1985年(昭和60年)入学、丙午世代

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2022年12月トピックス】

1985年に山口大学の門を現役で叩いた学生は、私を含む(早生れの未年)を除き、大半は60年に一度の丙午(1966年、昭和41年生まれ)生まれでした。

人口ピラミッド図を見ると、団塊ジュニア世代の前に、不自然に凹んでいる年が、丙午といわれる、60年に一度の午年です。その前の丙午は1906年ですので、現存している丙午世代は、我々の同級生のみです。

なぜこうなったかというと

「丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信があり、これは、江戸時代の初期の「丙午の年には火災が多い」という迷信が、八百屋お七が丙午の生まれだとされたことから、女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされています。(Wikipedia による)

インタネットもSNSもない時代に、その様な迷信が数百年にわたって語り継がれている事には驚きますが、その俗説を信じないといけない同調圧力が、昭和40年に漂っていて子づくりを自重したのだと推測されます。事実、(昭和40年、昭和42年)に比べると30%くらい出生数が少なくなっています。(65年:182万人 → 66年136万人→67年193万)

当の丙午世代は、数々の恩恵を受けてきました。偏差値偏重、受験地獄と言われた前後の年代と違い、高校受験、大学受験の倍率は1-2倍台、難関校を除けば、ほぼ二人に一人は合格という恩恵。もし浪人となれば競争率が跳ね上がる、絶対現役で滑り込もう!と誰もが思っていました。

そして就職はバブル期、内定を複数もらうのは、当たり前、今週は〇〇シリーズだと財閥の〇〇銀行、〇〇保険、〇〇化学、〇〇重工と毎日のように面接を受け、交通費まで出してもらい、さらに内定解禁日には、内定者囲い込みで、海外旅行に連れて行ってくれる会社も沢山ありました。(そうした企業はバブル崩壊と共に吸収合併されました)

ちなみに同級生の女性が、特別気性が激しかったか?というと、私の知る限り他の年代と特別な違いはないと感じています。(ちなみに私の祖母も1906年生まれの丙午)

2022年の出生者数分では70万人と60年に一度の丙午生まれの半分。統計を取り始めて最低。いかに少子化が進んでしまったかがわかります。東南アジアやインドなどに出張して帰国すると、この国に漂う閉塞感の主因は、少子化で人口が増えなくなった事にあると痛感する年の瀬です。

学37期 上野啓

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

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