80年代の「とある下宿先」…その隣部屋の人との一期一会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

(Sさん投稿の70年代の青春の下宿に触発されて)

ある夏、西陽が落ちかける前、道場門前近くにあった古くはあるが清楚な作りの木造住宅での出来事。
2階に間借りしていた先輩を訪問した。 事前の連絡も無しに訪問するのだから、不在であっても不思議ではない。(今の様に個人持ちの携帯電話など想像だに出来ない時代)

先輩に声掛けをしたら、唐紙一枚隔てた隣人から声がかかった…
「今はおらんみたいだょ」
「では…」と失礼しかかった時、
「まぁ、僕の部屋で待っとたら、いいが〜」と声が続く。
”じゃぁ、お言葉に甘えて…”と言ったかどうかは記憶にないが、隣人の教育学部の先輩の部屋に座った。
西向きの部屋で、西陽の強い日、きっと天気の話、そして日中は蒸し風呂の様でその部屋の話をしただろう。

待ち人帰らずを待つ身、長居をするつもりはなかったが、時に何かの拍子で「教育」の話になった。
教養部の一年、河村先生(山女教授)の教育学を受講し、そして、若干の関連する本に目をした事があったかも知れない。
(田舎者だったから、大学=教師の道も?と考えていた節もあり、憲法、心理学も必須と先輩から聞いていたのでその2つも受講していた)
大きな対立、議論をしたと言う記憶もないので、教育への想いを語ったに違いない。
後に「思いて学ばざればあやし」とゼミの先生に言われる位だったから、ただ単に熱い想いを語ってしまったに違いない。
教育学部の先輩は広大の教育学の大学院進学も考えられた人だった。全ての受けとめ方、やりとりが先輩の教育的配慮の元、成立していたのだろう。
青臭い話を何ら否定される事なく、にこにこ接して戴いたと記憶している。

西陽の下宿での暑い、そして熱い議論の幕引きは、当初目的の訪問した先輩の帰宅によって、引かれた。

それは、ある意味、教育学部の先輩との一期一会の出逢いであった。時が過ぎ、夕方になりかかっていたので、経済学部の先輩の誘いか教育学部の先輩の誘いか分からないが、その下宿を出て、おでんやに連れて行って貰い、ご馳走になった。

総合大学、そして、メガマンモス校でなかった事が、望んでも望めない良縁の機会となった。

教育学部の先輩は出身地の鳥取県で、経済学部の先輩は大学院進学後、長野県で高校教諭となった。
あの時から40数年の歳月が経つ。あの唐紙一枚の隔てた部屋にいた二人の先輩、きっとその世界では名物教師になられた事だろうと、疑う余地もなく、確信している。

(岡山 B)

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