山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2023年 10月トピックス】
昭和46年当時、教養課程で英語の授業を受け持つ先生は複数人いた。
◆ダベンポート先生
典型的な欧米系のガイジンという印象。外国人特有の下あごを利かせた低い音調の発音で、口はやや締まりに欠ける。
日本人には聞き取れない本物のガイジンの英語であった。
文字になっていれば何ということのない単語や言い回しでも、何と言っているのか理解できなかった。
いや、簡単な英語、習いたての中学の初めに習うhave, keep, it, of・・・
またこうした単語が連なった場合はとにかく聞き取りにくい。また生来左耳が難聴気味の私には聞き分けが特に厳しかった。
このダベンポート先生、同期のS君の話ではケンブリッジ大学を卒業し、山大に着任。奥さんが日本人だという。ESS(英会話クラブ)の顧問をされ、中国地区の英語の弁論大会で1年生のS君を3年、4年生を押さえて、3位入賞に導いた優秀な先生でもあったようだ。このS君、英語の達人で大手商社マンとなり、欧州でまた、アメリカ大陸で活躍したことは言うまでもない。
◆伊豆先生(外書読解)
英文学専攻のシャープな風貌の若手の先生だ。文学部の英文学科に在籍されていたような記憶がある。
授業で用いたものは英国の作家が書いた作品だったと記憶している。
外国語で文学作品を味わうことは至難の業だ。英語の流行歌の歌詞を理解するのも難しい。論理的に書いてないからだ。受験勉強の時の英語読解は論理的な展開になっており、慣れ親しんでいるが、文学は難しい。
そもそも、日本の詩も難解なものが多い。作者個人の情緒が盛り込まれており、解説なしでは理解困難なものが多い。
この時の外国文学の読解はジグソーパズルのような謎解きのようであり、それはそれでミステリーのようであった。
◆英会話の先生(中年の日本人、氏名不詳)
頭髪は薄く、波打った中年の先生であった。
「英語」ではなく「米語」であった。発音する際に過度に口を尖らせたり、横に広げたりと英語らしい発音を心掛けようとされる。英語を発音する際の欧米人の口の形を真似ようとすると、ああした教え方になるのだろうか。
先生は熱心で、熱のこもった授業をされるのだが、口角に白くなった唾が溜まり、それが気になって、先生の話はほとんど頭に入らなかった。
私も中学の頃、米軍のベースキャンプに出掛け、若い兵士が喋る「米語」を聞き、トム・ジョーンズ、プレスリー、ビートルズが使っている「英語」に慣れた耳には、かえって不自然に聞こえた。
二十歳を越えてから米国に滞在しておられたのだろう。幼少の頃に覚えた英語であれば、ネイティブ特有のうまさ、滑らかさ、日本人の耳への判りにくさがあるが、それを全く感じさせない。
成績優秀で大学の教養課程の英会話の先生に抜擢されたのだろうが、この先生の授業を長期にわたり受講しても、英会話は上達しないなと確信した。それにしてもどういう経歴をお持ちの先生であったのだろう。
(学23期kz)