山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2023年10月 トピックス】
文中敬称略
マルクス経済学と一般均衡論の融合を図った経済学者として柴田敬を紹介したが、柴田に影響を与えた山口高商の先輩の一人として、経済学者・河上肇(岩国生まれ。1879年・明治12年~1946年・昭和21年)がいる。
むしろ社会一般的には柴田と比べ、「貧乏物語」の著者である河上肇の方が、名が通っている。
河上は旧山口高校文科を卒業し東京帝大政治学科に進むが、東京に出てきて目の当たりにしたのが貧富の格差だ。山口とはあまりに違う光景に相当大きな衝撃を受けたようだ。
東大卒業後、京大に講師として入り経済学の研究を始めるが、貧困問題が河上の頭から離れなかったようだ。
・いかに多くの者が貧困の中にあるか。
・それはなぜなのか。
・いかにすれば貧困を根治できるか。
貧困の背景と問題点にスポットを当てた河上の記事が新聞に連載され、これが社会的に大きな反響を呼んだ。この連載ものを纏め、1917年に刊行した「貧乏物語」はベストセラーとなった。
◆マルクスに傾く
河上はA・スミス、リカード、J.S.ミルなどの古典から入っていく。
しかし、京都帝大在任中、マルクス主義への理解に難点があること、金持ちが奢侈を止めれば貧困問題は解決するとする河上の貧困問題への解決策について学界から批判が起こった。生涯のライバルとなる博学の福田徳三(一橋大教授)や、いわば身内ともいえる教え子の櫛田民蔵(後に同志社大教授)らだ。
河上は彼らからの学問的な批判を自分の中で真摯に受け止め、マルクスを正確に理解することに取り組むうちに、マルクス主義へ傾倒していった。
河上自身は「最初はブルジョワ経済学(非マルクス経済学)から出発して・・・一歩一歩マルクスに近づき、ついに最後に至って最初の出発点とは正反対なものに転化し終えた」(経済学大綱、1928年)と記している。
「出発」から「転化」まで約20年ほど。
この時期河上だけではなく、多くの経済学者がマルクスへ傾いていった時代でもあった。
マルクス主義研究の大家というイメージのある河上肇。
経済学の大家で経済学史にも造詣が深い東大名誉教授の故・玉野井芳郎は河上を「マルクス主義を学問的に開拓した有力な代表者」と位置付けている。
この玉野井・東大名誉教授も山口高商出身。同窓だ。
つづく
(学23期kz)