山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【2022年11月トピックス】
学生時代の友人と会うと昔話に花が咲きます。
共通の友人の動静の情報交換の後は食事の話になります。
入学した頃は平川地区に下宿していて、講義に出た時は学食で食べました。
ただ、私は大勢の学生や教職員のいる学食は落ち着かず、大学通りにある「長門館」や平川郵便局近くのこじんまりした食事処に行ったものです。(長門館は最近解体されたとか)
湯田温泉駅前にあった食事の店にも行った記憶がありますが、店名は思い出せません。
湯田はお好み焼屋にも行きました。
平川から自転車で中心街に出た時や下宿が山口に移ってからは中市にあったご年配のご婦人がお客対応をされていた「鳩食堂」や白石町にあった「万両」をよく利用しました。
亀山の経済学部食堂は安くてリーズナブルで小皿を沢山取っても500円あれば、たらふく食べれ、お釣りがありました。
国道9号線から少し入った中年のご夫婦でされているとんちゃん(ホルモン)の店にも夕食によく行きました。
当時、ビリヤードをした後の楽しみでした。
繁華街の「蓬来閣」は地域が一緒の私の知り合いのおばさんが働いておられて、ここの中華丼は絶品で私の最後の晩餐の一候補ですが、店は既になくなっているようで、ネット検索してもありません。💧
深夜には「蛇の目寿司」には行きました。
凄いボリュームのカツ丼が学生の間では人気でした。
アルコールは苦手で当時は殆んど飲みませんでしたが、親友に酒飲みがいて、道場門前の「大萬」に付き合いました。
一度、焼酎を飲み意識が無くなって、気がついたら日赤病院近くをさ迷っていました。
今でもご主人と奥様のお顔は鮮明に思い出せます。
日赤病院前の定食の「寿ゑ吉」にもよく行ったのを思い出しました。
そういえば、受験の際の宿泊旅館が後河原の惣野旅館で、入った文化会サークルの歓迎会も惣野旅館でしたが、飲み過ぎて、泣き上戸なのが判り、先輩に介抱して頂き、迷惑を掛けました。
50年の月日が経ち、繁盛していても後継者の方がおられなければ、殆んどの店は無くなっているのではと想像しています。
写真1枚目は白石の「万両」、ネット検索するとヒットしますので、健在のようです。
面影がないので建て替えられたようです。
写真2枚目は万両の現在の看板、山口市ファンクラブの湊 和久様に提供頂きましたが、昼時は山口市職員や中国電力社員でいっぱいとなり、大将と奥様もとても元気とのことです。
写真3枚目は後河原の惣野旅館。
(学22期 Y・Y)
山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
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