山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【10月 トピックス】
伊藤は明治の三傑に入っていないが、初代内閣総理大臣を務めた。
何が評価されて、初代総理になれたのか。
◆語学力
英語だ。語学力だ。
22歳の時に長州ファイブの一人として渡英。ロンドン大学に留学するも、四国連合艦隊の長州攻撃計画を知り急遽帰国したため、滞在期間はわずか半年となった。
それでも英国滞在中、伊藤は評判を高める。社交的な性格の伊藤は他の日本人と異なり堂々と英語を話すため、外国人の間で評判になったからだ。
また、伊藤は新政府に招集されなかったが、「神戸事件」備中藩兵が外国人水兵を負傷させた新政府初の外交事件を双方に働きかけて決着させたことが評価され、それを契機に出世の道が開けた。
伊藤は英語もさることながら、吉田松陰から、「周旋屋」としての才能を評価されており、交渉能力に長けていた。
初代内閣総理大臣を選ぶ際、同郷の井上馨は「英語ができる者」が良いとし、しかも憲法策定や内閣制度創設に当たっては交渉が重要になるため交渉能力に秀でた者を登用すべきとしており、その意見を踏まえて伊藤が総理に抜擢されたという経緯がある。
昨今では、閣僚や重要な政府関係機関のトップを選ぶ際も、これまでの保守的な人事の慣例、前例踏襲から外れていても、「英語ができる者」、国際的な舞台で渡り合うことの重要度が高まっており、語学力を重視した抜擢人事がみられるようになった。
◆伊藤公 こぼれ話
伊藤公が「唯一の趣味」と公言した、扱いにくい趣味は横に置くとして、公は多忙であったが、乗馬が好きだったようだ。当時は登庁するときに用いるのが馬。
1866年(慶応2年)には外国人用の根岸競馬場ができていたが、1880年から日本人も洋式競馬に参加、伊藤公も競走馬を有していたという。
また、公は酒を大いに好んだらしい。しかし酒に飲まれることは一度もなかったという。
もう一つの趣味が刀剣である。
この趣味は、晩年にあたる明治40年以降に高じたという。
梅子夫人が刀を嫌うため、夜更けに煌々たる電燈の下に大太刀を払い、静かに焼き、その匂いを点検して、太刀造りの巧拙、切れ味をみて、太刀が作られた当時の存亡興廃の様子をふり返っていたという。
護身用として旅行にも2~3振を携えていたという話が残っている。
伊藤公はハルピンで安重根の凶弾に倒れることになるが、太刀は飛び道具の前に、その持てる力を発揮することもなく、明治42年(1909年)に国葬となった。
伊藤公の命日10月26日には、西大井(品川区)の墓所に公の出身地の神社から宮司を招き、防長倶楽部主催で墓前祭が行われている。今年は水曜日にあたる。
西大井は伊藤公が「故郷の束荷(つかり)に似ている」として、晩年に別邸を建てたところである。
束荷とは熊毛郡束荷村のことで、現在の光市にあたる。
(学23期kz)
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