青春のアルバイト ②

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部 トピックス

 (青春のアルバイト①はアーカイブで。2021年10月に掲載)

◇肉体労働のアルバイト

アルバイトでは決まって肉体労働だった。

細かい事前知識は要らず、体力に任せて働くことができ、時給が比較的高かった。

2年生の夏みのこと。大学の掲示板に県の農業試験場敷地の周囲にサルビアを植えるアルバイト求人の張り紙を見つけた。アルバイト代は1日1000円。このため時給に換算すると150円程度だったか。他のアルバイトの時給より2割ほど割がよく、当時は魅力的に映り、高校時代からの仲間3人で応募した。

炎天下の作業

サルビアの花を植えると言えば聞こえが良い。しかし作業は肉体労働だ。

機材を運び、植える場所を掘り起し、苗を植え、整地し、水を撒く。

しかし農業試験場は広かった。作業は過酷なものだった。

山口は内陸性の盆地気候で、夏はかなり暑くなる。木陰はなく炎天下での作業が続く。たまらずシャツを脱ぎ、上半身裸で作業をこなした。

顔が火照り、喉が渇く。10時半の休憩時、火照る身体に一気に流し込む清涼飲料水。何ともうまかった。当時コカ・コーラが30円。ファンタもそれくらいだっただろう。

休憩の後は現場に戻り目のくらむような暑さの中、作業を再開するが、すぐに大粒の汗が吹き出す。眼に沁み込んで視界が霞む中での作業が続く。

現場の「親方」の指示で、12時きっかりに作業をストップし、昼食。

しかし、見渡す限り近くに食堂はなかった。国道を挟んだ雑貨屋で腹の足しになるものを探すが、パンしかない。仕方なしに、パン二つとまたしても清涼飲料水で150円程度。パンはコメと違い喉が渇く。追加でもう一つコーヒ―牛乳を買う羽目に。

今から考えれば劣悪な環境にあるアルバイト先であった。しかし、二十歳前の若い当時、身体をいじめ、辛さに耐えることが一種の快感でさえあった。

午後からはある程度仕事の要領を覚え、比較的スムースに作業を終えたのだろう。午後のことはよく覚えていない。

◇シゴトを終えて

日給1,000円。作業の終わりに現場監督から手当の封筒をもらう。街に戻り、汗を流しに湯田の銭湯「清水湯」に。

ザッと湯をかけてザブンと湯船に浸かった!・・・といきたいが、そうはいかない。

腕と背中の皮膚が“やけど”を起こしかけており、湯に浸かるにも相当難儀した。

入浴料は覚えていないが、意外と高かった記憶がある。200円まではいかないが180円くらいだったろうか。当時セブンスターが100円だった。

そこから晩飯へ。

まともな飯にありつけること。これが一日の最大の喜びであり、褒美である。この喜びを味わうために、朝から夕方まで頑張ってきたのだ。

300円ほどの定食を食べて一息。

しかし残った稼ぎは300円を切っている。何とも侘しい。

◇賭けに出る

残り銭をいかに使うか。ここでおよそ経済学部生らしくない行動に出る。つらい労働の後は理性が薄れる。向かうは繁華街。チューリップが断続的に開いた過去の「成功体験」にすがり、パチンコ台に向かう。100円で玉を買うも、手のひらに銀玉がほんの少し。瞬く間に銀玉がアウト穴に吸い込まれていく。「百万ドル」がだめならハス向かいの「山口ホール」だ。しかし、思い描いた楽園への壁は厚く、高い。

つらい労働の後は強い刺激を得て眠りにつきたい。しかし酒を買おうにもポケットはすっからかんだ。仕方なく貯金を取り崩す羽目に。何のためのアルバイトだったのか。学費の足しにもならんじゃないか。

情けない。

空しく、薄っぺらな一日。生きていく大変さを思い知らされた貴重な経験だ。

◇アルバイト代の価値

入学した年度の授業料が年間12000円であった。月にして1000円。一日のアルバイト代でひと月の授業料が賄えたことになる。若い諸君には申し訳ないが、ありがたい時代だった。

(学23期kz)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

SNSにご登録いただき、フォローをお願いします。