牧水と山頭火 Vol.2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

◆旅と酒を愛した歌人

若山牧水(1885年~1928年)は、旅を愛しました。「漂泊の歌人」としての彼の代表的な歌は、Vol.1で 紹介しました

『幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく』

です。

この歌は満たされぬ思いや様々な苦悩を胸に秘めて、寂しさの解消される「心の平安(peace of mind)」や「幸福(happiness)」、 あるいは心穏やかに過ごすことのできる「安住の地(safeliving land)」を求めて旅を続けた彼の生きざまを表現した歌だと思います。

しかし結局、それは見つけられず、酒浸りになり、肝硬変で43歳の若さで亡くなります。

大の酒好きで一日に一升程度の酒を呑んでいたそうです。

暑い夏に亡くなったのに、死後しばらく経っても腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と医師を驚嘆させたとのエピソード があります。 

◆旅と酒を愛した俳人

 種田山頭火は、山口県佐波村の生まれ。早稲田大学まで進みますが、中退して故郷の酒造業に従事します。

 大正2(1913)年、荻原井泉水に学んで俳句を作るようになります。しかし事業の経営に失敗してしまい、 熊本や東京などに移り住みますが、結婚生活もうまくいかずその後出家、大正14(1925)年にはあてのない放浪の旅に出ます。

その後は九州、四国、中国地方などを放浪しながら俳句を作りつづけます。孤独を求めて 旅に出たのに、疲れると、もとの妻のところに転がり込むこともありましたが、

昭和7(1932)年には山口県小郡町に草庵を結び6年間を過ごします。

最後の地は、愛媛県松山。

脳溢血で亡くなります。享年59。

 社会も家族も捨てた、その人生は傍目には勝手気ままにも見えますが、彼にとっては作句と旅とは一種の修行であったようです。

若山牧水よりも破滅的でしたが、金欠でカネが続かず休肝日が続き牧水より長生きしました。

『この旅、果もない旅のつくつくぼうし』

『鈴をふりふりお四国の土になるべく』

 

◆最後に

 共通項 ほぼ同時代に生き、旅と酒を愛したこと

  牧水  1885年(明治18)~1928年(昭和3)43歳 

   旅と酒    楽しい酒、お酒が美味い

「人の世にたのしみ多し然れども酒なしになにのたのしみ」

  山頭火 1882年(明治15)~1940年(昭和15)59歳

   酒と旅 山頭火の内面、どこか寂しい

「ほろほろ酔うて木の葉ふる」

   了   29期 K.Y.

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