山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2024年12月 トピックス】
11月30日(土曜)、快晴。
師走直前にしては風もなく、暖かくさえある。
歴史散策の集合場所は西郷像の前。
内外からの観光客の皆さんが入れ替わり立ち代わり、西郷さんの姿をシャッターに収めていく。
それもそのはず、西郷さんの背後には青く澄み切った晩秋の空と見事に色づいたイチョウの葉。
集ったのは13期から71期までの経済学部同窓生のほか、人文学部、理学部、また歴史ウォークに興味をお持ちのゲストを含め、総勢30名超。
乳母車を押しての参加あり。
また、なかには和服姿の参加者もおられ、一行に華やぎが加わった。
散策コースは、午前中が新政府軍と彰義隊との間で繰り広げられた上野戦争の戦いの模様を振り返る趣向だ。
まずは西郷像の前で、記念撮影。
西郷像近くにある彰義隊の墓を振り出しにスポット、スポットを回ってゆく。
散策の説明者は東京支部の塩塚支部長。
なかなか堂に入った説明ぶりだ。
ところどころにクイズを織り込み、参加者の注意を逸らさない。
コースの振り出しは彰義隊の墓。
ここで激しい内戦が繰り広げられた。
墓の前で、お参加者の一人から、お経を唱えさせて頂きたいとの申し出があった。
真言宗智山派僧侶・鈴寿(今橋克寿)さん。
一週間前の日本寮歌祭でたまたま鳳陽会と席を同じくした旧制高知高・高知大の方で、歴史散策の前日夕方、参加申し込みをされた御仁だ。
壮絶な戦いで散っていった犠牲者へ、一同お経を拝聴し、鎮魂。
実にありがたい。
彰義隊が立てこもった上野の山にある東叡山寛永寺は、徳川将軍家の菩提寺。
京都御所の鬼門を守る比叡山延暦寺に倣い、江戸城の鬼門である東北を守るため、天海大僧正によって創建された寺で、東の比叡山ということで東叡山・寛永寺となっている。
清水観音堂から見下ろした処にある不忍池。
これは琵琶湖に見立てて作られている。
次に回ったところが移築された根本中堂。根本中堂があったところは、今では噴水広場になっている。
この中に寒松院があり、慶喜公が江戸時明け渡しのために慶応4年2月にここに移り住み、同年4月に水戸に移るまで、「葵の間」で蟄居した。
次は谷中霊園へ。
ここには慶喜公の墓がある。
慶喜公は慶応4年7月に駿府に渡り、宝台院で謹慎。
明治2年に謹慎が解かれるが駿府に残り、約30年後に東京小石川に戻る。
大方の徳川歴代将軍は徳川家霊廟に葬られているが、将軍職を返上した慶喜公は神式での弔いを望み、徳川将軍家の墓所には入っていない。
谷中霊園を出た後は、長州軍が攻め上った谷中・三崎坂ルートを逆に辿り、坂を下り切った団子坂下で昼食。
午後からは、文豪の居住跡や大学周辺を回る、「谷根千」の文学・アカデミックコースだ。
団子坂下から団子坂上へ。
かつて団子坂には水戸の両側に菊人形の店が所狭しと並んでいたとされるが、今では見る影もない。
またこの界隈には文人も多く住んでおり、江戸川乱歩も団子坂で古本屋をやっていた。
乱歩の作品にも団子坂が出てくる(D坂の殺人事件)。
団子坂を上がり、左に折れたところに「観潮楼」と呼ばれた森鴎外の旧居跡・鴎外記念館が建っている。
記念館を背に遠くを見遣れば、ビルの隙間からスカイツリーが覗く。
鴎外が観潮楼に転居した後にはロンドン帰りの夏目漱石が住み、ここで「吾輩は猫である」を世に出す。
「猫の家」として知られているスポットだ。
ここから東京大学沿いに進む。
途中、赤門前で再度記念撮影。
最後のスポット東大医学部・鉄門と無縁坂へ
「鉄門」も「無縁坂」も鴎外や漱石の作品によく出てくる。
ここだったのか!
我々一行が鉄門付近に留まっていると、無縁坂を上って鉄門をくぐり、構内に入っていく学生君が何名かいた。
東大理三。
常人離れした、とんでもない秀才なんだろうな。
東大病院から無縁坂を挟んだ反対側には旧岩崎庭園がある。
今回は時間がなく入館はしなかったが一度は訪れてみたいとことろ。
終戦後間もない時にはGHQのニューニューディーラーが多い民政局と覇権を争った保守派のG2、ジャック・キャノン少佐率いる秘密情報機関・キャノン機関があったところ。
松本清張が好んで描いたところだ。
平成時代には最高裁の司法研修所が建っていたが、埼玉・和光に移転した後、都立庭園になっている。
入園料は400円。
65歳以上は200円と半額になっているのが、ありがたい。
年間パスポートもあるという。1600円のところが、65歳以上800円。魅力的だ。
ここを含む都立庭園共通の年間パスポートはあるのか。
あった。4000円。
ここでも期待を裏切らず、65歳以上は2000円となっている。
(学23期kz)