山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2023年8月トピックス】
◆永池先輩との出会い
昨年12月3日に長州歴史ウォークで名所旧跡を廻った。
集合場所は両国駅改札口。
皆さんが揃ったが、スタートの時間が来たが、お見えになっていない参加者がいる。
15期の永池先輩だ。
永池先輩とは面識はない。
皆さんには先に最初の訪問地・回向院に向かってもらい、私も案内役の一人になっていたため先輩をお待ちすることにした。
なかなかお見えにならない。
途中で体調を崩され、お帰りになったのかもしれない。
色々な可能性を考えてみる。
そのうちに5分が過ぎ、10分が過ぎた。
変だな。
思い切って、予め調べておいた永池先輩の携帯電話に架けてみた。
応答なし。
15分過ぎ、20分が経過した。
先に出発してもらった一行とはかなり離れてしまった。
その後も間隔を空けて何度か電話するも、やはり応答なし。やはり変だ。
集合時間から20分も過ぎ、そろそろ諦めかけ、これで最後と決めた電話を掛けたところ、応答があった。
改札口でようやく永池先輩とお会いすることができた。
先生とは初対面だが、すぐに判った。
先生と二人、一行が向かった回向院に向かう。
道すがら先輩の生まれは長崎だとの話があり、私も生まれは長崎だ。長崎の話になった。また永池先輩の兄は長崎大の経済学部に在籍されていたとのこと。今回の歴史ウォークには、昨年夏に交流ができた長崎大学経済学部同窓会(瓊林会)の東京支部長も参加されていることを紹介した。
◆勝海舟生誕の地での写真
途中の行程で、JR両国駅の南、両国公園の一角に史跡がある。「勝海舟生誕の地」となっている。歴史年表を見、銅像を眺めた後、休憩も兼ねて備え付けの椅子で記念撮影ができるようになっており、折角だからと、永池先輩をお誘いし、先輩の写真を私の携帯に収めた。
◆お礼のメール
翌12月4日に写真を永池先輩に送り、次回もご参加くださいとお伝えしたが、すぐには返事が来なかった。
先生から返事が来たのはしばらく経ってからだ。
写真のお礼が書いてあり、「良い記念になりました。いい企画があったらこれからも参加したいと思います。ありがとうございました。」との丁寧なお礼のメールが届いた。
◆訃報
それから4日後の18日(日曜)に永池先輩がお亡くなりになったとの連絡が届いた。
そんなはずはない。てっきり人違いだと思った。
つい数日までメールのやり取りをしていたのだから。
先輩からのメールが届いた日時を確認してみると、12月14日(水)朝9時となっていた。
亡くなる4日前の14日(水)のことだ。
◆永池先輩の遺稿
永池先輩の著作の中に「旧制官立専門学校と山口高商」―その誇り高き歴史と意義―
というのがある。
永池先輩がみた山口高商の位置づけとその存在意義についての論考だ。
次稿で紹介する。
(学23期kz)
昨年12月3日に第3回長州歴史ウォークに参加した際に同じT社に勤務されていた7年先輩の永池さんと再会しました。
永池さんとは40年前になりますが、私が広島勤務から本社勤務になった時に社内でお会いする機会があり、簡単なご挨拶をした記憶があります。
若くしてドイツに社内留学されたりして学究肌で優秀な先輩とお聞きしていましたので。
両国での昼食の際に同じテーブルで18期後輩のYさんと3人で談笑する機会に恵まれました。
Yさんはお会いされるのは2004年の鳳陽会福岡支部以来だったようですが、知り合いの方が永池さんと同じ島原高校で同級生だった縁で永池さんのご活躍の様子は聞かれていて沢山の質問をされていました。
長崎県島原市の出身で退職後は九州大学や久留米大学で教授の要職を歴任されていたのを知りました。
私は勤務していた会社の不祥事についてどう思われるますかと聞いたところ、論外で情けないと多くを語られませんでした。
昼食後の集合の際に広島在住の1年先輩の小樽商大出身Tさんから私の携帯に偶々、連絡が入り、本社で同じ総合企画部で2年間、仕事をされていたと聞いていましたので、永池さんと代わりました。
年が明けて2月に昨年12月18日に亡くなられていたとの訃報が入りました。
歴史ウォークに参加される程お元気だったのに。
歴史ウォークにはこれからも参加されると仰っていて楽しみにしていました。
亡くなられる2週間前に我々3人を呼ばれたのかもしれません。光栄です。
又、経済学部のOB仲間に久しぶりに会われて喜んでおられたと思います。
時期は違えど同じ山口の地で青春時代を過ごされた永池先輩のご冥福をお祈り申し上げます。