廃仏毀釈と古美術品 その3

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年6月トピックス】

◆外国人に買われた美術品

お雇い外国人や外国の美術商に買われた美術品はコレクションになって残るものがある。

1876(明治9年)にフランス政府の「極東宗教学術調査使節」として日本、中国、インドを回る旅に出て、日本に2か月滞在したフランス人のエミール・ギメ。

彼の滞日当時はちょうど廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた直後にあたり、また日本では外国との交流が増え外国の技術や文化に注目が集まっていた時代に当たる。

ギメは次のように述べている。

「日本は自国の風俗に対し、あまり自信を持っていない。日本人の力となり幸せの源となった多くの風俗、制度や考え方をあまりにも性急に一掃しようとしている。だが、もしかしたら日本が自分たちを見直す時がいつの日か訪れるのではないだろうか。私は日本のためにそれを願っている」

ギメは、当時のフランス社会の問題はキリスト教では救えないのではないかとの思いから、キリスト教に代わる思想・宗教による救いを模索するため母国フランスを出て日本を訪れたが、彼がもともと美術にも造詣が深かったことが幸いした。

彼は滞日時、多くの著名な僧侶と宗教上の問答をしている。宗教上の疑問を抱いて問答したが、応対してくれた僧侶からは必ずしも納得のいく回答は得られなかったようだが、僧侶に接したことで美術品を手にする機会が多かったのだろう。

彼の目には千年の間、日本人に崇められ、信仰の対象となり、親しまれた仏像や仏具、絵巻などが、日本人自らの手で破壊される姿はどのように映ったか。

彼は直感的に、緊急避難的に日本人の信仰のシンボルとしての古美術品を買い求め、海外に逃がすことによって廃棄、焼却されることを防ぎ、散逸から守ろうとしたのだ。

かつて、これらの古美術品は外国人によって「買いたたかれた」との記述を見かけたこともあったが、そうした表現を使えばバチが当たるかもしれない。また、彼らが母国で日本の古美術コレクションを紹介することで、東洋の一国である日本の精神性、技巧、芸術に触れ、一人でも日本びいきが増えるきっかけになったのであれば、なおのことありがたく感謝すべきことではないか。

(学23期kz)

エミール・ギメ

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お見合い雑感(5歳以上年下希望の困ったお姉様編)

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【2023年6月トピックス】

2012年の確か2月半ばから後半のことでした。
既に体調が悪く、動くのも苦しい状態でした。
後輩のM君から電話があり、会ってほしいという。
最寄り駅近くのバーガーキングで会うと、Facebookで知り合った女性がいて、結婚相手を探しているという。
彼はその女性にも一度しか会ったことがないという。
私は当時mixi派でFacebookなど全く興味もなく関係ない。
どうして会ったこともない私がそんな女性に結婚相手を紹介しないといけないんだ。
そんなことをしていたらきりがありません。

ということでしたが、その後、なぜか渋谷にできた話題のビル、ヒカリエのレストランで三人で会うことに。
その女性は45歳で某中堅製薬会社の社長秘書をやっているという。
その前も旅行会社に勤務したりして様々なキャリアを積んでいるという。
弟さんが病気となり、自分が家を継ぐことになり、後継ぎの子供もほしくなったという。
私が60歳の友人の話や40代後半のバツイチの人の話をしたが、60歳では子供が成人する頃には自分は65歳で男性はお爺ちゃんの80歳ではないかという。
バツイチは気にはしないが、離婚理由がわからないと嫌だという。
離婚理由までは私は聞けない。
確かにおしゃれで自信家ではあったが・・・

それでは一体全体どんな人がいいのかと聞くと、5歳以上の年下がいいという。
元気な子供を生むためには医学的に男性も若い方がいいという。
子供を諦めた男性なら兎も角、40歳の男性が、年齢的に子供を産むには微妙な40代半ばの女性を好むだろうか。
その上、スポーツマンタイプで性格は快活で家でいろんな人を招いてホームパーティをしたいので、社交的な人がいいという。
そんな男性など砂漠でダイヤモンドを見つけるようなものだと内心呆れた。
こういう人は、一度結婚相談所に登録して、自分の客観的評価を知ればいい。
結婚相談所への登録は何となく惨めで嫌だという。

帰りにM君と渋谷のマックに行き、やけ気味に私はマックシェイクを立て続けに二杯飲んで家路に着いた。
このことも随分とストレスを溜めることになったようである。
お見合い当時、マンション管理人をしていましたが、その後、身体が重く、昼休みは管理人室のカーテンをして、床に寝る状態に。
歩いて20分程度の自宅からマンション迄の距離も歩けなくなり、タクシーを拾って乗るのもやっということに。
還暦過ぎて、人生初の入院が実質9ヶ月に及ぶ入院になろうとは…。
(続く)
(学22期Y・Y)

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廃仏毀釈と古美術品 その2

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【2023年6月トピックス】

◆燃え広がった廃仏毀釈運動

明治新政府によって出された1868年(明治元年)の神仏分離令はあくまでも神仏習合の禁止、神社の仏教色の排除であった。

しかし、これが古美術品の海外に流出につながる寺社の取り壊しや仏像・仏具の廃棄という形で全国に広がっていったのは一体なぜなのか。

この背景には、平田篤胤の復古神道の社会への浸透といった要因が背景としてはあったが、それだけでは「暴力的な廃仏毀釈運動」という熱の謎が解けない。

その熱とは何か。

怒りだ。

先ず神道の神職の怒り。

江戸時代を通じて幕府の厚い庇護があった仏教界に身を預ける僧侶に比べ身分的にも経済的にも格下であった神職。彼らの不満が積み上がっていたことによる

次に民衆の怒りだ。

特権階級として優遇される仏教の僧侶。彼らに油断があり、幕府からの手厚い庇護に安住し、修行を怠り奢侈に走る「堕落僧侶」が増えたとされる。こうしたことに庶民は常々反感を持っており、感情を暴発させる契機を待っていたのだ。

このため廃仏毀釈運動は全国的に燃え広がっていき、寺の数は約半分になったともいわれる。

◆寺が壊滅

廃仏毀釈運動がピークを迎えるのが1870年(明治3年)とされる。

廃仏毀釈運動は全国的な広がりを見せたが、地域によって自ずと違いは出る。新政府の屋台骨となった薩・長の間でもそうであった。

すなわち長州は仏教派であり、山口において寺の取り壊しはさほどでもなかったようだが、神道派の薩摩では徹底的に寺が破壊されている。薩摩藩では1066の寺院が壊滅し何とゼロになったというではないか。もちろんこの中には歴代藩主の菩提寺も含まれているが、そこも含め廃寺になっている。

また土佐でも615あった寺のうち7割に当たる439が廃寺になったようだ。

◆残った興福寺の五重塔

古都奈良の興福寺・五重の塔に逸話が残る。釈迦の舎利を納める墓標である五重塔。当時の仏教寺院おける権威の象徴とされていたが、廃仏毀釈により、競売にかけられ25円で落札されたという。

25円とはいかほどか。この当時(明治8年ごろ)巡査の初任給が4円だったという。現在の巡査の初任給を調べてみると、高卒で22万円、大卒で26万円であるから、現在では130~150万円相当となる。

当時の落札者は五重塔の建物自体に関心はなく、塔に収められた金物・金具が欲しかったようで、このため手っ取り早く五重塔を焼却して金具を取り出そうとしたが、類焼を懼れた近隣住民から反対運動起きたため焼却を断念、このため五重の塔は今でもその姿を留めることになったという。

2001年にタリバンがバーミヤンの遺跡を破壊したことが、大きなニュースになったが、同じことが150年前の日本で行われていたのだ。

・・・つづく

(学23期kz)

2022/11/5  筆者撮影

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お見合い雑感(雨中のゲーム編)

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【2023年5月トピックス】

30歳頃だったと記憶していますが、会社に出入りの新聞社の人の紹介でお見合いをしました。
お相手が珍しく相撲好きな女性で大相撲の話題で随分と盛り上がりました。

そして初デートが広島市民球場での大洋—広島戦の観戦でした。
5月だというのにみぞれの舞う2月を思わせる天候で震えながらの雨中のゲームとなりました。
いつ、ノーゲーム又はコールドゲームになってもおかしくない試合でした。
広島の先発は我らの北別府投手。
途中、球場の薄暗い大衆食堂で安いカレーライスを食べました。
北別府の快刀乱麻のピッチングの途中で帰るわけには行きません。
試合が成立しても9回の試合終了まで見届け、北別府の完投で、僅差で広島が逃げ切りました。やったぁ。

翌日、新聞社の人から会社に電話があり、相手のお母さまが、「Yさんは一体全体、娘のことを何だと思っておられるのでしょうか」と。
返す言葉もなくゲームセットでした。

つまらぬ投稿をしました。💦

北別府 学さんの近況)
2020年1月に2年前から成人T細胞白血病と診断されたことを公表され、その年の5月に骨髄移植を受ける為に入院。
2022年6月感染からくる敗血症を患われて、現在も闘病中のようです。
私も血液の癌で、実質9ヶ月入院し、闘病したことがありますので、一日も早い解説者としての復帰を願って応援しています。

写真は本文とは一切関係がありません。
(学22期 Y・Y)
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廃仏毀釈と古美術品 その1

仏教を廃し、釈迦の教えを棄却する

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【2023年5月トピックス】

◇海外に流出した古美術品

海外の有名美術館では仏像コレクションを目玉にしているところもある。

モースやフェノロサのコレクションを集めたボストン美術館、鉄道王フリーアのコレクションを集めたワシントンのフリーア美術館やメトロポリタン美術館、欧州ではギメ東洋美術館や大英博物館が有名だ。

こうした仏像や仏具のコレクションの多くは明治期に日本から流出している。明治維新以降、社会構造の変化により、「大名道具」と呼ばれた大名やその家臣たちが「家宝」として持っていたような古美術品が売られている。当時は古い物より、欧米先進国の最新技術や知識に目が向き、ただ同然の捨て値で大量に売りに出されたのだ。

こうした「大名道具」が売られた背景にはこうした要因のほかに、寺が暴力的に取り壊され、そこに収納されていた仏像や仏具、巻物など、仏教美術品が被害にあい、ただ同然で売られた時期があった。明治初めの廃仏毀釈運動だ。

 ◇神仏分離令

廃仏毀釈運動に火が付いたのが明治元年(1868年)の神仏分離令であった。

神道と仏教。

なぜ「神仏分離」なのか。神仏分離とは何なのか。

分かったようで分からない。

なぜ仏教伝来以降、千年にわたり神仏習合という形で社会に溶け込んでいた宗教の伝統を壊してまで、神・仏を分ける必要があったのか。

それは幕末の黒船襲来だ。

黒船のインパクトは蒸気船や大砲だけではなく、特に為政者にとってはキリスト教という異教だったかもしれない。

欧米の列強国の宗教は一神教のキリスト教だ。

当時、黒船騒ぎの前にアヘン戦争でキリスト教国の支配下に置かれた清国の痛ましい状況が日本にも伝わっており、幕府はこれに大きなショックを受けたのだ。高杉晋作この光景を上海で目に焼き付けている。

しかしペリーだけではない。外国の列強国が日本医押し寄せている。

開国はもはや免れない。

開国となればどうなるか。キリスト教は排他的な一神教であり、神の前には「ミカド」も「ショウグン」も否定されかねないとの類推が働く。

これと対抗するためには、国民の宗教観を整え直し、キリスト教に対応するほかはない。

こうアドバイスしたのが、明治新政府に絶大な影響力を持っていた宗教家で禅僧の鴻雪爪(おおとり・せつそう)であったという。

すなわち、「外国伝来の仏教」を排し、日本古来の神道を純化することで外国勢と向き合うべきと説いた。

このため、大政奉還を受けた明治新政府は王政復古を宣言。天皇による君主制を復活させ、神道の国教化が目指された。

 ◇過去の例

日本は大陸とは日本海で隔てられており、米国との間には太平洋が横たわっているため古来、敵国の襲来はさほど多くはなかった。しかし外国襲来に触発されたナショナリズムの高揚の結果としての宗教の純化は過去にも例がみられる。

鎌倉時代には元寇の襲来があった。

この時に神職の吉田兼倶によって大成されたのが神道唯一教(唯一神道)で、本地垂迹ならぬ神が本地(真の姿)で仏が垂迹(仮の姿)とする、いわゆる本末転倒の「反本地垂迹説」が流行り、江戸期まで続いた。

 ◇廃仏毀釈運動

明治新政府の神仏分離令は、本来はあくまでも神仏習合の禁止、神社の仏教色の排除であり、寺院や仏像・仏具の焼却・廃棄することを命じたものではなかった。

しかし、神仏分離令が寺社を燃やし、仏像を取り壊す廃仏毀釈運動という形で全国に燃え広がったのには、奢侈に走る「堕落僧侶」に対する民衆の怒りという要因もあった。

・・・続く

(学23期kz)

国立ギメ東洋美術館(パリ)

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お見合い雑感(寿退社なるか編)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

昔、広島勤務時代に1年後輩のIさんに女性を紹介したことがあります。
Iさんは後輩とはいうものの、私より役職は上であり、お母さんを東京に残しての地方勤務であった。
東京のC大を出ていて、学生時代は柔道部で活躍の猛者であった。
女性側の紹介者は私が若かりし頃、映画サークルでお世話になったCさんであった。
当時は広告会社勤務を辞めて、広島の流川という歓楽街でスナックを経営していて、時々飲みに行っていました。
その女性は一度、私の会社のイベントにも来られたことがあり、受付付近でお会いしたことがあったが、絶世の美人であった。

私は男性には喜んでもらえるとの自信はありました。
身上書や写真を交換しました。
男性側も、女性側も双方が大変気に入ったようで、男性は、これで東京に彼女を連れて帰れると喜んでいたし、女性は、会社の上司に相談し、会社を寿退社する段取りまでつけていると漏れ伝わった。
当時、男性は41歳、女性は33歳であったと記憶する。
お互いにいい年をした大人なので一対一で会ってもらうことにした。

お見合いは順調に進み、私は自分のことのように成り行きを見守った。
ところが、結果は女性側のノーであった。
全ては順調で良かったのに。
男性は女性に豪華料理を奮発してご馳走したようで話も大いに弾んだようである。
ところが、最後に残った料理を前にして、男性が、高いものなので包んでもって帰ったらと店の人に頼んだようである。
土壇場の最後に暗転したようである。

私も何もそこまでしなくてもいいものをと思ったが、あとの祭りである。
興ざめというか、男性のイメージが崩れたということか。
でも、考えようによっては、男性は始末屋さんで、実直で見方を変えれば、いいことでもあると思うのだが。。。
私のような見栄晴君より、余程いいと思うのだが。。。
結局、私は断られた理由は男性のIさんには言えなかった。

あれから月日は流れ、その後、Iさんをよく知る先輩の人に確認するが、Iさんは東京でお母さんと一緒に暮らし、面倒を見られているようである。
私が、早期退職する時に挨拶のメールを送ったら、何も次の就職先が決まっていないのに自分から辞めることはないと心配して呉れた心優しき人である。
嬉しかった。

写真は山口市仁保川の鯉のぼり
(学22期 Y・Y)
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前立腺がんの疑いあり その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

◆同窓のIZ君、前立腺がん放射線治療の権威を目指す

がんになったとしても安心して相談できる若きドクターを見つけた。

大学附属病院のドクターになっているIZ君。

彼は鳳陽会東京支部の同窓だ。学50期生。年齢は40を少し過ぎたところか。

山大経済学部を出たが、思うところこれあり、別の大学で医学を修めたのだ。

文系と理系のダブルメジャー。

海外ではダブルメジャーはよく聞くが、日本では珍しい。

◆IZ君と乾杯

そのIZ君は筑波にいるが、東京に用があったようで東京支部の事務所を訪ね来てくれた。

彼とは一度、若手の諸君と一緒に飲んだのだが、みんなと一緒の時には愉快に話はするが、深い話はできない。

今回改めて彼のことを知る機会ができた。

彼の生まれは茨城。もともと筑波の近くだったのだ。

大学の時には進路に悩み半年間休学したという。

その彼は大学病院でも実績を上げている。

「放射線治療は任せてください」と自信ありげに語っていたIZ君。

私と会っている時は一言も言っていなかったが、彼の所属している大学附属病院のホームページを開くと、彼が筆頭著者として書いた論文が海外の放射線専門の医療ジャーナルが選ぶ2022年の最優秀論文に選ばれたことが3月のホットニュースとしてフラッグ付きで紹介されていた。

何とも誇らしい。

彼は前立腺がんの放射線治療の権威となっていくのだろう。

頑張れIZ君。

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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(学23期kz)

春の叙勲

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

学23期・葛見雅之さんが令和5年春の叙勲で瑞宝小綬章を受章された。
葛見さんは昭和50(1975)年に経済学部(学23期・鈴木ゼミ)卒、同大学院(2期)を修了後、旧大蔵省に長年在籍され、平成25年に財務省退官。

令和4年秋の叙勲の米谷雅之名誉教授(学12期)に続く受章であり、東京支部から受章者が出たことは大変栄誉あることだと思います。
現在葛見さんは、鳳陽会東京支部の事務局長をされており、経済学部同窓会の運営にも尽力されています。
今回の受章を心よりお慶び申し上げます。

山口勝裕 1992年卒 (学40期)

山口大学経済学部同窓会

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偶然の一致(1)

(自転車泥棒)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

若い時に、松本清張の作品が好きで、「点と線」をはじめ何作品かを読んだことがあります。
又、水上勉の「飢餓海峡」も印象に残っている作品の一つです。
松本清張の作品は偶然が重なって展開していくので、読んだ後は、自分が妙に用心深いというか、臆病になった記憶があります。
そんな偶然が重なる確率なんて驚く程低い筈であるが、小さなことでも気にして、仕事上のちょっとしたミスでも暴かれて窮地に立たされるのではないかと思った時期もありました。
水上勉の「飢餓海峡」にしても、篤志家の人が、ちょっとした新聞記事になり、そこから昔の過去が暴かれていくといったストーリーです。
私は、過去2回ほどこんな偶然が本当にあるのかと体験した出来事がありましたが、2回に分けて紹介してみたいと思います。

まず、ひとつは山口での学生時代に遡るので、もう50年位前のことですが、私はアパート生活をしていて、アパートの共用のトイレが水洗でなく嫌で、1.5キロ離れた山口市民会館の公衆トイレに自転車を利用してわざわざ行っていました。 
ある夜のこと、市民会館で用を済ませて出ると外に置いていた私の自転車がないではないか。
付近を捜したがないので私は仕方なく、とぼとぼとアパート迄、15分程度の距離を歩いて帰るとアパートの私の部屋の前のいつものところに自転車が置いてあった。
私はすぐにこれは、私の友達のいたずらであると直感し、誰のいたずらにせよ、一件、落着の思いであった。

ところがである。
翌日以降にどうも私のアパートの住民が私の自転車を使っている気配なのである。
そんな筈はないのにとの思いもあり、使用しないで様子を見ることにしたが、その後、荷台等少し改造して使われていたのである。
旧い自転車であり、お世辞にも他人がほしくなる自転車からは程遠かった。
当分、アパートの住民に使わせておいて、ある日、自分のものと思って使おうとした住民に対して、「それは誰の自転車ですか」と聞いたら、「私のです。」というので、「いい加減にしろ!!、勝手に使って!!」と。
詰問すると苦し紛れに友人からもらったという。
その人は、社会人であったが、その後、いづらくなったのか、4世帯のアパートを出て行った。
私は警察沙汰にするつもりは毛頭なかった。 
盗まれた私も驚いたが、盗んだその住民も卒倒する程驚いたであろう。
偶然の一致とはいえ恐い。
(学22期 Y・Y)

写真は山口市民会館

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常盤工業会セミナー紹介

常盤工業会(山大工学部)はにオンライン講演会を開催します。

期日:5月27日(土) 15:35~17:00

テーマ

「海水と淡水から電気を生み出す逆電気透析発電の原理と最近の技術動向」

山口大学大学院 比嘉 充教授

申し込み締め切り:5月25日(木)

興味のある方はこちらからアクセスしてください。

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鳳陽会東京支部事務局