高杉晋作のはなし その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆高杉の刀

高杉の写真は座ったものしかないという。
高杉の背格好は推定では5尺3寸(160センチ)と小柄だったようだ。

丈が小さいことを気にかけていたようで、背丈が知れないように座った写真しか撮らなかったともいわれている。

二~三人で写真に納まる時は座って映り、独りで映る時も座った写真しか撮らせなかったようだ。

「動けば雷電の如く、発すれば風雨のごとし」という割には、結構ナイーブじゃないか!

◆長い刀

しかしその分、長い刀を持っていたという。

刀の丈は、通常、身の丈から3尺引いたものを差すものとされ、高杉の背丈が5尺3寸のため、2尺3寸程度の刀を差すべきところ、高杉の刀は2尺5寸あったという。

刀は本人の分身。

2尺5寸の高杉の刀は高杉の背格好が5尺5寸、約1メートル66~7センチと思わせる道具となる。

◆軍事の才能

絶対的な兵力差がある中で、奇襲攻撃を仕掛け、勝ちにつなげる才能があったようで、一部の識者からは高杉を「軍事の天才」と呼ぶ。


◆騎兵隊

馬関戦争にあたり、騎兵隊を立ち上げる。

1863年6月の話だ。

外国艦隊への攻撃がその前月で、1863年5月のこと。

長州・下関防衛の意味もあった。

筋書きは周布正之助が書いていた。

洋式兵制を取り入れたもので、銃隊が中心。

従来の鎧を纏った藩士、武士が中心の兵団から中間(ちゅうげん)や足軽などの軽卒が隊の中心となった。

中国の兵書に正兵と奇兵あり。わが国には正兵はいるが、奇兵はいない。

奇兵・・・松陰の草莽崛起を思い出させる。

各階層からの寄せ集めた集団で、正規兵ではないということだ。

これまで軍事は武士階級のものであったが、人民武装化ということになる。アメリカ独立戦争のミニットマン(民兵・農民兵)に類するかもしれない。

高杉は人の心を掴むのが上手かったようだ。

土塁造りに女・子供まで加勢し、盲人はそれらの拍子をとるために櫓の上で太鼓を打ったという。

つづく

(学23期kz)

萩博物館 高杉晋作資料室(萩市観光協会)

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