語学の極意?

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年1月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆”マッサン”の再放送が始まる。余市にあるウイスキーメーカー創設、マッサンとエディさんの一代記だ。 
マッサンの妻役がエディさん。

マッサンがスコットランドへウイスキー研究の為に留学、そこでエディさんに出逢い、そして来日し、日本で生活する。

◆日本語がもとより喋れる必要はない。しかし、番組が進んでいく中では、科白としての日本語でなく、拙い、そして辿々しいながら”日常会話”としての日本語が要求されてくる。

日本語が全く喋れなかったエディさん。朝一番の「おはようございます」は「オハイオでポテトが育つ」と言う音に置き換えて覚えたと言う。
40数年前、「掘った芋、いじくるな」と言うアイスクリームの商品名があった。「what time is it now?」の音を日本語風に置き換えるとそうなると言われていた。少し早口で10回位、取り敢えず唱えると、もう日本人による和製英語から卒業し、最後にはそれらしいスピード感ある”英語”に聞こえるかも知れない。
因みに「オハイオでポテトが育つ」を10回早口で言っても、自分の耳では「おはようございます」には遠い様だ…(笑)
しかし”賽は投げられた”…もう川を渡るしかない、事は始まったのだ。

エディさん役を演じた女優さんが言う。”あの1年は100年分を生きた感じがする”と…

◆外国語の極意はシャワーの様にその国の言葉を浴びる(中途半端に周りに同国人が居ないのが重要)、また恋人がその国の人にたまたま出来る、そして食事で言うと、何より自分の食べたいものを自分が食べたいと相手に伝えたいと言う”必要の母”が舞い降りてくると世界は一変するとも聞く。

そして、外国語が自由に扱える水準に達する頃にはその外国語で会話をしている姿の夢さえ見ると聞く。(全くの未体験ゾーンなのでその真偽は定かではない) 

◆同窓の元商社マンがある事を教えてくれた。もとより商社マンだから、英語は出来て当たり前なのかも知れない。(この世間の一般的常識の為にも血の滲む努力をされているのだろう)
彼はもう一カ国語スペイン語も出来るようになったと言う。

どうして、出来る様になったと?尋ねると彼曰く、「ある国で商売上は勿論、自らの命や権利を守る為には語学習得は不可欠な国がある。命をかけてみろ!(命をかける環境に置かれてみろ!)。言葉は必ず身につく」と…

先のエディさんも”1年で100年生きた”のだ。

◆バブル期、メーカーの人材と言えども片言の英語でなく、流暢な英語を求められる時代があった。
時代はグローバルになった。今は足元もしっかりと言う事でグローバルとローカルを併せ持つ”グローカル”と言う言葉すらある。
日本語の世界に限って言うと”所謂共通語と地方の訛り言葉”を自由自在に扱う事になるかも知れない。(実は東京の人と言っても、共通語の日本語と東京の人が使う日本語とは違う)
地球人と日本人、その言葉は一般的に使用されている共通語と癖の強い訛りとなるかも…

しかし、基礎は癖の強い訛りにある。

◆小学校時代、副読本として使ったのが「にほんご」。
日本語教育に熱心だった先生が教えてくださった、時枝文法に基づく「にほんご」。
「象の鼻『は』長い」の二重括弧の『は-が-も』を大切にする。
中学生になって英語の授業の時も、文法の理解の大きな基礎となっていた。
やはり、語学の極意は自国の言葉にあるのではないか?と…
四捨五入するともうすぐ”アラ70″になる地方訛りは思う。(ただ惜しむらくは、地方の訛りは強いままだ)

(岡山B)

随筆 老子考 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年1月 トピックス】

◆近年、お参りは有名どころの神社ではなく、近くの神社に参るようになった。

日頃の散歩にも近くの神社に行き始めたところ、置いてある説教の札に手を伸ばして、持ち帰ったことが何度かあった。

手元にたまたま2枚の札が残っている。

そこに書かれた言葉。

「浅き川も深く渡れ」皆虚

皆虚・・・

調べてみると、江戸時代前期の僧、俳人だという。

浅い川のようでも、どこで足を取られるかわからない。

浅い川でも、深い川と思って十分用心して渡るがよい・・・との意味のようだ。

◆もう一枚は老子の札だ。

「知者不言、言者不知」

知る者は言わず、言う者は知らず 

説明は不要だろう。

二枚の札とも逆説的な言い方をしている。

含蓄のある諭しだ。

◆老子

昔から、惹かれるところがあった老子。

老子の名言の中には逆説を用いた説得力のあるものがある。

例えば、・・・

「老子道徳経」第45章から (書き下し文)

大成若缺、其用不弊・・・大成は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず、

大盈若沖、其用不窮・・・大盈(えい、満ちている様)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず、

大直若詘、大巧若拙、大辯若訥・・・大直は屈折したように見え、大巧は拙いように見え、大弁は訥弁のように見える・・・

もう一つ

「老子道徳経」第11章

「無」の有用性・・・

器は中が空(無)。ゆえに汲むに際し有用だ。

家も中が空(無)。ゆえに収納するに際し、用を為すことができる。

物の外面の形も大事だが、中が空(無)であることが有用で役に立つ。

◆単なる言葉遊びのように思えるが、そこには裏面の真実を突いた鋭い眼力を感じる。

孔子の処世訓に比べて、冷徹で余計なものを捨象した真理、宇宙規模の真理を示しているかのようだ。

「無」にはエネルギーが充満しているとも説く。

Tao(道)の「無」は虚無ではない。「有」を生じる源で、死んだ「無」ではない。

真空でも粒子が生成・消滅する現象が絶えず起こっており、エネルギーを持つとする量子力学とも通ずる。

氷山のように上部には見えない水面下には、上部の11倍を超える体積が隠れているが、老子の「無」もそうかもしれない。

陽と陰。

見える世界があり、そして見えない世界がある。

見えない世界にはまだ名前が付けられていない世界が存在するかもしれない。

幾何学の世界では理解不能だった非ユークリッド幾何学の世界、また古典力学ではない量子力学の世界が拓けてきたように。

蟻たちには空を飛ぶ鳥の存在自体が理解できないに違いない。

・・・これは深い世界・・・

頭が痛くなる話はここまで。

◆山を登る時には、見えなかったもの、見なかった景色があった。

山を下る時には、登る時に見なかったもの、見えなかった景色が眼に入ってくる。

山下りを味わいながら、また新たな年を迎えた。

(学23期kz)

令和8年の「勝」!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年1月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿



◆岡山県北、勝田郡勝央町勝間田町に”勝間田神社”と言う社がある。

ここまでの地名に”勝”が3つ、そして神社の名にも”勝”!

神札には、
七”勝”福”勝”運”勝”隆
“勝”間田神社
“勝”田郡”勝”央”勝”間田
令和八年一月一日
 
紋章にも朱肉の”勝(璽)”とある。

紋章までいれると八つの”勝”



◆元旦初詣に参り、御朱印を頂戴した。
ものの書き物には、御朱印は
·「墨書き(文字)」と「印(朱印)」の2つの要素が基本 
·具体的には「奉拝(参拝の意)」、「日付」、「寺社名(または御祭神・御本尊名)」、「寺社印(紋章など)」で構成    
·参拝した証として神仏とのご縁を記録するもの

神札(おふだ)には、神様の御霊(みたま)が宿るともある

八の「勝」!
「こいつぁ〜、春から縁起がえぇ〜いわぃ!」と傾(歌舞)いてみてもいいだろう。

今年巨人軍の春キャンプには長嶋さんの「勝つ、勝つ、勝つ!」の声は聞けない。



◆人生七転び八起き、と言われる。
たとえ、勝ち負けがそれまで同数であっても、最後のひとつにちっちゃな「勝」があれば…(就職戦線で奮闘中の学生で言うと、厳しい戦線、負け続ける事が、たえあったとしても…)
その人その人、各々はきっと豊かな心もちになるだろう。そのちっちゃな「勝」を決めるのは、他ならぬ”己”になる…と新春に思う。

(岡山B)

明治神宮 ①初詣

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年12月 トピックス】

◆新年の参拝

全国の神社の中で正月の参拝者が多いところはどこだろう。

警察庁は2010年以降初詣の参拝者の集計と発表を取り止めているが、「AI」君が各神社仏閣の発表や各種情報誌をもとに推計した参拝者数のランキングは以下の通りとなっている。

(単位は万人)

1明治神宮(310~319)

2成田山新勝寺(305~311)

3川崎大師平間寺(300)

4浅草寺(283)

5京都・伏見稲荷大社(277)

トップファイブのうち、上位4位は関東だ。

これは人口が多いので自ずとそうなるのだろうし、またインバウンドの旅行者も成田があり羽田もあるため、関東での参拝者が多くなる。

しかし、関東の中でも最も参拝者を多く集めるのが明治神宮だ。

11月末の長州歴史ウォークの会場となったところだ。

新年には明治神宮本殿前で手数入り(でずいり)ー横綱土俵入りの奉納ーが催される。

今年は1月7日に豊昇龍関が務めた。

◆いつ創建されたのか

鬱蒼たる森を見れば、500年も前に造営されたのではないかと思わせる。

いつできたのか・・・

意外と歴史は浅い。

大正時代だ。大正9(1920)年11月1日。

もともと、何の目的で神宮が建てられたのか・・・

明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社として創建されている。

明治天皇が崩御されたのが明治45(1912)年。昭憲皇太后が崩御されたのが大正3(1914)年。

従って、建てられたのは天皇・皇太后崩御後ということになる。

◆靖国神社

靖国神社の歴史も古くはない。

明治2(1869)年に東京招魂社として創建され、明治12(1887)年に現在の社名に改称されている。

明治神宮の内苑の鎮座祭が行われたのが大正9(1920)年11月。

外苑が完成したのが大正15(1926)年10月。

この年の12月25日(大正天皇崩御の日)に元号が明治から昭和に変わった。

◆神宮内苑

明治神宮の内苑は森の中にある。

森は大正時代に人工的に作られたものだ。

以前、民放のテレビ番組で、明治時代に原宿から渋谷方面を望んだ映像が流れたことがあるが、建物や森など何もない原っぱだった。

もともと、内苑は御料地で、外苑は練兵場だったところだ。ここに多くの樹を人工的に植えたのだ。

全国各地から10万本の献木があったという。

植林されたのは針葉樹や広葉樹ではなく、カシ、シイ、椿など常緑広葉樹の照葉樹。

照葉樹の葉は厚く、燃えにくい。

昭和20(1945)年4月13日の戦時の東京空襲で社殿は焼失したが、明治神宮の杜は照葉樹が多かったため、炎の犠牲になることなく姿を留めることができたのだ。

つづく

(学23期kz)

明治神宮 一の鳥居
初詣

浅草寺の本尊-聖観世音菩薩像-その実像や如何に?

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年12月 トピックス】

(学23期 K.O.)

◆年の瀬も押し迫り、来年の初詣は浅草の浅草寺へと考えている皆さんもおられよう。そこで、浅草寺本尊にまつわる話を一つ紹介したい。

浅草寺は「浅草の観音様」とも呼ばれるごとく、その本尊が観音菩薩像であることは一般にもよく知られているところであろう。ところが、この本尊は“絶対秘仏”として本堂宮殿奥深くの厨子に安置されており、浅草寺の貫首(かんじゅ)(かんじゅ)といえどもその姿を拝したことはない。

観音像の示現と絶対秘仏

 寺伝(浅草寺縁起 14世紀)によると、628年に檜前(ひのくまの)(はま)成(ひのくまのはまなり)(なり)(たけ)成(たけなり)(なり)という漁師の兄弟が隅田川で網にかかった金色に輝く像を持ち帰って村長の土師(はじの)中知(はじのなかとも)(なかとも)に見せると、村長はそれを聖なる観音像だと悟りお堂を創建し祀った、というのが浅草寺の始まりとされる。因みに、この三人は後に浅草神社の祭神として祀られ、毎年5月の三社祭の主役となる。

その後、この仏像は夢の中のお告げにより誰にも見せてはならない絶対秘仏としてお堂の奥深くに安置される。そして857年に比叡山から来山した慈覚大師円仁が秘仏の身代わりとして拝むための御前(おまえ)立(おまえだち)(だち)本尊を彫刻した。この観音像が毎年一度だけ12月13日の御宮殿開扉法要で開帳される御前立本尊とされる。

神仏混淆御改(おんあらため)(おんあらため)の儀

 時代は下って明治維新、それまで古来より神道と仏教を融合して信仰してきた「神仏習合」という宗教体制を改め国家神道を確立するため、明治元年に「神仏分離令」が発せられた。それに伴い、新政府から浅草寺に対して本尊が真に仏像であるかどうか実否を見分するとの達しがなされ、神祇官社寺役の10名ばかりが乗り込んでくるという事態となった。

浅草寺は「絶対」(・・)秘仏である本尊は開帳できないと強く抵抗を見せるが、“新政府の命はこれすなわち勅命である”として浅草寺を屈服させた。そして、明治2年6月14日、浅草寺側数名立会いのもと、役人が封印残らず切り解き、本尊を開帳した。

浅草寺の当時の記録では、この時僧侶たちは絶対秘仏の本尊を畏れ多く直拝できず、ただただ見分が終わるまで平伏していたという。一方の役人側は、当初居丈高にふるまっていたが、見分後は神妙な態度へと変わり「ご尊像は大切に護持なさい」と言葉を残し引き揚げたということである。したがって浅草寺側に本尊そのものに言及する記録は残っていない。また役所側にも公式記録は存在しないようだ。

後日談

昭和8年、一老婦人(見分に参加した役人の娘)が浅草寺の貫首を訪ねてきた。「父が秘仏改めの際に手早く半紙2枚に書き写したものを奉納したい」ということであった。像は素人のスケッチではあるが、木造のようで、両手両足を損じており、焼けた痕跡があったという。高さの記載はないが、俗説で言われていた一寸八分(約5.5センチ)というような寸法でないことは絵を通して想像できたという。その模写像は貫首と執事だけが拝見、桐箱に収め封印して本堂宮殿に奉安したという。

浅草寺本尊にまつわる話は以上のように伝承に始まり歴史に絡んで今日に至っている。本堂にてお賽銭をあげる際には、正面宮殿の扉の中の“御前立本尊”と、さらにその奥深く厨子に安置されているという本尊“聖観世音菩薩像”に少し思いを馳せてみてはどうだろう。  

(学23期 K.O.)

宮殿(公式サイトより)
本堂内陣・宮殿の様子(公式サイトより)

お宅にRoomba(ルンバ)はありませんか?

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年12月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

お宅にRoomba(ルンバ)はありませんか?

・・・廃棄物収集業者のトラック案内ではない。

◆(吾輩(掃除様)は、箒と塵取りである、和室しつらいには、本家本流はこれであると自負している。そして少し時代を進めても昔ながらの掃除機までだ。”ルンバ”と言うような文明の利器はない。)

日本でロボット掃除機と言えば、ルンバとさえ、口にしてしまう時期があった。アメリカの販売に次いで、2002年世界市場の一つとなった日本では7割を超えるシェアを誇っていた時期もある。

 世界市場でみると、嘗ては5割超え、ロボット掃除機の市場を席巻していた。

しかし、今や中国メーカーに追いやられ、世界市場では1割のシェアを維持するのに齷齪している話を耳にした。

地方に在住するものの感覚からすると”ほんまかいな?”

◆そんな中、掃除機ロボット「ルンバ」の開発メーカー米アイロボット社がこの12月14日、連邦破産法11条の適用を申請した。ルンバの製造を委託していた中国OEM企業の傘下に入って再建を目指すことになった。

(小が大を飲み込む。老舗が新参者の軍門に下る。最近の冷徹な資本主義の論理の中では、儘起こりうるケースでもある)

◆昭和・・・(財津和夫さんの日経”私の履歴酒”のなかの”しょうわ”は日本が一番元気だったかもしれない60年代から70年代の博多のライブ喫茶の”照和”で、元気だった日本経済の時代)

昭和から平成へ、80年代半ばから90年代初頭、日本経済はバブルと言う仇花を咲かせた。

その中でビジネスマンに気合を入れたのは、100~180mlの各種栄養ドリンクだ。 

・その昔”24時間戦えますか?”のフレーズもあった栄養ドリンク。

(高市首相の”働いて、働いて、働いて、働いて、働く”内閣のニュースにはこの”24時間戦”が引用されることもある)

・他のメーカー品では 「ガンバルンバ」は、タモリさんが栄養ドリンクのCMで発した「”商品名ルンバ”、ガンバ”ルンバ”!」)のルンバだ。

バーで、スナックで、キャバレーで、華麗に舞い、軽快なステップを踏んだ御仁もいるかもしれない社交ダンス、これも”the昭和”かも知れない。

社交ダンスにはスタンダード系ではワルツやタンゴ、ラテン系ではチャチャチャやルンバとあると言う。

学生時代、開講されていたゼミによっては、カクテルパーティ、ダンスパーティーのそれぞれ年1回高いハードルの夜があった。

バンカラ学生には大層厳しい夜であったことは違いない。

その中で、英語のスペルは違う踊り、ルンバ(runnba)はキューバ発祥の男女の愛の葛藤を表現するダンスと言われている。

「静」のラテンダンスパートナーとの繊細なコミュニケーションとエレガントな動きが重要で、「地面を滑るように」歩き、姿勢を正し、呼吸する感覚で動かすのがポイントとも解説されている。(Wikipediaより)

どちらにも昭和の魂が込められている。そして、会社によってはこの昭和の魂が大切な組織もあっただろう。あのドリンクを飲み続け、頑張った日々、ルンバだけでなく、様々な踊りにステップを踏んだ日々・・・♪♪

◆MITの研究者がふと思いついた床掃除機のアイデアから、アイロボット・開発型の企業が創業する。

新たな市場を生み、成長をする。しかし、革新を続けながら商品価値を高めながら成長していかないと(出来れば成長し続けないと)他社との価格競争に世界にさらされる。

これは、他の商品についても貫徹された論理かも知れない。プロダクトサイクル(「導入期、成長期、成熟期、衰退期」の各段階を経る過程)の波に押しつぶされることすらある。

破産法を申請したアイロボット社の技術責任者は語っている。

「ひょっとすると、中国に技術的なレベルでも4年位遅れを取ってしまったのかもしれない」

この言葉は重い。これは他山の石である。改めて、他山の石を調べてみると

「他山の石 以て玉を 攻むべし」(たざんのいし もってたまを おさむべし)

と読み下すと言う。重いし、深い。

(岡山B)

師走の同期会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年12月 トピックス】

◆新社会人になる前、学生時代の仲間と昔話が弾むのが学生時代の同期会だ。

皆お互いを熟知した懐かしい間柄。

最近では安否確認の意味も、これあり。

◆夕方ではなく、昼の会合。

陽が高いうちに帰途につく。

これが良い。

◆会場はみんなの顔が見える円卓で。

街中の、格安中華屋での同窓会。

今年を締め括り、乾杯!

(経済卒 榎田悦朗)

北帰行・・・札幌、小樽、そして余市へ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年12月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

師走半ば…  この頃になると”干支の形をした容器”に酒を詰めた白磁のbottleが販売される。
これを購入すると、何故か一足早く新年を呼び込む様な気分になる。何かと縁起がいいとも感じられる♪

日本酒に限ったものかと思っていたが、嘗てはウイスキーの世界でもあったようだ。十二支が揃えば尚縁起が良いが、それはとかく難しい…。
(写真のものは自社に保管していたもの+愛飲家の寄贈されたものを収集)

“マッサン”をドラマ化した余市にあるウイスキーメーカー、そのウイスキーミュージアム試飲コースの棚にある写真を紹介しよう。(掲載にあたって、投稿事前了承を戴いている)

そして、90周年を記念して発売された貴重で高価なウイスキーもワンショットで戴ける。
ほんまもんの”ウイスキー通”を自認される御仁には是非!挑んで戴きたい。
人生最高の一杯になるやも知れない…。

遠路であっても足を運んで熱く喉を潤されたい。

但し、ワンショット”一萬円”と来るから、こちらも熱い!(水はもとより氷さえ邪魔だ)

更に特典として、館内では現役のウイスキーのブレンダーが語るインビュービデオがある。 
趣旨はものづくりへの想い、技術伝承の大切さである。
オマケとして、あるベテランブレンダーが紹介するウイスキーに合う食べもの、それは”カツサンド”だと言う。
スモーキーな薫りに間違いなく合う、そして、遭う♪

上さんには内緒で、少し高級なカツサンドをさっそく買いに行こう♪

(岡山B)

札幌

随筆 横目で眺めた経済学 ⑳官庁エコノミスト(続き)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年12月 トピックス】

◆前稿では大御所の官庁エコノミストの話になったが、年次の若い官庁エコノミストはどのようになっているのだろうか。

昭和50年代以降に卒業した、より若い年次では官庁の中で実績を積み、官庁に長い間籍を置いたまま論文や投稿を発表することをせず、研究機関などを経て、早いうちに大学や民間研究所に移ることが多くなった。

これは、一昔前の大らかな時代と違って世知辛い世の中になったため、誤解を受けることなく自由に自分の専門分野の研究活動ができるよう、早めに官庁を卒業し、専門の研究者となることを決め、官庁を卒業したのだ。

(ただ、官庁から旧国立大学への出向の例は多い。同じ国家公務員だったからだ)

◆私の知り合いのH.T氏。彼も大学に移った。

最近よくメディアに登場するが、その彼が本年5月に本を出している。

人口減少下の地方問題に関する本「人口半減ショック―地域の新戦略」(日本経済新聞出版)を出したのだが、彼が編者になって本をまとめている。

この中で、地方は東京のシンクタンクに描かせた希望的な克服策を合言葉にするのではなく、バス・鉄道の廃止、空き家、水道の使用減、定員割れ、医療機関の閉鎖、人手不足などの現実を直視し直して「賢く縮み乗り越える」べきとする。

また、国も過度な財政調整、地方への過度な交付金を再検討しないと地方はいつまで経っても自立しない旨提言しているので紹介する。

(学23期kz)

小樽高商・緑丘会との繫がり

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年12月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

最近東京支部の様々の活発な活動にはただただ頭がさがる。ホームぺージ上でのアクセスによる交流の幅も拡がっていると聞く。

◆自分に関する緑丘会(小樽高商同窓会)との繋がりを少し紹介しよう。

かれこれ40数年前、緑丘会との最初の繋がりを持つ機会があった。就職する事になる会社の東京本社での最終面接だ。

入社してから判る事になるが、文系採用は所謂東京の私大卒が多い会社だった。きっと同じ席で面接を受けていたら少ながらす物怖じしていたかも知れない。

◆国公立、地方大学の為にその日は設定されていたのだろう。

北大2、樽大1+1 、九大1 、そして自分だ。

北大からはテニス部キャプテン、いかにもガッツ溢れる、またアイスホッケー部マネージャー、樽大は柔道部キャプテン(別に一人入社)体格は大柄、おっとりしている。何故か彼と波長があった。九大は院生で研究職希望。それにしても、なんと体育会系!そのもの。

テニス部の北大生を除いて入社式で再会出来た。

当然の結果か、研修期間中も地方体力組は最初から良い意味でも悪い意味でも群れた。各々に都会のスマートさや器用さはなかった。しかし、何処か愛されるキャラであったかも…だ。

当時その会社には緑丘会のメンバーが多く在籍する会社だった。新人研修を担当する講師も約3割方はそうだった。

◆鳳陽会でも嘗ては多くの組織内に”各鳳陽会”があったのだろう。

研修が始まって最初の土曜日には”企業内緑丘会”が開催され、2人にはその会への招集がかかった。

事務系を中心に研修されていた研修部の講師が自分も含め緑丘会の2人と一緒に、その前日の夜会でビールを飲んだ。不慣れな研修に心細さ、藻掻いていたかもしれない自分。

そんな時、研修部における”小ぶりな緑丘会”に鳳陽会員を招いてくれたのだ。(さすが大がかりな企業内緑丘会に来い!とは言われなかった)

採用実績が当時はまだ無かった会社だったので、きっと旧髙商系の田舎者に気を遣ってくれたのだろう。

別枠で入ってきたもう一人(別枠くんと呼ぼう)とは入社以来、北海道と九州と場所は隔てていたが、同じ時期、同じ仕事を担当した。

新人さんのお世話をする指導員研修も同じタイミングで受講した。営業系のもう一人も招集されていた。何せ、ぼんやりした指導員と言う性格…互いに連絡を取りながら拙くそして危うさを残しながらも、その道を3人は探った。

◆数年後、3人はそれぞれ違う道を歩んでいった。緑丘会の一人は中小企業診断士となり北海道に、自分は地元にUターン、別枠くんは本社経理部を中心に、海外、子会社で事務系での研鑽を積み、最後は財務部長(昔の経理部長)になった。株主総会用の報告書の原案を作成する立場だ。

それぞれ別の会社に在籍する事となったが年賀状等で繋がっていた。

◆特に別枠くんとは、自分が東京出張時は何度か四ツ谷で、お茶の水で飲んだ。常に前向きな良い話が聞けた。

しかし、50代半ば…病にあい、今は会う事は叶わない。

彼の家に弔問に伺った。奥さま、ご令嬢、そして猫ちゃんたちが自分を迎えてくれた。

自分が理解していた別枠くんだけではない”別の別枠くんの人となり”も伺う事が出来た。

別枠くんが在命していれば、もう互いに第一線を退いている頃なので、どんな会話に話が弾んだろうか、想像するだけでも愉しい。なかなかの社会世相についても一言居士であった彼…それが叶わぬと言う事が残念だ。

◆緑丘会と鳳陽会はまだ細い糸かも知れないが繋がった。自分の世界で言うと、研修部での4人会は再現出来ないが、緑丘会のお一人お一人と繋がる会があるなら、遠方からだが、足を運びたくなる。

『朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。』

[自分の時代には会社として、個々人に借上げマンションの提供となった。偶々だが、それより前の独身寮入居者の先輩たちは上さんも含め独身寮同窓会と称して、”集まり”を始めている。]