「路地裏の経済学」ならぬ「ドブ板の経営学」も、また楽し!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆セブンイレブンが7/7〜11迄、粋な計らいをしていた。
“金”シリーズの商品を二つセットで買うとドドドッ〜ンと纏めて137円値引き♪

 ちょうど711(セブンイレブン)円になる。

そして、711円のレセブンイレブンシートで別の抽選のキャンペーンもある。
何層にもセブンイレブンの拘りを持ったマーケティングをしています。


多くの鳳陽会同窓の方にもあったかも知れない曾ての朝7時から夜11時の勤務。
そもそも米国のドライブストアー的扱いとして存在していた元祖コンビニから学び、異次元のコンビニに仕上げた鈴木敏文さんは”小売の神様”とまで称された。
お客様と言う視点から商品開発、サービス開発を行なった。

コンビニは流通の一形態からある種の社会的インフラまで昇華した。


◆ここからは個人的な妄想が醸し出す想像のstory♪

金シリーズのハンバーグで言うと最初はコンビニの中では「高価格商品群」—

1.具材でも価格に対する納得感を求めた、牛肉100%の仕様でのハンバーグ。 
鈴木敏夫さんは市場に投入する前には必ず試食をし、自分が納得しない限りは販売を許可しなかったと言う。
だからか?本音の部分、味覚では納得していなかったか?
次には、金シリーズと言う高額商品群の市場が出来たので今度は利益回収に舵を切ったか?

2.牛肉と豚肉のミックスにその答えを求めた。

ネプチューンがMCをするジョブ・チューン番組
プロの料理人が一般大衆向けに販売されている商品をその味、価格、開発のコンセプトも総合的に勘案し、「合格」か「不合格」を判定する番組の中で”洗礼”を受ける

1.では全員「合格」、2.全員「不合格」

まさしく天と地(寧ろ地獄)を見る。

経験則で個人的に想像した世界をプロの料理人は見透かされたかの様に…「不合格」…の判定! 

リベンジとなった先日の番組の中、2.の牛肉と豚肉のミックスは変えないで、3.練り方、ソース、味付けを一から徹底的に見直す。
恰も商品ベースがない段階からの商品開発の様、徹底的な見直し
(これ位しんどい仕事はないだろう、何故なら渾身込めて開発した商品の”全否定”から始め、ある見えない一点「合格」の水準を手繰り寄せなければならない)番組の名の如く、ジョブ・ネプチューンなのだ。

ゼロベースから見直しした商品3.の判定は.今度は再度天地の『天』、「全員合格」♪

◆TVが放映された翌日、金シリーズの棚割6段は4段半まで金シリーズのハンバーグが席、鎮座していた(笑)

販売実績に基づく通常の仕入れ以上に本部が推奨した事は安易に想像出来る。言葉を選ばなければ、押込み販売(笑)

数日間、来訪した時は棚の状況を見た。在庫の山は直ぐには小山になっていない様だ。
本部は後に控えるセブンイレブン のキャンペーンに絡め、在庫報告をさせ(勿論本部でデータチェックをし)、拡販(在庫販売推進)をしているかも知れない。

金シリーズの裏方で展開されているstoryをちょっとだけ想像するだけで、食べるだけの楽しみでなく、売る楽しみを味わえた気になった(笑)

曾て長銀には、調査部を長く担当された竹内宏さんが”路地裏の経済学”と言う領域を作った。パチンコ、居酒屋、ありとあらゆる事が経済学で縦横に語られた。
かなり水準差はあるが、足でかせいだ、ドブ板の経営学擬きで7-11(セブンイレブン)の日を思った。

三人の財界巨人 その11 藤田伝三郎⑩

 山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

◆毛利家からの借金

鉱山経営はカネがかかる。

明治18(1885年)、井上馨候に資金の手当て先を相談すると「毛利の殿様に頼んでみるか」との返事。

井上の頭の中には毛利敬親の世子・元徳公が頭取を務めた第十五国立銀行からではなく、毛利家の個人財産から借り入れる算段があった。

井上候は元徳公が世子定弘の時代に小姓を務めており、毛利公爵家の後見人を自任していた。

井上候の橋渡しによって、毛利家から都合三回にわたり、200万円以上という多額の金銭を借り入れることに相成った。

◆借入れの条件

毛利家では「商人顔負け」の7%前後の利息を取るのは当たり前として、井上候を仲立ちに、資金融通にあたって注文を付ける。

鉱山以外の事業を禁止したのもそのひとつ。

また、伝三郎の収集した美術品の売却のほか、藤田3兄弟の家計に対しても注文を付けた。

小山鉱山で藤田伝三郎から経営権を取り上げ、乗りかかっていた児島湾干拓事業に専心するよう注文を付けた。

このため小山鉱山の方は伝三郎に代わって伝三郎の甥(兄・久原庄三郎の息子)にあたる久原房之介をゆくゆくは経営を任せることを見越して平社員として採用、久原房之介は明治24年小坂鉱山に着任する。

毛利家=井上候のラインは、小山鉱山を閉山する方向で検討していた。

しかし伝三郎は高質な鉱脈の存する小山鉱山を新精錬法により復活させることが可能と見込んでいた。

こうした目利きも伝三郎の優れた能力の一つだ。

このため、農商務省での鉱山行政精通者や優れた採掘知識を有する技術者や東京帝大・採鉱冶金学科卒の若手エリートを多数小山鉱山に集めることも忘れなかった。

これが新精錬法の発見につながり、伝三郎は「鉱山持ち」として復権を果たすことになる。

◆毛利家の懐

幕末にはおおよその大名家のふところは底をつくが、財政改革に成功した薩長などの西南雄藩、特に長州の懐具合は豊かだったようだ。

これは7代・毛利重就の時に始まった長州独自の「撫育制度(特別会計)」を用いた蓄財で、莫大な隠し財産をこしらえていたことによる。

検地などによって新たな財源となった資金は一般会計に入れず、特別会計に繰り入れて運用することで財を積んだのだ。

明治になった時点の撫育金の残高は100万両。

毛利家は、このうち60万両を新政府に納めるが、残り40万両が手元に残り、毛利公爵家の財産となった。

40万両、これを現在価値でみると400億円と試算する向きもあり、明治時代の毛利家は他家に比べ

格段に裕福だった。

(学23期kz)

毛利元徳公

現在92歳の主婦 ・・・66年家計簿に綴る”市井の経済人”

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆日曜朝8時から始まるTBS系の報道番組で紹介された現在92歳の主婦・・・この主婦はただものでない”市井の経済人”だ。

1960年の結婚を契機に、家計簿をつけているという。そして、その綴りが年度を追って、書棚に並んでいる。なんと66年にも及ぶ、一家計のナマナマの生活、物価の動きがその帳簿にある。

◆その方の1986年のある月の食費への支出額。月間8万円。但し、当時は家族5人の家計費なので一人当たり1万6千円。

では、現在は?

子供さんたちはそれぞれ別の家計を築き、老夫婦 二人の生活。支出額は6万円。一人当たり3万円。

つまり、2つの時代の一人当たり支出額を比較すると2倍の支出となっている。

給与水準の引き上げ、見直しはなされてきたが、年金受給生活者のそれはどうであろうか?

書棚に並ぶ家計簿を鳥瞰する主婦感覚としては、この支出の急激な上昇はここ5年間がなせる業。。。とも感じるという。

(今でも記憶に残るのは80年代半ばの就職した勤務先(メーカー)の新卒初任給13万5千円。昨年の大卒初任給平均価格は26万7千円との報道があった。ここ数年の初任給の上昇、他世代のベースアップによる。)

◆さらにこの主婦の凄いところは、当時の買い物をしたレジも残している。

そのレジに基づいて、レシートにある同じ店舗で、同じ品物を購入するという試行ができる。そこで明らかになったのは、食費において3桁の上昇した金額の商品が発見されたものがあった。

白砂糖、グラニュー糖、バナナ、、、勘のいい方ならある共通点に気づかれたかもしれない。

何やら、顕著に価格上昇が発生しているのは輸入関連の商品である傾向が強く出ている。

当時と偶々全く同じだったのは葱(収穫量によって大きく変動するから物価比較指数には不適)、そして嘗ては物価の優等生と言われた、卵、牛乳たりともその優等生たる地位を、とおに卒業してしまっている。

◆現在の円相場は162円前後/1$。円相場としてこの1ドル価値も1986年と2026年とでは状況が一変する。(39年度ぶりの同価格)

1980年代はどんな時代か?日本の各分野の商品が米国市場を席巻した。

一つの象徴として、スクエアービルエリアに掲げられた日本メーカーの看板の数々。

1985年のプラザ合意を受けて、急激な円高方向へ政策が導いた。

1986年の 世界な株式市場における  時価評価額50傑には日本の企業32社がその名を刻んでいる。(日本におけるバブルが膨らみ始めたとき)

2026年は?

2025年の同市場をみても  時価評価高50傑には日本の企業は一社たりとも存在しない。

AI、ITが主流となった企業群、当然米国の名だたる企業のオンパレードだ。

今や、政策等に、そして、恣意的に誘導された結果としての円安ではなくなっている。

日本経済の国際競争力は?

積極的財政支出に対する為替市場への懸念は?

累積化していく国債残高増は?

などの「?」に対する明確な回答ができる日本であるのか「?」

◆上り坂、下り坂。。。夢が膨らむ入り口にいた地点、一方、夢が覚めていく地点に差し掛かってはいないか。。。

番組の中での英語のフレーズには「Japan as No1」。。。「Cheap Japan」。。。とあった。

ただの報道番組の一場面としては見逃せない問題提起であった。

奇しくも7月4日トピックスへの”随筆 横目で眺めた経済学 30 インフレ税 その2”が投稿されていた。

その写真が掲載されていた経済学者は、日銀から一橋、東大と「物価論」に焦点を当てたマクロ経済学者・渡辺務先生が掲載されていた。

いまさらながら、「知る」は大事!


山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿



6月20日大阪支部主催の鳳陽会全国総会に出席した。
何処かのテレビ番組の様、「せっかく大阪に来たんだから。。。」の心で、大阪城付近を散策した。
 大河ドラマ「豊臣兄弟!」も放映されている今だからこそ、大阪城の散策には価値がある。

場内の解説しながら案内してくれる人の内容も充実していて、つい興味を持った。



「知る」 その1~その3


その1 

大阪城への裏門の入口は「極楽橋入口」とある。高野山のケーブル登り口にも極楽橋駅がある。
両者の共通点は、宗派によるが、三途の川を渡り、極楽へと渡る橋を意味している場所だ。
大阪城は石山合戦で有名な浄土真宗の寺院である石山本願寺があった関係でその名が残る。

しかし、ここは注意がいる。 先ず 極楽橋は善人のみが通る橋なのだ。
(秀吉が創建した当時の極楽橋の遺構(唐門)は、滋賀県琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺に移築されていて、現在でもその雄姿を見ることができる )

何らかの意味でふつう、人には罪がありそうだ。幾何かの背理や罪障があるものだ。
軽い罪人は通常の川を自力で泳いで渡る。罪深き人は流れの速い激流が流れる”江深淵”を渡ることになる。今際(いまわ)の際においても、三つのルートが用意されている。
(自分が住んでいる地域には、神伝流という古式の泳法がある。高校の夏の授業でも泳法については、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、横泳ぎ、潜水、そして100m以上の遠泳とあったから、少々の罪深きものでもなんとか泳ぎ切り、渡り切るかもしれない(笑))

その2

今回大阪城を訪問するまで立派な石垣は 大阪城の石垣 。そこに豊臣、徳川と言った主君の違いによる石垣の違いがある(併存して存在)とは認識していなかった。
実は今、我々が目にしているのは徳川時代再建された際の石垣と知った。かの蛸石などの巨石も徳川が各藩に天下普請として課されたそのものなのである。
一方、徳川時代に埋め尽くされた豊臣時代の城関係の埋蔵物、その発掘も進んでいる。
その石垣跡は、石垣館として、大阪城内で豊臣時代の石垣を見ることも出来る。

豊臣時代の石垣は石積の黎明期、その積み方は野面積み。見た目はゴツゴツとしていて荒々しい印象だ。
徳川時代の石垣は石積の技術としては最高峰の時期、「切込接」の加工品。石の表面や接合面を徹底的に四角く削り、隙間が全くないように精密に噛み合わせる高度な手法が使われている。
正面門から入っていくと直ぐ、圧倒的なスケールの巨石(蛸石)が待っている。畳36畳にも及ぶと言われる巨石。学校の教室を一回り小さくしただけのものだから如何に巨大か!
天下普請というから各々の大名たちは石に各藩の「刻印」を刻む。その印の一覧も資料として残っているから各々の藩の管轄や石の所有権を証明するものになっている。

その3

大阪城は周辺まで含め、巨大な公園になっている。しかし、その中には城以外にも重要な二つの施設がある。大阪の人にとっては既知のことかもしれないが、府外の者にとっては発見に近い物件だ。

3-1大阪城内には水道施設として「大手前配水場」がある。市内有数の高台という立地を活かして、自然流下で市街地へ安定的に水を供給する明治28年建設の重要な施設だ。


3-2明治維新以降、大阪城内は旧日本陸軍の軍事拠点(大阪鎮台・のちの陸軍第四師団)として使用されていた。
  昭和天皇の即位記念事業として天守閣の再建と大阪城公園の整備が計画された。しかし、軍用地に天守を建てるとは!と陸軍は許可しなかった。
陸軍との交渉の結果、妥協案として司令部庁舎を市民の力で新築し、陸軍に寄付すること、そして本丸の再建と公園として一部を市民に開放することで許可を得た。
商業の府、大阪は財界にも市民にも財力があった。そして、何より太閤さん難波のシンボルとして、大阪城の再建を望んだ。
今の貨幣価値だと数百億とも言われている金額150万円を寄付で集める。そのうち、軍関係の司令部省庁建設に約80万円を費やしたと言うから如何に豪華な造り、また如何に陸軍が力を持っていたかが伺われる。因みに天守閣の再建には約47万円と言われている。

外見から見た大阪城は5層となる。 その煽りを受けてか その壁は白い壁( 下の4層 )と黒い壁(  最上階 )と上下で分かれている。これも徳川の城作りと豊臣の城作りのハイブリッドのなせる業である。
「最上階(5階)だけが黒い壁に金の装飾という豊臣時代の豪壮絢爛な風合いを残している。

皮肉なことに、旧司令部庁舎は昭和期初期の贅を尽くした洋式建設としてその価を残す。
きわめて高い意匠的・歴史的価値、国の登録有形文化財にも指定されている。
・重厚な大理石の「中央大階段」と半円アーチ
・階段踊り場の「ステンドグラス」と丸窓
・天井の漆喰装飾とアール・デコ風の照明
・旧・貴賓室

今更ながら、「知る」は大事! 11月7日は「知恵の日」。「知恵蔵」が発行された日だと言う。

「知恵蔵(ちえぞう)」とは、1989年に発行された代表的な現代用語事典がある。
政治、経済、国際、サイエンスなど多岐にわたる分野の最新用語や基本用語を分かりやすく解説していた。その主筆者も、内容が充実していたので何度か購入したことがある。
11月7日その日の持つ意味について、 今回の散策で改めて認識した。

お知らせ 「おいでませ山口館」での催事

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

山口のアンテナショップ「おいでませ山口館」で「山口市の選りすぐり名産品フェア」が開催されます。

お時間がある方はいかがでしょうか。
              
1 期間 令和8年7月10日(金)〜7月31日(金)
     10時30分〜19時まで 
2 場所 おいでませ山口館(中央区日本橋2-3-4 日本橋プラザビル1階)
     TEL 03-3231-1863
3 内容 (1)山口の名産品を限定販売
     (2)7月10日(金)、11日(土)は、集中催事を開催

(チラシ参照)

https://houyoukai-tokyo.exp.jp/wp-content/uploads/2026/07/【確定】山口市フェアちらし.pdf

7/5 日曜昼のビアパーティー 大阪からも参加 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

(事務局記)

支部総会にも参加いただいた新会員(新社会人を含む若手)を中心に、東京駅横「KITTE丸の内」のビアホールで乾杯!

◆乾杯の輪の中には、女性の会員も目立った。

東京支部の三姉妹(O・Y・Sトリオ)に加え、大阪からK女史(元テニス部キャプテン)が参加。埼玉でのゴルフの帰りだという。

また、小学5年の時から高杉晋作を尊敬して止まない若手舞台演出家・脚本家のY女史も友情参加してくれた。

◆海外で活躍している男性陣も多く参集。

オーストラリア出張から帰京したばかりのU氏(37期)、経済・医学のダブルメジャーで、外国での学会参加のついでに海外の鳳陽会の仲間探しも兼ねた世界一周の旅から帰国したI氏(50期)、ベトナムで起業し、一時帰国中のY氏(56期)。

◆新会員の皆さんができるイベント、やりたい集いをもらうことにもなりそうだ。

バーベキュー、芋煮会、温泉で一杯。

皆さんができること、やりたいこと・・・これが一番。

事務局も応援します。一緒に走りましょう。

また、勉強会系のイベント・・・例えば、起業セミナー、資産運用セミナーなども企画中です。

三人の財界巨人 その10 藤田伝三郎⑨

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

 

◆衰え知らずの事業意欲

偽札事件で逮捕されるも、事業への意欲は衰え知らず。

従来扱ったことのないような様々な事業に手を広げている。

鉱山業にも進出した。

実はこの鉱山業が藤田組の中核事業のひとつとなっていく。

◆鉱業への進出

伝三郎は明治12(1879)年に福岡県・田川の伊加利炭鉱を買収して鉱業に進出する。

翌13年には愛媛県新居郡の市ノ川鉱山(アンチモニー)に投資し、経営に乗り出した。

アンチモニーは活字を作る合金の材料となる貴重な金属だ。

西洋文明の流入とともに書籍用の印字需要の高まりを見越しての投資だった。

この鉱山は小松藩(愛媛・伊予国の東部、現西条市)が開発した鉱山だが廃藩置県後の明治6年に民間に払い下げられた。

明治政府が民間払い下げを行ったのは、官営企業体は赤字体質で採掘スピードも遅かったため、民営にして開発を促進するためだ。

そこでは鉱域借区を巡り山主と紛争が続いていたという。

こうした調停に入ったのが藤田伝三郎。

伝三郎は間に入って調停を纏め上げるのに才を発揮する。

調停に際しては昔からある種、得意な才能を持ち合わせていたようだ。

ここで伝三郎が採掘業者に資金を貸与し、鉱石の売り捌きだけを引き受けて鉱山を軌道に乗せている。

伝三郎の才ゆえの事業の成功だった。

◆秋田・小坂鉱山

明治17(1884)年に藤田組は明治政府から秋田男鹿郡の小坂鉱山、十輪田鉱山(鉛山)など大小の鉱山も官業払下げを受けた。

こうして「藤田鉱業」は銀の生産で実績を築き、銅の生産で日本一の鉱山に成長する。

これがのちの同和鉱業で、2006年に持ち株会社に移行したのが「DOWAホールディングス」だ。

なお、銅採掘の歴史を遡ると、山口の鉱山にも関係なしとはしない。

8世紀の和同開珎や奈良の大仏鋳造に使われた銅は主として長門国で採掘されたという話がある。

◆事業資金問題

伝三郎が事業の間口を鉱山業まで広げていくと、問題になってくるのが資金の不足であり、そのための資金調達問題が浮上してくる。

藤田組の元気がよかったのはどうやら西南戦争前後まで。

その後は偽札の嫌疑がかかったために軍や官庁からの発注が止まった。

こうなると、鉱山に手を広げるにあたり資金不足問題が本格化してきた。

またこの当時の経済環境をみると、明治23(1890)年には日本初の経済恐慌が起き、明治30年に金本位制が実施されたことに伴う銀価格の下落も銀鉱山の経営を悪化させた要因となった。

藤田組が資金の調達に難があったのは、他の財閥のように自前の金融機関を持っていなかったことも資金不足の問題を深刻化させることになった。

では、どこから資金調達したのか・・・

井上馨候の斡旋で殿様・毛利家から借り入れをしたのだ。

つづく

(学23期kz)

下田に吉田松陰、坂本龍馬の足跡をたずねる

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【20267月 トピックス】

22期 吉澤記

 6月末の梅雨の晴れ間に伊豆半島南端の下田市を訪れた。同地は幕末の開港地として知られているが、何といっても吉田松陰が金子重輔と共に下田湾に停泊中のペリーの艦船(黒船)で密航を企てた事件が有名である。

 松陰は後に獄中で回顧録を記しているため、下田到着の安政元年(1854)3月5日から密航失敗後に捕縛される3月28日までの詳細な記録が残っており、利用した宿や密航を断られて米艦のボートで送り返された上陸地(福浦浜))を示す碑、その後幕吏により拘禁された跡地など、下田の市街地と半周2㎞程の下田湾に沿って廻ると松陰と重輔の行動の過程が臨場感をもって伝わってくる。

 福浦浜に程近い柿崎の弁天島(企ての途中、弁天堂で一夜を明かす)には明治41年の松陰50年祭に建立した松陰七生説の碑(乃木希典大将も匿名で寄付)と金子重輔行状碑が並んで立っているが、印象深いのは弁天島に接する公園の一角にある「踏海の朝像」である。

 像は湾(入り江)の中央部に投錨した黒船を指さす松陰と重輔の姿であるが、日本国の行く末を憂い、国禁を犯す決死の覚悟で海外に密航しようとする若者の決意をよく表している。

 因みに乃木大将は明治43年(殉死の2年前)に両名が密航に失敗して自首を申し出た柿崎村名主の平右衛門宅を訪れ、子孫から家の保存について相談されるなど、松陰の下田での挙行について深い関心を持っていたことがうかがわれる。

 松陰が平右衛門から借用したと伝わる紬太織袷服が柿崎の玉泉寺に保存されているが、このお寺は安政3年(1856)にハリスが米国初代総領事として通訳官のヒュースケンと共に着任した日本最初の総領事館になったことで有名である。下田、ハリスと来れば必ず話題が出るのが幕命でハリスの侍妾として仕えた芸子の「唐人お吉」とその薄幸の生涯である。

 米国領事館の江戸への移転(1859年)に伴いお吉はハリスと別れるが、ハリスの米国帰任の頃(1862年)は芸子に戻った。その後横浜や三島で暮らした後、下田に戻って髪結いや宴席などで糊口をしのぐが生活に困窮した末、51歳で下田の稲生沢川に投身する。

 明治15年に稲生沢川の川岸に3日間投げ捨てられていたお吉の亡がらを引き取り手厚く葬ったのは下田駅に近い宝福寺の竹岡大乗住職である。従い、お吉の墓は今も宝福寺にある。この宝福寺には下田奉行所が置かれていたが、坂本龍馬飛翔の地と言われ本堂横に3m大の龍馬木像がある。

龍馬は土佐藩脱藩の後、勝海舟に出会い神戸から江戸への操船訓練中に時化で下田港に避難していた際、たまたま江戸から上洛する途中の山内容堂も宝福寺に滞在しており、そこに海舟が招かれて龍馬脱藩の罪を解いて身柄を自分に預けるように容堂に願い出た結果、龍馬が自由の身となり幕末に向けて飛躍する歴史の舞台となった。

(参考:吉田松陰下田の史跡とその生涯、宝福寺HP)

随筆 横目で眺めた経済学 30 インフレ税➁

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月トピックス】

◆インフレ税の活用

それでは、インフレ税はどのように活用したらよいか。

G7の中でも異常に高いGDP比の政府債務を削減することも一つの手だ。

放置すると、通貨に対する信認が失われ急速な円安が進むことになりかねない。

情報化社会が加速度的に進展しており、マーケットの動きは秒速で、こうした事態は突発的に生じる可能性があることに十分留意すべきだ。

また、こうした事態が到来しない場合でも、通貨安は輸入インフレを引き起こし、家計の実質所得を引き下げる。

また、通貨に対する信認が損なわれれば日本国債の評価が下がり、リスクプレミアムが上昇すると、国債の格付けはさらに下がる。

こうなれば、社債発行による企業の資金調達金利も上がり、企業の収益が下押しされる。

それでは、インフレ税をどのように活用すべきか。

◆政策の方向性

昨年来、物価高対策で、「手取りを増やす」施策として、ガソリン税の引き下げ、また今回の選挙では各党とも消費税の減税が選挙公約になっていたが、日銀OBで東大の渡辺勉名誉教授によると、モノの値段を抑えるのは方向性が違うと指摘している。

すなわち、現在はインフレ経済になっており、モノの値段を抑える施策や、手取り所得の取り分を増やすような減税ではなく、所得を増やす方向に使うのが本筋だとする。

確かに所得が増えれば、インフレになっても怖くない。

◆インフレ税の使い途

しかし実際、インフレ税をどのようにして所得の引き上げに使えばよいのか。

政策規模はインフレ税の半分ほどが良いのではないか。

すなわち、インフレ税の半分を減税に、しかも非課税の低所得者にも恩恵を与えるためには、本来は巷間言われているように、狙った所得階層に政策効果が及ぶ「給付付き税額控除」が優れているのかもしれない。

(もっとも、「ク・ロ・ヨン」、「トー・ゴー・サン・ピン」といった所得の捕捉は置いておくとしても・・・)

政府債務の削減を削減できるタイミングは、こうした税収が上がる時しかない。

政府債務の削減は、後顧に憂いなく、後に続く若い世代に迷惑が掛からないよう、現役世代で地道に行っておく必要がある。

◆日本人の流儀

最近の内外の状況をみると、「あとは野となれ、山となれ」。

これではいけない。

「立つ鳥 跡を濁さず」

これが、日本人の流儀だったはずだ。

(学23期kz)

渡辺務・東京大学名誉教授

「とも」(お約束の珍道中編)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【20267月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆「とも」

「有朋自遠方来、不亦樂乎」
書き下し文で言うと”朋(とも)遠方(えんぽう)より来(きた)る有(あ)り、亦(また)楽しからずや ”となる。

『論語』の冒頭(学而篇)にある有名な一節だから、同じ学び舎にあって、(同じ勤めにあって)旧来からの付き合いが大切となろう。そして、遠来からの友との交わりを楽しむ姿がそこにある。

◆先般6月20日大阪支部主催の鳳陽会総会、その後の懇親会は将にそれに相応しいひと時であった。

来賓の古賀学部長のご挨拶は、従来にも増して旧高商系の学なびの系譜を大切にすると言う一つの決意表明でもあったようにも感じられる。また学長、霜仁会、常盤工業会等からのご来賓も戴き、山大の連携を深めるものであった。

総会は、現在置かれている鳳陽会を取り巻く環境の厳しさを数字で、言葉で語り、そして、それを憂慮する鳳陽会同窓各位。
少し歳は老いても、若き血潮の漲る先輩方々、今後とも存続繁栄を願う、そのこころ意気からの質疑は、熱のこもったものとなった。

◆懇親会に移ると商都なにわの雰囲気が炸裂した賑やかな懇親となった。当初の席はある程度卒業期毎のテーブルの集まりであった。
少し時間が経ち、場が和むと、期を超えて、クラブでの先輩後輩、支部を超えての支部間の交流、企業の中での先輩後輩が久しぶりの再会を喜ぶ。
また今の時代、卒業期は大きく違ってもSNS等を通じての知り合い同士の初の面談、歓談の姿もある。

各所で名刺交換も行われる。人の新たなネットワークが出来る貴重な機会である。

人生を豊かに出来るかもしれない、こんな貴重な機会を生かさない手はない。

人の交流の輪が、渦が各所で見られる。良い交流の機会であった。
(是を楽しむものは一層楽しむなり、それなりに楽しむものはそれなり楽し。
せっかく参加したんだから大いに楽しもうが肝!)



◆「とも」その1の場面   せっかく大阪に来たんだから・・・

総会前日入りし、入試の宿泊先加藤旅館以来付き合いのある大阪市岡高出身の理学部の友、同郷の経済学部の友、三人会。居酒屋で一献重ねながらの昼食会、場所を移しながらで軽く”8時間”。

コロナ前に開催して以来なので、かれこれ5年ほど経つかもしれない。しかし、大阪の二人は除いて、久しぶりに来阪した一人を入れても、上手く回る三人会だから面白い。(ここは敢えて、お・も・ろ・いと言ったほうが良いかも知れない)

三人とも第一線は退いたと言え、まだまだ気持ち、行動は現役時代そのもの。
一人は週何コマと高校の授業を持ち、そして、クラブ活動にも助っ人としてかなりの時間をかけ、情熱を持ち続けているもの、一人は就職アドバイザーとして大学で高校で、そして外国人との交流事業、市民問題にも行動力と情熱を持ち続けるもの、最後は山奥に日々入り、仕事と言うよりは健康管理の一環として山に登り続けるもの。

三者三様でありながら、二十歳前に学都山口で時を共有、そして学生時代から場面場面で時間を過ごしている。
社会人として、過ごした世界は全く違う三者。
ある一人の声を拾えば、”久しぶりに会ってはいるんだが、そんなに期間をおいて会っているような感じは無いね”と。

問わず語りでも時は有意に流れる。

今の学生気質、可能性がいっぱいある話。学生の進路を考えるうえで如何にアドバイスをしたら良いか?クラブ活動の危機に如何に取組むか?
外国の人に如何に日本を理解してもらったら良いか?日本文化の素晴らしさ。海外での勤務、旅行先での逸話・・・ 
腹を抱え、涙が流れそうになるくらい笑ったり、時には互いの言葉に自らの思索を深めたり。

場を移していくと、より深い話に。かなりセンシティブな価値観、歴史観まで胸襟を開いて素の自分で語り合える三人会は良い。
三者三様の立場、育ちの違いからユニークな意見交換が出来る。

これは、先に書いた”二十歳前に学都山口で時を共有、そして学生時代から場面場面で時間を過ごしている”この不断の交流のなせる業かも知れない。

  ゲーテは「もっと光を(Mehr Licht!)」と言った。

 もじって、もっと交わりを  Mehr Begegnungen! (メーア・ベゲグヌンゲン) 
 ⇒AIさんに応援してもらいました。
(蛇足 80年代クラス単位 ドイツ語は新田先生 この方は如何にも厳密、堅物のような第一印象、フランス語は平井先生。ちょっと優男の良い感じ♪
 第二外国語は少し楽しようと 楽勝パターンと言われていた 中国語 、 小川先生、陳先生を狙って選んだら、ある罠が・・・
 結局、人より長い期間中国語とお付き合いすることとなった・・・ 楽勝だったはずが、「落単」→「落胆」となったのは後の祭り。。。)



◆「とも」その2の場面   長~いぃ、長~い夜も、あっという間。。。

総会当日は支部総会にオブザーバー参加から始まり、総会、懇親会、 総会二次会を経て、その後に控えし”ゼミ同期との数次に渡る宴会”。
(もしくは正確を期すと延会)
小腹を膨らませて始まり、締めは同期の行きつけの店「えん」というお店、名前まで同期の友情に相応しい店で大盛り上がり(笑)
宿に着く頃はかぼちゃの馬車の締切時間が近い。 
長~いぃ、長〜い、とは言っても友情の深さから言うとあっと言う間。。。気が付けば10:30~23:30。。。時間を共にした4人組(笑)

二次会以降は、前もってお願いしていた在阪の同期が全てを仕切ってくれる。時間、行く店、食べるもの、歌うもの。久方ぶりのご接待を受ける立場。
(ただし、親しき中にも礼儀あり、一応準備はしてくれていた(事前に大金を金融機関から下ろしてきてくれていた)がお財布まで全てご馳走になるような輩は一切なし。皆で楽しむ分、皆の財布から個々に資金提供(笑))
今回集まったのは同期ゼミ4人。優等生というのは別にいたとすると、優等生ばかりではない4人組、それでも実社会に出るとそれぞれの司・司で活躍してきているから不思議であったり、可笑しかったり。

第二外国語で中国語を専攻した関係か、先ずは中華料理屋。中国の大河の名がついた「揚子江ラーメン」を食した。何とも言えぬ癖のない旨さ、濁りのない汁。麺も細麺で旨い。今回の為ではないだろうが、是非同期に食してもらいたいと雨の中をタクシー移動したのちについた店。
既に懇親会、その二次会と話は尽きないくらい話しているが、もう一軒お奨めのスナックに連れていきたいと言う。大層きれいなママさんが歌を歌ってくれる、そのママさんの歌がまた良いのだと。今も勤務している職場にも近い店で、かなりの常連、開店前でもママさんに連絡を入れ、店を開けてもらおうとしてくれた。
入るとお馴染みの歓迎の体だ。カウンターの一番奥の席が定席なのか、そこに陣取る在阪の同期。学生時代より宴会部の成績順の並びの様、奥へ奥へそれぞれの席の並びが自然とできるところがまた良い。キープしているボトルが火付け薬だが、各自が大人として、上品に既にカウンターで楽しでいる。
期待のママの唄、色っぽい女を、可愛い10代の女も演じ、我々お客を楽しませる。持て男だった輩たちはママさん、店の女の子ともデュエットもする。
営業の修羅場を巧みに生き抜いた同期の一人は、ママさんから常連さんでも知らない情報をすらっと仕入れていた。やはり、情報戦を生き抜いてきた術なのか、あまりに巧み、そして当たり前のことのようにいとも簡単に。(笑)
翌日は元勤務先の同期会のゴルフコンペがあると言う在阪の二次会以降の幹事。この場に及んでは抜けるに抜けれない立場に(笑)
朝5時からゴルフコンペ仲間を車に乗せていく約束をしているそうだ。かぼちゃのタクシーで取り敢えず、同期三人をホテルまで送り届ける。
明日までの時間を確保するためか、遠路にある彼の自宅、 割増料金を刻むタクシーをメーターに熱い視線を送りながら帰路についたことだろう。
ありがとう! 在阪の同期くん! ほんとに ありがとう!


◆「とも」その3の場面   卒業旅行以来の少数有志による 成り行き任せのゼミ旅行

総会翌日は前もって計画していたゼミ同期(人数は小なれど…)との卒業以来のゼミ旅行に。
明日香を1日自転車で駆け巡りました。
飛鳥地方特有の”飛鳥の風”に吹かれ、心地良い1日を過ごしました。
ここもほぼ12時間…今朝気付いてみると、明らかに日焼けしています(笑)。


「とも」その2の場面より、一名減。少数精鋭と言えば少数精鋭だが3人旅に、あまりに寂しい。
(80年代半ばの北陸方面への卒業ゼミ旅行は、事前に旅行委員なども選定し、恩師も入れて17人の旅だった)

当初計画では奈良でゆっくり古跡巡り、そして今話題の旧奈良監獄所見学を考えていた。参加者の一人より明日香の石舞台を是非見たいとのご要望。それではと大人の解決方法で、少し朝早く起きて列車に乗って、三場所制覇を考えていた。
しかし、旅にはトラブル、ちょっとした事故はつきものだ。朝早く出発に合わせ、食事時間も前倒し、早めに宿を出る計画に少し狂いが生じた。こんなこととて、笑いに代えて、笑顔で次の変化に対応できる仲間がいい。

乗りなれない関西の私鉄、乗り換えを少なくする予定だったのを、少しでも先を先をと、きっと地元の人しかしない乗り継ぎ作戦に変更。
駅によっては、乗り継ぎの為に駅のホームをかなり歩かないといけないケースもあったがその頃までは皆健脚。次々に乗り換え。

飛鳥駅に着いた頃には、結構旅行した感がある(笑)。

駅前のレンタサイクルを利用しようと言うことになった。レンタル自転車が自分で漕ぐ自転車と電動アシストの自転車があることの紹介があった。直ぐに値段を聞いて判断をしたのは、大手金融界に就職したゼミ幹の彼だ。
「一日900円と一日1500円ですよ」
エコノミストの彼は「自分で漕ぐ自転車でお願いします」。即断と即決だ。生き馬の目を抜くような修羅場を歩んできた彼だからできる判断。
後は従うのみ。
しかし、罠はその先にあった。平地を漕いでいるときは少し風もあって、気持ち良い。これは束の間の時だった。明日香は意外と高低差のある場所に観光名所が散在する土地。立ちこぎをしてしっかりペダルに力を伝え続けないと坂、丘・・・この額の汗とかなりの疲労が無ければ、越えれないのだ。。。

さっそく、「失敗したなぁ。。。自転車の選択,,,」の声が漏れ聞こえる。山登りをしている一人は何とかなりそうな風だが、額には汗している。
学生時代の様に、平川周りを、湯田温泉から山口へ、そして遠路足を延ばした輩は宮野までの比較的平地を漕ぐとは明らかに違っていたのだ。
チョイス・ミス。。。大失敗!(笑)

亀石を、石舞台古墳を、飛鳥寺を、天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵 を、 高松塚古墳、その壁画館(埋蔵されていた複製画が展示、盗掘された 古墳の 実物大の盗掘入り口展示)。
そして最後にキトラ古墳をとも声が上がったが、 もう既に  初老の三人には行く気はあっても”ペダルを漕ぐ元気がない”(笑)

そんな中でも石舞台古墳を案内してくださったボランティアさんには大変お世話になった。当初4人位がお付き合いで聞いている感じがだんだんその案内を聞く人が増え、最終的には20人ぐらいの団体になった。滋賀から当日ボランティアで案内をされている方であった。
団体の案内をしたのちも歴史好きの同期はそのボランティアを話で捕まえて離さない。(笑)

よっぽどその案内がツボにはまったのか石舞台となって今の現状だけでなく「古墳として存在していた古の原型としての石舞台まで見える」と言う。彼にしかわからない事だが、ボランティアの方は大変喜んでくださった。最後には特別に名刺まで戴いた。
(歴史好きの彼は、同期の我々仲間にゼミ旅行の感想を述べる前に、 きっと  ボランティアの彼と熱い歴史に関するメールのやりとりをしそうである)

ある休憩所で、小腹を膨らませるために用意していたおにぎりを食んでいたら、ボランティアの彼も休憩に偶然その場に来た。
当然のように我々が食んでいたおにぎりの残りを差し出し、一緒に時を過ごすには何ら違和感はない。山口から広島から岡山から、それぞれ違うところからきているのに仲がいい、謎の三人衆の謎、最後の解説は歴史好きの彼がきっと種明かしをしてくれたと思う。

この辺りまでくると明日香だけで心も体も、そして疲労感も満杯となる。当初計画した奈良行きの予定は行程から外した。明日香村・・・少し難儀した自転車漕ぎも含め、嗚呼、何と楽しい、そして有意義な石舞台古墳ゼミ旅行であったことか!

また次の機会に計画されるであろうゼミ旅行は、今回の三人衆の珍道中の反省、轍も踏まえ、計画を練ろう。
そして、この珍道中は今回偶々不参となった同期にも様子を伝え、次回はより多くの参加者の喜びに変えよう。