三人の財界巨人 その22 久原房之介⑨

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

◆新鉱山での事業開始

「日立鉱山」として新たに事業を開始するにあたって、赤沢銅山(茨城)の従業員は引き続きそのままの形にした。

他方、これまで一緒にやってきた小坂鉱山の同年輩の優秀な技術陣については、ごっそり引き抜くといったエゲつないことはしなかった。

小坂鉱山では房之介と同年輩の若き技術陣は、房之介が小坂を去ったあと、小坂に残った者もいれば、他社に招かれ転職した者もいる。

◆「鉱脈断層」事件

前稿で述べたように、銅の産出が軌道に乗ってきた明治40(1907)年に「鉱脈断層事件」が起きる。

神田所長から「断層に当たった」との重大発表があった。

ここで神田は、何と自分が連れてきた事業所の幹部や技術陣を連れて、日立鉱山から引き揚げてしまった。

これには房之介も参った。

鉱脈が無いことには採鉱ができない。

しかしここで、天は門外漢でありながら採鉱に運命を賭け、努力を傾けた房之介に助け舟を出す。

秋田の小坂鉱山で共に働いた仲間「小坂組」が、日立鉱山に駆けつけてきたのだ。

赤沢銅山の鉱脈の質については、購入前に溶鉱三羽烏の一人、竹内維彦が「有望」と判断し房之介に赤沢銅山の購入を進めたという経緯があり、自分が見立てた鉱脈の潜在力に関する判断に自信があったため駆けつけてきてくれた。

また、竹内と同い年で東京帝大工学部の同窓・小平浪平も小坂鉱山で電気課長を務めたあと、広島水力電気、次に東京電燈(現・東京電力)へと転々と職を変えていたが、房之介が発電機械建設指導要員として日立鉱山へと誘い、房之介のもとで再び働くようになっていた。

この断層事件で、図らずも「小坂組」で房之介と志を同じくするメンバーが集うことになった。

◆生き返った日立鉱山

断層となっていた鉱脈問題だが、懸命な鉱脈探査の結果、ありがたいことに断層の先に「新たな鉱脈」を見つけることができたのだ。

ここでも小坂鉱山で起きた小坂のメンバーによる復活劇が、日立鉱山でも始まった。

この日立鉱山を母体として久原財閥が誕生し、日産コンツェルンの原型が形を成し、また鉱山の電機修理部門からら独立した小平浪平が自らの創意工夫と頑張りで日立製作所が誕生することになる。

つづく

(学23期kz)

竹内維彦(後に日本鉱業社長に)
小平浪平

今朝のニュース(9月29日)・・・「金融教育」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆招き猫の日( 来る福(く・る・ふ・く)の語呂合わせ  )
右手を上げた猫は“お金”を招く、左手を挙げた猫は“お客”を招く。

今朝のニュースでは「金融教育」…が中学生の頃から一部で行われているらしい。 
“金融リテラシー”とか言われるとそれらしく聞こえる。

双六で「投資番付」というゲームも市販されているという。 
筆者の感覚でいくと、この「番付」という名前が良くない。何でもランキング?
どうせなら、大きく構えて「投資富豪」くらいにしないと(笑)



◆その昔、経済学部に進学する=金儲けの勉強をする?
また、経済学者は金儲けの上手い人? という話がありやなしやの感がある。

その 答えは両者とも否!

「社会科学の女王とも言われる経済学」は、問題が山積する社会問題にその解決の糸口を見出す視点を我々に教えてくれるとでも言えばよいのであろうか・・・

“お金持ちになる”・・・ちょっと前だと“守銭奴”という言葉もあって、良い印象?悪い印象?と問われると後者のイメージが強い。

そんな中での金融教育!···お金とは何か?を先ず学ぶ。
相場と価格、需要と供給を学びながら、経済についても学んでいく。
そして、ひょっとすると一番重要な金融に伴う”リスク”を学ぶことも大切だ。



◆小学校での英語学習?中学生には金融教育? 今の時代はとかく忙しい。
きっと小手先がちょっと器用になったり、ちょっとカジったというよりも、それを身につけていくのに基礎となる“地頭”を鍛えた方が良い様な気がする。
例えば、徹底した「にほんご」教育、100枡計算(算盤)教育など


成人して後に分かったことから・・・
・筆者の拙い経験の中で時枝文法とも称される副読本として学んだ「にほんご」教育が中学に進学して、如何に英語の文法の理解を進めたか!「は・が・も」が大切なのである。
”象の鼻は長い”か”象の鼻が長い”か”象の鼻も長い”かの「は・が・も」問題
・筆者と同じ職種で東北福島の事業所勤務の同僚の息子さん。

私立の最難関と言われる医学部には何度も合格する。しかし、息子さんが希望するのは東北大医学部・・・どうしてもその壁を越えられない。最後は東京医科歯科大学(現東京科学大学)に進学。
トンビが鷹を生んだとは言わないが(笑)何が良かったの?と聞いたら、“子供が小さい時そろばんを習いたい”と言ってきた、“だったら習ったらいいんじゃない?”から始まる。
“小さい頃から数学は出来ると言う小さな自信が「学ぶことの楽しさ」を引き出してくれたようだ” と語る。
特に進学の為に、また進学に特化した学習塾などには通わせなかったと言う。

◆明治維新(戊辰)で社会、文化の革命的変化があっても、様々な分野で飛躍的に成長した。西洋列国に伍するような力を比較的短期間に成し遂げられた日本がある。

江戸時代の寺小屋ではないが、「読み·書き·算盤」の大切さに思いを致す。
直ぐに役立ちそうなものは直ぐに駄目になる、しかし、時間のかかるもの、また時間をかけてやるもの、単純だけど繰り返しは力になる様な気がする。
旧制度が懐かしいのでなく、良いものは良い。

◆戦後初のノーベル物理賞を受賞した湯川秀樹さん。その自伝「旅人」の中で、小さい頃の”漢文の素読の深さ、その有り難さ”について語っている。
未知の学問に挑む際の「新しい概念への発想の土台(直観力や思考の柔軟性)」に深く結びついていると。

  最後に、親の期待や周りの期待から過度の教育を施してしまうと両手を挙げてしまった猫になる。
お金もお客も呼んでくるネコもいるだろうが、もう結構ですと「ばんざい」をされても困る。
要は、ほどほどに、そしてじっくり、じっくり、一休禅師のように「あせらない、あせらない」。  

◆もう一つ!

成人になっての金融リテラシーは必須科目となる。

これを”知って”と”知らぬまま過ごしてしまう”のとは大きな違いが出る。


国民基礎年金制度(厚生基礎年金)は“100年保証”と言われているが、あまり信用が置けない。

以前は個々の企業、年金基金の制度として確定給付型年金(DB)だった。将来“受け取る年金の額”があらかじめ決まっている制度。運用の結果によって必要な掛け金が変動し、不足分は企業側が負担するという保証付きであった。

しかし、現在の多くの場合は、確定拠出型年金(DC)に。毎月の“掛け金の額”があらかじめ決まっている制度。加入者(企業と加入者)が自分で資産を運用し、その成果によって将来の受取額が変わる。確定拠出つまり拠出する金額は決まっていても将来受け取る金額は自己責任、自己判断で運用先を決定し、その選択には自ら責任を負うこととなる。

冒頭の経済学の効用とポートフォリオを掛け算で自ら考え、判断する。
(この掛け算にも少し勉強がいるようだ)
そんな時、鳳陽会同窓向けの先の東京支部主催で9月12日に開催された経済セミナーは意味深い。

政府広報

第1回 山大オープンコンペに参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆9月27日(日曜)、千葉・長南パブリックコース。

100回記念大会も纏めてくれた37期上野さんが、引き続き第1回オープンコンペの幹事長を務めて頂いた。

◆今回は開催前、台風25号の到来に伴い豪雨がゴルフ場一帯を襲ったため、コンペの開会が危ぶまれた。

台風が過ぎた翌日、ゴルフ場に問い合わせると、バンカーは水没、ゴルフ会場に向かう道路も交通止が出されており、遅れてくる参加者が多数とのことだった。

しかし、いざふたを開けてみると、当日は曇り。

雨もなく、雷も鳴らず。

水没したバンカーも水が捌けており、無事プレーすることができた。

雨の後だ。フェアウェイのカジュアルウォーターはあったが、これは仕方ない。

◆この鳳陽コンペ、3月には累計100回目のコンペを終え、今回から学部を越えた大会にスタイルが変わった。

獣医学部からは深町青山会会長も参加。工学部からも元テニス部で好人物のHK氏も参戦して頂いた。

鳳陽会東京支部の女神、O女史と、S女史の2名も参加、会に花を添えもらった。

今回は第1回目の山大オープンということもあり、鳳陽会本部の松永理事長にも特別にご参加頂いた。

◆成績は先刻、ホームページに発表されたとおり。

・優勝者はベスグロ不動の七村さん(27期)。

さすがの優勝だ。

陽に焼けた赤銅色のマスクはただモノではないゴルファーであることを物語る。

・準優勝は竹中さん(36期)。前半、5連続パーを取った由。

シュアーなゴルフ。彼は鈴木ゼミの後輩にあたる。一度一緒にラウンドしたいものだ。

彼の元上司が日立システムズの渡邉岳彦社長(34期)。

彼も後を追って社長になったりして・・・

・3位は最年長・13期の松本先輩。

本年から入居された高齢者施設から車でお越しいただき、参戦された。

松本先輩が入居する施設では、外出し、車を運転し、ましてやゴルフをする入居者は松本先輩だけだという。

コースも万全な状態ではない中、グロスも99と二桁。高齢者の鏡だ!

松本先輩とは同郷・肥後育ち。時々ご一緒するが、まだまだ酒もお強い。

このほか、9/12(土曜日)の経済セミナーの講師を務めて頂いた吉原さん(25期、元野村証券)にも参加して頂いた。神奈川方面から千葉へ愛車(ホンダのマニュアル車)で参戦頂いた。趣味人らしい。

最若手は64期の窪井君。萩出身の若き青年実業家だ。

◆プレー後は表彰式。

上野幹事長の司会で会が進む。

松永理事長から山大オープンコンペの成功を祝して乾杯のご発声が。

表彰式の後、他学部の方もお見えになっていることもあり、参加者の自己紹介へ。

参加者各位の自己紹介に熱がこもり、表彰式が終わったのは18時頃だったろうか。

帰り間際には、七村さんのこだわりの逸品、高級カレールー<ビレッジ・セブン>が参加賞として振舞われた。

毎回、頂いているが、家族に好評で、とてもありがたい。

これまで100回記念大会、今回第1回山大オープンコンペの実施にあたり幹事を務めて頂いた上野さん(37期)に感謝しないと。

上野幹事長から、この先、オープンコンペは3月と9月の最終日曜日に開催予定で、差し当たり次回は3月28日(日曜)との案内があった。

◆今後、各学部が仲間を連れてきていただき、各部対抗のような形になればかなり面白いことになると思う。

また、今回の山大オールの会、これはこれで良いが、長崎大、小樽商大や横浜国大など旧高商系の他校とも、学校対抗の形になれば、これまた面白いことになるな。

(榎田悦郎)

第1回山大オープンゴルフコンペ 結果報告

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆8月から続く長雨で開催が危ぶまれた第一回山大オープンゴルフぺですが、無事、盛会のうちに終了することができました。

直前の台風25号の影響で、房総半島のいたるところでがけ崩れや浸水被害が起き、内房線は姉ヶ崎から先は不通、道路もいたるところで寸断とゴルフ場へのアクセスも心配されましたが、今回開催した長南パブリックゴルフコースへは高速道路から問題なく到着できました。

◆当日朝は少し霧が出ていましたが、スタート時間には明るくなり、問題なくティーアップできました。

これまで、鳳陽ゴルフ会として経済学部卒業生のみで開催しておりましたが、今回は山大オープンとして獣医学部同窓会・青山会の深町会長(1968卒)工学部からは匹田さん(1997卒)にも参加いただき、鳳陽会からは松永理事長にも参加頂きました。

最年長は松本さん(13期・1965卒)、最年少は窪井さん(64期・2016卒)総勢21名6組でのコンペとなりました6組規模のコンペは久しぶりです)

コースは長雨の影響で、ところどころにカジュアルウォーターがあり、またグリーンも重馬場で難しいコンデションでしたが、傘を差さずに18ホールを完走できました。

◆優勝は七村さん(27期・経済1979卒)さすがにエージシュートを目指されてるだけに安定したショット。

準優勝はこのところ毎回上位に入る竹中さん(36期・1989卒)

3位には最年長の松本さん(13期・1965卒)でした。とても傘寿を超えていらっしゃるとは思えない見事なプレーでした。

◆競技後は表彰式をかねてパーティも実施。初対面の方も多かったと思いますが和やかな雰囲気で第1回大会を終了できました。

本ゴルフ会は、初心者からシングルプレーヤーまで、年齢やスコアに関係なく参加しやすいように、また現役世代も参加できるように、土日で会費込みで20,000円以内、都心から車で90分以内の比較的初心者にもやさしいコースを選定して実施予定です。

次回は、2027年3月28日(日)に開催予定です。詳細は場所を確保次第案内しますので、ぜひ参加をご検討ください。

なお、七村さんから、参加者全員に高級ポークカレーを寄贈頂きました。

この場を借りて御礼申しげます。

ゴルフコンペ幹事 37期・上野 啓

首都東京圏(大江戸)の神社仏閣巡り その1

鳳陽会東京支部事務所のある東京都港区の七福神は次の通りです。

1.久国神社(六本木)布袋尊

2.天祖神社(六本木 東京ミッドタウン付近)福禄寿

3.櫻田神社(西麻布)寿老人

4.氷川神社(元麻布)毘沙門天

5.大法寺(麻布十番)大黒天

6.熊野神社(麻布台)恵比須

7.宝珠院(芝公園)弁財天

番外.十番稲荷神社(麻布十番)宝船

「天祖神社」の近くにある「東京ミッドタウン」には第一回長州歴史ウォーク以来に

行きましたが、洒落たビル街があります。隣に旧毛利藩下屋敷がありました。現在は公園。

「櫻田神社」の近くには、「六本木ヒルズ」があったので寄ってみましたが、展望台は料金が1500円したので、止めました。

「大法寺」の近くにある「曹洞宗賢祟寺」は、佐賀鍋島藩の一部藩主の墓所になっており、大名の墓所らしく五輪塔が建ち並んでいましたが、崩れた個所もあり整備はされていない様子でした。

「熊野神社」や「宝珠院」は、東京タワーの真下にあります。

東京タワーには、二度登りました。高校の修学旅行と、父母が上京しての東京案内。

開業が1958(昭和33)年ですから、私の1歳の時でした。

スカイツリーもできた昨今、もう一度登っておこうと思ったのですが、混んでること。

夏休みで子供連れが多いのに加えて、中国語を話す人達や白人系の外国人も多く来ています。

事務所の最寄り駅 赤羽橋駅出口は外国人が多く、ここも彼らの撮影ポイントです。

別料金の要る「特別展望台」へは待ち時間35分、下りも20分ほど待たされる有様です。

東京タワー展望台からは、「レインボーブリッジ」から「首都高速3号渋谷線」に抜ける道を

確認することが出来ました。

近くに勤めていたT芝ビル(現在解体中)があったので、「浄土宗大本山増上寺:徳川家菩提寺」

「芝大神宮:江戸のお伊勢さん」は、何回か通ったことはありました。

増上寺の南側に「芝丸山古墳」という前方後円墳もあります。

以上    学29 Y K

大相撲九月場所を終えて

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆大関霧島の横綱昇進なるか、関脇熱海富士の大関昇進なるかが、今場所の焦点でしたが、安定した好成績で期待された霧島は7敗を喫し、出直しとなりました。
無理して横綱になっても短命横綱になるより、大関で名大関となり長く続けてほしいです。
熱海富士は好調で、直前3場所33勝はクリアするだろうと期待しましたが、後半で大きく崩れました。
まだまだ甘く、ここ一番に勝負強さに欠けるようです。

◆千秋楽結びの一番で優勝が決まり、大の里が12勝3敗で1年ぶりの優勝を果たしました。
安青錦も足の負傷の中、凄い精神力でした。
横綱大の里は1敗を堅持し、逃げ切るかと思いましたが、後半2日間に大きく崩れ、苦戦しました。
新関脇藤ノ川の11勝4敗での敢闘賞は見事で、連日相撲を楽しませてくれました。
美ノ海、10勝5敗、敢闘賞。
今場所何か物足りなさを感じたのは横綱豊昇龍の全休でした。
焦らず怪我を完全に治して、スピード相撲と驚異的な下半身を再度、見せてほしい。

◆応援している力士の中では、阿炎が途中テーピングが見られ心配しましたが、千秋楽に何とか勝ち越しました。8勝7敗
平戸海9勝6敗
若元春10勝5敗
十両玉鷲10勝5敗
幕下光星竜4勝3敗
1勝3敗からの勝ち越し、嬉しい。
幕下朝ノ龍4勝3敗
山口市出身、三段目若輝元5勝2敗
同じく山口市出身、千代大宝3勝4敗
木竜皇4勝3敗
序二段大当利1勝6敗
序二段翔傑4勝3敗

追記)
私は大相撲中継はAbema TVで視聴しています。
土日は元第66代横綱の花田虎上さんで、判り易い解説です。
最近は元貴景勝の湊川親方や北勝富士の大山親方も素晴らしい解説です。
大碇の甲山親方も個性的で好きです。(藤ノ川の師匠でお父さん)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

三人の財界巨人 その21 久原房之介⑧

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆藤田組からの独立

久原房之介とは別に、伝三郎は伝三郎で明治30年代の終わりに小坂鉱山に人材を集めた。

明治35年、小坂鉱山では発電所、電解精錬工場も出来上がり、小坂鉱山は銅を産する代表的な鉱山となり、明治30年代の終わりには、銅の生産で日本一となった。

また前稿で述べた小坂鉱山の中に整備した住宅、地域電化、病院などのインフラ整備とともにハイカラな鉱山事務所や芝居小屋を建てた。

しかし、房之介はこれらの建物の完成を見ることなく、明治37年に本店に呼び戻される。

本店は伝三郎の長男・平太郎が事実上仕切っており、房之介が小山でこれ以上実績を上げ、プレゼンスを高めることを、良くは思っていなかったのだ。

◆藤田組を退社した房之介

小坂銀山が銅山として復活を遂げた。

房之介は「小坂鉱山」の復活で晴れて区切りをつけることができ、新たな道に進むことを考えていた。

その時、藤田家では誰が藤田家の宗家となるかを巡り内輪もめが起きる。

伝三郎自身は四男ではあるが、自分が事業を興し、藤田組の代表者であるとして、自分と長男の平太郎の筋を宗家とし、年上の兄たちを分家とする案を呈示する。

しかし、兄たちは黙っていない。

案が暗礁に乗り上げたため、久原は房之介、父庄三郎とも財産分与を受ける形で、藤田組を退社した。

◆赤沢銅山購入の決断

明治38年12月、退社のタイミングで房之介は売りに出されていた茨城の赤沢銅山(後の日立鉱山)の購入を決め、藤田組から独立する。

またこの時、鉱山の名称も赤沢銅山から日立鉱山と改称した。

また、赤沢銅山の購入にあたっては、藤田組から財産の分与を受けたとはいえ、資金調達面で問題があった。

というのも、財産分与に伴う支払いが一括払いではなく、10年分割だったため鉱山の購入資金が不足していた。

このため、隠居していた父・庄三郎の資金も新鉱山の購入に充てたがそれでも足りず、父・庄三郎時代に付き合いのあった鴻池組に資金支援を頼まざるを得ないことになった。

鴻池組側は、融資するに際し、「目付け役」として工部省出身で、毛利家の鉱山事業に長くかかわってきた神田礼治を日立鉱山の初代所長として送り込んできた。

しかし、房之介は目付け役の初代所長の神田礼治とハダが合わなかった。

銅の産出は順調で明治40年には前年の3倍となり、軌道に乗ってきたところに大事件が起きる。

所長の神田が鉱脈が断層に当たったことを告げた。

断層とはこの先採鉱が絶望となったことを意味する。

つづく

(学23期kz)

赤沢銅山

「第66回 日本寮歌祭」参加者募集!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

 伝統ある寮歌を伝える祭典として、1961年から全国の高等学校(旧制)の流れをくむ高校、大学の 有志が参加して開催されています。

昨年は、 第65回日本寮歌祭として令和7年11月23日、東京都荒川区日暮里のホテルで開催されました。

 北海道から九州まで全国の大学の同窓生が結集。ハッピ、ハチマキ、学帽、黒マント姿等で母校の寮歌を歌う。

官立山口高等商業学校の伝統を受け継ぐ我が山口大学経済学部の有志はオレンジ色のハッピ姿で登場。明治時代に作歌された鳳陽寮寮歌「花なき山」、また戦時中作歌の山都逍遥歌を高唱します。

 良き伝統にご興味のある方(現役大学生を含め)は鳳陽会東京支部までご連絡ください。

「第66回日本寮歌祭」

日時2026年11月29日(日) 11:00~15:30
会場アートホテル日暮里ラングウッド
JR日暮里駅 南改札口 徒歩1分
日暮里・舎人ライナー 日暮里駅 徒歩3分
主催日本寮歌祭実行委員会

*参加費  3千円

    以上

イベント参加登録【日本寮歌祭】


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    広中平祐学長 対談本 その2

    山口大学経済学部同窓会

    鳳陽会東京支部

    【2026年9月 トピックス】

    ◆池田満寿夫氏との対談

    対談本「数学とエロチシズム」(講談社、1977・昭和52年)

    私の手元には池田満寿夫との対談本がある。話題が実に多岐に亘っており、興味深い。

    両者は3歳違いで年令が近く、話はざっくばらんで、タバコをふかしながら談笑し、冗談を言い合いながら、話が続くこと、つづくこと。この二人、相当相性がいいと見た。

    二人とも大学入試で浪人生活を経験している。

    池田満寿夫は3度も東京芸大に落ちた。広中も京大に受かる前に1年、浪人生活を送っている。

    池田は1934(昭和9)年   奉天(現瀋陽)生まれ。

    1945年に長野市に引き揚げ。

    1952年長野北高校を卒業後上京。

    東京芸大を3度受験し、不合格。

    街頭で絵画の創作活動。

    1960年、26歳の時に第二回東京版画ビエンナーレで文部大臣賞を受賞したのを手始めにベネチア・ビエンナーレの版画大賞など多くの受賞を重ね国際的な版画家として活躍。

    1977年には「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞。

    1979年「エーゲ海に捧ぐ」をカンヌ映画祭に出品。

    1997(平成9)年、3月、63歳で急逝。

    ◆容易ではない才能の評価

    この二人が、大学入試をはじめとして人の才能をどのようにして評価し、どのようにして人を選抜するかについて議論している場面に目が留まった。

    以下は対談本「数学とエロチシズム」(講談社、昭和52年)に載った両者の対話だ。

    対談の中身は以下のとおり。

    池田) 米国では40歳台になっても、思い立ったら大学に入れる。

    広中) 日本と入試の方法が違う。米国は地域別割り当てがあること、面接や推薦も合格判定に大きな役割を果たし  ている。すなわち、特殊な技能、特別の経験、感覚を持った人は学力テストの枠外でも入学を許可することがある。

    主婦でもボランティア活動などの仕事が認められれば、面白いケースだから一応入学させてみようとなる。

    しかし、日本では子育てを終え、時間ができ、意欲のある主婦が大学に入って勉強しようと思っても、学力テストで落とされる。

    池) 僕なんかでも許されれば、数学を習いたいですね。

    広) 東大は無理だけど、ハーバードなら入学できますよ。しかし、東大に入れば、ほとんど確実に卒業できるが、ハーバードなら、卒業は大変ですよ。

    池) 40歳を過ぎて学校へ行きたいという考えを持ちますね。

    広)池田さんのような才能を落とさない学校も作ろう(笑)

    池)落とさない学校が欲しい。100人(の志望者)がいて、その中で本当に才能のある人間を果たして見分けることができるのか。人間の才能を見分けることはできないと思うけど。

    広)実際、不可能だね。可能だとしても非常に難しいね。試験のシステムは手っ取り早いからやっているだけで、それが最善の方法だからやっているわけではない。数学などはかなり技術が必要な学問だから試験の意味は大きいが、芸術家の場合は、ほとんどゼロかもしれないね。

    池)芸術家はゼロですね。

    広)数学の場合でも、試験だけでみると出来そうなのが案外伸びなかったり、そうでもないと思っていたやつが意外と伸びたり、将来大成するためには、いろんなファクターがあるから、非常に難しい。

    池)まあ、一人を真面目に選ぶとしたら一年かかるね。

    広)一年でも完璧とまではいかないね。十年はかけてみないと(笑)

    池)選ばれなかったということでガーっと出てくる人間がいるわけですよ。僕なんかその一人です。全部閉ざされちゃって、<これは、俺一人でやるしかしようがない>って。

    だけど閉ざされたためにガタガタ落ちるやつがいるし、逆に入って安心し、ガタっと崩れるやつもいる。

    ◆大学院教育について

    広)大学院の水準に達するまでにいろんな才能が落とされているわけよね。いろんな可能性もね。その点アメリカの場合はかなり危険も冒していますからね。

    技術的には駄目だと思っても、何か面白みがあったら採ってみるとか。

    だから、アメリカではハーバードに入学したからといって特別才能に恵まれているとはいえない。

    著者追記

    ◆懸念

    近頃では学校推薦や総合選抜入試(旧AO入試)が増えており、2025年度入試では一般選抜(旧一般入試)は46.3%と、少数派になっていると報道されている。

    一般入試が少数派に変わっており、入学し易くなっているようだ。

    他方、対談本で広中先生が仰せのように、日本の大学が卒業しやすくなっているのは昔から変わっていない。

    ならば・・・「入学し易く、卒業しやすい」ということになるが・・・これで大丈夫なのか。

    国際的な大学ランキング(THE)でも東大ですら20位以内に入れない状態が長いこと続いている。

    日本は大丈夫か。

    日本の将来を支えるのは日本の若者だ。

    入試制度の変化が、教育の劣化、引いては日本人の劣化、国力の低下に繋がらないことを祈る。

    (学23期kz)

    池田満寿夫

    稲葉浩志 母校での十六夜祭 


    山口大学経済学部同窓会

    鳳陽会東京支部

    【2026年9月 トピックス】

    岡山支部 岡山Bさんからの投稿

    2026・9.21投稿

    夜明け前! 

    -鳳陽会にいらっしゃるかもしれない稲葉浩志ファンの皆様へ-

    ◆明日、明後日(9月22、23)とB’z稲葉浩志さんが故郷に凱旋、ソロコンサートが開催されます
    浩志Memorial loadってな通学に使ったであろう道さえ名付けられます
    今回は誕生日に合わせて開催されます
    では、そもそもの歌手としての源流、先ず母校の十六夜祭に参加してみよう!

    ◆B’zの稲葉浩志さんが高校時代、友人のバンドのボーカルとして、デビューしたとも言われている十六夜祭です
    今では、何万人規模のコンサート、そして集客力のあるスターが、1000人規模の地元の文化センターと言う、津山にとっては、文化の殿堂でのコンサートとなります
    きっと、地元愛に燃えての事でしょう!
    その業界に関わる人に言わせるとどんな興行でも2000人はminimumの観客人員数だそうです

    ◆文化センター建設当時から、1000人の観客席の確保は絶対的条件、苦労された話を耳にしております そして、2日間に渡る公演で何とか最低条件をクリア! 
    津山の街には「178」のプレート番号の車が散見されます そして、敬称を付けた「1783」!
    チケットは入手出来ていなくとも同じ空気を吸いたい、その街にいたいと言う熱心なファンに支えられています
    早朝お会いした方もそのお一人でありました
    プレート全写りOKですよ、の返事
    ありがた山で1枚パチリ!
    街に溢れるおもてなしロードをまた1枚パチリ
    写真だけで街のその盛り上がりを伝わる事は叶わない
    明日と言う夜明け前の一コマを捉えました

    今は校訓となっている「畏天敬人」の石碑 
    開学100年の1995年に制定
    本館一階正面玄関奥にあった校長室入り口ドア上高くに掲げられていた「畏天場」の古い扁額(へんがく)による
    それは江戸時代城内にあった武道道場に掲げられていたものにその源流がある
    その石碑の右奥の施設は全日空、また朝日新聞の社長を務めた美土路昭一の生家、100周年記念館を寄贈されている