フランスで大賞、銘酒「雁木」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆先日、学生時代に同じ下宿だったY先輩から銘酒「雁木」を頂いた。

・・はぁ・・・・・うまい・・

山口のうまい酒は「獺祭」や「東洋美人」だけではない。

「雁木」もあるし、「貴」もある。金雀もあった。

◆世界で評判

山口の酒は、もはや全国区にあらず。

世界で評判になっている。

雁木の純米大吟醸「鶺鴒(せきれい)」が本年9月、フランスで行われた2025 Kura Master(蔵マスター)の日本酒コンクール部門で賞を取っている。

その賞たるや最高級のものだ。

金賞ではない。

その上のプラチナ賞でもなく、また審査員賞でもない。

最上級のプレジデント賞を取った。

実に誇らしい。

◆奉献

その「雁木」の作り手は岩国の八百新酒造。

以下は八百新酒造のホームページ

https://yaoshin.co.jp/

八百新酒造は毎年自主的に明治神宮へ奉献している。

明治神宮の南参道には献納された各地の酒が、菰樽の形で200以上展示してあり、その中に「雁木」も飾られている。

「獺祭」や「東洋美人」に続き、「雁木」も近くブームが来るかもしれない。

(学23期kz)

プレジデント賞を受賞
南参道に展示されている奉献菰樽

魚沼産コシヒカリとボジョレヌーボー

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆今年は夏が暑く、長かったせいか、秋が異常に短い。

つい先日まで、エアコンをつけっぱなしにしていたのが嘘の様に、秋が過ぎ去っていく。

大学時代のテニスサークルの後輩が魚沼の兼業農家に婿入りしてから、かれこれ20年以上。

この季節になると、魚沼産のコシヒカリを分けてもらっている。

最初の頃は白米に精米して物を分けて頂いていたが、「玄米を都度精米した方が美味しいですよ」ということで、家庭用の精米機を購入し毎回精米して頂くようになった。

◆今では品種改良で、コシヒカリは魚沼だけでなく、全国で生産されるようになっている。

コシヒカリ以外にも、秋田小町、サキホコレなどのブランド米が全国で生産されているが、毎年この時期に届く魚沼産コシヒカリは絶品である。

特に新米はそのまま食べても甘味と風味があり、一杯目は炊き立てをそのまま食べる。

その後、萩井上商店の「しそわかめ」や七村先輩(27期)にゴルフ会の参加賞で頂いた「セブンビレッジ特製カレー」などご飯の友と一緒に頂くと、自然に箸が進み、またお代わりとなる。

◆新米と同じこの時期だけに楽しめるのは、ボジョレーヌーボー。

バブル時代には、11月20日深夜の解禁日には、カウントダウンパーティが行われ、私もそこに参加していた一人であるが、日本への出荷のピークは2000年代前半で、今年の出荷量はそのピークから8割も出荷量が減ったらしい。

もともと冷蔵コンテナのエアカーゴでの搬送なので、物流コストがかさむ事もあり、安価なワインではなかつたが、今年は円安の影響もあり、ずいぶん高くなったなあと感じた。

幸いなことに今、フランス企業に勤める私は、少しだけ安価な価格で1ダース購入できた。

ボジョレーヌーボーは、新酒なので見た目も味もライトボディであるが,今年は少し色も濃く、しっかりした味であった。(これも気候変動の影響?)

◆早速、先週末に山大テニスサークルの面々と紅葉狩りも兼ねて、奥多摩の私の別宅でコシヒカリとボジョレーの試食、試飲会。

お米は炭火で炊飯し、ボジョレーはBBQのお肉をツマミに、当然のことながら杯が進む。

深まる秋の渓谷の景色を背景に美味しいお米とワインを片手に旧交を暖める空間は本当にプライスレス。

お米とワインの生産者の農家さんに感謝する小春日和の秋の一日となった。

学37期上野啓

長州歴史ウォークに参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

(理学部・生物卒T.T.さんからの投稿)

◆私は理学部生物学科卒業で去年から参加しています。

明治神宮の鳥居から始まり、清正の井、参拝、東郷神社、乃木神社で締め括ると言うコース、絶好の天気で森林浴、紅葉と自然を満喫しました。

各神社では結婚式を挙げていました。

清正の戦国時代の話から日露戦争の二代立役者、東郷平八郎、乃木希典の生い立ちから日露戦後の処理の功績までのお話を聞けてとても有意義の東京長州ウォークでした。

来年も参加させてください。

第6回 長州歴史ウォーク

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

事務局記

◆11月29日(土)、毎年秋恒例の歴史散策を開催。

今年は明治神宮、東郷神社、午後からは乃木神社を回るコース。

参加者は、ご夫婦で、またお子様連れのご家族での参加もあり、総勢40名ほど。

この日は朝からよく晴れており、紅葉も楽しむことができました。

行った先々で多くの外国人と行き交い、2週間前の予行演習と同様、3か所全ての神社で結婚式を見ることができました。

スタート前のオリエンテーション
「一の鳥居」前で
一の鳥居から入り、東門から清正井(せいしょうのいど)を目指す

右手には昭憲皇太后の御休憩所の隔雲閣、左手に南池(なんち)が広がる。

隔雲閣 お身体が弱かった昭憲皇太后の御休憩所として建てられた。
魚釣りがお好きだった昭憲皇太后 この御釣り台から釣りを楽しまれたという 
南池のシラサギ
低木のはずのムラサキシキブも丈が高い
清正井を目指す。 外国人がずいぶん増えた。
清正井(きよまさの いど) ここは加藤家下屋敷の庭園があったところ。この井戸は清正が掘ったとされる。
東京の名湧き水のひとつ。 毎分60ℓの湧き水が出るとされ、「悪い気が浄化され、運気が上がる」として、パワースポットとなっている。 
加藤清正の生涯を熱く語る
良き日 結婚式
南参道 奉献された四斗の菰樽   「鳳陽」(宮城・内ケ崎酒造)
山口の「五橋」(岩国・酒井酒造)も
2025年9月 フランスの品評会でグランプリの栄誉に輝いた「雁木」(岩国・八百新酒造)
明治天皇が好まれたというワイン 仏ブルゴーニュからも届けられている
お参りの前の事前説明。東郷平八郎について語る(東郷神社境内)
東郷神社前
新郎は外国人 東郷神社で
旧乃木邸前の銅像  
用務で金沢を訪れた乃木少将(当時)が出会った8歳の少年。辻占い売りで一家の生計を支えている話に感銘を受け、少年を励まし、金弐円を施す。この少年・今越清三郎氏は後に金箔職人として大成し、人間国宝となった。
旧乃木邸 ドイツ留学中に見たフランス連帯本部を参考に乃木大将自身が自ら設計し、明治35(1902)年に建てられた。
ここでも結婚式が
乃木大将が師事した玉木文之進と甥の吉田松陰が祀られている
イチョウも黄葉
打ち上げは参加者が保有する原宿のゲストハウスで  東郷神社の屋根が見える

漱石in熊本 ②旧居宅訪問

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

ロンドンに留学するまでの4年余りの間に6度の引っ越し。

そのうち、第3旧居(水前寺)と第5旧居(坪井)を訪問した。

◆第3旧居停邸訪問

水前寺公園のすぐ近くにある・・・

インターネットネット検索ではそのようにヒットするが、たどり着くまでは手こずった。

友人の車で出かけたが、熊本で影が薄い漱石らしく、友人も旧居を訪ねたことがないという。

観光名所にもなっておらず、旧居への道順を示す標識も出ていない。

そばには熊本洋学校教師で熊本の若者教育の近代化に貢献したジェーンズ氏の洋風邸宅があったところのすぐ横にあると出ていたが・・・。

残念ながらジェーンズ邸は2016年の熊本地震で倒壊したため、2023年に移築され、現在は更地になっていた。

夏目邸を発見。

夏目邸は木造平屋で、敷地は広い。

玄関の横には大きな団栗の樹があり、ところ狭しと団栗の実が落ちていた。

最近、熊の話題に事欠かないが、熊が見たらさぞ喜びそうな光景だ。

しかし、残念ながら「熊本」という割に、熊本には熊はいない。

「くまもん」はいるが。

◆第5旧居邸訪問

漱石は5番目の居宅で最も長く暮らしており、「熊本にいた間、住んだ中でいちばんいい家だった」としている。

漱石31歳の夏のこと、妻・鏡子が身ごもったからか、ヒステリーがおさまったようで、この居宅に引っ越し、翌年には長女・筆子が誕生している。

この館内には当時の資料や写真が展示されていた。

庭も整備されており、漱石が詠んだ句碑も立っている。

◆エピソード

館内の資料を眺めると、いくつかのささやかな発見があった。

①<日本人で最初にピンポンをした漱石>

ロンドンに留学していたころの話

当時は在ロンドン・ブレット家に下宿していた。

当時18歳のイザベル・ロバート女史も同家に下宿しており、明治34(1901)年3月28日の夜、漱石はとある晩餐会を断り、イザベル女史と「ピンポン」に興じた。

当時は屋内でできる「テーブルテニス」として英国貴族の間で親しまれており、日本で最初に卓球をしたのは漱石ということになっているそうだ。

②<帝大出の高給取り>

帝大の先生は給料が高い。

熊本時代の給与は月100円。気に入っていた大きな庭付きの5番目の旧居の家賃が7円50銭だ。

漱石の松山中学時代の給与を見てみると・・・

校長   住田昇60円(高等師範卒)

教頭   横地石太郎80円(東京帝大・理学部卒)・・・後の山口高商第3代校長

教諭   西川仲太郎40円 英語

助教諭  弘中又一  20円 数学と英語

嘱託教員 夏目金之助80円(東京帝大・文学部英文科卒)

帝大卒の給料は別格だ。

③<ボート部の部長>

明治29年(29歳当時)7月に五高の教授となる。

教えていた教科は英語。

課外では短艇部(ボート部)の部長をしていた。

学生たちが海軍から払い下げられたボートを佐世保に取りに行った帰りに飲食し、大金を使い込んでしまったが、漱石は愚痴を言わず、ポンと代金を払ったという。太っ腹で潔い。

しかし、これに懲りたか、同時に部長も辞任したそうだ。

④<教員総代>

翌明治30年に行われた五高開校記念式典では教員総代として祝辞を述べており、五高教員の間でも若いながら教員の代表格として信頼を得ていたようだ。

(学23期kz)

第3旧居 水前寺
第3旧居
第5旧居 坪井町
床の間の掛け軸 「菫ほどな 小さき人に 生まれたし」
庭を望む

第65回日本寮歌祭 写真特集(他校の雄姿も)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

第65回日本寮歌祭が令和7年11月23日、東京・日暮里のホテルで開催された。

北海道から九州まで全国の大学の同窓生が結集。ハッピ、ハチマキ、学帽、黒マント姿で母校の寮歌を歌った。山口高商の伝統を受け継ぐ我が山口大学経済学部の有志はオレンジ色のハッピ姿で登場。明治時代に作歌された鳳陽寮寮歌「花なき山」を高唱した。

印象に残った情景を写真特集で紹介する。 

鳳陽会(山口大学経済学部同窓会)東京支部

第65回日本寮歌祭開会式
山口大学の有志
2025年山口大学
2025年金沢大学
2025年愛知大学
2025年熊本大学
2025年慶応義塾大学
黒マント
2025年小樽商科大学
2025年早稲田大学
2025年拓殖大学
2025年長崎大学
2025年東京大学
2025年北海道大学
2025年乱舞
2025年琵琶湖周航の歌①
2025年琵琶湖周航の歌②
2025年日本寮歌祭実行委員

第65回日本寮歌祭に参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】


◆11月23日(日)東京都荒川区東日暮里のアートホテル日暮里ラングウッドで11時00分~15時30分に開催された日本寮歌祭に鳳陽会(山口大学経済学部同窓会)東京支部有志として私は昨年に続き参加しました。

◆全体で約40校264名が参加し、凄い人数の参加者で私は圧倒されました。
東京支部からの参加者は10数名でした。
開会式の幹部の挨拶の後、塩塚 保鳳陽会東京支部長が檄を飛ばし、その後、各校が壇上に登壇し、寮歌を熱唱しました。
山口高商の流れをくむ山口大学経済学部は、今回は前半の12時~でしたが、寮歌を熱唱しました。
壇上では日頃交流している長崎大学、小樽商大等の応援もありました。
三高(京都大学)の琵琶湖周航の歌は寮歌祭参加の女性陣が全員で壇上に上がり、男性陣はボートを漕ぐパフォーマンスを演じ、最高潮の盛り上がりとなりました。

◆広島勤務時代の40代前半に広島寮歌祭に広島支部一員として一度参加したことはありますが、こんな大規模な寮歌祭は昨年に続き2回目でした。
亀山にあった鳳陽寮(西寮)に二十歳過ぎに数ヶ月入寮していたことがありますが、当時をご存知ない後輩のY氏の提案で、鳳陽寮の話題や亀山キャンパスの校舎のショッキングな焼失を含め、メンバーで思い出話に花が咲き、50数年前の山口に思いを馳せました。

◆今回の最高齢は102歳の方でしたが、私は最近体調を崩し、今回の参加は無理と思って諦めていましたが、急遽参加となりました。
年齢的にも体力的にもいつ迄参加できるか全く自信はありませんが、健康に務め、可能な限り参加し、伝統の寮歌を継承し伝えて行きたいと思います。
今回は前日になって学生時代から懇意にしている友人のM氏にも声を掛け、初参加での再会が実現しました。
M氏は同じテーブルで6期の最高齢のI大先輩と同じ会社に勤務だったとは吃驚仰天でした。
寮歌を歌い、飲んで食べて、大先輩、後輩と歓談し、久しぶりに弾けた一日となりました。

◆今回、小樽商大のテーブルに出向き、関心あるテーマでお二人の方と懇談しました。(私が懇意にしている広島在住でサラリーマン時代の1年先輩のN氏が、小樽商大出身で、学生時代に麻雀仲間だったT氏が、一浪一留を経て大出世を遂げられ、今や世界の空調機器メーカの社長、会長を歴任されていること。小樽商大出身のH投手が社会人を経て、阪神タイガースの育成選手となり、今季一軍で2勝を挙げたこと)
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

日本寮歌祭に参加して 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆檄

開会冒頭、塩塚支部長が檄を発す。

「烈風吹きすさぶ晩秋

我ら 北の大地 南の海原より 広陵たる武蔵野に集い来ぬ

而して 日本寮歌祭2025 ここに開催されり

・・・まだ続く・・・

◆200余名が参加者

コロナ前は400名を超える参加者があったようだが、コロナ後は200名台で推移。

長州・山大からは10余名が参加。

参加チームの中では、寮歌祭実行委員長を出している四高・金沢大は30余名が参加したほか、身近なところでは、長崎大が今年も20名を超える参加者を集めており、脱帽。

薩摩の七高・鹿児島大も18名を集めた。

◆山大の出番

山大の出番は10番目。12時頃の登板と相成った。前回は14時過ぎの出番だったが。

我々と仲が深い小樽商大、長崎大、昨年から寮歌祭を機に知りあった七高・鹿児島大は15時頃の登板のため、昼食を挟み応援に向かうことになった。

◆コスチューム

毎年参加している先輩方の出で立ちは・・・

旧制学校の名前を染め抜いた法被姿の方、応援団の出で立ちの方、マント姿に高下駄の方・・・

当時被っていた破れた帽子をそのまま被って参加した猛者の方も。

私も次回参加の際には、当時の貧乏学生らしく見えるボロの剣道着で参加するのも良いかもしれない。

当時の中学、高校で着用した帽子も捨てずに取っておけばよかった。

試しにヤフオクで学生帽を探してみたが、意外と出品が少ない。

また、高下駄は持っているが、膝を痛めているため無理だ。

履いて踊ると踏み外す・・・危ないな。

◆応援団

小樽商大にも、長崎大にも応援団上がりのリーダーがいる。

彼らの声の張り上げ方、姿勢、腕の振りは「型」ができており、堂に入っている。傍から眺めていて、本当に小気味良い。

山大にも応援団はあったのか。

応援団に来てほしかったのだが。

山大にも以前、応援団はあったようだ・・・

当時の応援団のメンバーが参加してくれれば、寮歌を歌にも迫力が出るのだが。

◆円卓の同席者

山大の指定席として円卓が2卓用意されていた。

一卓目は山大マンバーで満席。

私は2卓目のテーブルに座ったのだが、他に4名の方が同席。

その皆さんはユニークな方ばかり。

①一人は司会進行役の五高・H氏。

数年前に知りあった同郷の方で、木原官房長官と同じ高校出身だ。

彼の破れた帽子は高校時代に実際使っていたものだという。

②もう一方が六高・E氏。六高からは唯一の参加者。

彼の頭には全ての寮歌が入っており、各校寮歌が歌われるたびに壇上で応援参加、歌詞を見ることなくソラで何番までも歌う。

このため、ほとんど席には居なかった。

毎回参加の有名人だ。

③今年もお会いできたN女史。

彼女も単独での参加。

「旧制佐賀高等学校」と書かれた空色の法被を着用しておられる。

来年の再会を約した。

④残る もう一人・・・

若い女性だ。

会が始まって間もなく、我々の席に。

着席するや、大粒の涙を流している。

涙を堪えることもなく、顔を歪めたまま涙を流す。

途中席を立つが、着席するや、また涙。

不躾に事情を聴く分けにもいかない。

何とも困るのは、我々山大の指定席から寮歌が歌われている壇上を窺うに、彼女の泣き顔で壇上が見えないのだ。

途中、何かを思い出したように、また涙。

五高の法被を着始めたため五高関係の方かと問うに、否と。

H氏に事情を聴くと・・・

彼女は施設の職員らしく、施設で寮歌祭に参加するという高齢者に方に出会い、寮歌祭で会おうという話になったようだ。しかし、その高齢者が逝去されたのか、会えなかった・・・

どうやら、そういうことのようだ。

◆我は湖の子 と 嗚呼玉杯に・・・

会の半場には恒例の琵琶湖周航の歌で会場が一体化。

壇上は婦人方、フロアーは殿方が肩を組んで船を漕ぐ。

また、会の最後には全員肩を組んで旧制一高寮歌「嗚呼玉杯に花受けて」会場内を一周して閉会。

なぜか。

寮歌として知名度が高く、寮歌祭のシンボルとしての位置づけなのだろう。

◆毎年11月下旬の寮歌祭

都合がつく方は全国から参加してほしいものだ。

山大応援団だった方、是非参加されたし。

(1975年卒 榎田悦朗)

嗚呼玉杯に花受けて・・・

2025 日本寮歌祭開催

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

11月23日 事務局記

◆昨日(11月23日)、都内ホテルで第65回日本寮歌祭が開催された。

北の北大、小樽商大から、南は長崎大、鹿児島大、さらには台北帝大予科まで約40校・200人余が集った。

冒頭、主催者役員でもある塩塚保氏(鳳陽会東京支部長)が檄を発して会が始まり、各校が歌い継がれた寮歌を披露し合った。

◆山口高商・山口大からは6期の先輩を始め10名を超える同窓が参加、鳳陽寮寮歌「花なき山」を肩を組み、高唱。

また友誼校である小樽商大・長崎大が壇上に上がった際には、応援で壇上に上がり、寮歌の列に加わった。

漱石in熊本 ①6度の引っ越し

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆松山での出会い

漱石は明治28(1895)年に旧制松山中学に赴任する。

漱石、28歳の時だ。

三島由紀夫が終戦の年・昭和20年に20歳となったように、漱石も明治の年代と年齢が重なる。

すなわち、山口高等商業学校が創立された明治38年に、漱石は38歳。

この年に「吾輩は猫である」を発表している。

明治38年といえば西暦1905年。東郷平八郎の連合艦隊が露バルチック艦隊に勝利した年でもある。

話を松山に戻すと・・・

後に山口高商の校長となる横地石太郎は、東京から赴任してきた漱石を松山中学で教頭として迎えた。

横地石太郎は、翌3月に松山中学の校長になるが、その年の4月、漱石は熊本へ転勤した。

1年ほどしか松山にいなかったことになる。

しかし、松山での漱石の足跡は色濃く、野球場、路面電車、食べ物、土産物など、いたるところに「坊ちゃん」の名前が付いている。

◆「森の都」熊本へ

漱石は松山の生活が合わなかったようで、1年で松山を去る。

向かった先は、第五高等学校教授になっていた親友・菅虎雄のいる熊本だ。

池田停車場(現・JR上熊本駅)から人力車に乗って菅虎雄邸に向かう途中、高台から眼下に広がる市街地を見て「森の都」と言ったという。

「森の都」とは熊本に付けられた決まり文句だが、漱石が作ったフレーズだったとは。

ひとつ勉強になった。

昭和3(1928)年に作られた熊本県立第二高等女学校の校歌に「森の都」のフレーズがあるほか、昭和5(1930)年制定の熊本市歌にも「森の都」と歌われている。

また、昭和47(1972)年には熊本市議会が「森の都宣言」を出しており、街づくりのキャッチフレーズにしたのだろう。

ただ、金沢も森の都と言われているらしい。

昭和7(1932)年に作られた旧制第四高等学校の寮歌には「森の都」のフレーズが見られ、また、昭和49(1974)年に金沢市議会が「緑の都市宣言」をし、その中に「森の都金沢」というフレーズがあるようだ。

しかし、金沢は少しばかり熊本に、フレーズの採択で遅れを取っている。

他方、杜の都となれば仙台だ。

◆熊本での漱石の影

漱石は熊本で、文部省からロンドンヘの留学命令が出るまで4年3か月を過ごしている。

熊本滞在の間、結婚もし、子供も生まれた。

漱石の妻は貴族院書記官長・中根重一の長女・鏡子だ。

そういえば・・・三島由紀夫の作品に「鏡子の家」という作品があった。

結婚式は明治29(1996)年、漱石29歳の時。

熊本・光琳寺の借家で式が執り行われたとされ、東京から来た新婦の父や東京から連れてきた婆や、それに車夫など6名ほどが集った、つつましい式だったという。

漱石31歳の時に、鏡子のヒステリーが激化。

翌年に長女・筆子が生まれた。

個人的にはいろいろなことがあった4年余であろう。

しかし、熊本市民にとって漱石の影は薄い。

松山に1年に比べても、熊本での漱石の影は、かなり薄い。

なぜだか・・・

◆引っ越し

熊本滞在期間中、6回も引っ越ししている。

引っ越ししたことにはそれぞれ理由がある。

妻の鏡子が神経質だったこともあるのだろう。

古い借家は嫌だ、墓の近くは幽霊が出る、使い勝手が悪い、家賃が高い、川の近くは危ない・・・

帝大出で高給取りの夏目・五高教授もカミさんには弱かったようだ。

つづく

(学23期kz)

山口大学経済学部校舎
建物上部の「1905~」の表示は、本校が明治38(1905)年に創立されたことを示す 
坊ちゃんスタジアム 
坊ちゃん列車
坊ちゃんだんご
秋の水前寺公園
漱石の句碑  「しめ縄や 春の水湧く 水前寺」