湯田温泉・水野旅館

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2022年11月トピックス】

二十二歳の頃の学生時代に水野旅館で布団敷き(現在のベッドメイキング)のバイトをしました。
手配師役の経済学部の友人がいて、人がいない時の代打要員でした。
バイトをしていた時に一緒に仕事をしていた文理学部の物理学専攻の友人から、お嬢さんが大関豊山関の所に嫁入りされたと聴いた記憶があります。

大関豊山関(後の時津風理事長)は新潟県新発田市の出身で山口県とは遠く離れていて縁はない筈と長年に亘り大相撲ファンとして不思議に思っていました。
今回、投稿に際して、時津風部屋関係者の方(大横綱双葉山の孫娘で舞台女優の方)に確認をしましたら、現役ではなく親方になられて水野旅館のお嬢様と結婚されたとのことでした。
山口県出身の佐藤栄作さんが大関豊山関の大ファンで、新潟県出身の田中角榮さんが媒酌人だったそうです。   
私の長年の知りたいことが50年の歳月を経て漸くクリアになりました。

豊山関は東京農大出身の初の学卒力士で、長身で人気がありました。
その後、名門時津風部屋は不祥事が続きましたが、最近では大関に昇進した正代関もかど番が多く、今回の九州場所も5回目のかど番で、11日目が終わった段階で、5勝6敗です。
今場所は何とか勝ち越して、名門復活を目指して来場所以降に繋げてほしいです。

写真1枚目は現役時代の豊山関、2枚目は大関昇進時の正代関と元理事長だった内田勝男さん
(学22期 Y・Y)

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ハンガリー小話

東西冷戦時代のハンガリー、1989年の民主化までは、ソビエトの強い影響下に置かれた衛星国であった。

ハンガリー国民が西側を覗き始めた頃の小話。

電車の4人掛けの席に、アメリカ人、フランス人、ロシア人、そして、ハンガリー人が居合わせた。

しばらくすると、アメリカ人がカバンからマルボロの箱を取り出し、封を切ると、1本取り出し、煙草に火をつけた。そして一服すると、その開けたばかりの箱ごと、窓から外へ投げ捨てた。 それを見た3人がいかにももったいないと言いそうな顔をすると、そのアメリカ人は、

「アメリカにはこんないい煙草は有り余るほどある」

しばらくすると、フランス人がカバンからワインボトルを取り出し、栓を抜いてグラスに注ぎ、一口、口に含んだと思うと、ワインの瓶ごと、車窓から外に捨てた。それを見た3人が、高級なフランスワインを捨てるなんてもったいないと言うと、フランス人は、

「フランスにはいいワインはどこにでもたくさんある、捨てるほどある」と。

突然、ロシア人が立ち上がり、足元にあった大きなリュックから、ウォッカの瓶を取り出し、一気にラッパ飲み。そして、窓から外へ投げ捨てながら、

「心配するな!ロシアにはウォッカは腐るほどある」と。

さて3人は、残ったハンガリー人が何をするかじっと見ていたところ、ハンガリー人が突然ロシア人を抱え上げ、窓から外に一気に放り投げた。

ハンガリー人曰く、

「心配するな、ハンガリーにはロシア人が腐るほどたくさんいるから」

 

学23期  倉田一平(ペンネーム)

鎌倉殿の13人
伝 大江広元氏の墓を探し求めて

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【2022年11月トピックス】

ゴールデンウィーク後半の5月7日(土)の東京は雲の多い小雨交じりの天気でした。

午前中は急遽、平塚で所用が発生。

伝大江広元氏の墓は五輪搭で地元では本来の広元氏の墓であるとの言い伝えがあります。
12時5分にJR鎌倉駅に到着し、東口から京急バスで金沢八景行きのバスに乗り、10分で泉水橋で下車。
ここ迄は完璧でしたが、バス停から徒歩20分の目的地への入り口がわからず、コンビニでアイスを2つ買って、店員の男性にスマホの地図を見せたが、愛想なく「わかりません」の連発。
こりゃあ、駄目だ。

次に近くの商店の店主に助けを求めたら、伝大江広元氏の墓は初めて聞きましたと。
スマホの地図を見せると引き返しての入り道は親切丁寧に教えて頂きました。
徒歩20分位で漸くスマホのナビで目的地到着ですと音声案内。
やったぁ。
しかし、この絶壁をどうして登ろうかと。
子供の頃は絶壁を登り渡るのを得意にしていましたが…。💦

悪戦苦闘し、諦めていると絶壁の前の家のおばぁちゃんと妙齢の女性が「何か探しておられますか?」と。
「50年前に引っ越して来たが、伝大江広元氏墓なんて聞いたことがない。あなたは歴史家ですか?」と。
「いいえ、ただの素人です。(笑)」
先の登り口も探したが、見つからず断念。

この後、引き返し、大河ドラマ館を1時間見学。
最後は立派な鳩サブレーの豊島屋本店に寄りました。
この日2時間半位歩きました。
地元の方々とコミュニケーションが取れて大満足で、帰りには晴れ間が広がっていました。

伝大江広元氏の墓は2枚目でネット検索写真から。

(学22期 Y・Y)

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忠臣蔵考①遺恨の在り処

◆吉良邸訪問

第3回長州歴史ウォークでは本所の吉良邸を訪ねるところから出発する。

吉良上野介は地元三河国を中心に飛び地も含め知行4200石の高家旗本。お国では新田開発、塩田開発、堤防新設を行い、名君として通っていたとされる。

最近では吉良上野介を「弁護」する歴史家が増えている感がある。

◆闇の中の「遺恨」

忠臣蔵には分からないところが多い。

これは浅野内匠頭公がしかるべき弁明をすることなく、またお上も十分な取り調べをすることなく、即刻切腹処分と相成ったためだ。

「この間の遺恨、覚えたるか!」

その場に居合わせた第三者の日記に残る、浅野公が発したとされる言葉、斬りかかる際の迸った感情が伝わる。

しかし「遺恨」が何かについてについて、分かるようで分からない。

ここに様々な憶測が乱れ飛ぶ。

松の廊下事件の謎解きをするのに、ピースを繋ぎ合わせパズルを完成させようと各人各様に試み、事件を整合的に解き明かすような筋立てがあれば得心が行く。

ここで必要なのが想像力だ。しかも説得力のある想像力であり構想力でなければ面白くない。

この刃傷事件は赤穂事件の始まりであり、前半の一つのヤマ場となっている。

「遺恨」の中身を巡っては、実の多くの書き手が筋立てを試みており、ミステリー小説の巨匠と言われるまでになった森村誠一も分厚い小説「忠臣蔵」上・下を出しているほどだ。

◆説得力ある「構想力」

こうした読み物の中で、最近「その日の吉良上野介」(池宮彰一郎著)を読む機会があり、問題の「遺恨」について、「事実のかけらを想像力で結び合わせる」作業をうまく行っているような印象が残った。

以下参考までに筋書きを紹介する。

吉良公が元禄14年春に京都からの勅使を饗応するが、その年の正月、吉良公は京都へ年賀の挨拶に向かった。しかし京で食あたりをおこし、江戸に帰るのが遅れに遅れる。

この間、浅野公(5万石)は格下の伊予国吉田領主(3万石)・伊達左京亮宗治公と、指南役たる肝煎・吉良公を欠いたまま饗応の準備を進めていた。

吉良公がようやく江戸に着くが、饗応の手配をする残された日にちはわずか数日という様であった。

浅野内匠頭は18年前、17歳の時に最初の饗応役を務め、これが二度目の饗応役であり、前回のしきたりを知るがために、最近になって変ったいくつもの重要なしきたりの変更を踏まえていなかったのだ。

そこで浅野公が手配した饗応の準備に目を通した吉良公は「違う」と苛立ち、浅野公を格下の伊達公ほか関係者の前で幾度となく叱責が続く。

時間が無い中で吉良公が指示を出すが、日がないこともあり、吉良公は気が急いている。また年寄りになると気も短くなるし、饗応の仕方が18年前と少しずつ変わってきた経緯を浅野公に詳しく説明している時間が無い。

自ずと吉良公の言葉も荒くなり、吉良公からきつい叱責がいくつも飛ぶ。

◆吉良公の述懐

松の廊下の事件があったその年の瀬。

翌年早々に江戸を離れることが決まり、知人との惜別の茶会の準備をしている時、当時を振り返って「浅野は悪くない」、と側近に述懐する。

饗応する相手の公家はわがままだ。毎年好みを少しずつ変えてくる。

18年前は間違いのない手配であっても、年々手配の中身が先方の好みに応じて変り、今では間違いとなっている。18年の好みの変化の蓄積は大きいと。

浅野公は若手の伊達公の前で叱責を浴びながら必死になって吉良公の指示に振り回され、恥をかく日が続きながらも必死になって指示に従う。

浅野公が必死なら吉良公はもっと必死だった。なぜなら、吉良公は高家肝煎。朝廷からの使者の饗応に問題があれば、高家の立場そのものが危うくなる。吉良公の方がはるかに必死だったと。

それなりにリアルな筋立てだ。(つづく)

(学23期kz)

山口再訪 出会いし市井の優れ者①

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【2022年11月トピックス】

◆観光資源としての山口の史跡

山口での町おこしイベントに参加し、ついでに史跡巡りをしてみた。

学生時代といえば、学業はさることながら諸事に熱中しており、街中に残る史跡は私の目に映らなかった。

史跡の多く残る長州・山口。

ここ数年、県や市では史跡にスポットライトを当てた観光客誘致に本腰を入れているようで、市民もボランティアのガイドなどの活動を通して、歴史が凝縮された街・山口のPRに努めている。

◆観光コース

私のような「足のない」県外から観光客が史跡巡りをする際に、便宜が図られていることはありがたい。

例えばJR山口駅に着き、観光案内所で500円の「観光周遊1日乗車券」を買えば、コミュニティバスと周遊タクシーが1日乗り放題で使えるのだ。ただし、秋の観光シーズンの9~11月の土日祝のみではあるが。

JR山口駅から1時間に1本コミュニティバスに乗れば、史跡巡りのベースポイントである香山公園・瑠璃光寺五重塔までの間、車内でボランティアガイドの説明が付く。

五重塔前に着くと、付近の史跡のスポット巡りをガイドしてくれる。

また、五重塔を見た後では常栄寺雪舟庭が見てみたいものだ。そういう場合は、30分間隔で走っている周遊タクシーが購入済みの「1日乗車券で」利用でき、雪舟亭を見た後は山口駅、湯田温泉まで行けるコミュニティバスの停留所がある八坂神社近くの菜香亭まで運んでくれる。

一時は観光タクシーを半日借り上げて史跡巡りをしようかとも検討していた私にとって、格安で使えるこうした周遊乗車券が大変ありがたい。

◆優れ者ガイドさんとの出会い

史跡巡りをしたいが、史跡をただ観て回るだけでは薄っぺらな観光地巡りにしかならないと考え、史跡に詳しい方のガイドをお願いしたいと思い立った。

ウェブ検索したところ「維新策源地ウォーク」というガイド付き観光コース(有料)があることを見つけた。

事前に申し込む際に、私の興味あるスポットを伝え、申し込んだ。

有料といっても一人500円だ。

二人以上の観光客から引き合いがあればガイド成立となるが、私一人だったため、千円を払うことでガイド案内成立となった。

当日私をガイドしてくれたのが古谷眞之助氏(昭和52年・山大経済卒)で、どうやら「やまぐち萩往還語り部の会」の重鎮のようだ。

今から思えば、案内を申し込む際に山口大学の学祖「上田鳳陽」先生にも詳しい方とお願いしたので、大学同窓の方を当てて頂いたようだ。

この古谷さん、山大ワンゲル部OBの会長を務めていたという。

また著名人が山口を訪ねる際、地元の史跡を紹介する役として抜擢され、テレビにも何度か出演したというちょっとした有名人だ。

また古谷さんは多才で、40を過ぎてグライダーの魅力にはまり、操縦免許を取得しているほか、歴史ものの著作物も多い。

また、萩往還をガイドした際の風景をイラスト画にしている。

古谷さんのイラスト画はウェブで検索するとみることができ、構図といい、筆使いといい、色使いといい、立派なもので、弟子入りしたいくらいだ。

古谷氏から丁寧な解説付きの史跡巡りを終えた後、帰り際に書籍のお土産まで頂いた。

彼のグライダーについて書かれた分厚い著作物、私が興味を持っている山口十境詩の解説本や絵写真だ。

それにもう一つ。

彼が描いたオリジナルのイラスト画が入った手ぬぐいが添えられていた。

自宅に戻り、古谷さんから頂いた手ぬぐいを私の部屋の中に広げ、毎日眺めている(文末写真参照)。

それは萩往還を一人往く武士(もののふ)の後姿が描かれたイラスト画で、松陰江戸送りの際の「涙松の詩」が書き添えられている。

「かえらじと 思いさだめし 旅なれば 一入(ひとしほ)ぬるる 涙松かな」

益々のご活躍を祈念したい。

(学23期kz)

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普門寺横の同窓

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【11月トピックス】

友人紹介

高校、大学が一緒で、50年以上付き合いがある二人の友人がいる。

ひとりは関東在住、もう一人は九州在住であり、三人一緒に盃を酌み交わすというわけにはいかなくなったが、個別には会い、語り、酒を酌み交わす。

三人とも一通りの遊びをこなし、洋物の音楽を好み、話が合う。

Ⅿ君

高校時代はテニス部(軟式)のキャプテンで、インターハイへの出場経験がある。3人の姉を持つ長男だ。年上の兄姉がいない私からすると、姉3人とは何とも羨ましい。高校時代は多くの友人が彼の家を訪れていたようだが、姉目当ての友人が結構いたらしい。

Facebookでは頻繁に記事を投稿している。

最近の記事ではマラソンで2000キロを達成した記事をアップしている。

昔から映画に詳しく、音楽にも造詣が深かった。また、イチローや大谷などメジャーリーグの動向にも詳しい。

学生時代には棚いっぱいにレコード盤が収集されていた。また本も読んでおり、本棚にはロシアの文豪の作品、日本の作家では三島由紀夫のシリーズが置いてあった。

九州に帰省した時には必ず飲むし、ゴルフをし、自宅にも泊めてもらう。

もともと器用なタチのだろう。ギターを弾き、ピアノもこなし、ドラムも叩く。

姉と弟、二人の子供も音楽好きで、姉は九州で上場企業に勤めながら、夜にはステージでジャズを歌う。

弟君はギターが大好きだ。東京の一人暮らしのアパート住まいであるが、ギターを弾くため、部屋には防音ユニットを持っている。

音楽好きなS君一家。S君の父君の葬儀の際は音楽葬となったという。

下の弟君、親元から離れているため、私の愚息共々会食していたが、この秋めでたく結婚し、私も式に参列した。

◆普門寺横の下宿

Ⅿ君と君は同じ下宿に間借りしていた。下宿の大家の名は国●さん。

そこではよく酒を飲み、先輩仲間の中に入って麻雀もした。

この下宿は亀山近くの白石町にある。上り勾配の強い丘の中腹にある下宿で、横には寺があった。

つい先日、Ⅿ君から下宿の横の寺の名は普門寺、その昔大村益次郎が一時寝泊まりしたところだと教えられた(普門寺の写真は文末。令4年11月6日撮影)。

調べてみると、幕末に大村益次郎が起居したのは普門寺の境内にある観音堂。大村は明倫館で兵学を教える傍ら、この寺で兵学を教える私塾「普門塾」を開いた。四境戦争(第二次長州征伐)の前夜には、各隊の指揮官が集められ、戦術や兵学が叩き込まれたという。

山口にはこうした歴史上の名所・旧跡がいまだにあるが、当時はこういうことすら知らず、もったいないことをした。

◆大村益次郎と木戸孝允との出会い

大村益次郎は木戸孝允に上級藩士として取り立てられ、長州藩の軍事指導者として大いに活躍する。

大河ドラマ「花神」(1977年、昭和52年、原作・司馬遼太郎)では、小伝馬町で処刑され千住・小塚原刑場付近に運ばれた吉田松陰を桂小五郎(木戸孝允)が引き取りに行くが、そこで村田蔵六(大村益次郎)と出会う。

中村梅之助扮する村田蔵六が蘭語を交えた解説をしながら、見事な手さばきで女囚の腑分け(人体解剖)をするが、その姿に桂小五郎が大きな感銘を受け、これを契機に幕末を大きく動かす二人の縁が生まれる。

すなわち、死せる吉田松陰が明治維新の大立者となった二人を出会わせるという筋立てだ。

木戸孝允は吉田松陰の遺体を引き取ったあと、近くの回向院(えこういん)に改葬したことから、回向院には松陰の墓が残る。

第三回長州歴史ウォーク(12月3日、鳳陽会東京支部主催)ではこの回向院も訪ねる。

(学23期 kz)

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厚木毛利氏プロジェクト主催 厚木歴史講座に参加

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【2022年11月トピックス】

全2回の第2回「季光の信仰と飯山」の聴講に品川区から片道1時間50分掛けて、10/23(日)あつぎ市民交流プラザ迄行って来ました。

山口市ファンクラブメンバーでもある主催者のTakahiro Fujiiさんと前回に続き休憩時間にお話する機会がありました。
講師はあつぎ郷土博物館学芸員の飯田好人氏でした。
厚木市山口県人会の協力で質疑応答を含めて2時間でした。
多くの方が参加され、大盛況でした。

講演概要)
・最初に武士の信仰について
殺生を生業としているので堕地獄への潜在的恐怖があったようだ。
当主の死後、居館(一部)を寺院あるいは持仏堂に改修したり、一族の菩提を弔う為に師弟の一人を仏門に入れる等の慣習もあったとか。
・大江氏一族は京都時代より浄土宗を信仰していて、広元は病平癒・極楽往生を願い臨終出家している。
四男の季光は主君実朝の死に殉じ出家している。(出家といっても家督を保持し世俗活動を継続)
・季光は天台宗の重鎮でありながら浄土宗に改宗し流罪となった隆寛を飯山で匿っている。
・季光は宝治合戦に敗れ、鎌倉法華堂にて三浦一族と共に45歳の時に一族郎党約500人と自害している。
しかし、三浦氏の乱に巻き込まれなかったのが越後庄と安芸吉田庄の地頭として関東を離れていた季光の四男経光で、血筋は絶えることはなかった。

以前から厚木のお土産は何だろうと思っていましたが、ネットで検索し、今回、早目に着いて厚木のお土産に雅藤(ガトウ)の看板商品のスイスロールノアを購入しました。(1個185円税込み)
小田急本厚木駅から徒歩10分の距離にありましたが、その後、道に迷い焦る場面もありました。

帰りには本厚木駅の電車の到着音に「いきものがかり」のメロディが流れているということで、聴いてきました。
(学22期 Y・Y)

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山口での思い出(食事編)

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【2022年11月トピックス】

学生時代の友人と会うと昔話に花が咲きます。
共通の友人の動静の情報交換の後は食事の話になります。

入学した頃は平川地区に下宿していて、講義に出た時は学食で食べました。
ただ、私は大勢の学生や教職員のいる学食は落ち着かず、大学通りにある「長門館」や平川郵便局近くのこじんまりした食事処に行ったものです。(長門館は最近解体されたとか)
湯田温泉駅前にあった食事の店にも行った記憶がありますが、店名は思い出せません。
湯田はお好み焼屋にも行きました。

平川から自転車で中心街に出た時や下宿が山口に移ってからは中市にあったご年配のご婦人がお客対応をされていた「鳩食堂」や白石町にあった「万両」をよく利用しました。
亀山の経済学部食堂は安くてリーズナブルで小皿を沢山取っても500円あれば、たらふく食べれ、お釣りがありました。
国道9号線から少し入った中年のご夫婦でされているとんちゃん(ホルモン)の店にも夕食によく行きました。
当時、ビリヤードをした後の楽しみでした。
繁華街の「蓬来閣」は地域が一緒の私の知り合いのおばさんが働いておられて、ここの中華丼は絶品で私の最後の晩餐の一候補ですが、店は既になくなっているようで、ネット検索してもありません。💧
深夜には「蛇の目寿司」には行きました。
凄いボリュームのカツ丼が学生の間では人気でした。

アルコールは苦手で当時は殆んど飲みませんでしたが、親友に酒飲みがいて、道場門前の「大萬」に付き合いました。
一度、焼酎を飲み意識が無くなって、気がついたら日赤病院近くをさ迷っていました。
今でもご主人と奥様のお顔は鮮明に思い出せます。
日赤病院前の定食の「寿ゑ吉」にもよく行ったのを思い出しました。

そういえば、受験の際の宿泊旅館が後河原の惣野旅館で、入った文化会サークルの歓迎会も惣野旅館でしたが、飲み過ぎて、泣き上戸なのが判り、先輩に介抱して頂き、迷惑を掛けました。

50年の月日が経ち、繁盛していても後継者の方がおられなければ、殆んどの店は無くなっているのではと想像しています。

写真1枚目は白石の「万両」、ネット検索するとヒットしますので、健在のようです。
面影がないので建て替えられたようです。
写真2枚目は万両の現在の看板、山口市ファンクラブの湊 和久様に提供頂きましたが、昼時は山口市職員や中国電力社員でいっぱいとなり、大将と奥様もとても元気とのことです。
写真3枚目は後河原の惣野旅館。

(学22期 Y・Y)

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竪小路「まちなみアート」訪問記

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【2022年11月トピックス】

一の坂川・竪小路界隈の地域主導の町おこしイベント「アートふる山口」が開催されたのが1996年。秋の風物詩として23年間開催されてきたが、コロナもあり2019年は中断された。

しかし、その種は残り、昨年に続き11月4日(金)から6日(日)にかけて「竪小路・まちなみアート」が開催された。

会場は八坂神社までの萩往還・竪小路。最近では八坂神社のはす向かいに古民家を改装した欧風レストランができている。現地で経験を積んだシェフが店を開いており、なかなかおいしく評判が高いという。

八坂神社の境内横の公園は小さなコンサート会場に早変わり。爽やかな秋空の下、アコースティックギターの澄んで乾いた音色で、昔よく口ずさんだ曲目が奏でられた。

コンサートの終わり頃には一時的に小雨が舞ったが、雨上がりの後には虹が立ったのが愉快だった。

竪小路に点在する店は各流派の生け花アートの展示会場となり、また、ある店は画家・加藤照氏の作品が置かれた小さなにわか美術館に。加藤照さんが好む独特の青が支配する絵が、竪小路のシックな小店とよく調和していた。

懐かしの道場門前、米屋町の通りまで足を伸ばす。

ひと頃に比べてシャッターの下りた店がかなり減っており、新しい小ぎれいな店が増えていることに軽く驚く。これには行政の開業補助金制度も貢献しているらしい。

また、最近は街の周辺部に10階ほどのマンションが建ち始めており、井筒屋のすぐ近くも、来年3月に建つ18階建ての高層マンションの建設予定地になっていた。

◆「よそ者」の活躍

このまちなみアート、企画した中心人物が山大経済で筆者と同級生K君で、地元のイベントの大物になっている感がある。この手のイベントには欠かせない人物になっている。

また、君の相棒で東京在住の君は東京から力強い支援を行っている。同郷の画家の加藤照さんをイベントに引っ張り込んだ。また、イメージキャラクターとして女優さんを東京から呼んでいる。

九州F県出身で山口在住のK君、九州K県出身で関東在住のS君、画家の加藤照氏、そしてわたし。

竪小路のイベントは「よそ者」が活躍していた。

学生時代を過ごしたところは懐かしい。思い出のかけらがあちこちに散らばっている。

山口はいわばもうひとつの故郷。

気に入った別荘を愛する感覚に似て、ある程度の時間と資金を気軽に注ぎ込み、応援することを楽しむ気楽さがある。

(学23期kz)

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豊響引退山科襲名披露大相撲

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山口七夕会の前本部長で山口市ファンクラブ管理者である椙山 俊哉様より、後輩の方が豊真将の立田川親方と親交があるということで、下関出身の豊響関の掲記情報について頂きました。

最高位は東前頭2枚目で、通算97場所を務め、「平成の猛牛」と言われた豊響関は高校時代に勧誘に来られた境川親方に、お母様が「親方にお世話になったら」と声をかけたら、「だったらおまえが行けよ」と言い、親方が親に向かってのぞんざいな言い方に激怒して、こちらから御免だと帰られ破談となったエピソードは有名です。

私自身、横綱朝青龍の不祥事後の復帰場所初日に当日券を求めて早朝の3時過ぎに国技館に一番乗りで並び、テレビ局、新聞社の報道各社の取材を受けた際に2番目に並ばれた境川部屋後援会の豊響関命の埼玉在住の方と相撲談義をしたことが忘れられません。

元両国の境川親方は協会の理事の要職にありますが、弟子を育てる実績が半端なく、伊勢ケ浜親方と双璧で敬服しています。
境川部屋では元大関豪栄道、妙義龍、佐田の海等多数の関取を輩出しています。
最近では私は幕内に昇進した平戸海を応援しています。

豊響関の引退披露には私もチケットを購入し、豊響、境川親方、立田川親方他多数の関係者の方とのツーショトを撮って来ます。
相撲仲間とも再会出来そうで、来年の1月29日(日)が待ち遠しいです。

https://toyohibiki.com/

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