『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」23年間の記録』

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年6月 トピックス】

◆先に投稿しました「心臓病のS・I君の死」の続編です。
上記の著書はジャーナリストでノンフィクション作家の清武英利さんの作品です。
清武英利さんといえば読売巨人軍の球団代表を務められた方です。
熱烈な中日ファンの私は何度も東京ドームに足を運び、悔し涙を流したものです。
2011年の清武の乱でも有名な方です。

◆昭和25年生まれで同学年ですが、立命館大学経済学部出身の方で雲の上の方ですが、2020年8月にお願いし、Facebookのお友達になって頂きました。
アンチ巨人の急先鋒を告白しました。

◆この度、2024年2月文春文庫刊行の掲記作品が映画化され、6月14日(金)に大泉洋、菅野美穂主演で公開されることになり、多忙な毎日なので、私は著書は読んでいませんが、是非共、1時56分の映画を観たいと思います。

◆清武英利さんは「しんがり 山一證券 最後の12人」の著書でも有名な方です。(2013年11月講談社刊行)
(学22期 Y・Y)

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広島総会に参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年6月 トピックス】  

◆山大近況

理事長、経済学部長、学長の話をもとに

「鳳陽会」という名称が経済卒業生だけでなく、山大同窓生全体の呼び方に変わってきたとのこと。何とも誇らしい。
また今年の初め米NYT紙でとりあげられた山口。

外国人も増えているようで、学生ボランティアが活動しているようだ。また、山大経済には観光学科ができている。大いに活躍してもらいたい。生きた素材だ。

昨今の経済学部の卒業生330名のうち、女性比率は4~5割に。

また、学業優秀賞を取るのはほとんどが女性とのこと。同窓会活動でも、女性の活躍が望まれる。

大学の機構改革では、経済の大学院の充実、県内大学との協力関係強化が進んでいるようだ。

◆広島全国総会

総会の参加者は160名ほど。
会場は岸田・バイデンの日米首脳会談が行われたRホテル。
とにかく若者が多く集った。40期以降の参加者が約半数。通常見慣れた同窓会の風景とはかなり異なり、会場は若やいでいた。

支部の柱となるビッグカンパニーが招集をかけたとの噂とあるが、若者もよく応じてくれた。

懇親会では参加者名簿一覧に、参加者の名前とテーブル番号が記されており、誰がどのテーブルにいるか一目でわかる。

当日、懐かしい方、会いたかった方、初めての方、多くの方と乾杯できた。

◆学生紹介
〈3年生Uさん〉
2年の時に公認会計士の、短答式に受かり、3年時、論文試験に受かったという。
出身はいうと奈良だという。

なぜ奈良から山大に来たのか?
公認会計士受験へ向けた学習環境が整っているためだという。

そういえば、この3月で退官された山下訓。職業会計人コースではかなり貢献されたのだろう。

〈2年生F君〉
「しる職」。小学生向け職業紹介イベント。

小さいうちから職を知ってもらおうという活動を熱心にやっているという。

近く、東京支部のホームページに投稿してもらいたいものだ。

◆広島の街では

総会前夜の金曜日、とうか(稲荷)まつり、別名浴衣まつりをやっていた。広島では浴衣着始めの祭りだという。

街には浴衣姿があちらこちらに。
カープの大瀨良投手が地元マツダスタジアムでノーヒットノーランを決めたこともあり、街が盛り上がり、多くの人が街に繰り出していた。

(経済学部卒 飯野進 仮名)

谷澤学長挨拶

タイ訪問時の仏暦2567年5月22日は、ブッタの誕生日

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年6月 トピックス】

 タイ族が11世紀頃に現在のタイの土地へ中国雲南省から南下して来た民族移住の時代は、当時 タイ族はピー信仰(精霊信仰)を享受していましたが、上座部仏教 が最大の勢力を持つ宗教として成立するのはラームカムヘーン王(在位・西暦1279年 – 1300年)の時代であります。

後に王に即位したリタイ王(在位西暦1347年 – 1368年)は、衰えて行くスコータイ王朝を仏教思想で立て直そうと、タイ族の君主として初めて出家を行い、タンマラーチャー(仏法王)と名乗りました。  これは日本の奈良時代、東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)を建てることで、天皇の仏教権威を高める鎮護国家で国政を安定化しようとした聖武天皇と似ています。

リタイの出家、およびタンマラーチャーの思想は、王権を高める上で非常に有利であったためアユタヤ王朝、ラーンナータイ王朝などの周辺諸王国に伝播して いきました。

さらに、この出家の習慣は、初期の頃は王が行っていましたが、後には民衆にも伝播し、タイ族の男子は成人すると必ず出家するというのが暗黙の義務になって いました。

また、タイ国の祝日で仏教関連の祝日が5日あり、アルコールの販売禁止日(禁酒日)になります。

ところで当方、西暦2024年(タイ歴2567年)5月20日から26日まで渡タイしました。

仏教関連の祝日の一つで 5月22日がブッタの誕生日 仏誕節 (ウィサーカブーチャー)でした。それは、ブッタの誕生と悟り、入滅(煩悩が消えた状態)を記念する日です。タイの仏教行事の中で最も重要な日とされ、 毎年陰暦の6月満月の日にお祝いします(今年は5月22日)。

仏誕節は様々な国で行われ、形式は異なるものの一般的にはウエーサーカ祭と呼ばれています。この日は宗派 (日本の大乗仏教、上座部仏教)を問わずお祝いします。

当日は、信仰深い仏教徒は家族全員で寺院に行き、善行を積む行い(タンブン)をします。また夕方頃から寺院には参拝者が訪れ、お経を唱えながら 本堂や礼拝堂を三周する儀式「ウィアンテイアン」が行われます。

三周する理由は、三宝(仏、法、僧)を意味し、一周するごとにそれぞれの宝を想い お経を唱えます。王室寺院以外の寺院であればどこでも参加できます。

当方も駐在時、バンコクの寺院にお参りしました。 

(29期K.Y.)

バンコクのホテル内レストランのフルーツブッフェ

空手哀歌 NO.6 卒その後(海外修業編)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年6月 トピックス】  

 私は山口大学経済学部を卒業、東京の商社に入社しました。

入社後も空手修行を続けたのです。

◆米国 ワシントン空手協会

商社の仕事辞めて故郷の北九州に帰ろうと思ったのに、何故か、ズルズル、東京に。

30歳。アラスカの魚業務で、米国ワシントン州(太平洋岸)の都市、シアトルに約2年。

現地は宣伝上手なテッコンドーがブーム、見学行ったが、空手のコピーで

型が見苦しい。つまんない。

アパートの近くに地味な空手道場見つけ、行きました。

優しそうな紳士の米国人がまるっきり日本スタイルで稽古、いい感じ。

稽古したい、と言うと

「今、ボスが公園にデモンストレーション行ってる。帰るまで待ってて」

しばらくして、顔にバンドエイド貼ったワシントン州チャンプの凄いのが帰ってきました。

「本部に日本語出来る先生いるから、そっちへ行きな。」

2000ドルで買ったボロ車で即本部へ。

協会長はポーランド人で、奥さんは日本人。本部師範はハワイ日系人で

全米トップになってます。

「暴力は振るいません。何があっても訴えません。料金これこれ。

違約罰金これこれ。」

流石、米国契約社会、サインして入門しました。

流派が違うので白帯つけて、初心者の顔して、舐めてかかる金髪色帯を蹴り飛ばしてストレス解消。

中には、これが同じ人類かと思われる、ゴリラみたいな男性もいます。

仕事に支障あるといけないのでフリースパリングは遠慮しました。

◆メキシコにて

その後何度かメキシコへ。危険度高い貧しい港町。

しょっちゅう行ってた港のバーで、日本船船員がホールドアップ、身ぐるみ

はがされ、泣いてることもありました。

私は、現地の人も負けるくらいのボロを着ており、海岸で石を割って見せたり、仕事仲間が吹聴、噂してくれてたので無事でした。

ある日、仕事場に娘が来て、いった。

「噂聞いたが、空手を教えて。」

町にはソフィアローレンみたいのもいましたが、この娘は私の倍ぐらいありそうです。

「プッシュアップ(腕立て伏せ)30回出来たらね」と丁寧にお断りした。

そのつもりでしたが、数日してまた来て「出来たよ」

止む無くご指導。

仲間も笑っています。

それから帰国。

静岡、自宅の神奈川でも爺空手を続け、何とか杖なしで歩いています。

(山口大学経済学部卒業 N)

心臓病のS・I君の死

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年6月 トピックス】  

◆S・I君は私が小学校6年生の時、同じ小学校の1年生であった。
(当時、広島市郊外の安佐郡内の町立小学校)
昼食時に小学校の高学年は低学年の給食当番をし、I君のクラスに行って話しかけることがあった。
それ以来、家は近所ではなかったが、私はこのI君をことあるごとに可愛がり、励ました。

◆I君は生まれつき心臓に障害がある子で、発声が思うように行かず、体育の時間も無理が出来なかった。
運動会で走っても大抵ビリであった記憶があるが、鮮明ではない。
詳しい病名は聞かなかったが難病であることは確かだった。
結構、身体が丈夫でないので虐められたのか、泣いていることが多かった。

◆私は小学校を卒業し、5年が過ぎた高校2年生の夏に、自宅で購読していたA新聞の地方版でI君が地元の広島大学病院で心臓の手術を受けるということが、報じられ知った。
彼は、広島市の中心部の平和公園南の萬象園近くの小学校に転校していたが、広島大学病院に手術前に見舞いに駆けつけ再会し、ご両親や担任の先生にもお会いした。

◆その数日後の暑い夏の日、お父様から訃報の電報をいただいた。
葬儀でご両親はSは頑張ったが、体力がなかったようですとひとりっ子を亡くされ肩を落とされた。

◆あれから56年が経つ。
一度、故郷広島のご両親を訪ね、私が生きているうちにI君の墓参りをしてやりたいと思っていましたが、実現していません。
【続く】
(学22期 Y・Y)

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教養課程の授業 西洋史

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 6月トピックス】

◆西洋史(アメリカ史)の先生

女性の先生だった。ファーストネームは「邦子」さん。

姓は山口だったか。

いや、違うような気もする。

名前を調べようとしたが、当時のシラバスは大学に聞いても判らず、文部省に問い合わせても残っていなかった。

◆小柄な邦子先生

夫婦で山大の教壇に立たれており、御主人の方はえらく背が高い先生で、やはり教養課程で教えておられた。

ご主人に比べ、「邦子」先生はえらく小柄。

踵の高い赤のピンヒールに白いスーツ姿がお気に入りの装いだった。

髪には強めのパーマが掛かっており、色白の顔に、真っ赤な濃い口紅が強いアクセントとなっていた。

大教室での授業であっただけに、小柄なお姿が、ますます小さくみえる。

そんなことを計算に入れてのヒール丈の高い靴だったのかもしれない。

◆重い歴史

授業の中身はアメリカ東海岸に着いた英ピルグリムファーザーズを出発点に、西海岸に至るまでのアメリカ「開拓」史で、アメリカ先住民をどのように扱ったのかを含めた講義であった。

当時の私は高校を出たばかり。高校では習わなかった歴史の総体。汚れた醜い史実、隠された史実を織り込んだ総体としての歴史を学ぶことのできた刺激的な授業であった。

高校では表面的な事実、勝者による記述がもとになった「歴史」の暗記が中心であったが、多様な視点、逆の視点に敗者の視点を織り込んだ歴史の授業。

大学ならではの授業だ。

大学に入学し、大学という新たな次元の学び場を得た。

大学で新たなことを学ぶスタート台に立ったことを実感できた新鮮な授業であった。

またあの当時、ジャーナリスト本田勝一が流行っていた。

高校の同窓生U君が、本田勝一を熱く語っていたことを思い出す。

(学23期kz)

総会に参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年6月 トピックス】

◆以前は高輪の和疆館で開催されていた東京支部の総会。しかし、同館が閉鎖されたため、このところ会場は市ヶ谷の私学会館アルカディアで開催されている。市ヶ谷駅から近く、かなり便利だ。

◆今回の会合は山口大学建学の祖・上田鳳陽先生のご子孫にお目にかかれるという触れ込みだ。

会が始まると、司会は女性。

ん…

しかも同窓生との自己紹介があった。

女性が語るとやはり会場が華やぐ。

この手の同窓会で女性が司会者とは粋な人選ではないか。

司会者としてプロを雇うと、女性が司会者となることが多い。プロだけに、ある程度の出費も覚悟する必要があるが、今回総会の司会者は同窓生というのがありがたい。

◆大学からは有村経済学部長をお迎えしご挨拶頂いた。
最近は少子化あり、地元の官民挙げての地元就職熱の高まりもありで、なかなか東京には若者が来ていないのかと思いきや、卒業生320名程度の卒業生のうち、東京圏には何と56名が来ているとの報告があった。
私も今春卒業し東京の金融機関に就職した新人とつい最近、またまたLINE交換できた。

ピカピカの新入社員だ。

ためしに彼に総会への参加の声掛けをしてみたが、当日は友人が上京し鎌倉を案内するとのことで、総会への参加は叶わず。

最近の学内事情を伺い、ビールを酌み交わそうとしたが、残念!


◆ゲストスピーカーの鳳陽先生のご子孫・上田慶太さんのご挨拶。

上田さんからは先祖の名が受け継がれ、その名を冠した会が今でも存在していることを嬉しく思っており、鳳陽の名を残し続いて頂いた山口大学と鳳陽会に感謝しているとのこと。

ありがたいご挨拶を頂いた。

◆懇親会の途中で、起業家の七村さん(27期、山大理事)からもご挨拶があり、総会で東京支部の財政逼迫の話が出たことを受けて、寄付の申し出があった。

母校愛へのありがたい申し出、誠に心強い。

これまたありがたい話だ。


◆恒例のジャンケン大会
「日頃飲めない山口の高級銘酒」をゲットできるジャンケン大会。

勝ち残った方は、先ず東洋美人の大吟醸、「東洋の女神」に真っ先に手が延びる。一番人気だ。

ネットで検索すると価格は5500円と出ている。

…ということは、ゲットできれば、出席会費の5000円を賄い、お釣りが出ることに…


同じく景品で出ていた貴の大吟醸「ドメーヌ貴」も旨そう上手そうだったな。
五橋の大吟醸も並んでいた。その昔、学内時代は五橋の2級酒しか飲んだことはなく、大吟醸の五橋を試し飲みしたかったのだが。


◆今回の参加者は3期、4期の大先輩から、新卒2年目の若者まで。
山大他学部の同窓生も参加して頂いた。理学部同窓生代表深谷女史。お父様が山大経済を出ておられ、鳳陽会の先輩とのこと。おもしろい。

また、人文学部代表の阪本さんも参加。

深谷女史、阪本氏ともに、東京支部のイベント、歴史散策の長州歴史ウォークに参加頂いており、面識がある。学部を超えた友情参加はありがたい。

◆大阪支部の羽根支部長、宇部・山陽小野田支部の床本支部長も参加された。お二人は29の同期生。
学生歌斉唱では登壇して頂き、懐かしの歌を共に肩を組んで歌って頂いた。これまたありがたい!

この学生歌、いつ頃作られたのだろう。
若い方々はよく知っていると思いきや、そうでもないようだ。
鳳陽寮の寮歌は知らなくても、学生歌は知っていると思いきや、そうでもないのには驚いた。

鳳陽寮歌、山都逍遥歌のリーダーはお馴染みの木村先輩だが、学生歌のリーダーはメンネルコールに在籍された町田さんとのこと。

◆二次会はすぐ近くの居酒屋で、総合司会の方、景品プレゼンターの方の慰労会。

この中で近く、医学界で権威のあるNIH(アメリカ国立衛生研究所)に旅立つ、経済卒業生で医学も学んだダブルメジャー、50期の飯泉さん(筑波大)の壮行会の場ともなった。

二次会には来賓の方にもお越しいただいたのは誠にありがたい。

一次会の総会で語り尽くせなかった話題、言葉を交わせなかった先輩・同僚と賑やかなひとときが続いた。

(経済卒 飯野進 仮名)

写真は事務局から提供頂いた。

令和6年度鳳陽会東京支部総会・懇親会 報告

令和6年6月1日、アルカディア市ヶ谷にて令和6年度鳳陽会東京支部総会・懇親会が開催されました。台風1号による天気が心配されましたが当日は徐々に曇りから晴れへと天候にも恵まれました。
 大学3期から大学71期まで64名の支部会員ほか、学祖上田鳳陽先生のご子孫上田慶太さん、山口大学経済学部長有村貞則さん、鴻理会(理学部)深谷純子さん、鴻文会(文学部)阪本良太さん、大阪支部長羽根彰さん、宇部・山陽小野田支部長床本隆夫さんのゲスト6名計70名の参加となりました。
 まずここ1年になくなられた会員への黙祷。続いて大学49期大加瀬裕美さんの司会、大学23期塩塚保支部長の議長、大学23期葛見雅之事務局長の議案説明により議事が進行されます。1号から5号までの財務・人事案が審議され、いずれも満場一致拍手をもって承認されました。今回にて監事大学21期原田仁さんが退任され大学22期中尾康彦さんが監事に就任されました。
 総会の最後に塩塚支部長より、東京支部の財政状態は危機状態にあり、今秋会報発送に併せて会員各位に特別寄付をお願いする旨の話がありました。
 過去先輩諸氏が(株)鳳陽を精算し株式権利放棄・資産を売却するなどして捻出寄付された資金も残り少なくなりました。東京支部維持のため会員各位のご協力をお願いします。


 懇親会を前に有村貞則経済学部長のご挨拶、上田鳳陽先生のご子孫上田慶太さん他ゲスト4名の紹介があり、懇親会は大学21期松永昭博鳳陽会本部理事長のご挨拶、乾杯の音頭で開始され、用意されたお弁当を味わい、ビ-ル、日本酒、ワイン他お酒を飲みながら暫く懇親が続きました。
 懇親会にて旧交を温めるなか、若手会員の紹介挨拶、ゲストの自己紹介と続いていきます。
 いよいよ恒例のじゃんけん大会。用意された東洋美人・山頭火・五橋等山口の高級銘酒、山口の銘菓の争奪戦の開始です。各テ-ブル毎に勝者を決め、各勝者が塩塚支部長との対決にて順位を決め順次好きな銘酒又は銘菓を獲得していきました。続いて敗者復活戦。松永理事長提供の新潟の銘酒鶴齢の争奪戦と続きました。
 いよいよフィナ-レ。まずは学23期町田秀雄さん指導のもと山口大学学生歌を全員で熱唱。
 トリは、学11期木村進リーダーの登場。木村リーダーの檄に全員で呼応、寮歌・山都逍遙歌を肩を組み熱唱。大変盛り上がりました。
 お別れを前に集合写真をとり、来年の再会、東京支部の発展を願って一本締めで散会となりました。
 

 来年は5月24日(土)、今年と同じくアルカディア市ヶ谷にて鳳陽会全国総会を予定しています。同期、ゼミ、クラブなど先輩後輩に呼びかけ皆様のご来場を期待しています。大いに思い出を語り、近況を語り会いましょう。

ここからは写真とともに、鳳陽会東京支部総会・懇親会の様子をお伝えします。

 参加者集合写真

70名の参加者。 ゲスト6名と大学3期から大学71期までの64名

鳳陽会東京支部総会の様子

総会受付の皆さん
総会議案
司会の大学49期大加瀬裕美さん(右)           議案説明の大学23期葛見雅之事務局長(左)
議長 大学23期塩塚保支部長
総会議事会員風景

懇親会の様子

有村経済学部長ご挨拶
松永理事長 懇親会乾杯の音頭
懇親会会場風景
大学27期七村守さん セプテーニ・ホ-ルディングを創業  山口大学に「七村奨学金」を創設
大学50期飯泉天志さん 経済から医学の道へ      放射線腫瘍学の権威 今夏世界一の米研究機関勤務予定
鴻理会 深谷純子さん
鴻文会 阪本良太さん
今年で常任幹事を退任大学16期秋本尚志さん(右)    と大学17期鹿毛明さん(左)

羽根彰 大阪支部長
床本隆夫 宇部・山陽小野田支部長

じゃんけん大会

テ-ブル別予選の会場風景
テ-ブル予選
テ-ブル勝者と塩塚支部長    との対決
勝者銘酒受領
勝者銘酒受領
勝者銘酒受領
勝者銘酒受領
勝者銘酒受領
勝者銘酒受領
勝者銘菓受領
勝者銘酒受領
勝者銘酒受領

じゃんけん大会敗者復活戦

松永理事長提供の新潟銘酒鶴齢の争奪戦 プレゼンタ-大学58期篠田郁香さんと
勝者鶴齢受領
勝者鶴齢受領
勝者鶴齢受領

山口大学学生歌、寮歌、山都逍遙歌熱唱

大学23期町田秀雄さん(右)と           葛見事務局長(左)山大学生歌指導

ゲストも舞台登場山大学生歌熱唱
大学11期木村進リーダー登場 ”檄”
木村リーダーの檄に参加者呼応 ”ウォ—-!”
総会事務局舞台に 寮歌熱唱
会場での寮歌歌唱状況

山都逍遙歌 熱唱状況

一本締め

最後に東京支部の発展と来年の東京での全国総会の成功と再会を祈念して一本締め

2次会

2次会には上田慶太さん、有村経済学部長、羽根大阪支部長等々20名強が参加会話が弾みました。

2次会状況
2次会状況

鳳陽会広島支部時代の思い出

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年6月 トピックス】


◆全国総会が今年は6月8日(土)に広島で開催されるということで、思い出を書いてみることにしました。
私は大学を1974年に卒業し配属が広島勤務となり、翌年だったか一度だけ、広島支部の総会&懇親会に出席したことはありましたが、それからはスルーしていました。
39歳の時に本社勤務→横浜勤務を経て、故郷人事で?2度目の広島勤務となり、東京勤務となる迄の6年間、毎年出席しました。

◆当時は確か何年かは広島支部長は広島電鉄で社長をされた石松正二大先輩でした。
社内の山口大学工学部出身のM大先輩の紹介で、石松大先輩のご子息が地元で広告代理店を自営でされていて、お付き合いが始まりました。
随分と広告担当業務の応援をして頂き、腰の低い方でした。
今でも年賀状の遣り取りをしています。

◆中学時代に生徒会長をした学21期の入学同期のT氏は大手自動車メーカー勤務を経て、縁があったようで、マツダを上得意とする会社の社長をしていました。
中学時代は同じ中学で一緒でしたが、生徒会長をし、全校生徒の先頭に立って引っ張る目立った存在でした。
高校は広島の名門修道高校でした。
広島支部では司会進行役を買ってでて、今でも年賀状の遣り取りをしています。

◆家業を継いで、Panasonicのストアをやっている先輩のN氏、奥さまも経済学部の入学が一年先輩で、ご主人とは鳳陽寮で一緒の時期もありました。お二人とは在学中は一言も話したこともありませんでしたが、振り返って奥さまを友人と見た「見返り美人」でした。
自宅が歩いてすぐ近くで、Panasonicの製品を購入させて頂きました。
今は自営に加え、家電部門はエディオン堺町店もされています。
2016年7月上旬に帰省した際に20年ぶりに再会しました。

◆最後は地元の銀行に勤務のK女史です。
当時、広島の女性100人にも選ばれました。
今年頂いた年賀状は6月の総会に向けて山下支部長のもと、準備で余念がないとか。
この他にも多くの方との出逢いがあり、一部を紹介させて頂きました。
(学22期 Y・Y)

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⑤横地校長、鳳陽先生子孫、そして漱石

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 6月トピックス】

◆鳳陽先生の子孫で上田家第5代当主の上田茂雄氏は軍人だ。40歳の時に朝鮮出兵や日清戦争があり、50歳の時には日露戦争があった。こうした戦争の勃発により、居所を変えることを余儀なくされる。一時は大阪にも居住したようだ。

軍人の経歴として最後は精鋭部隊で日本軍屈指の戦果を挙げた愛媛・松山の陸軍歩兵22連隊に配属、そこで停限年齢を迎え、退役した。退役の地・松山に居を構え、松山で牛乳会社の社長に就く。

軍人としての上田茂雄氏の階級は獣医監。日本陸軍の獣医官を統括する地位で、階級としては少将クラスだ。少将クラスの停限年齢は58歳。

◆茂雄氏は軍人時代、松山で地元の名士と交流があったのだろうか。

茂雄氏の松山へいつ赴任したのかは定かではない、。

高位の軍人として松山の名士の方々と交流があったとすれば、漱石とはともかく、松山中学の校長・横地氏とは出会っていたことも考えられる。

また茂雄氏が退役後、牛乳会社の社長を務めた時から地元との交流を始めた場合、横地校長はすでに12年も前に高商教授として山口に行き、高商の校長になっていたので、松山で出会っている可能性は薄い。

◆しかし、上田茂雄氏は自分が上田鳳陽翁の子孫であることを認識していた。上田家に数々の口伝が残り、語り継がれていることことがその証となっている。

このため茂雄氏は松山に居を構えていても、時々は鳳陽翁の墓のある山口へ、先祖・鳳陽翁の墓参りに行っていたのではないか。

山口は愛媛・松山の対岸で、海路で60キロ弱、2時間半の距離だ。

上田家では、先祖の墓のある山口との縁も徐々に薄れていくかと思われたころ、茂雄氏は周囲から松山中学の前の校長・横地石太郎氏が山口の高等商業学校の教授として転任したという話を聞き、横地氏との縁を認識し、茂雄氏は山口への墓参りの折に、横地校長を訪ねたのではないか。

◆両者の出会い

横地校長は前の赴任地松山から訪ねてきた官立山口高商の学祖・鳳陽の子孫を目の当たりにし、また上田茂雄氏も横地校長に松山での縁、また先祖・鳳陽翁との縁を意識したのではないか。

その時から二人は密接につながっていったのだろう。

これを機に、上田茂雄氏は山口高商で催される鳳陽翁墓前祭など各種催しに招かれていることは、上田家に口伝として残っている。

そうした機会の一つに鳳陽翁の墓石の前で写ったのが山高帽の横地校長と軍服姿の上田茂雄氏の写真だったのだろう。【文末の写真参照】

◆この写真を三田の鳳陽会東京支部で見せて頂いたのが上田茂雄氏の玄孫にあたる上田慶太氏だ。

慶太氏も上田家のこと、また先祖の上田鳳陽翁のことを調べている際に、東京支部のホームページに掲載された上田鳳陽先生の記事に行き当たり、連絡を頂いた。ここで我々と鳳陽先生との埋もれていた縁が繋がった。

その上田慶太氏は、本日6月1日(土曜)の東京支部総会のゲストとして参加される。

(学23期kz)

鳳陽翁の墓石の前に立つ横地石太郎・山口高商第三代校長(左)と上田家第五代当主・上田茂雄氏(右)