第7回ヒロシマの高校生が描いた「原爆の絵」展in有楽町

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】


◆今日(8月16日(土))の東京は最高気温が32℃と少し下がったとはいえ、連日の暑さです。
こうした中、母校の広島市立基町高校の創造表現コースの生徒及び卒業生が被爆者の体験を直接聞き取り、絵画として描いた「原爆の絵」展(8月10日~16日)に5年連続で行って来ました。

◆最終日の11:35に到着し、事務局長の大越貴之さんにご挨拶しましたが、昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞を追い風に今年は戦後80年の年の開催で特別な思いもあるようです。
1時間20分かけて約35点のパネル展示他を鑑賞しました。
描いた場面の説明、描いた高校生のコメント、被爆体験証言者のコメントもあり、素晴らしい催しでした。
今回、特別企画として小説「黒い雨」…特別講演会、原爆にまつわる絵本の朗読会や紙芝居の上演等もありました。

◆この日は日本時間の早朝からアラスカで、プーチン大統領とトランプ大統領の米ロ首脳会談があり、行方が気になる中での参加となりました。


追記)
私事ですが、今回は怪我に加え、体調を崩し病院通いの日々で、到底無理と諦めていましたが、母校の「継続は力なり。」との教えを思い出し、最終日に何とか辿り着きました。

(参考)「原爆の絵」展in有楽町

2025年8月10日(日)~16日(土)
11:00~18:00
東京交通会館地下1階ギャラリー「エメラルドルーム」及び「シルバーサロンC」
(東京都千代田区有楽町2-10-1)
【協力金(入場料)500円】(税込、中学生以上)*小学生以下及び障がい者は無料
【主催】井伏鱒二先生生誕125周年記念「黒い雨」プロジェクト実行委員会

(学22期 Y・Y)
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「経済白書」よもやま話 その②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆そもそも白書とは何か?

改めて確認すると意外なことを知った。

英国議会では内閣が議会に提出する公式報告書を「white paper」白い表紙を使用していたから「白書」、それを真似た日本の「白書」も次のものから始まる。

(現在使われている英国で使われている「white paper」は政策建白書的な意味があるという)

通称官庁発刊の「白書類」は白書、白書と言われているから、白だと決めつけてはいけない。外務省が発行するもの「外交青書(白書)」となっている。

これは、英国での外交官の報告を「blue book」と呼んでいた流れを汲み、青い表紙である。

◆1947年、戦後から2年経過した中で「経済実相報告書」なるものが発刊されている。白書の原型、つまり初の経済白書だ。その副題は「財政も企業も家庭も赤字」と名付けられていたという。

この主筆者は都留重人であった。あの70年代から80年代の定番の経済学の教科書「サミュエルソン 経済学」の翻訳者。経済安定本部に籍を置いていた。

戦後80年が2025年、経済白書は2027年には傘寿を迎えることになる。

願わくば、2027年には政府刊行物だけなく、豪華論客で紙面をまとめたエコノミストの、そして週刊東洋経済の”特集号としての「経済白書」”を読みたいと願うのは筆者だけだろうか?

◆しかし、出版業界は厳しい。学生時代、経済セミナーと言う”月刊誌”があった。

この経済セミナーの中から生まれた経済学の教科書の名著も多い。しかし、今二カ月に一回の発刊となり、ここから教科書が生まれる可能性は低くなっている。同じように法律セミナーと言う”月刊誌”もあった。これは2025年3月までは月刊誌であったが、2025年度になって、経済セミナー同様二カ月に一回の発刊になっている。(経済セミナーは早い段階からその流れ...)

◆最後に白書の意味について、平成2年(1990年)の坂本内閣官房長官の言葉(国会答弁)がある。その言葉は重い。 

言葉の中にある国民の皆さんには「御批判を願う、そして御協力をいただく」と。

「白書というものは中央官庁の編集する政府刊行物である、そしてその内容は政治、経済、社会の実態及び政府の施策の現状について国民に周知させることを主眼とするものである、こういうことであります。だから、国民の皆さん

に現実の政治あるいは行政の動きをよくお知りをいただいて、そして御批判を願う、そして御協力をいただく、それが私は眼目だろうと思います。」

(岡山B)

「経済白書」よもやま話 その①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆経済学徒にとって今も昔も変わらない重要白書は「経済白書」であろう。

ちょうど夏休みの間に発刊されることが多い。政府刊行物として、書籍に纏まった形での提供。そして今では担当官庁の所管のホームページを覗くと、「白書類」と言ったフォルダーが準備されていて、自由に閲覧することが出来る。(今はなんと無料で「白書」にアクセスできる!)

40年位前は、政府刊行物とは別に、少し時期をずらして、毎日新聞社から「エコノミスト 経済白書特集号(**年度版)」、また、週刊東洋経済からは「解説経済白書(**年度版)と二社からその特集号が発刊されていた。

◆大学正面門前にあった文栄堂で、あるいは道場門前の文栄堂本店で、先ずは立ち読み、その年の経済白書に関し、経済学者、エコノミスト、官界エコノミストの解説者の顔ぶれ、解説、そして、力点を置いている論点を概略掴み、どちらの特集号を買うかを決めていた。また、キーワードになる用語を整理している項目も大切な項目である。(経済学を学ぶ者にとって、テクニカルタームと言われるその世界独特で、かつきっちり覚えておいたほうが良い語彙)

勿論、その両者は政府刊行物よりは安価で、そして微妙な価格差もあったと記憶している。貧乏学生でも、その価格差が購入選択の基準ではなかった。

(互いに1000円未満の特集号)

◆当時は本屋で紙袋に入れてもらった白書、自転車で下宿先に帰宅、開封。

各章、各節に題目として散りばめられているキーワードは何か?少しワクワク感があった。その副題にも…今も変わらないが、当時も経済学の教科書をしっかり読むとか、経済の古典を読むほどの学生ではなかった。実態の経済はどのように動いているのか、どのような観点が重要視されているのかには強い興味があった記憶がある。

読み始めたのは、恐らく専門に進級して、学部の二年生の頃からだろう。

◆社会人になっても、経理や管理部門と担当していた頃は特集号を読んでいた。転勤に伴う何回かの転居のうち、かつての特集号は殆どの手元からは散逸してしまった。

きっとその中には線引きが施されていたり、赤鉛筆で落書きに近い内容も残っていたかもしれない。若い頃の思索の足取りが辿れるとしたら、何と貴重なものを失ってしまったか・・・

(岡山B)

戦後80年 「語り継ぐ 私の戦争体験」を読む

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

◆岡山県北のある市が編纂した「語り継ぐ 私の戦争体験」、というものがネットに出ていました。戦後2014年発刊ですので、今から11年前の話です。

兵士として出兵された方々が語られた「私の戦争体験」が主要なもの。その中で異色のものとして、親と家族の手紙のやりとりを通して、子供から見た「私の戦争体験」が記載されています。

それは、たまたま高校の物理の先生自らのご幼少の頃について、語り継がれていたものでした。(編集当時79歳)

◆お父様は旧広島高工出身で中国電力の技師、広島に転勤されてからに召集されています。

先生は、終戦時は10歳。お父様と奥様の他、お家の人との葉書、手紙のやりとりで、自宅に保管されている。それらから文字起こしされ、投稿されています。

記載されている文面からは、当時のお父様の声が聞こえてきます。

(8歳ぐらいから10歳ぐらいまで、戦地と自宅とでやり取りされた葉書、手紙)

子供の怪我の様子、家での行事、子供の家での勉強のこと、また、親戚のこと等様々な心配、いや心配りに満ちた内容です。また、時には、幼い子供の為に、末筆にはカタカナのみで書いたりされているので、如何に子煩悩であったか、その姿が偲ばれます。

当時のご時世として、郵便物に関して、軍の検閲も想定されるご時世。

人名を使って派遣される地域を伝えるために、夫婦の間でだけ分かり合えるちょっとした暗号帳のようなものも残っています。

(例えば、東京=森君、神戸=水島君、山口=上田君とかの様)

また、葉書の各行、五月雨で”段落ちに文字を拾う”と本当は伝えたいのだけど検閲に引っかかるような情報も”段落ちに文字を拾う”夫婦間二人だけには通じ合う文字が拾えます。きっとそれを読み取るに奥様が使用したと思われる赤〇をされた文字。

戦地に赴く前に約束(”通信要領”)を作り、それを拾うと心が通じあえるようにされています。

19年11月以降は戦況の厳しさに伴い、航空郵便は途絶え、送金する際の通信欄が唯一の連絡のやりとりになっていきます。

◆戦死公報によると、お父様の最後はフィリピンの本部詰めで勤務されていて、そこで戦死をされています。その年月日は”昭和20年7月”になっています。

戦後、無事の復員を願いつつ過ごされた月日、昭和23年1月になって戦死公報が届きます。戦後いろいろな混乱が続いていたことでしょう。

県からは紙切れ一枚、岡山県民生部長発のもので、哀悼の言葉(1月16日付)は尽くされたものですが、日付、宛名のみ追加で手書きされたもの。戦死通知は別の木箱。

戦死の公報伝達(1月20日付)については津山市長の”職務権限”で戦死に伴う戸籍の抹消処理がなされることを記されています。また両者ともあくまで”事務的なもの”です。

戦後になって、奥様はご自身で軍での同僚だった人を探しあて、一人で夫の消息調査を進められています。

本部詰め士官11人の中で、生き残ったのは2人。その一人の話では昭和20年には本部が壊滅した時の状況、事実を突き詰めています。

◆戦後80年ではすでに集めることの出来なくなっている「語り継ぐ 私の戦争体験」がその中にはありました。

高校時代、その物理の先生は大変苦学されて大学を卒業され、教師になられた話、それは生徒間では言い伝えられていました。その苦学の謎が解けた50年後の8月。

先生は出身大学で物理学を、そして晩年は出身地の最寄りの大学、高専で物理を教え続けられました。

追記:

2024年のノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞されました。

「語り継ぐ」ことの難しさに直面されています。

一方、多くの学徒が戦陣に散りました。1947年の「はるかなる山河」に続き、1949年には「きけ わだつみの声」が発刊されています。その中には、我々の先輩の山口高商関係者の投稿もあります。

(小樽商大では毎年8月15日、学徒出陣などで亡くなられた学生たちを追悼する慰霊祭が行われています)

(岡山B)

投稿「なくなって寂しいもの」に関連して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

37期の上野さんの投稿「なくなって寂しいもの」に関連して

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆90年代の地方の工場における情報系のネットワークの進展の軌跡について記載してみよう。

世間では、Windows95に沸き返った1995年があった。テレビのニュースではそのソフトの発売に併せ、徹夜組、また長蛇の列が出来た。そして、やっと手に入れたWindows95でも、用心しないと帰路の途中に盗難にあってしまうかもしれないほどの過熱ぶりであった。

地方の工場に仕事の中にWindows95が導入してされてきたのは確か96年だったと記憶する。

◆本社のオーナー社長は若い頃システム管理室の室長の経験も積んだ方だったから、コンピューターに関する敷居は低かった。既に基幹系のシステムは国内の「H社」のものでしっかり動いていた。そして、その後、会社の中では、生産統合システムと大きなプロジェ

クトを組み、中小企業の製造メーカーとしては、注目される内容のものとなった。

「H社」のシステムPRのような小冊子には、企業名は伏せられていたが紹介された。

ある意味、新たな情報系のネットワークを導入するには環境は整っていた。

◆しかし、地方の工場でどのように推進するのか?誰がキーマンとなって、みんなに普及していくのか、この辺は時の流れに任せるようなあいまいな状態だったような記憶がある。

当時の自分は工場総務で比較的若手でもあった。何とはなしに自分が少し勉強して、その役割を果たさないといけないかな?とぼんやりした感想を持っていたことは事実であろう。

そこで地元の商業学校で、夜学で無料でやっていた「Windows95入門」と言うような講座を自主的に受けてみた。その席には地元のケーブルテレビでネットワーク構築をするような人も参加しているような状況であった。つまり、地方では、まだまだ誰もがヨチヨチ歩きであった。

その講習が終わって、数カ月した頃だったと思うが、工場総務の人間に情報系のネットワークを広めるような役回りが振られてきた。

先ずは、四の五の言ったって、始まらない。コンピューターといえども通常の業務をコンピューターに業務を置き換える(置換)ことで成り立っているのではないか?と言った実感があった。

そこで、如何にも今の業務がどのような部分が、コンピューターの業務になるのかを対比することから始めた。

◆最たるものが『メール』(電子郵便)と言った仕組みだ。

郵便:

①紙と封筒の準備

②手書きの文字書きによる文書作成

③封筒へのあて名書きをして、切手を貼る

④郵便ポストまで赴いて、封書の投函となる。

大まかにはこれが今まで事務所の中で行われていた事であろう。

その後郵便物は赤いポストを中心として郵便局内での大まかには次の流れになろう。

⑤郵便ポストから郵便局員による集荷⑥局内での郵便番号ごとに郵便配送の振り分け⑦配達局での配達順による並び替え⑧オートバイにより郵便配達員さんが各お宅へ郵便物のお届けとなる。

もう、既にメールに慣れきってしまった皆さんなら、何をまどろっこしい説明なのか!

この実感が情報系のネットワーク凄さである。

パソコンに向かい、宛先をクリックして、件名を入力、敬称も時候の挨拶もすべてすっ飛びとなる。用件を書きこみ、送信ボタンとクリックすると相手のパソコンの受信トレーまで”電子郵便”は届いてしまうのだ。 

 

◆80年代半ばに社会人になってから、10年!

 劇的変化は突然やってきた!

上記のような流れをレジメの左右に並べ、説明の時もアナログとデジタルを具体的にテーブルの前に並べて先ずは皆で感じてもらう。

 

アナログ ➡ 紙と封筒 郵便切手 おもちゃの赤ポスト

デジタル ➡ 2台のパソコンを持ち込み”電子郵便”を送ってみる、返信してみる、送受信が成り立つ

文字通り、「習うより、慣れろ!」の勢いで社内には急速に普及していった。

◆「やぎさんゆうびん」(作詞:まどみちお)の童謡の歌詞をみてみよう。

 1 白やぎさんからお手紙着いた
   黒やぎさんたら読まずに食べた
   仕方がないのでお手紙書いた
   さっきの手紙のご用事なあに

 2 黒やぎさんからお手紙着いた
   白やぎさんたら読まずに食べた
   仕方がないのでお手紙書いた
   さっきの手紙のご用事なあに

こうした世界も生まれなくなる。

我々は便利さと時間と効率性を得たかもしれない。一方、その代わりに失ったものを自問自答してみると哲学的な問題になるかもしれない。

◆2024年1月に郵便はがき、郵便封書に関する料金が大幅に改定された。

ある部分儀礼的であったかもしれない年賀状の交換といった文化。

それさえ、30年の年月の間に、情報系のネットワークは打ち壊していった。 

(岡山B)

随筆 横目で眺めた経済学 ⑬財政支出の現場

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

財政支出・・・どのような分野に、どれだけの金額を、どのタイミングで支出するか。これが難しい。

一般論でいえば次の通り。

◆支出のタイミング

どこにどのように支出するかは議会、すなわち国会で審議され、決定される。

緊急に支出すべきであっても、こうした手続きが終えるまでは支出の執行ができない。

また、逆に国会の審議を経た時点では経済状況が好転し、その時点で支出を行えば景気を過熱させるということにもなりかねない。

このように、減税にしろ、歳出増にしろ、財政政策は執行までに時間がかかり、この点、金融政策とは効果出現までのプロセスに時間がかかるというデメリットがある。

また、ダムや道路などの大きなプロジェクトは、完成した時点で需要予測との齟齬が往々にして問題になる。

プロジェクトでは完成までに意欲的で楽観的な見積もりがなされがちだからだ。

ダムの場合にはムダな支出となり、山の中に「県道」を作ったはいいが、犬しか通らない「犬道」となったという笑い話もある。

◆歳出分野(生産性の向上につながるのか)

もちろん事前には予算当局が予算を厳しく査定するが、しかし結果的にそれが果たして望ましい効果をもたらすのかという問題もある。

予算は我が国の成長力を高め、世界でリードできるような政治的経済的なパワーの強化につながる分野に使われるべきだ。

果たしてこうした分野に効果的に使われるのか、疑問なしとしない。

困るのは財政支出が弱体化した旧来型の産業の保護・延命に向かいがちなことだ。

こうした産業は生産性が低く、こうした産業に資金が回れば日本の生産性は向上していかない。

1990年以降の失われた30年間に、予算は1.8倍になったが、潜在成長率は3.7%から0.3%になったとされる。

経済学的な観点から理想を言えば、「倒産に瀕した企業は退出し、生産性の高い企業が参入」すれば社会全体として生産性が向上していくが、現実はそうはいかない。

政治的なファクターが入り込むからだ。

◆交付金の中長期的な効果

日本全国で、歳入の弱い自地方交付税交付税交付金を交付すれば、日本国オールで均質な成長がもたらされるのか。

短期的にはそれでよいかもしれないが、中長期的に賢い使い方になるとは限らない。

むしろ逆効果になっている。

毎年補助金を得ているところでは、歳入の項目に補助金を前もって計上する。

毎年、当て込んでいるわけだ。

しかし、補助金に頼らず、財政が好転したところには交付税・補助金は来ない。

努力したところには来ず、努力を怠っているところには毎年補助金が付く。

しかも県別にみると一人当たり地方税+地方交付税は一部、東北や四国の件で東京を上回っており、国による過剰な財政調整が行われており、これでは地方が自助努力を怠るのは当たり前だ。

均衡ある国土発展という美名に名を借りた、過剰な財政調整・予算配分は既得権益化しており、これを断ち切るのは容易ではない。

◆補正予算

もう一つ、緊急避難的に予算が膨れる場合がある。

補正予算だ。

予算の費目に挙がる項目は時のキーワード。

「緊急対策」という名目で年度末の財政出動が行われることが往々にしてある。

緊急対策という形での補正予算。IT、脱デフレ、地方創生、脱炭素、再生エネルギー、コロナ緊急対策・・・

こうした名目で緊急的に補正予算が組まれる。

最近では7月の参議院選で各党が主張した消費税減税、一律2万円の給付金、ガソリン税の旧暫定税率の廃止、また、米国との交渉によっては、コメの輸入拡大に伴い影響が出る農家への支援なども補正予算での対応になる。

バラマキにしないため、財政支出は原則B/C(ベネフィット/コスト)が1以上望ましいが、「緊急」の場合、査定が粗くなりがちだ。

また、年度末の時期の予算消化は時として、予算消化のための残業が発生することもある。

使い残しをすれば、次年度は予算が付かないことを恐れるからだ。

「緊急事態」への対応としての補正予算の乱発は、財政赤字が拡大する大きな要因となっている。

(学23期kz)

新しい朝が来た、希望の朝だ! 柵原から美祢にバトンを

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆毎朝、6時30分になるとラジオから聞こえてくる。 

新〜しい朝が来た!希望〜の朝だ!

ラジオ体操の巡回だ。

8月8日の末広がりの日には、岡山県の中央山間地に位置する美咲町立柵原学園(平成の大合併から20年記念事業の一つ)を会場にラジオ体操が開催された。

(人口減少に伴い小学校の集約と中学校を、一体化した9年計画で義務教育をする学園)

子供会が主催で行われていた町内の夏のラジオ体操も懐かしい。

また、柵原の名前に柵原鉱山の名前が想起される方が居たら嬉しい限りだ。(かつては、日本を代表とする硫化鉄鉱の鉱山。片上鉄道、病院経営等々の旧柵原町のインフラを一企業が担っていた)

◆6時30分前の「30分」! 

ラジオの舞台裏では、大切な時間だ。

“前説”と言われる放送への準備の時間の時間だからだ。

伴奏をする生のピアニスト、体操の指導員。この二人の主客以外に、放送局のスタッフ、実施主体である美咲町のスタッフは大変だ。また、地域の婦人会も赤い前掛けで助っ人となる。

ラジオ放送開始と同時の大きな拍手、冒頭の参加者の声としての「おはようございます」の挨拶の発声練習、第一体操の8番目の体操(腕を上下に伸ばす運動)にあわせては、「いち!・に!・さん!」の掛け声をみんなで元気よく。

第一体操は小中学校の体育で叩き込まれてきるから、どれだけ体になじんだものか!を実感する。しかし、第二体操となると状況は一変する。如何に怪しい所作に各人がしているか…その様を想像するだけでも楽しい。

本番はラジオの放送のままなので割愛しよう。

◆”前説”の中では、より体操を身近に感じてもらうため、そして「笑い」を盛り込む工夫がされている。

例えば、左右の腕が違う動きをする体操。

右手は二拍子で足、頭の横、左手は三拍子で足、肩の高さ、頭の横、左右別々の動きも取り組んだ体操が紹介された。そうと言われても、左右の腕は全くの別物…(笑)

2×3だから、6になった時(最小公倍数)には、左右の腕の動きが揃うはず。その前に左右が違う動きを求められると頭の中は大混乱(笑)

老若男女が揃っているから、少し認知症予防のメニューを取り入れているのか…

帰り際には、ラジオ体操のカードの裏面に”参加”のはんこを貰っていたことも懐かしい。

◆ラジオ体操巡回のバトンは明日の朝には第二の故郷山口に渡される。

宇部サンド美祢球場だ。

そして、ラジオ体操の中には、社会的に重要な問いかけ(”新〜しい朝が来た!希望〜の朝だ!)が内包されていた。

(岡山B)

なくなって寂しいもの

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆「山口は盆地じゃけえ、夏はぶち暑いし、冬は底冷えじゃあ。」入学した時、先輩や同級生からよく聞いた言葉である。

故郷の福岡宗像からは直線距離では100キロくらいしか離れていないが、確かに住んでみると山口の気候は地元とは全然違った。

家庭教師先は、山口市から60キロ離れた徳佐。

車で1時間の距離であるが、3年間中学生の兄妹を教えに通った。冬は豪雪、スタッドレスタイヤを履いて、山道を毎週往復していた。

宮野の信号を超えたら、私の記憶が正しければ徳佐まで信号は2つしかなかった。車がほとんど走ってない帰り道に、ねずみ取りに捕まり、1発免停になった苦い記憶もある。

地元で三代続く歯医者さんで、家庭教師が終わると、おじいちゃん、おばあちゃん、曽祖母、生まれたばかり弟くん、家族10名で一緒に夕食。(朝ドラのワンカットの様な場面であった)

徳佐のコシヒカリや徳佐牛が毎回食卓に上がり、破格のバイト代もさることながら、お母さんが作る毎回のご飯が楽しみであった。

今ではこうした大家族での食卓はほぼなくなってしまった。

◆そんな学生生活から40年後、職場では、デジタルツールの目まぐるしい進歩とリモートワークの普及で、職場に行かなくても大半の仕事(特にデスクワーク)はできる様になった。

子育てや介護などがある人には、本当に良い時代になったと感じる。

ズームやTesmsといったオンライン会議ツールもあるが、業務上必要なコミュニケーションはメールかチャットで大半か行われている。

立場上、一日に100通を超えるメールやチャットを目にするが、辛辣な内容のものを見かけることも少なくない。これは、若い世代よりもむしろシニア(50歳以上)世代に多い様に感じる。

◆テキスト(文字)でのやり取りは時にして、送り手の意図とは裏腹に、受け手が勝手に拡大解釈したり、口頭では言えない様な強い文章になってしまったりと、受け取る相手がどう感じるかという、コミュニケーションの基本を忘れてしまっているものが多い。

そして何より、自分の権利や意見だけを発信する人が増えすぎた。恥じらいや躊躇というものがなくなった社会は本当に寂しい。

我々の世代の憧れであったアメリカのリーダーがそうであるから、これは40℃を超える猛暑と同じく、受け入れざるを得ない現実なのであろう。

猛暑のおり ご自愛ください

学37期 上野啓

徳佐の田園風景

少子化と「総体」大会運営

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

人口減少が我々に“変わる事“を求めている。
◆人口減少は様々な世界に影響を及ぼす。
スポーツの世界にもその影を残し始めている。そして、その運営には、経営の善し悪しが影響を及ぼし始めている。

「輝け 未来の扉 中国総体2025」高校総体が今、中国地区管内多県に分散して開催されている。
岡山ではソフトボールの大会が開催されている。

◆総体というと嘗ては“開催県“があったが、県単位から地区割になっている。
また、実績のある強豪校といえども、部員数を単独では集められないケースも出ている。そんな場合は近隣の学校との合同チームによるチーム編成を余儀なくされる。

◆ソフトボール小僧だった自分は、男子開会式に参加してみた。
開会式は先ず体育館の中で選手は着座して始まる。

行進はなしで、その代わりに起立してチーム紹介。

選手、チームへの応援の拍手も全体を一括して1回のみの拍手!
関係者、歓迎の挨拶は従来通りだったが、極めつけは、選手宣誓。
宣誓をするチームが合同チームに該当したので、旗手がそれぞれの校旗を掲げる。二人のキャプテンが壇上に登り、手をあげ、宣誓を前半、後半と分けての二人による宣誓!

選手宣誓をした2校のうち、1校は嘗て全国制覇をした名門。既に地域の2つの学校を統合して生徒数の確保、学校経営の維持を計ってはいる。その学校が今度は部員不足を合同チームによって、ある解を出している。

大会運営にも高校生が中心になって、企画進行されていた。(勿論、各運動組織、協会、行政、地元の協力、支援を戴きながら)
組織運営に関しての学問として、経営学があるとすると、大会運営に、チーム構成に、また勝利を勝ち取る過程において、本から学ぶ経営学でない、実体験に基づく経営学を既習しているのかも知れない。その姿が想像出来る。

◆「艱難 爾を玉とす」と古人は言う。

合同で選手宣誓をしたチームには、この厳しい環境下での全国大会出場に先ず感服し、あわよくば、是非全国制覇を願ってやまない。(高校野球界では爽やかイレブン等の事例もある)
合同チームの名は、新見高校+総社高校合同チーム

…判官贔屓はなしにしても、熱く応援したい。

偶々だが、「世界は経営で出来ている」と言う新書判の本が好評だと言う。

(岡山B)

西瓜の水遣り

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆我が家には”こだま”と言う品種の西瓜、その小玉が大きくなりつつある。

それは苗を植える前の土作りから始まった。

猫の額への植付け…

西瓜の花が咲いたら、人手による授粉のお手伝い。

水遣りも過度にならない様に気を配って、やっと今日に辿り着きます。採取前になる頃には獣害に遭わぬ様、自家製の白衣(しらごろも)を纏わせて。

◆金子みすゞの「こだまでしょうか」は”こころと言う山”に対しての”こだま”であろう。
我が家の小さな玉になった“こだま“にも同様に声掛けしたい。


『こだまでしょうか』

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


手間を掛けた分、愛情を掛けた分、素直に育つ“こだま“。
この途中には小さなジョロを持って、よちよち歩き、びしょ濡れになりながら…応援してくれたチビの存在、彼の遊びの中に生があります(嘗て、みんなが歩んだ“よちよち歩き“)

(岡山B)