山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【2023年5月トピックス】
長崎のオランダ商館付き医者であったドイツ人・シーボルトは江戸に向かう。巌流島を過ぎ、彦島を視界に収めた周辺の景色を「素晴らしいパノラマ」と表現している。
この彦島租借は馬関戦争の講和折衝の際に、英公使オールコックが持ち出し、交渉相手の高杉晋作が拒んだとされる。
しかし、このことは講和文書の形で残ってはおらず、関係者の口述の記録にとどまる。
すなわち講和の時の通訳を下した伊藤博文は「彦島租借は高杉が断固拒否した」と後に口述しているが、通訳をした英・外交官アーネスト・サトウの記録には出てこない。
◆オールコックの脅し
英公使オールコックはアヘン戦争で香港を手に入れ、第2次アヘン戦争(アロー号事件)で九龍等を租借した実績を持つ。
当時の英国は七つの海を支配し、「太陽の沈まぬ国」であった。
長州の外国艦船砲撃は米、仏、蘭であり、英国艦船は対象とはなっていなかったが、四か国が連合した長州へ報復砲撃、その後の講和と四か国を取り纏めリードしたのがオールコックであった。
オールコックは、交渉に際し、清国での香港島(1842年租借)、九龍半島の九龍(1860年租借)の話をよく持ち出して脅しをかけてきたという。
◆講和の長州代表・高杉晋作
講和の際、長州側は高杉晋作を交渉役に充てたが、これは的中した。
もともと急進的な攘夷論者だった高杉は「危ない存在」として国内に置いておけず、外国に出される。
しかし、欧州への派遣組の選考に漏れた高杉の渡航先は、上海行きに変わる。そこで欧米が市中を闊歩し、市民が肩身を狭くしている上海の姿を見たのだ。
もちろん、アヘン戦争で香港や九龍等が租借という名で実質的に英国が領有することになったことも知っていたからだ。
彦島は香港島と似た位置づけにある。
こうした経緯で高杉はオールコックの彦島租借要求を拒んだ。
◆仏ロッシュ公使
彦島租借を阻んだもう一人の立役者が仏ロッシュ公使ではなかったか。当時フランスはナポレオン三世下産業革命が進み、資本家、労働者、農民が激しく対立。国民の目を外に向け国論をまとめる必要があり、一歩先を行っていた英国の極東マーケット開拓に割り込む必要があった。
こうして仏は英国に追随する形で極東に向かうが、その存在ゆえに
英国の独走をけん制する形となったのだ。
幕末当時の日本では英公使オールコックと仏公使ロッシュが覇権争いをしていた。
日本の行方を見誤り、幕府に付いた仏公使ロッシュであったが、日本にとっては英国の彦島租借を阻んだ影の貢献者であったと言えるかもしれない。
(学23期kz)
山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
★SNSに登録していただき、フォローをお願い致します。
記事の末尾にコメント欄あり。