【個人負担か社会負担か】
山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【2023年2月トピックス】
◆安かった授業料の根拠
私が学生当時、国立大学の授業料は「公共料金」と同様にみなされていた。
「教育の機会均等」、すなわち金銭的に恵まれていない者にも教育が受けられるよう、公共料金に対する物価抑制の一環として授業料が抑えられていたのだ。
すなわち学費は個人負担というよりも、公共的・公益的な観点から、国が多分に負担していた。
しかし、こうした時代は長くは続かなかった。
◆学費3倍値上げ
日本で国立大学授業料が3倍に引上げられた時が3度あった。
先ず昭和24年。
600円が1800円に引き上げられた。
二度目は昭和47年で、12000円が36000円に引き上げられた。
三度目の授業料値上げは私が学部を卒業した直後。
オイルショックに伴う物価高騰から、昭和51年に授業料は36000円から2.7倍増加の96000円となった。
私が大学に在籍していた当時経験したのが二度目の引き上げ時期にあたる。
ではこの時、どのような要因で学費が値上がりしたのだろう。
大学進学率が高まり、その受け皿として1960年代から私立大学が多く設立されていくが、公費負担が薄い私立大の学費は高い。そうすると国立大と私大の間で、学費の格差が問題となってくる。
この時に持ち出されたスローガンが「(私大の学費との)格差是正」であった。
結局、私大の授業料にサヤ寄せされる形で、国立大の授業料が上がっていったのだ。
◆値上げの容認
この時、反対運動はなかったのか。
学費値上げの際も、学生の抵抗はあったものの、親からの不満はさほど出なかったという。
学費の出し手は親だ。他の出費を抑えても教育を受けさせたいとする親の姿勢があった。
もう一つの要因がある。
大学出が特権階級という意識だ。
我々の親世代で大学を出た親は、周りを見渡してもごくわずかだった。親としては自分ができなかったことを実現して欲しいという気持ちから、無理をしてでも、子息には高等教育を受けさせいという心情があった。これは理解できる。
一般的に大学出が特権階級視、エリート視されるのは大学進学率15%未満だとされる。鳳陽会でいえば学10期あたりまでに相当する。
私の入学時には大学進学率が30%台で、卒業時には40%台に急上昇し、エリートでも何でもなくなった時代になった。
しかし、当時もそうだが、大学進学率が50%を超えた今でも、親から見て大学出はやはり「特権階級」、「エリート階級」という意識から抜け切っていない。
◆受益者負担
「受益者負担」という言葉がある。
教育のメリットは個人に帰属するか、社会に帰属するか。
この線引きは難しい。
公共サービスに対して消費者が直接的に負担するのが受益者負担だ。間接的に税で負担するのとは異なる。
公的な大学教育が、「エリート層」といった限られた層に施される(と認識される)場合、その対価を個人が負担する「受益者負担」と結びつきやすい。
こうしたことから、個人負担への親の抵抗は強くはなかったのではないか。
◆ドイツや東欧の学費は無償
OECDの中で、日本の学費は高い国に属する。もっとも米国や英国ほどではないが。
他方、欧州では学費が格安な国が多い。
それどころか、ドイツやノルウェー、フィンランドなどの北欧諸国、ポーランドやチェコなどの東欧諸国では無償としている国も多い。外国からの留学生を含めて無償という話だ。
この差は何か。
国、すなわち公的負担の差だ。
要は学費無償の国は、教育が社会的に価値あるものとして「設置者負担」という考えのもと、大学の設置運営に対して税金が使われており、このため個人の負担はない。
◆私立大を超えた日本の国立大入学金
独法化した後、大学運営も苦しく、入学金を上げざるを得なかったのかもしれない。
文部省のデータ(平成30年)をみると、授業料こそ私立大が高いが、入学金をみると、国立大が約28万円。これに対し、私立文系が23万円、私立理系は25.5万円となっており、国立大が私立大より高くなっているのだ。
学生にとっても、大学側にとっても大変な時代になった。
・・・続く
(学・23期kz)
山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
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