幕末から明治、外国人に映った日本の日常②イブラヒム その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 8月トピックス】

    

3月中旬に北陸新幹線が金沢から敦賀まで延長されたことがニュースで取り上げられた。

イブラヒムは1907年1月下旬にウラジオストクを出港し、2月初旬、敦賀港に降り立った。

◆【敦賀港から横浜までの汽車の旅で】

・日本では「郵便」や「切手」など外来のものも外国語でなく日本語になって使われている。

・鉄道の客(の日本人)は全員が新聞や本を手にしている。窓の外を見ているのは外国人のみだ。彼らは外国人に誰も注目しない。外国人として自分(イブラヒム)の動静を怪しむものはいない。みんな読書に勤しんでいる。

ヨーロッパの文化圏では私のような異邦人は皆の視線が集まり、さぞや屈辱感を味わうだろう。

・窓の外の景色は見るに値するもの。雪を頂いた山々、田園の緑、快適な気候。空地は無くて、すべて田畑だ。

・乗客は非常に多く、車内は清掃が行き届いている。

・米原で乗り換えた際、小さな村でも電話ボックスや郵便ポストが置かれている(驚きに値する)。

・鉄道で預けた各種荷物が紛失せず、手元に戻ってきた(これも驚きだ)。

【横浜で】

・道には人が溢れ、往来は途絶えることなし。誰もが急きたてられるように小走りで通り過ぎていく。

【東京で】

・日本は宣伝広告においてヨーロッパさえも凌駕している。特に印象に残ったのが丸薬の「仁丹」だった

◆日本の観察

・町の往来は人が絶えず賑わっているが、男女の履く下駄の音が耳障りだ。

・人力車について・・・

馬か牛が引くところを日本では人が引く。

なぜか。これは日本が狭いため牧畜がほとんど行われておらず、馬や牛の調達ができないことによる。

・日本人の背が小さい理由・・・

子どもを背中におんぶしていること。子供を圧迫しており発育の妨げとなっていることは疑う余地がない。

・日本には夜の娯楽がない。夜は寝るのみ。そして朝早く起きる。

◆彼の日本人に対する評価は総じて好ましい

彼は特に日本人の礼儀正しさと道徳心を評価している。

エピソードを二つ紹介する。

その1

朝、彼が店でお茶を飲み、店の者が居なかったので、1銭を置いて旅に出た。

夕方同じ店に立ち寄ると、店の者が私の方に走ってきた。

さては代金が足りなかったかと財布を取り出したところ、女が小銭を差し出した。

お茶代は4厘で6厘の釣銭を持ってきたのだ。

みよ、この正直さを、この道徳心を!

日本人はイスラムに近い民族。イスラムの教えに中にある多くの守るべき道徳が日本人に自然に備わっている。清潔さ、羞恥心、中世、信頼。特に寛大さと勇気は日本人の恰も天分のようである。

その2

横浜の宿での話。宿には18歳と16歳の少年が働いていた。宿を引き払う時、夏が来たため、使わないベルトやコート、ブーツ等を置いていった。

年長の若者はそれを年下の者にそっくりやったのだ。

年長者曰く「年下の者は私より貧しいのです。年老いた父母が居ます。ずっと役に立ちましょう」

ご覧なさいこの気質を・・・このようなことを見つけるにつけ、人間に備わる慈悲の心に打たれるのである。

◆日本でイスラムが・・・

イブラヒムはイスラムの道徳が日本人に自然に備わっており、日本人はイスラムに近い民族と見ていた。

また、日本では厠が清潔であること、そこに水が置かれていること、これはイスラムの国以外では考えられないとも書いている。

彼は日本でイスラムが根付いていくことを夢みていたのかもしれない。

しかし、日本にイスラムが拡がっていくことはなかった。

(学23期kz)

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