鴎外、そして漱石 その3

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年12月 トピックス】

鷗外、そして鴎外よりも5歳若い漱石。

どちらも留学している。

鷗外はドイツ・ベルリンに、漱石はロンドンに。

◆外国語の日本語訳に貢献

鴎外も漱石も外国語の概念を日本語に訳し、日本語での教育水準を高めることにつながった。

鷗外は交響楽(シンフォニー)、空想(ファンタジー)、詩情(ポエジー)、長編小説(ノベル)、民謡(バラード)などを考案している。

また、漱石は経済(エコノミー)、価値(バリュー)、不可能(インポシブル)、電力(エレクトリック・パワー)、無意識(アンコンシャス)などの用語を創り出した。

◆鴎外のスタイル

鴎外の初期の文体は文語体で、読むのに多少骨が折れる。

舞姫などは異国で恋した青年と、身ごもり青年との別れでパラノイアにかかるエリスとの壮絶な離別を描いているが、エリスやエリスとの関係の描写は無機的、あるいは冷徹・淡白とさえいえるような冷めた文語体でさらりと書かれている。

意図的か否か不明であるが、面白いことに、それだけに物語の「悲劇」性を掻き立てる効果がある。

また鴎外の女性には真のしっかりした女性が出てくることが多い。

今述べた舞姫のエリスもそうだが、安寿と厨子王、最後の一句の死刑囚の娘「いち」。

こうした女性の描き方は鴎外が津和野藩の典医の長男であり、軍医としての位を極めたことも関係してのではないか。

語学に堪能だった鴎外の作品には横文字が多く出てくる。

ラテン語、フランス語、ドイツ語。これも鴎外の作品を読みにくくしている。

◆漱石のスタイル

他方、漱石作品は平易な口語体で書かれている。

漱石の作品の中で女性はどう描かれているか。

よく引き合いに出される草枕に出てくる奔放な女性・那美。

それでもあっさりした描写だ。その手の描写が手慣れた名だたる巨匠と比べるまでもない。

坊ちゃん家の「お手伝い・清」は漱石の理想像であり、心のふるさとでもあるようだが、それは対象外として、同年代の女性の描写を見てみると、三四郎の「美禰子」がいる。

チャーミングだが捉えどころがない。

「三四郎」自体が学園ものの青春小説であり、魅力的に描かれている。

知的で美形でとらえどころのない魅力的な美魔女。この中で漱石が里見美禰子の「眼つき」を形容したことばに「ヴォラプチュアス!」というのが出てくる。

巻末に注が付されており、Voluptuous・・・「肉感的な」とあり、どきりとした。

まあ、青春・学園ものだけに仕方がないか。

健康的でよろしいが。

しかし、横文字を充てており、意図的に「肉感的」という直截な形容を避けているように思える。

照れ屋の漱石らしい。

◆青春ものの作品

漱石に「三四郎」という青春ものの作品がある。

また、鷗外にも、ずばり「青春」という小説がある。

ストーリーが似ている。

調べてみると、漱石の作品「三四郎」にヒントとを得て、鴎外が「青春」を書いたという。

似ているはずだ。

主人公はどちらも田舎出身で、東京で暮らす若者だ。

小川三四郎は熊本出身。

「青春」の主人公・小泉純一の出身地は「Y県」となっている。

津和野に近い山口出身のことだろう。

(学23期kz)

ベルリン ブランデンブルグ門

ロンドン塔

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