昭和55年夏 山本ゼミ見島旅行記 その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆37年前の昭和62年7月24日 山口大学経済学部教授山本英太郎先生は闘病の末、永眠されました。享年55歳でした。私が最後に会ったのが昭和56年3月25日、山口大学医学部病院でした。

◆その日は山口大学卒業式の日で、終了後宇部に向かいました。病室で、ゼミ生で22歳の別れを歌ったことを思い出します。

先生は黙って聞いていました。それから病室を後にし、各自就職先に旅立ちました。

後日、先生はその時聞いてこれほど辛いものはなかったと述べられた、と聞きました。

◆山本ゼミ11回生は、小旅行2回、昭和54年と昭和55年、卒業旅行を昭和56年に実施しました。

今回は昭和55年夏の見島旅行記 その1を記します。

◆昭和55年夏は、雨の日が多く寒い日が多かった。小旅行は何度か延期された後、8月8日から10日の二泊三日で決行された。8日の朝、山本先生親子、瀧口先生のご家族とわれわれ山本ゼミ生は県立図書館前に集合し、一路萩港へと向かった。海はしけているそうである。出航前M君と私は港近くの喫茶店でカレーを食べて腹ごしらえをした。これが悲劇の素であった。忘れもしない定期船(たちばな丸)に乗り込むと、船旅の苦しさを知らないわれわれは、浅はかにもビールで乾杯した。

出航後は その2 で記します。

以上 大学29期 吉田

④中也

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆大岡昇平

中也と同様、フランス文学に造詣が深いのは中也より2歳年下の大岡昇平もそのひとり。

大岡昇平はフランス語の個人指導を受けていた当時東大生の小林秀雄を通じて中原中也を知る。

二人は知り合った日からお互いの部屋に泊まり合い、三日三晩語り続け、急速に仲を深めていったという。

◆しかし中也は大岡昇平との間でも無神経な一言で、もめ事を起こした。大岡はこれを機に中原から離れていく。

もともと、大岡が真面目で生活の安定を求めるサラリーマンタイプの文士とすると、中也はまる反対。寂しがりやで悲観的、破滅や天才肌という言葉が似合う激情型の文人だ。

中也としては大岡にずっと自分の方を向いていてほしかったのだろうが、大岡としてはそれがきつくなっていったのだろう。

中也が大岡に「自分と同じように不幸になれ。そうすれば・・・」

これに大岡は反発し、中也から離れていくようになった。

◆それでも、大岡の身体には「中原中也」が深く身体に沁み込んでいたようだ。

中也の死に際に、病院で意識混濁した中也と再会したた。中也は昭和12年(1937年)に30歳で逝去する。

それから6年、大岡は戦争が本格化する昭和18年(1943年)に戦線へ駆り出された時、中也の遺した詩集が心に沁みるようになったと告白している。終戦後は仕事に就いたが、転勤する際に持っていったのはスタンダールと中也の詩集だけだったという。

つづく

(学23期kz)

湯田の井上公園にある中原中也詩碑【山口市提供】 
小林秀雄の書で「帰郷」の詩が刻まれている。碑文は大岡昇平が記している。
18期 田口浩一氏の作品
大岡昇平 20歳の頃
中原中也記念館で
中原中也記念館で

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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(過去の日記から)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  


2014-8-10mixi日記投稿分より引用

◆実は小学校の新学期が始まった4月7日から、マンション管理人をやっています。
大病の後だけに、どうせ受からないだろうと思い、トレーニングのつもりで面接に行ったら、即、来て下さいと。
築14年のマンションで世帯数も47世帯と中規模のマンションで病後の私には体力面でも丁度、良かった。
マンションが出来た当初から、ずっと同じ管理会社で、面接した上司は「健康であれば、定年の70歳を過ぎても働けますよ。」と。

◆管理会社は中小ではあるが、勤務先のマンションは静かで、居心地がいいところで働けると喜んでいました。
ところが、上司にあたるフロントマンのその後の対応が、全く良くない。
気がついたことや、問題になりそうなことを日々、Eメールで報告しても、殆ど返事や回答が来なくて懸案事項が前に進まない。
殆どが積み残しで、ザル状態。
これでは管理以前の問題だと社長に直訴して辞めることも一時は考えました。

◆2ヶ月経った頃、マンションの管理会社を変える秘密文書を不要チラシを捨てるゴミ箱から偶然、発見。
まるで松本清張の世界です。
理事長を初めとする理事会が、会社やフロントマンの対応の悪さに、怒り心頭し、遂に行動に移したようです。
会社には連絡せずに静観していました。
比較的親しいマンションの居住者に聞くと、東日本大震災後から、水面下で管理会社を変える動きがあったようです。

◆そして、次期管理候補会社がプレゼンの後に5社から1社に絞られ、今日が居住者に対する説明会、24日が総会で決定し、9月から、新管理会社となります。
多少は管理会社同士の引き継ぎでズレ込むことも考えられますが、管理会社が変われば、私や清掃人は職場を失い退場となります。
水曜日にフロントマンが来て、ようやく事情の説明があり、「Yさんについては、次の職場もありません。」と言い渡されました。

◆理事長を初めとする理事会が新管理会社に管理人を推薦するケースもままあるようですが、そんな気配もなく、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、一蓮托生の動きのようです。
ということで、早晩、再就職活動です。
この年齢で履歴書を書いて、面接に出掛けるのもエネルギーが要ります。
将来、これまでのマンション管理の経験を題材にした小説を書きたいと思っていますが、又、材料が増えました。(笑)
マイミクの皆さんも一冊買っていただけますか?
(学22期 Y・Y)

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現役・経済学部生からの投稿

経済学部3年 村田照真君寄稿

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆みなさま大変お世話になっております。山口大学経済学部3年の村田照真と申します。

3月17日に「チャレンジ!!オープンガバナンス2023」という、学生や市民のチームが各地方自治体と密な提携を行いつつ、共同でアイデアを創出するプレゼンテーション大会の最終公開審査イベントが東京大学で開催され、経済学部3年の下川拓斗と村田照真が所属する学生団体Ube col.(ウベカレ)が出場いたしました。

鳳陽会の皆様から多大なご協力とご助力賜り、誠にありがとうございました。以下、結果をご報告いたします。

学生団体Ube col.は、2つの賞を受賞することができました。
●LINEヤフー賞
●ファイナリスト視聴者オンライン投票銅賞


◆2023年度は計46の学生・市民チームと各自治体がタッグを組んで出場し、そのうち最終公開審査に12チームが選ばれました。社会人のチームも参加する中、学生として2つの賞を受賞できたことは、とても嬉しく、大きな自信となりました。COGを通じて生み出されたアイデアを、引き続き行政や民間企業、大学等教育機関と連携しつつ、実現に向けて邁進してまいります。

経済学部のHPにも同様の報告を掲載していただいております。

◆次回は、私たち学生団体Ube col.が、また現役の大学生が、今どのような活動をしているのかをお伝えできればと思います。

引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。

山口大学経済学部3年

村田照真

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③中也

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

③中也

中也が長男・文也の四十九日の頃に「文也の一生」なる文を書くが、その筆で「冬の長門峡を書いている。」

「冬の長門峡」

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

ああ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

この詩碑は長門峡の入り口に建っている。

大きな御猪口の上にミカンが乗せられており、そこに詩句が

刻まれている。

◆文人仲間もずいぶん東京から鎌倉に見舞いに通ったようだ。

いよいよ中也臨終のとき、中原家長男中也が枕元にいた四男・思郎に呟いた言葉がある。

「僕は本当は孝行者だったんですよ・・・今に分かる時がきますよ・・・・・本当は孝行者だったんですよ」

東京支部Sさんが投稿してくれたとおりだ。

中也は心身を休めるためにふるさと山口への移住を考えていたようだが、願いが叶うことはなかった。

ハチャメチャもどきの荒れた生活をしていたが、面倒を掛け続けた母に対して、褒めてもらいたい一心で藻掻いていたのかも知れない。

つづく

(学23期kz)

18期 田口浩一氏の作品
中原中也記念館

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山口で・・・③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス

一の坂川
3月23日、つぼみの膨らみが足りないようだ。昨年は3月28日に開花。
道場門前。最近は「どうもん」と呼ぶようだ。
道場門前にある文栄堂本店、4月末に閉店する。ほんの売り上げが落ちているようだ。

山大正門近くの文栄堂は健在。

「どうもん」には堂々とした空き地が点在している。
試飲ができる山城屋。
女将さんは当時の女将さんの娘さんのようだ。

接客態度や従業員への配意がお見事。女将さんの立ち振る舞いを傍から見ているだけで、肴は要らない。

令和5年度山口七夕会 春の交流会、講演会&花見ウォーキングに参加

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  

日時:令和6年3月23日(土)11:00~14:30 場所:インテリジェントロビー・ルコ
東京都新宿区揚場町2-1軽子坂MNビル1F 

◆講演会
山口七夕会会長 秋草史幸氏講演『金融にまつわるこぼれ話』(30数名参加)、交流会

以前、鳳陽会(山口大学経済学部同窓会)東京支部での同テーマでの講演を聴講したことがありますが、先日、日銀によるマイナス金利政策解除され、日経平均が史上最高値を更新したばかりで、新NISA等、興味あるテーマでもお話があり、講演後は多数の質疑応答がありました。
私も株式投資に関し日頃感じている疑問点を質問しました。
注)秋草会長は学生時代に経済史を習った経済学部秋草実教授のご子息です。

◆春の花見ウォーキング(14:30~17:30、14名参加)、懇親会(17:30~19:30、上野、四季彩にて有志)
谷中七福神巡りと題して7ヶ所を回りました。
桜の開花は予定より随分と遅くまだでしたが、3時間で何と16,000歩歩きました。
講演会、花見ウォーキングと充実した有意義な一日となりました。
山口七夕会に大感謝。
(学22期 Y・Y)

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山口で・・・②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  

◆本年1月にニューヨークタイムズで取り上げられた山口。

ホテルに聞くと欧米を中心とした外国人客が増えているという。

しかし、新山口で、湯田温泉で、また山口市内で、外国人に出会うことはなかった。

外国人はどこへ向かったのだろう。

早間田から県庁庁舎を望む。左手に見えるのが県立美術館。
市民会館で山口市民となった講談師・神田京子女史のポスターに出会う。ここでも活躍。
サビエル記念聖堂

馴染みのあった旧聖堂は平成3(1991)年9月に焼失、平成10(1998)年4月に建て替わった。

サビエルは毎日2回、大殿小路にあった井戸端で書を読んだり説教をし布教に努めたという。
敷地内にある平和の鐘
山口の姉妹都市、スペイン・パンプローナ市。スペース・パンプローナからくり時計。
看板に映るのは歌手のアマイア・ロメロ女史。彼女は「Yamaguchi」という曲を発表しているが、これは思春期までを過ごしたパンプローナ市内にある日本庭園の「山口公園」のことを歌っている。 
大内人形が置かれたJR山口駅。

都道府県庁所在地にある代表駅としては乗降客が最も少ないという。

ICカード「ICOCA」が導入され、駅員はいない。2023年9月に駅構内の売店が閉店している。

コンパ会場だった太陽堂旅館、いまだ健在。
米屋町にある天婦羅・さわらぎ。古くからあった店だというが、学生時代に来ることはなかった。

左上にみえる色紙の書き手は古川薫氏。

店内2階にあるガラスケースに収まった重量感のある小庭。趣がある。

山口で・・・①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

周防地区の偉人ゆかりの地を紹介する観光ポスター(明治維新150年に因んで2018年に作られたもの)。
ポスターにある7駅に貼られている(防府、岩国、大畠、柳井港、岩田、下松、徳山)
湯田温泉駅の足湯 

熱い湯だ。市役所に問い合わせると、「源泉のままで、沸かしていない」とのこと。

なお、湯田温泉駅は無人駅になっている。

山口を紹介する四季のイラスト
湯田温泉から山口大学に向かう。橋(秋穂渡瀬橋)から写した椹野川。
2024年3月22日(金)、この日は卒業式(山大正門前で)。最近の成績優秀賞は女性が取っていくという。

学食で。やはり着物は華やか。
先週の日曜日(3月17日)、東大で開催されたオープンガバナンス2023(@東大)で「2冠」を取った村田君。
経済学部の前で。

②中也

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

宮沢賢治の愛読者の中也は、文人仲間で、やはり宮沢賢治に惹かれる草野心平と気脈を通じた。

この二人はともに宮沢賢治が好きで、酒も好き。また、すぐに酒の相手と喧嘩するところも相似ている。

新宿落合付近の檀一雄の家近くのおでん屋の「おかめ」で文人仲間が呑んでいた時の話。

中也の捨て台詞がもとで太宰治と喧嘩となり、両者を止めにはいった檀一雄と草野心平が

つかみ合いになり、四つ巴の喧嘩になったという。

それはさておき、太宰も中也の酒癖の悪さには辟易していたが、太宰は「・・・しかし書くものはよかったなあ。よくクシャクシャにした紙切れを持っているんで読んでみると、それが、うーんと唸るほどいいものなんだねえ・・・やっぱり天才というもんかねえ」と語っており、中也の才能を評価していたようだ。

◆だらしない中也だが、中也は子供が2歳、中也29歳の時、定職に就いて欲しいという妻の頼みもあり、親戚筋の紹介でNHKの就職試験を受けたという。

結核性脳膜炎で逝去するちょうど1年前の話だ。

文末の顔写真はNHKを受けた時、願書に貼った写真だとされる。

また願書の履歴書には「詩生活」とだけ記載されていたという。

面接官に呆れられたが、本人は大真面目だったようだ。これしか書きようがなかったのかもしれない。それほど詩に没頭してきたという自負もあったのだろう。

◆人の死は運命を変える。

中也が詩作を始めるきっかけとなったのが、8歳の時、弟(次男・亜郎・つぐろう)の死による。

また、NHKの面接試験を受けたその年の秋に可愛がっていた最愛の長男・文也を結核で亡くす。

中也は山口に移住することを考えていたが、気力も衰え、翌年に中也本人も療養先の鎌倉で逝去し、山口への帰郷は叶わなかった。

つづく

(学23期kz)

18期 田口浩一氏の作品