藤岡亜弥個展「Forget Me Not」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

2026年10月14日(水)〜 11月29日(日)
開館時間 11:00~19:00
休館日 火曜(※11/3開館)、11/8(日)臨時休館
会場:#アートセンターBUG #東京駅 八重洲南口直結
入場無料

◆先の追悼広島太郎のファッションショーが縁で、藤岡亜弥さんにはFacebookで友達になって頂き、掲記個展の案内を頂きましたので、早速、唯一、トークショーのある10月17日(土)の15:50にリクルートが運営するアートセンターBUG迄、快晴に恵まれた中、行って来ました。

◆オーストラリア(メルボルン)から藤岡亜弥さんに届いた1通の手紙が縁で、祖母藤岡きみえさんと名前が一字違いの藤岡きみこさんを探していると判り、祖母のきみえさんは移民二世で二十歳の時に宝くじが当たり、ブラジルから帰国し、以来、呉に住み着いておられますが、藤岡さんのオーストラリアとブラジル(サンパウロ)の写真の旅が始まります。
藤岡きみこさんは戦争花嫁?
(私は生まれて初めて戦争花嫁という単語を知りました。)
私は理解力に乏しく、まだ謎は解けませんが、会期中、時間が許せば片道40分程度ですので足を運びたいと思います。

◆サラリーマン時代に中国、神奈川両支社時代は展示会、地方博担当スタッフや広告部時代は地方博の担当をしましたので、今回の写真や映像の見せ方に興味を覚えました。
7段掛けの作品の奇抜な見せ方はサプライズでした。
焼山から呉市内を見渡す写真は直ぐ判り、嬉しかったです。

◆また、広島勤務時代は呉市役所や呉市交通局に年1回入札参加申請の提出業務で出向きました。
難解な様式ではなく、1日羽を伸ばしました。
1992年に呉市天応に呉市や阪急電鉄等が出資した第三セクター方式の大型テーマパークの呉ポートピアランドが開業し、納入物件もあり、テレビ新広島放送の番組にも協力しましたが、呉ポートピアランドは6年余りで閉園になり残念でした。

◆トークショーは質疑応答を含め19時~1時間半でしたが、参加者50名~60名と満席でした。
私が最高齢で、30代~50代の人が多かったです。
藤岡さんには広島太郎さんの写真集を頂きましたので、スキップして帰途に就きました。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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三人の財界巨人 その24 久原房之介⑪

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

◆事業拡大

日立鉱山は機械化により銅の増産に成功する。大正元(1912)年には久原鉱業㈱を設立して事業を拡大、大正4年に日本汽船㈱、大正7年に久原商事㈱を設立した。

同年9月には個人経営の久原工業所を資本金1千万円の久原鉱業株式会社(大阪)と名称を改め、事業目的も鉱業、化学、機械、電気、農林業と多角化し、巨大企業グループへ転換を図った。

特に大正年4年から7年に至る間、久原工業が手掛けた鉱山は内外含め30を超え、石油や石炭などの資源も積極的に開発している。

その後も日本汽船(大正4年)、久原商事(同7年)、共保生命(同8年)、合同肥料(同9年)、また海運、造船、製鉄にまで手を広げ、久原財閥を形成した。

◆一次大戦終結に伴う判断の遅れで経営暗転

順調な事業展開をする中にあっても、リスクという地雷はどこにでも潜んでいるものだ。

第一次大戦の終結(1918年・大正7)の際、新入社員の仕事上のミスから巨体の久原商事に経営難を招く事態が生じた。

戦争終結に向けた手じまいの遅れから久原商事が破綻の危機に直面するが、そのいきさつはお粗末なものだった。

房之介は在外社員に対して、戦争が終結する予兆があれば、決められた暗号(合言葉)で即刻知らせるべく指示を出していた。

暗号は「プラチナ高い」。

同盟国の一角、ブルガリアが間もなく降伏するとの事前情報を得た久原商事のパリ駐在員は久原商事・東京本店に暗号を打電した。

これがブルガリアの正式降伏調印の6日前、ドイツ降伏の約2か月前だ。

この情報を基にものごとが処理されれば問題はなかったのだが・・・

しかし、その情報を受けたのが新入社員だったのだ。彼がチョンボをした。

「プラチナ高い」の電報を受けた新入社員、彼はその電報を机の上に放っておいたという。

こりゃ、ダメだ。

これで戦争終結に伴い、先手を打ってでも行うべき取引の手じまいが遅れてしまった。

房之介を含め、久原商事の社員が戦争終結を知ったのは、何と新聞の号外だったという。

◆この時、久原商事が負った負債は1億円。

戦争終結に伴い銅価も暴落し、久原鉱業は2500万円の不渡りを出す危機に直面する。

また戦争終結に伴い欧州の鉱業生産が回復したため、日本から欧州への輸出は大きな打撃を受けた。

さらには大正12(1923)の年関東大震災も加わり、経営が行き詰まることになった。

つづく

(学23期kz)

東京ベイエリア晴海でBBQを開催!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】


(事務局記)
​◆3連休中日の10/11(日)、新企画の「秋のBBQパーティー」を開催。

素晴らしい秋晴れに恵まれ、絶好のBBQ日和となりました。
​会場は東京ベイエリアの晴海。丸の内からバスで約20分と、都心からのアクセスも良いところ。

「準備いらずの手ぶらBBQ」をキャッチフレーズとしたため、女性会員を含む参加者の皆さまも手軽に楽しんで頂けたようでした。

◆​今年度は新企画として7月のビアパーティー、9月の経済セミナーに続き、今回、BBQを実施しました。

来月11月には、恒例となっている「歴史ウォーク」や「日本寮歌祭」も控えています。

このほか、新たな新規イベントも企画しており、順次ご案内する予定です。
​皆さまのご参加を心よりお待ちしています!

三人の財界巨人 その23 久原房之介⑩ 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

◆小平浪平への声掛け

「電気のパイオニア」、「電気王」と呼ばれた小平浪平。

明治39年、小平(おだいら)が東京電燈(現・東京電力)にいた当時、久原房之介に声を掛けられる。

「水力発電関係の機械を作るにあたり指導してほしい、一緒に働かないか」

新鉱山である「日立鉱山」に来ないかとの働き掛けだ。

当時、小平は久原房之介が小坂を去り、藤田組本店に行った後、小平も小坂を去り、広島の「広島水力電気」、次に「東京電燈」へ転職していた。

東京電燈は東京電力の前身。大会社だ。

日立鉱山行きを相談した友人の中には、真剣に反対した友人もいたという。

片や大企業、片や名前も売れていない新たな鉱山事務所。

しかし、小平には自前の工作機械を作りたいという熱い夢を持っており、大会社で歯車の一つとして働くことに疑問を感じていた。

また、小坂鉱山時代に房之介の人柄を信頼していたこと、そして昔の小坂鉱山時代の仲間と仕事ができるとの思いもあったのだろうか、房之介の誘いに乗った。

◆工作課長

日立鉱山での小平の肩書は工作課長。

小坂鉱山時代は電気課長だった。

鉱山周りの設備や工作機械、発電機械を作る担当だったが、鉱山関連機器の修理に追われていた。

当時鉱山で使われていた鉱山関連電気機械は米国製であり、高価でありながら故障が多く、修理に追われることが多かったためだ。

修理に多くの時間を積み上げていくうちに、小平は自ずと自前の機械を製作できるようになっていく。

自分が思い描く機会を、自分が作りたいという熱い思いがあれば、自ずから腕もメキメキと上がっていく。

ある時、小平は担当する機械修理・工作部門を本体から独立させてくれと房之介に相談する。

しかし、久原房之介は小平の要望に首をタテに振らなかった。

久原とすれば、当たればけた外れのもうけをもたらす鉱山に比べ、機械製作は労多くして利幅が薄い物ものに思えたからだ。

◆しかし、小平は諦めなかった。

日立鉱山には理解してくれる同世代の竹内維彦がいる。

竹内は小坂鉱山での「溶鉱三羽烏」の一人。

小平は東京帝大工学部・電気工学科卒で、竹内は同学部・鉱山冶金学科卒だ。

小平は一高に入るときに浪人、大学で写真に凝って留年し、一浪一留で竹内よりも2年遅く卒業したが、小平と竹内はは同い年だ。

その竹内は小平の「自前の工作機械製作」、すなわち電気機械の国産化を、強力に支援してくれた仲間だった。

小平は修理部門の独立構想、ゆくゆくは工作機械の国産化の夢を決して諦めようとはしなかった。

当時、電気機械の国産化は、「奇想天外な発想」とされ、場合によっては「無謀」ともされていたが、小平は頑固だった。

小平は夢を諦めることなく電動機、変圧器、発電機と作り上げていき、とうとう業界を驚かせることになる。

つづく

(学23期kz)

小平記念館(茨城県日立市 昭和31年竣工)

番外タイ・アユタヤ編  神社仏閣巡り  その3

【2026年10月10日 トピックス】  

2012年末から2019年10月の間 タイ王国に赴任し、現地駐在でアユタヤにはよく行きました。

 車かバス、列車を利用し、列車の場合は国鉄アユタヤ駅下車しトゥクトゥク、モーターサイで市内に向かいました。駅周辺はゴミゴミしていて、田舎の駅という感じがしました。そのローカルが好きです。

 日本の江戸時代初期の駿河浪人の山田長政は御朱印貿易で東南アジアを目指し、アユタヤ王朝に辿りつきました。その王朝は、1350~1767年の約400年間に、35代の王が統治しています。長政はハジャイの知事まで昇り詰めましたが政争で毒殺されました。

「ワット マハタート(Wat Mahathat)」は王宮址の東にあり、王室と深い関係を持つ寺院で、「チェディ(Chedi)」(中心のパゴダ)は、第3代王「ボーロマラーチャーティラート1世」(在位;1370~1388年)の時代に建設に着手され、第5代王「ラーメースワン王」(在位;1388~1395年、第2代王の復位)の時代に完成されています。

ワット ラチャーブーラナの西方にある「ワット プラシーサンペット(Wat Phra Si Sanphet)」は王宮の守護寺院で、3基のセイロン様式のチェディーを中心にして歴代の王達の墓があり、1491年に建造されました。

ワット プラシーサンペットに隣接して北側にある「王宮址」は、1350年に「ウートン(U Thong)王」によって造営され、1767年にビルマ族に破壊されるまでの間「アユタヤ王国」の王宮でしたが、今では何も残っていません。

「アユチヤ日本人町の跡」は好きで何度か見学しました。日本からのお客さんも連れて行きました。

日本人町址は、アユタヤの少し南にあって「チャオプラヤ((Chaophraya)川」に面しています。

「アユタヤ歴史研究センター別館には資料が展示されていて、ビデオでも説明を受けましたが、山田長政は、王室守備隊長で知事迄昇進しました。日本人の血は100年後 現地人と同化しています。隣にはポルトガル人町があります。」

 タイ米で作る日本酒醸造場がアユタヤ県にあると六角精児のテレビ番組に出ていました。

以上  学29 Y K

「君は【ドキュメント72時間】を見たか」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆先日亡くなった倉本聰さんの本の題名『君は海を見たか』ではなく“君はドキュメント72時間を見たか”(山口の文房具屋さん編)!

「72時間」の放送枠は30分の時間、その枠の中にいろんな人の人生を上手く纏め、取材していた。

◆取材で登場された方々は、学都山口の学生さん(山大付属の小中、山高、野田学園と思われる)、そして、母の葬儀に帰省し、不祝儀袋を買い求めきた人、公務員の街山口···市役所の人、老人のザックリとした注文にコンシェルジェの様に品探しをする店長、バックヤードでは事務用品の配達の準備をする人、転職する事になった人がその新たな職場用の名刺入れ購入に来店(店長は同級生)、服飾の為の大判の型紙を求める人、スケッチの為の紙、スケッチ帳(店内で作画も始まる)に思いを語る人、また店長に取寄せをしたペンケース、その革を磨き込んでいる人等々。

背景には、さまざまな人が、ある事務用品店を介して繋がる「やまぐち」があった。 

各々のほんわかした人と店の繋がり。 

◆山口での”72時間”の番組の中に啄木の様に、「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」B作には、その”そ”(正調やまぐち弁)のほんの少しさわりしか聴けなかったのは残念… 

もう一つ残念だったのは、七夕の時期の収録と思われるが、コピー利用者はバイトの学生さんが手書き文字のメニュー表のコピーだけだった…

店内に掲げられている笹竹に願いを込めて結びつけられた七夕の短冊…

人の思いが一杯詰まった30分だった。

ほぼ50年位前の「やまぐち」が今なお変わらずに感じられた。

◆また、今の時代、鳳陽会東京支部のグループLINEでは有志の会員同士が繋がっている。70年代そこで配達のバイトをされていた先輩、筆者と同時期80年代に同じく配達のバイトをされていた同期の連絡も飛び込んできた。

様々な意味で少しの時間のすれ違いはあったかも知れないが、活躍する東京で繋がり合う。

いやぁ~、みんな「やまぐち」への想いは熱い。

藤岡亜弥個展 追悼 広島太郎のファッションショー

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】



◆掲記、写真家、藤岡亜弥さん(54歳女性)の個展が、広島市中区上八丁堀のギャラリーGで、9/29(木)~10/11(日)迄開催されているとの情報が広島在住の二人の方から入り、私はこの1年余り体調を崩していてサラリーマン時代の後輩のIさん(54歳)に8日(木)に東京の差し入れ持参で、代役で行って貰いました。

◆藤岡亜弥さんは呉市出身、日大芸術学部写真学科卒の写真家で、写真界の芥川賞と呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞された方で、世界のストリートを撮られている方でもあります。
昨年亡くなった広島太郎さんと14年の親交のあった藤岡さんの追悼展です。
親交のあった方は勿論、話したこともない人まで世代を越えて連日多くの方が詰めかけているようです。
写真もさることながら、藤岡さんの広島県民的と題した思い出の文が素晴らしい。(添付)

◆広島太郎さんには亡くなる前に一度会いたかったので、今回、胸のつかえが少し取れました。
藤岡さんには5年後、10年後と追悼展を続けて欲しいですが、私も早晩、広島太郎さんのところに向かいますので、その時はビール樽で語り合いましょう。
前回のトピックス投稿は2025年5月投稿の「素顔の広島太郎さん」をご覧戴ければ嬉しいです。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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10/9(金)放映「72時間」の舞台 「モリイケ」

.山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆「72時間」というドキュメント番組。
来週10月9日は山口市内の文具店と言う触れ込み。
ちょっとした絵面から中町の「モリイケ」さんでは?

80年代は文房具店と言うより、コピー機店と言った方が良いかも。
半期毎の試験前の駆け込み寺だった。。

高い教科書を購入するより分厚いコピーの綴込み本擬き(著作権とかと言った概念など皆無)
資料持ち込み可能な試験は”出来る女子軍のノートのコピー”、ゼミのレジメのコピー、卒論の資料
(今の様に誰もがパソコンなどを使った整った字ではないから、全て手書き文字…
その意味でも綺麗な文字美文字で整然と書かれた出来る人のノートはお宝) 
 
コピー料金は、物量スライド制で、ある枚数からは単価が激安になったあの当時。
今程の時間当たり出力枚数はできなかった…
限られた印刷能力のコピー機に、きっと限界まで酷使して、ほっかほっかの熱い紙の束。
ある意味、行列待ちにもなったコピー機店。

しかし、このお店に半期毎、助けて貰った。

ゼミのレジメはゼミ連にあった青焼きなども使った。しかし、これは薬品臭い、そして何処か湿気がある。

両者を比較すると、青焼きが”陰気”とすると、コピーは白色の紙。

先のほっかほっか、”陽気”な知恵の塊り。 懐かしい!



◆どんな場面をドキュメントでは切り取るのだろうか?
タイムマシーンに乗って、80年代まで遡れるなら、熱くコピー機が持つその効用については能弁に語れる自信がある
 
念のため、モリイケのHPを覗いてみると、やはり「72時間」の放映の事が告知されていた。

文化5年(1808年)創業。
地域に根差した企業として、200年以上山口県内のお客様と信頼を築いて参りました…と

50年以上前は自分と資料持ち込みの試験との間の仲人、そしてほっかほっかの資料の束で空っぽの頭の空間を埋めてくれた駆け込み寺だった。

岡山県庁 2026年夏の懸垂幕と憧れの先輩

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆2026年8月  夏の真っ盛りに岡山県庁に二本の懸垂幕が掲げられた。
一本はゴルファーの桑木志保さんが全英オープンでの優勝を祝したのもの、もう一本は倉敷マスカット球場がオールスター開催球場に決定した時もの。

◆ゴルフに限定した話をすると
桑木志帆選手(岡山県出身の女子プロゴルファー)が 2026年8月海外メジャー・全英オープンAIG大会で優勝。
少し前だと2019年の全英女子オープンを制した渋野日向子選手がいる。
スマイルシンデレラとも称された、渋野スマイル 。黄金世代と呼ばれたあの世代の一人だ。
最近は少し成績が低迷しているので最終勝者としてそのスマイルを見る機会は少ない。しかし、近いうちにその満面の笑みを是非見たいものだ。

◆8月にメジャーを制した 桑木志帆選手の幼少の頃の憧れの選手が渋野日向子選手だと言う。
サッカー界  FIFAの大会で話題になったメッシュとヤマルの写真。
20歳のリオネル・メッシが抱いていた5カ月の赤ちゃんが、後にスペイン代表の超新星ラミン・ヤマル選手と言うほど運命的な光景ではない。
しかし、渋野日向子に対するやはり強い憧れが桑木選手の大きなモチベーションとなり、今の桑木選手を生み、育てていることは間違いない。

◆そんな中、今回の日本女子オープン(宝塚ゴルフ場、10月1日~4日開催)において、桑木選手に新たな舞台が用意された。

23歳の桑木と38歳のシンジェの争い。土日のテレビにはかじりつき状態。その二人の熱い戦いには痺れた。

印象的な場面を少しばかり書こう。

テレビを見ておられた同窓の方はひょっとするとあのシーンかと・・・

・3日目の17番ホールの状況
現在両者8アンダーと並んでトップ(申・ジェ今日△4  桑木も今日△4。二人とも3日目にスコアーを作ってきた)

桑木の17番ホール パー5 左のラフから右のラフへ
こんな事になれば素人なら、あとは大ブレ…後は野となれ、山となれ・・・にもなりがちだが、23歳にして既に大器の桑木は3打目でグリーンへ。4打目では左にカーブを描きながらピンに近づく。

5打目は結局パーを捻じ込み、スコアー66に抑え込む素晴らしさ。

3日目の残すホールは18ホールのみ、そして明日・・・岡山県民としては期待が膨らむのみ♪
・そして、18番ホール パー4
桑木はグリーンの淵から打ったパーパット。強めに打った。第3打目でねじ込み、バーディーでスコアーを1つ上げ、3日目は最終的に65で回る好スコアー。  
申・ジェは67となり、二打差・・・で最終日を迎えることになる。
 
桑木は17番の左右のラフに打ち込む乱れも乱れとせず、平常心。そして、強気のショットでバーディーを呼び込む。全英オープン制覇の大器が本物になってきた。

◆最終日に申・ジェは当日△4、最終ホールには66とスコアーを纏めてくる。

一方、桑木も当日△2となり、68。

大会4日間のトータルスコアー 269。優勝決定の為のプレーオフに縺れ込む。

プレーオフは18番 パー4で、1回目両者ともパー、2回目両者ともパー。両者譲らず。
1回目のティーショット一打目で実は明・暗が分かれ、明は桑木、フェアーウェイをとらえる。

暗は申、ラフに打ち込みリカバリーが成功し、パーパットでは互角。最後はドロー。
2回目も申は第二打をバンカーに打ち込み、直ぐ頭に浮かんでしまったのは“勝負あったか?”
しかし、申は三打でリカバリーに成功、両者とも4打目でパー。
3回目のティーショットでは、ほぼ同じ距離、左右に分かれる、フェアーウェイをとらえる。

それからグリーンに向けて打つとこれまたピンから同距離に落ち止まる。パーパットが勝負となる。桑木は2回目と同様、少しショートになり、グリーンでパーパットに二打を要することになる。
一方、グリーン上の申は三打目を深く読み、そして、少し時間をかけてから、力強く打つ。
結果はバーディーとなり勝負は申に勝利の女神が微笑む。

残念、桑木…
申·ジェ やはり百戦錬磨、強い! 

数々重なるピンチ、逆境もものともせず、集中力が勝負を呼び込む。おめでとうございます️。

◆申さんのインタビューから
「参加証が「赤」 優勝者は「ゴールド」になる
そのゴールドとなることが嬉しい」と語る。
歳は38。  国内大会通算30勝 今回で永久シード権を得る。
今回を含め、日本女子オープン 15回挑戦、2位が2度…そして、初めての優勝、涙が出る喜びだ。


桑木志帆のインタビューは「久しぶりに悔しい思いをしましたから、また強く成れると思います」と結んだ♪


◆勝負を知り尽くした申さん。まだまだ伸びしろ、そして勝負勘を高めることができる桑木さん。
最終日は雨の中ではあったが、決して試合に水を差さない良い試合であった。
決めるチャンスのある時に決めきらないと勝利は微笑んで近づいてはくれない。
桑木志帆さんにも何度も勝ち抜くチャンスがあった…。


「プレーオフで敗退...‎
とっても悔しいです。決めきれないパットがあり、大事な場面で自分の弱さが出ました。あーほんとにくやしい。」と本人のXに記載がある。
⁡そして、「もっと強くなります!!!!」とその投稿は結んでいた。


◆いつの時代でも憧れの対象、目標となる人物がいる。今掲げられている懸垂幕が渋野、桑木に次ぐゴルファーを、野球界でいくとドジャースの山本由伸投手に次ぐ選手を・・・を呼び起こすだろう。


そう言えば、自分らの学生時代、特に80年代、90年代には、同窓誌の「鳳陽」の後半の一面の後ろ表紙、そして紙面の中盤に企業の広告や個人名の広告協賛が多数あった。

2000年代になって数は減少していく傾向にはあったが、それにより先輩方の活躍の姿を想像することが容易に出来た。ある意味、先輩たちの活躍への憧れやキャリア形成のモデルケースがそこにあった。
懸垂幕ではないが、「鳳陽」の広告協賛で各業界、又関係機関で活躍されている先輩を知ることが出来た。そして、坂の上の雲を。

蛇足)
桑木志保さんの横にある懸垂幕。倉敷マスカット球場が2030年に地方で開催されるプロ野球のオールスターゲームを開催する球場に選出されたことを祝う懸垂幕。

1999年に開催されて以来31年ぶりとなる。  

HP関連リンクを追加しました

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◆東京支部ホームページの関連リンク集のトップに、以下のサイトを引用掲載しました。

①山大経済学部・学生の「いま」を伝えるサイト(山大経済公式サイトから)

②山大経済学部・先生方のミニ講義を集めたサイト(同上)

(スクリーンショットは下記)

是非ご覧ください。

(事務局)

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