1970年代 青春の下宿④

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

 1970年代、私は山口大学経済学部に入学した。蛮カラの気風が色濃く残る鳳陽寮・北寮で2年間、暮らした後、3年生になって山口県庁近くの下宿に引っ越した。

◆学生事業家

 私は学生時代、事業を行ったことがある。

現代風にいえば、学生事業家、か。 

東京の音楽事務所や博多のイベント会社などと交渉し、フォーク歌手らを山口に呼んだ。

主たる会場は山口市民会館。成功すれば、1千人を超す客席が満席となった。

◆下宿が事務所

 事務所はない。私の下宿が事務所代わりだった。

公演が決定すると、学生仲間で実行委員会を結成する。

まず、ポスター制作。そして完成したポスターを掲示していく。

 

公演成功のカギはポスター掲示といってもよいのではないか。

私たちは乗用車で山口市、防府市、徳山市などを回った。

山口大学、山口県立女子短期大学、芸術短期大学、そして喫茶店、本屋、スナックなどにお願いしてポスターを掲示してもらう。

遠く、島根県益田市の本屋を訪れ、掲示を頼んだこともある。親しい店主がいる店にはチケットを置かせてもらった。

みなさん、快く応じていただいた。

◆長い行列

 会場の予約。会場使用料の支払い。実行委員会の結成。チケット販売。フォーク歌手ら一行の宿の手配。送迎。コンサート運営。ギャラの支払い。事業全体の精算。相当、忙しい。

当日の運営もたいへんだ。山口市民会館に長い、長い行列ができたこともある。

行列の整理は、警備員ではなく、実行委員会の学生たちが担当した。

開場すると、待っていた観客がどっと入口に押し寄せてくる。万が一、事故が起きれば責任問題に発展する。緊張する瞬間だ。

 ある日のコンサート。

長い、長い行列整理に私たちが難儀していたところ、経済学部の

先輩(実行委員会のメンバーではない)が突如、最前列に現れた。助っ人だ。

入口に立ち、ガラスにぴたりと背中をはりつける。こうすると、押されてもガラスが割れにくいという。先輩は涼しい顔して、みごとに観客をさばいてくれた。

あれは助かった。(※今でも感謝しています。)

           

◆黒電話

 1970年代、携帯電話やパソコンはなかった。

東京の音楽事務所や博多のイベント会社との連絡は、手紙か、下宿の大家さんの家電話だった。電話がかかってくると、大家のおばさんがわたしを呼びに来る。

何度も繰り返すと、さすがに大家のおばさんもいい顔をしなくなった。

 よし。黒電話を設置しよう。

 当時、黒電話を設置するのは簡単ではなかった。

まず、電話債券(?)を買う。電電公社ではなく、山口の質屋で買った記憶がある。

これが高い。新卒の会社員の月給より高かったのではないか。電話債券を持参して電電公社に申請、近くの電柱から電線を下宿にひく工事をしてもらい、ようやく黒電話を設置することができた。

 こうして事業の連絡はうまくいくようになった。

だが、思わぬ余波もあった。

 当時、黒電話を持っている学生は、山口には、ほとんどいなかったのではないか。

いろんな友人が私の下宿にやってきて、実家に電話するようになった。

だが、友人に電話代を請求するわけにもいかない。

どうしようか。

悩んだ先の結論。 

ま、いいか。

 【続く】

(鳳陽会東京支部 S)

山口市民会館

ゴルフ 何でそうなるの! ⑱リー・トレビノ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆毎年7から8月にかけて開催される全英オープン。

今年の全英女子では山下美夢有が優勝した。2019年の渋野日向子に続く快挙だ。

男子の方は前評判通りシェフラーが優勝をさらっていった。

どうも日本の男子は全英で勝てない。

過去の優勝選手一覧をみると、懐かしい選手を見つけることができる。

◆リー・トレビノ

1971年、1972年と連覇している。

メキシコ系米国人で、笑顔が似合う陽気なおじさん。

「メリー・メックス(陽気なメキシカン)」という愛称もある。

その昔はポロシャツなどで「リー・トレビノ」のブランドも出しており、コマーシャルにも出ていた。

小柄でずんぐりむっくりの体型。

見るからに親しみが湧く。

陽気なおじさんだけあって、冗談も大好きだ。

試合中にパットを外した時は・・・

「Don’t move, hole!」・・・ホールよ!動いちゃいかんじゃないか!

これでギャラリーの笑いをとる。

◆トレビノは子供の時、叔父さんから1本のクラブとボールをもらい、近くのコースに潜りでプレーをしに行ったそうだ。

私にもそんな経験がある。

福岡・筑前新宮にある親戚近くのカントリークラブ。

今ではトーナメントも行われるような名門クラブになっている。

また、トレビノは17歳の時に米海兵隊に4年間入隊するが、そのほとんどは士官とのゴルフの相手をしたそうだ。

トレビノらしい。

また彼自身も、そのことで昇進したようで、これまたトレビノらしい。

◆ずんぐりむっくりの体型から繰り出す曲がらないショットで優勝をさらう。

メジャー6勝を含め、90回近く勝っており、1981年にはゴルフ殿堂入りを果たしている。

私もトレビノと同じ体型。

同じように打てば曲がらなくなるのか。

・・・そうはいかんのだ。

◆練習熱心で、雨でトーナメントが中止になったときにはホテルで一日中パットの練習をしたそうだ。

私も、週末の雨の日にはトレビノに倣ってパットの練習を試みたが、腰が痛くなり、1時間も続かなかった。

(学23期kz)

岡山寮歌祭の思い出

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆東京支部のホームページによると11月23日東京で寮歌祭が催される。

その会に鳳陽会東京支部から多数参加をされるとのこと。

良き伝統、慶事であります。

1950年に旧制高等学校の最後の卒業生を送り出して、75年…の歳月が流れる。

紅顔の美少年といえども、今は90代半ばを超える齢となっている。

岡山には旧制第六高等学校があった関係で、嘗ては、岡山寮歌祭と言う催しが開催されていた。1978年に始まった岡山寮歌祭が過去形になっているのは2017年の第38回大会をもって一旦区切りをつけているからである。

◆当時の大会委員長をされていた方も旧制第六高等学校卒業のその時91歳とのご高齢であった。しかし、ご挨拶、取り仕切り、壇上でのご活躍ぶり、心意気は将に”青春真っただ中”にいらっしゃった。

(旧制六高所在地は今は県立岡山朝日高等学校として利用されており、数軒の

 当時の建物が残されている)

◆ 岡山支部も長らく参加をしていた。支部総会参加のメンバーと重なることは多かった。

若き日、鳳陽寮で朝夕を過ごされた先輩方は各人がその一人、いつも万感の思いをもって集まられ、「花なき山・・・」「山都逍遥歌」を、肩を組み、歌われた。

そして、既に鳳陽寮の存在がなかった後継世代もその鳳波の輪の中に包まれて、楽しんだ。(鳳陽寮は大学22期位までの人が入寮していた)

◆私が参加している頃、マイクを持ち、指揮をとられるのは、寮の給仕係をされていた先輩。勿論、大学での勉学にも励まれ、勤しまれたことであろう。

しかし、その方が熱く語るのは、寮の給仕係をすることによって、社会人になって必要なことはほぼ学ぶことが出来たという。

給仕さん雇用の問題、献立メニュー、大まかな仕入れ販売計画、その日その日で余った食材の完全消化の為の施策。

所謂企業の役割で言うと、労務総務担当であったり、ロジ担であったり、営業であったりする。共同生活者である寮生の為に、給仕係の役割を果たすことが、社会人になっての経験に直結するものであったとも語られる。

各地の寮歌祭に参加をされていた別の先輩の方は、1894年に始まった旧制高校(ナンバースクール、ネームスクール)のOBの方々と実に昵懇なのである。

岡山での寮歌祭での互いの再会、健康を喜ぶ一方で、次の会場となる寮歌祭での再会を約しているのである。

(蛇足)80年代湯田温泉駅裏にあった民間の寮に入寮した。その寮で、寮生お揃いのスエットシャツを作成した。その背中には、寮の英字名+”FAMILY”の名前が入っていた。同じ釜の飯を食い、同じ風呂に入り、一つ屋根のもとで生活する家族だったのだ。)

◆官立山口高等商業学校として参加している我々は、校名入りののぼり旗を持ち、カンカン帽に、オレンジの襟の部分に鳳陽会の名入り、薄水色のお揃いの法被のいでたち。

お酒の勢いは勿論あるが、少しお洒落で、あくまである意味紳士の姿だ。

(このいでたちが準備できているのは東京支部の調達先の紹介があったと聞いている)

 一方、ナンバースクール(旧制一高から八高)、ネームスクール(地域名が付いた旧制高校)の旧制高校の方は、素足で高下駄、学生服を着、紋付羽織袴で登壇する。その上、弊衣破帽、言葉に語弊がなければ、わざと汚れたもの、破れたもの、傷んだものを嬉々として身にまとっている。

北は北大予科、南は七高造士館、海外からも旅順工科予科だ、台北高だと現地 での 旧制予科、高等学校の参加もあった。また、軍関係で陸士学校、海兵学校等々。

◆各寮歌祭で締めに近い部分で一同会して歌う、旧制第三高等学校寮歌「琵琶湖周遊の唄」になると、学校の垣根を超え、みんなで「舟」を漕ぐ。

ステージ近くに集まり、仮想の世界で、船艇に乗り込み、腰を床につけ、恰もオールを握った如く、歌に合わせ「舟」を漕ぐのである。そこにはある文化がある。

冒頭記載のよう、当時若くして85歳を超え、オールドボーイ(メッチェン同伴の方も)が心を一つにして、「舟」を漕ぐのである。

上記のような意義、このひと時の楽しみが待っている寮歌祭が盛会裏に開催され、また継続されんことを願う。

そして、後継校(後継学部)の現世代に引き継がれ、良き伝統が守られんことを!

(岡山B)

琵琶湖周遊の唄   参加校 一つになりて 船を漕ぐ

「国府」の20市町が全国サミット(第6回) 10月18日、千葉県市川市で開催

山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年8月 トピックス】

◆律令制は、大和王朝が白村江の戦で敗戦したことで大和王朝(のちの日本)の体制強化のために中国の制度にならって制定されました。行政単位として、国が60くらい設置され、その行政の中心が国府です。

  2025年10月18日、国府が置かれた自治体の関係者らが一堂に会する「全国国府サミット」が下総国(しもうさのくに)の中心地だった千葉県市川市で開催されました。

千葉県市原市(上総国)、南房総市(安房国)、広島県府中町(安芸国)、福岡県久留米市(筑後国)、山口県防府市(周防国)など全国20市町が参加。

こうした参加者が、歴史や文化的な遺産を生かした街づくりについて情報交換しました。

ただし、山口県下関市(長門)、宮崎県西都市(日向)などは不参加でした。

周防国国府は、山口県防府市国衙1 – 3・5丁目、警固町2丁目、勝間3丁目ほかに所在します。律令制下の地方行政関連施設跡で、国史跡に指定されており、完成した形で現存しています。防府平野のほぼ中央、多々良山の南に広がる沖積段丘に位置しています。

◆第6回全国 国府サミットは市川市文化会館で行われ、約1500人の来場者を前に開催地の田中甲市長が開催を宣言。古代衣装をまとった首長らが、各地の国府の発掘・保存状態や地元の観光について説明。市川市は万葉集に出てくる伝説の美女・真間の手児奈(てこな)をテーマに、太鼓や民話を披露しました。

市川市はサミット開催に合わせ、過去の資料や歴史家の研究をもとに、当時の国府の様子などを再現したVR(仮想現実)映像を作製。来場者は会場に設けられた体験コーナーで、専用ゴーグルを使って当時の様子に思いを巡らせました。

この映像は、現地で史跡のVR映像を体験できるアプリ「ストリートミュージアム」をスマホなどにインストールすれば見ることができるようです。

◆市文化財課などによると、国府は「大化の改新」(645年)で分けられた国の地方政治の中心で、全国に六十数カ所置かれました。

下総国府は、江戸川の東に位置し、陸上・水上交通の要所となる市川・国府台(こうのだい)地区を中心に置かれました。発掘調査で国の役所だった「国衙(こくが)」の主要な区画は、国府台スタジアム=同市国府台1丁目=付近と分かりましたが、役所の中心施設である「国庁」があった場所(下総国の国府)は、太日(ふとい)川(現在の江戸川)に面した下総台地の西端に位置する台地上を中心に造られました。

その範囲は、国府台遺跡や下総国分寺跡、市川駅周辺の砂州なども含め、最大で東西約3.3キロメートル、南北約3.5キロメートルに広がっていたと考えられます。

国府の中心となる国衙(こくが)は、国府台遺跡の南部に位置する国府台スポーツセンターから千葉商科大学周辺に造られました。

JR市川駅から徒歩で30分くらい。バスで行く場合、市川駅から松戸駅行き京成バスで10分くらいです。

以上 学29  K.Y.

ワープロ盛衰記

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆①地方工場におけるワープロ黎明期

今でこそ当たり前になっている、文字入力による文書作成・・・40年数年前は違っていた。

各人各様の筆記用具により、そしてその個人が持つ達筆さにより、 ”筆が立つ”、”書をよくする人”の文字ならまだしも、悪筆に悩まされることもまれではなかった。

そんな世界を一変させたのが、ワープロであろう。

(これを実感しておられるのは、卒業認定の為、卒論提出を必須とされていた大学の先生がた、その苦労には同情の極みである)

そもそも日本で最初のワープロと言われるものは1978年に発売された東芝の「JW-10」と言われている。

その前には、人文学部の英語専攻の学生さんは、英文のタイプライターを華麗に打ちこなし、卒論を作成していたのを知っていた。

また、企業の重要な文書、特に人事異動の辞令など、役員秘書が一文字一文字文字盤から拾い、文字組をして印刷をしていたのを思い出す。

◆80年代後半には本社、支所段階ではパソコンのパッケージソフトで計算表を作るものや文書作成をするものが出始めてはいた。しかし、これは大変高価なもの、地方の工場などに配布されるものではなかった。

地方の工場に赴任した時に出会ったのが、何世代かは経っていたであろうが、片袖机サイズの東芝のワープロだった。兎に角デカい!

本社で使っていたもののお下がりである。如何にも目に悪そうな緑の画面全体の中により照度の高い光が文字を浮き上がらせていた。先の悪筆等々からの解放だとすると、正式な文書は先ずこの片袖サイズのワープロで仕上げをすることとなる。

一方、ひらがな入力で一発変換出来る文字が少ない、つまりある分野の文書を作ろうとすると単語作成のために、一文字一文字の漢字を選択し、それをつなぎ合わせて”単語”つくりをしていた。つまり、初めの頃は膨大なエネルギーを費やして、正式な文書が作成されていた。

地方工場の総務課には実務に長けた若い女性がいた。その人が使用していたワープロはパーソナル仕様の”文豪”というワープロだった。上司や会社の文書は、先ず最初の関所(最初の文字起こし)は彼女となった。

一緒に仕事をすることになった自分も彼女との連携を取らない限り、一から同じ文書の作成が必要となる。こんな無駄はない!

そこで人生初のワープロは彼女に惹かれて「文豪」参りとなった。(丑にひかれて善光寺参りのよう)

文書のレイアウトも大まかにとらえることの出来る優れモノだ。また、文字変換も当初より変換辞書が鍛えられていたので従来のように単語作りは少なくなっていた。そして、同僚の文書の同期化、修正の共有化もフロッピーディスク(FPD)と言う媒体をもってやっていた。

その昔ではあるが、きっと工場内の総務関係(事務文書)はこの二つのパーソナルのワープロ「文豪」によって、以前に比べて極めて高い生産性を確保することとなったのであろう。(それまでの生産性が低すぎるという事もある)

そんなワープロにも事務機器としても、またパーソナル機器としてもそんなに遠くない時に”終焉の幕”が用意されていた。

◆②将来を予測することが難しい!

世の中で如何に将来を予測することが難しいかという事を如実に語る”DIME”と言う雑誌の紙面企画がある。

当時主流にあったワープロメーカーの回答、見解を掲載してみよう。

37年前のDIMEの人気企画・・・企業に質問し、その回答をそのまま紙面に掲載する

「業界公開質問状」というコーナー

「ワープロは、いずれなくなるのですか?」という問いに対する各社の回答、衝撃的!(平成元年10月19日号)。   

メーカー名(()はその商品名)

NEC(文豪)「ワープロは文書を書く機械として特化されていますから、その必要性はなくならないんじゃないかな」

キヤノン(キャノンワード)「ワープロがパソコンに取り込まれることはないでしょう」

シャープ(書院)「人間の扱う道具は使いやすいことがいちばんだと思いますから、

ワープロは文書専用機として残るでしょう」

東芝(Rupo)「そんなこと誰が言っているのですか。パソコンとワープロはこれからますます共存共栄していきますよ。今はワープロとパソコンの台数がほぼ同数ですが、将来的には、ワープロ10に対してパソコン1ぐらいの割合になると思います」

富士通(OASYS)「たとえば車の会社を考えてみてください。セダンをワープロとすれば、パソコンはトラックに相当します」

松下電器「5年前、パソコンの普及台数は100万台、今は120万台と伸びはゆるやかです。一方、ワープロは30万台が280万台にまで伸びています。この数字を見ただけでも、パソコン社会よりワープロ社会到来の方が早いと考える材料になります」

この回答、見解を一読すると、ちょっと商品名を懐かしんでいる暇はない。7年が一年になるという”ドッグ・イヤー”でも、18年が一年になるという”マウス・イヤー”でもない。いま、職場にワープロはあるか?自宅にワープロはあるか?

平成、令和という時代は各家電メーカーのその商品群を荒波の中で厳しく淘汰していった。

(岡山B)

随筆 横目で眺めた経済学 ⑰-2 ルーカス批判

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

◆ケインズに代表される伝統的なマクロ経済政策は、「合理的な予測」によっても、経済学上の批判にさらされることになった。

ノーベル賞を取ったロバート・ルーカスのからの物言いである。政策効果を見込んで政策を打っても、長期的には「予想」が合理的なら政策効果が出ないとする、いわゆるルーカス批判だ。

◆例えば、政府が減税策を出すとする。ケインズ流の解釈では財政支出した分は消費性向が高いほど乗数効果が大きくなる。

しかし、ここに「予想」を持ち込むとどうなるか。

例えば政府の減税策が講じられても、政府は後々増税により、減税による財政赤字の分を埋めると個々人が予想すれば、家計は減税分を消費せずに貯蓄に回し、その結果、財政出動の効果が失われるとする。

あくまでも、そうした予想が個々人の経済行動に及ぼすという理論的な話だ。

◆ルーカスは政策が発動された際の家計(ミクロ)の「予想」行動をモデルに導入することで、これまで有効とされてきた政策が場合によっては無効になりうるとした。

これは「マクロ経済学のミクロ的な基礎づけ」(Micro Foundation)といわれ、何でもないようにみえるこうした「予想」、あるいは「期待」を入れ込んだ理論がマクロ経済の在り方を壊してしまった。少なくとも理論的には壊してしまった感がある。

「ミクロ的基礎付け」のないマクロ経済学は旗色が悪くなっているようだ。

経済学者の間でよく議論されている話で、経済学が精緻化していくと、こういうことにもなるのか。

◆しかし、よく考えてみると各個人が政府の施策や他国の反応、すなわち身の回りの環境条件、制約条件を完全に理解し、予測して合理的な選択をするという前提そのものは実際にはかなりの無理があるように思える。

「そういうこともあるかもしれない」程度のものではないか。

横目で見ていて、ここまで予測を入れ込んで強引に論じ、ケインぞ効果を否定するのは「行き過ぎ」ではないか・・・

と思うのだが。

(学23期kz)

故ロバート・ルーカス・シカゴ大名誉教授(1995年ノーベル賞受賞)

ノーベル賞考 ①イノベーションと新政権

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

◆2025年のノーベル経済学賞

米・モキイア教授に並び、仏・アギヨン教授と米・ホーウィット教授も受賞した。

アギヨン、ホーウィット両教授の功績は、経済成長をもたらす要因としての創造的破壊のプロセスを定式化したことだ。

ここで、創造と破壊を生み出す主体の行動とそれを取り巻く制度・環境が重要であることが改めて示された。

ある経済学者は、「アギヨン=ホーウィット理論に照らせば、日本のこれまでの「失われた30年」の原因は、創造の少なさ、破壊の遅れ、成長の浅さ、制度の硬直による」としている。

これを言い換えると、日本では資本主義に必須な「参入と退出」がダイナミックな形で起きておらず、企業も、また行政も、結果的にそうしたダイナミズムを推進することなく、あるいは意図的にそうしたダイナミズムを削ぐような行動を取ってきたと読み替えることもできる。

◆成功企業が陥る罠

イノベーションにより大きな成功を収め、トップ企業に躍り出た企業はどのような行動をとるか。

イノベーションを続けることに消極的になる。

それは当たり前で、革新に次ぐ革新を続けることは、並外れた気力・体力が必要なことは差し置いても、リスキーでもあるからだ。

イノベーションでトップに躍り出た企業はリスクを冒さなくても十分な収益が得られるため、革新的な行動はとる必要がない。

そうした企業の経営姿勢は保守的となり、シュンペータはこうした企業のトップを「経営者」とは呼んでも、「起(企)業家=アントレプレナー」とは呼ばなかった。

また、企業の大企業化はイノベーションの敵とまで述べている。

◆「倒産」、「撤退」のとらえ方

教科書的には生産性の低い企業は退出・撤退し生産性の高い企業に取って代わられることで、創造的破壊が生じ、資本主義のダイナミズムが作動する。

しかし日本では倒産を「恥」、撤退を「失敗」と捉えがちだ。

創造的破壊・・・

こうした退出、具体的には倒産、破産、撤退はシュンペータのいう「破壊」である。

この後、新たな参入者が市場を席巻し、一段次元の高い経済構造が生み出されることが望ましい。

また、一度敗者となった者も、新たな参入者に刺激されて新たな挑戦を行うこともあるだろう。

こうした高い生産性を具現化する新たな参入者、また、倒産・破産企業においても、マーケットへの再挑戦者が起業家=アントレプレナーだ。

こうした企業行動は、一般的に年配者にとって気力・体力的に厳しく、若手でなければ務まらないといえる。

また、こうした若き起業家に仕える若手の人材も、こうした起業家の下で相当鍛えられるのだろう。

◆政府の役割

アギヨンは「国家は投資家であり、保険者で寝ければならない」としている。

国家は創造のためにリスクをとる投資家(Investor)であり、保険者(Insurer)ということだ。

こうした理想的な政府の役割を果たしている例として北欧諸国、中でもデンマークの例を挙げている。

ご承知のように、IMD国際競争力ランキングでも、北欧諸国が高順位になっている。

行政としては個人個人がスキルを高める支援し、挑戦するハードルを低くし、仮にトライして失敗した者がいても、決定的に這い上がれないようになるリスクを軽減するため「セーフティーネット」を張る。

こうしたことが国の逞しい成長をもたらすと、ここ30年程わが国でも言われ続けてきたが、どうもこうした方向への顕著な動きが見えなかった。

新政権は、こうした視点をどう取り込んでくれるのだろうか。

(学23期kz)

仏 フィリップ・アギヨン教授(ノーベル財団HP)
米 ピーター・ホーウィット教授(ノーベル財団HP)

随筆 横目で眺めた経済学 ⑰-1 M.フリードマン 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

◆スタグフレーション

経済は時により、局面により効果のある施策が変わる。

不況時には有効だったケインズ政策が通じなかった出来事が生じた。

オイルショックで生じた不況下のインフレ、スタグフレーションだ。

不況を克服すべくケインズ政策を行えばインフレを伴いがちだが、時はすでにインフレ状態にある。

こうした時にケインズ政策をとるのは適切ではなく、インフレを加速させる。

◆新自由主義

フリードマンの思想にあるのは政府の裁量による規制などの恣意的な施策をなくし、企業や個人が自由に自発的に経済行動を行った方が国全体の経済パフォーマンスが上がるとした。

このため、国のスローガンとしては「減税、規制緩和、民営化」など経済を自由化させるものであり、ケインズの施策が「大きな政府」なら、フリードマンの施策は「小さな政府」であり。

こうした小さな政府は1980年代のレーガン、サッチャー時代に流行し、日本では三公社を民営化した中曽根政権の時代に当たる。

◆政府の役割

ここでの考え方は、政府を「不要」とする無政府主義ではなく、政府には企業や市民が自由に行動できるよう、各種規制や制限を撤廃し、動きやすい市場になるような、「市場の監督者」という役割を与えている。

フリードマンは、1929年の大不況は金融当局が金融政策を誤ったとし、政府は安定した通貨供給を行うように提言している。

◆フリードマン(シカゴ大)などの、新自由主義のシカゴ学派は、ケインズ主義のように、政府は施策を講じるべきという積極派なのではなく、恣意的な施策を講じるべきではなく、市場に干渉するなという規制・干渉撤廃策といえる。

私の現役時代は、こうした「自由な市場の有効性」の信奉者は、官庁では経済エコノミスト集団である経済企画庁に多かったように思われる。

なお、市場における政府の役割について、消極的に捉える新自由主義に対して、やはり政府は完全ではない市場に能動的に働きかけるべきとする「ニューケインジアン」もいる。

代表者が、クルーグマンであり、スティグリッツ。

両名ともノーベル賞を受賞している。

(学23期kz)

半年遅れの全国総会打ち上げを開催

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

◆昨日、都内のカフェレストランで東京支部の役員有志による総会の打ち上げ会を開催しました。

東京支部が幹事として開催した全国総会を5月下旬に無事終えることができ、その際、打上げ・反省会をやろうという声があがっていたもののメンバーの入院などもあり、会合が延び延びになっていました。メンバーも退院し、今般新社会人歓迎も兼ねた打ち上げ会を催す運びとなりました。

◆会合には総会でご活躍頂いた役員のほかに、若手では萩出身で若手青年実業家のK君(64期)、東京出身でハンサムなA君(69期)、広島出身で公認会計士試験の結果待ちをしているI君(70期)、ウクライナ出身で日本語検定N1・日本語が堪能な新社会人S.S君(本年3月に院・修了)が集ってくれました。

また、会の応援に、会場の斜向かいのオフィスに勤務の大手商社・部長のTさん(43期)、山大経済学部卒ながら他大学の医学部も卒業、1年間の米・国立衛生研究所に1年間留学し9月末に帰国したばかりのT大学病院勤務のI先生(50期)も駆けつけてくれました。

言わずもがな、鳳陽会東京支部の女神であるO女史とS女史のご両人にも、もちろん参加いただきました。

◆この先忙しい季節がやってきます。

11月には明治神宮を巡る長州歴史ウォーク、日本寮歌祭、幹事会。

12月は幹部会や忘年会。

年が明ければ新年会、春には鳳陽ゴルフ会の100回記念大会。

参加してよかったと思える集いを重ねていきたいと思っています。

鳳陽会東京支 事務局

illy 霞が関で
illy 霞が関で
二次会 日比谷フォートタワーで

第6回 長州歴史ウォーク(11/29・土) 参加者募集

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

今回は明治神宮、東郷神社、乃木神社を散策します。

参加費は無料で、途中からの参加も可、中途退出も可能です。

開催要領は以下のとおりです。

【日時】

令和7年11月29日(土)

【集合場所・集合時間】

明治神宮 「一の鳥居」前広場(地下鉄・明治神宮前駅、JR・原宿駅西口から徒歩1分)

午前10時集合

【行程】

明治神宮鳥居➡社殿➡明治神宮の森➡東郷神社➡原宿

(昼食休憩)

表参道➡地下鉄表参道駅➡地下鉄乃木坂駅➡旧乃木邸➡乃木神社(午後3時ごろ、現地解散)

【参加費】 

無料

【申し込み方法】

鳳陽会東京支部HPの「連絡・問合わせ」から申し込んで下さい。

【締め切り日】

令和7年11月25日(火)

奮ってご参加ください。

なお、今回の長州歴史ウォークの案内は会報・東京鳳陽(10/1発行)P8にも掲載されています。

(事務局)

集合場所 一の鳥居(原宿駅西口から徒歩1分)