私たちが駆け抜けた時代を振り返る

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

学23期・藤井千敏

 歴史の専門家でない私が理解する時代の変遷は、1975年大学を卒業した時点(年齢22歳)と退職した後高齢者としての2025年時点(年齢72歳)とを比較し、この間の50年に何が大きく変化したかを語るものです。

 1975年大学を卒業する時点で私が漠然と想像していた将来の時代イメージと2025年時点で認識する時代とは、およそ似ても似つかぬものになっているというのが結論であろうと思います。

 即ち、対象となる50年間に東西冷戦が終結し、画期的なこととして東西融合が進む中米国の覇権が確固としてきたにもかかわらず、世界の一強である米国の地位が揺らぎ始めました。その機会を捉え世界で地政学的紛争が発生していきました。このような世界情勢の下、パックス・アメリカーナの終焉を我々は近未来に目撃することになるのでしょうか。そして、米国に代わる覇権国は誰になるのか。こうした将来像を予測しかねるのが現状ではないかと思います。

 1975年大学を卒業するまでに経験した経済危機としてオイル危機(石油価格高騰)がありましたが、国家の産業政策として重化学工業を基礎に依然として産業の高次化(サービス業)を図る目標を維持していたと思います。一方で「土地神話」と言われた土地価格の高騰と当該土地を担保に成り立っていた信用創造が破綻し、信用危機が1989年に顕在化しました。これを背景に日本における金融機関間での合併統合が進んだことはそれ以前にはおよそ想像されることのないことであったと思います。これを起点に後日「失われた30年」と言われる日本経済復興の空白期間が継続しました。

また、1980年代に向けIT(Information technology)が徐々に社会に広まり、国家の産業政策として情報産業を核に産業の高度化(サービス業)を目論む方向にあったのだと思います。

 政治的には、1989年ベルリンの壁崩壊前後を起点に東西冷戦(米国とソビエト)が終結し、「グローバリズム」という名のもとに経済的に東西融合が進む状況になりました。ネットで調査したところ、グローバリゼーション(グローバル化)は地球規模で経済、情報、人の交流や移動が行われる現象とされています。

グローバリズムの背景として、①第二次世界大戦後の資本主義や自由主義の広がり、②ソ連・東欧体制の崩壊(1991年)、③情報通信技術の高度化やインターネットの普及等があったと説明されていました。

 雇用面では、大学卒業生の産業への供給は、従来個別企業の各大学別就職枠を通じて調整されていましたが、2000年代に突入したころから大学卒業生の「エントリーシート」を通じた個別企業への就職活動へと変貌し、卒業大学よりは学生の個性や情熱が就職時の評価対象となる時代に移行していきました。また、このような就職戦線の変化は従来存在した大学卒業生の大都市への大量供給という流れから、副次的にしても地方大学卒業生が地方都市に就職先を求める流れを生み出したものと思われます。

 日本は産業の高度化を如何に成し遂げるかを示す「国家の計」に基づく具体的な戦略遂行を欠いたばかりに、世界レベルのIT化に乗り遅れてしまいました。日本はIT化を国家戦略として推進することに失敗したものの、主要な国内産業の一つである自動車産業が世界市場で健闘したため世界の中で一定の存在感を発揮することができました。なお、「国家の計」とは、国家の目標を達成するため国家のヒト・モノ・カネを重点分野に具体的に集中投入し、継続的にその成果を挙げることであります。

 一方、東西冷戦終結後の米国は、経済における一強としてグローバリズムを支えてきましたが、地政学的な安全保障の危機を解決するべく対応することで国力を徐々に落としてきました。米国は最早世界の警察官の役割を果たせないところまで来てしいました。(2013年、当時米国の大統領だったオバマ氏は「米国は世界の警察官ではない」と語っています。)

 米国は産業の高度化をITテックの巨大企業を抱えその成長により世界のIT市場を席捲しIT等のサービス業で成功する一方、製造業では開発途上国から追い上げられ比較優位を持つ開発途上国へ産業が移転し、技術や特許で余程強固に守られていない限り米国を含む先進国の産業は徐々に開発途上国に移転させられたと思われます。米国の産業政策は産業の高度化に適したものであったと評価されますが、自国の安全保障を確保する点で十分でなかったのではないかと判断されます。また、世界における覇権を維持するうえで、米国に競合する国々を経済的・技術的に追随できない位置に抑え込むことに十分配慮していたのか疑問が残ります。

米国が世界において覇権を保持する要因を、私見ですが想像するに、①米国における国家財政が健全であること、②世界において産業の高度化を牽引していること、③米国以外の国に経済的且つ技術的に追随を許さない産業の高度化の開発体制が確保できているか、④安全保障を確保する武器の調達において自国内の自立性・独立性を維持できているか、が満足されなければならないと思われます。

上記の①に関しては、米国の負う国債(債務)が最早許容範囲を超えて拡大してきました。②に関しては、現状ではまだ満たしているかもしれません。③に関しては、中国が同レベルに猛追してきており中国を看過できない状況ではないでしょうか。④に関しては、国防の基礎となる自国内での武器調達が容易ではない状況に追い込まれている可能性があります。なぜなら米国がウクライナへ供給する武器に不足が生じていました。

かくのようなパワーバランスを認識したうえで政治的に動いたのが、ロシアなのでしょう。2014年クリミアに侵攻、2022年ウクライナ侵攻は、世界の警察官が不在という機会を捉えた巧妙な軍事作戦であったと言えるでしょう。米国、欧州等の支援を受けたウクライナの対ロシア戦争はそれなりに成果を上げていますが、武器等多くの制約を受けるウクライナにとって国を守ることは非常に厳しい現実なのではないでしょうか。

また、米国と中国が演じる覇権争いは、予断を許さないものがあります。宇宙開発等の新天地に赴く上での両国の競争と違い、地球規模で直接的な影響圏争いとなるとグローバルサウスも巻き込む複雑な国際関係を生じさせる可能性があります。

トランプ政権の発足後間もなく導入された他国からの輸入品に対する関税は、米国において失われた産業の復興を目的とするのか、或は関税収入による国家財政の収支改善を図るものか、今の段階では必ずしも明確でないように思われます。しかし世界において比較優位でない産業の米国への回帰が経済的に採算に合うのか疑問が残ります。また、国家財政の収支改善に関税が有効かどうかは、今後米国との協議により決まるであろう他国の相互関税の動向を注視すべきものと思われます。

いずれにせよ、今後の焦点は世界の覇権を誰が握るのか。地球規模の意思決定を誰がなすのか。或は、世界の投資マネーをどこの国の市場が引き寄せられるのか。これらが今後の地球規模の歴史展開を大きく変えることになるのであろうと想像します。

以上

1991年10月 ホワイトハウスを背にして

                                   

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