幕末の英仏在日公館 その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 7月トピックス】

 ◆英パークス公使と仏ロッシュ公使

英国の初代公使のオールコックは仏ロッシュ公使と同い年(離日時は56歳)であった。オールコックは薩長に接近しながらも幕府への距離を保っていたのに対し、2代目のパークスは少壮精鋭で赴任時は前任オールコックよりも20歳若く公使着任時は37歳。以前清国ではオールコックに仕えていた。

日本の内政に関しては、オールコックよりもより鮮明に反幕・薩長支持の姿勢を打ち出し、このため佐幕派の仏ロッシュとの対立は火花を散らしていた。

英パークスと仏ロッシュ公使は、軍制の日本への導入に当たっても陸軍と海軍で、やれフランス式だ、やれイギリス式がいいと、互いに張り合い、競い合い、時により激しく対立している。

アーネスト・サトウより6歳上の英国公使館の書記官ミットフォードは、「両者はお互い憎しみあい、女のように嫉妬し合っていた」と日記に書き残している。

オールコックは武力で貿易の扉をこじ開けた(アロー号事件)。パークスもオールコックのやり方を目近かで見ている。

影が薄い仏ロッシュだが、我が国にとっては、英国の独走に対する牽制役となったのであり、我が国の一部でも香港のような植民地にならずに済んだともいえる。日本にとってロッシュの真の価値はここにあったのかもしれない。

追記

最近になって歴史の検証が進むに連れ、明治維新とは英国のアジア戦略の一環であり、江戸の無血開城も英国の手引きによるもの、との見方も有力になってきつつあるようだ。

当時の世界のスーパースターであった大英帝国

その英国の幕末日本における意図と行動。

仏とのせめぎ合い、露の日本進出に対する英の牽制・・・

英国が日本の変革期に与えた様々な関与が今後徐々に明らかになってくるのかもしれない。

あるいはこのまま歴史の闇に埋もれ、表に姿を見せないままひっそりと蔵に眠るのかもしれない。

どこからか、そして、なんらかの力学が作用して。

(学23期kz)

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