貴族の社交場「鹿鳴館」でチャリティーバザーを開催し、上流・金持ち階級を相手にバザーへの出品を促し、資金を集めた。こうした華やかな催事会場では、地位ある参加者は互いに見栄を張りたがる。見栄を競わせ、これで結構な額を集めたという。

(学23期kz)