牧水と山頭火 Vol. 1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

◆明治時代の歌人若山牧水は、宮崎県東臼杵郡東郷町坪谷で医者の息子 として生まれ、旧制延岡中学校の1期生で小生の母校延岡高校の先輩です。

小生と牧水の出会いは、下記短歌でした。小生中学2年次国語担当のK先生 は、牧水の縁戚でこの歌を何回も歌わされた。

「寂しさ」を強く感じました。

・幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく

 これは、明治40年ですから牧水が早稲田大学三年の時、22~3歳の時の歌です。

まんざら広島と無関係の歌ではなく、岡山県と広島県(比婆郡東城町)の県境の 二本松で読んだ句で、この歌の歌碑が立っています。

◆種田山頭火と一緒に四国の遍路道を短い旅をした人の手記が残っていますが、 それによると山頭火はこの牧水の「幾山河」を声に出して暗誦しながら遍路道を歩いていたということです

この歌は山頭火の一人旅の同伴者であったようです。

山頭火は、酒と旅の歌人という自分と共通する要素を持った牧水のファンでした。 しかし、同じ早稲田大学の同窓でありながら、牧水は、無名の山頭火の事はまず 知らなかったと思います。

◆この短歌の中に二人に共通するキーワードがあります。

それは「寂しさ」です。

山頭火の俳句は英語に翻訳されていますが、米国で一番人気のある俳人は、松尾 芭蕉でも小林一茶でもなく山頭火であると言われています。

中でも最も人気のある のが次の句です。

 ・まつすぐな道でさみしい(This straight road, full of loneliness.)

 直訳すれば「このまっすぐな道、寂しさでいっぱいだ」というところでしょうか。 彼は、さびしい俳人として、米国で知られています。 牧水にも「寂しさ」をうたった短歌は多くあります。

 山頭火に至っては、句ばかりでなく、日記にも非常に頻繁に「さみしい」という言葉が 出てきます。

 「さみしい」という言葉が山頭火を理解するうえでのキーワードの一つでは ないかと思います。

次稿 Vol.2で両者の共通項を探っていきたいと思います。        

(大学29期 K.Y.)

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