上がらない日本の賃金

その2 経営側の要因 ②

経営者の資質

日本では赤字を出した経営者の責任が、欧米に比べて軽いという指摘がある。

少し古いデータになるが、総務省が出した2012年時点の欠損法人割合の国際比較をみると、我が国は72%となっており、米(46%)、英(48%)、独(56%)、韓国(46%)と比べて高い値になっている。

日本の経営者には「サラリーマン経営者」が多く、このため何が何でも自分の代でコストを見直し、赤字を解消し、利益を上げ、黒字体質を作り上げるという気迫ある社長が少ないのかもしれない。

大企業であっても、一代で築き上げた大物社長の場合、後継者に経営トップとしての地位を譲っても、業績が悪化すれば、経営トップとして再登板することがあり、つい最近もそのことが新聞に報じられた。

◆取締役会

社長の側近で構成される取締役会。この取締役会が、社長が経営者のトップとして降りかかる難題に取り組み、意見の隔たりを調整しながら新たな方向に事業を向かわせ、企業のパフォーマンスを上げていくよう助言し、また監視していく役回りとして十分に機能すれば問題はない。

しかし「お飾り」であってはいけない。

生え抜きの取締役にあっては、自分が社長になった時のことを考えて現社長への諫言を遠慮してはいけない。

また、企業の外部から呼ばれた取締役にあっては、「名ばかり取締役」になってはいけない。他企業で名を上げた経営者、学識経験者、経営に明るい女性などを揃えたは良いが、リーダーとしての社長に取締役が苦言を呈すべきときに沈黙しては意味をなさない。

しかし、我が国では、これがなかなか難しい。

リーダーへ苦言を呈することはなかなか勇気が要る。近世では主君に諫言を呈した気骨ある側近が自害させられた例もあるほどだ。

そもそも、こうした苦言を呈する者は内部であれ、外部であれ、取締役に選任される確率は低いのではないか。

日本には「和をもって貴しとなす」という社会風土がある。相手を傷つけ、自分も傷つく「争いごと」を嫌うのだ。

◆人材と人財

次稿では、生産性の上昇を阻む要因として労働側の要因を考えるが、その前に、経営サイドが労働側、すなわち人材をどのように認識しているのか考えてみる。

経営の分野では「人材」ではなく、「人財」という用語を用いることがある。

しかし企業会計をみると、「人財」という用語が使われる割には、ヒトは資産ではなく費用として処理される。

従業員を大事に扱い、従業員の満足度が高い企業の生産性が高いとことは多くの調査結果が示している。大事に扱われた従業員はその企業への忠誠心を高め、仕事へのパフォーマンスが上がり、また自分の周辺の仕事にも目配せするようになり、会社への定着率も良いという好結果がもたらされるのだろう。

利益を出すのに、賃金を削るという「引き算」ではなく、従業員を大事にすることで企業の生産性が上がり、利益が上がるという「足し算」によって、結果的に賃金も上がるとの報告例が増えているのだ。

働く者を大事に扱うとはどういうことか。

イタリアのある村に、昼休みを十分に与え、企業内に劇場や図書館も設けることなどを通じ労働者に働く尊厳を与える企業があり、ここでの賃金水準は同業他社の2割増しという例が新聞に紹介されていた。アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏も視察に来たという。

これまでは企業の財務諸表や年次報告書ではモノ、カネに関する記述は豊富でも、ヒトに関する情報の掲示は手薄だった。しかし米国は2020年8月に人的資本に関する報告が上場企業に義務付け、人材育成の取り組みも投資家の判断材料としてのウェイトが増している。

かつては従業員の福利厚生に厚いのが日本企業の特徴であるというのが経済学・経営学の国際的な「通説」であったが、バブル崩壊を契機とする日本経済の長期停滞と共に従業員の福利厚生は目に見える形で削られていった。

労働力人口が減少している日本。現在、世界では外国人労働者の取り合いになっている。労働者を大事にする企業でなければ利益は上がらず、海外からも人は来てくれない。

(学23期kz)

上がらない日本の賃金 

その2 経営側の要因 ①

OECD(経済協力開発機構)の統計でみると、2020年の日本の平均値賃金は35か国中22位。隣の韓国と比べると、日本は2015年に既に韓国に抜かれ、その後両者の差は開き、2020年時点の日本の賃金水準は、韓国の77%というショッキングな状態になっている。

これではいけない。

前回は賃金上昇を阻むマクロ面の要因を取り上げたが、ここからはミクロ面、あるいは制度的な面に焦点を当て、本稿では経営側の要因について検討する。

◆上昇しない日本の生産性

賃金を上げるには生産性を上げることが鉄則になる。生産性を上げないまま賃金を上げた場合は、利益が押され、企業経営は立ちいかなくなるからだ。

生産性とは何か。雇用者が一人・時間当たり、どれくらい稼ぎ出すかという指標だ。

長年、生産性向上の必要性が多くの有識者によって指摘されてきたが、日本の生産性はほとんど上昇していない。

これはなぜか。

これまでの経営や労働のスタイルを変えることができず、止めることができないのだ。これまでのやりかた、在り方からの変更を嫌う保守的な姿勢がなかなか変わらない。

以下では、生産性の上昇を阻む要因として考えられるものをとりあげる。

◆適正な価格設定ができているか

利益が出ない、すなわちカネをとれないところに事務量を過分に注ぎ込み、特にカネのとれる「サービス」に対してカネをとっていないのではないだろうか。

日本の経営慣行が国際ビジネス慣行とズレていることはこれまでも指摘されてきたところだ。

日本の製品やサービスに対する価格設定(プライシング)が国際基準と合っていないことはこれまでも指摘されている。すなわち日本では「サービスです」といった場合、対価の支払いを求めない。サービスはタダ、すなわち料金を取らない慣行があり、「サービス」と「タダ」は往々にして同義だ。

そのサービス料金が品物の価格に上乗せされない分、価格が安価になっており、生産性の上昇を阻む要因となる。

◆過剰品質のおそれ

本質的な品質に関わらない箇所に事務量を注入していることはないか。すなわち過剰品質の問題だ。

かつてよく言われたのが茶碗の裏側。見えないところ、使用されないところにまで気を使って仕上げられている。

さらに、良すぎる商品の品揃え、またその結果としての売れ残りによる商品廃棄率の高さもSDGsの観点から問題になってきている。

電気製品の多すぎる機能もそうである。日本の優秀な技術者は、技術の粋を集めて高品質の製品を作り上げる。これは高度に鍛えられた技術者が陥りがちな罠で、技術者から見れば、製品が売れないのは「この価値が分かっていない」と不満を述べるが、消費者はそこまでの品質を求めていない。こういう過剰品質の場合が往々にしてある。

◆脱却できない過去のビジネスモデル

高品質の製品を薄利多売するビジネスモデルから脱却できていない例が多いようだ。

確かに、過去においては一世を風靡したビジネスモデルであったが、時代が変われば、競争相手が変わり、消費者の世帯構成や好みも変わる。これに合わせてビジネスの在り方を変えていくのが常道だ。

日本と同様、製造業を大事にする国ドイツでは、顧客へのイノベーション提供を大事にする。顧客の利便性を高め、顧客の利益に貢献する技術革新を大事にするのだ。またモノ作りでも顧客のニーズに合わせた各種サービスを提供し、顧客の問題解決に資する製品・サービスの提供を行うことで利益率を高めているという。日本の大企業の中には「ソリューション」という名を付したセクションも見られる。こうした顧客への問題解決型サービスは高い付加価値を生み、利益向上、すなわち生産性の向上につながるが、ここに至るハードルは高い。

なぜか。

ここには優秀な従業員が必要だからだ。顧客は日本国内ばかりではない。外国企業へも寄り添い、問題を分析し、顧客企業の利益向上に貢献できるような製品とサービスを提供する必要があり、それに対応した語学に堪能で、顧客の問題解決に寄り添う優秀な人材が必要だからだ。

「名ばかりソリューション」のセクションにならないようにしたい。

◆儲からない事業の温存

儲からない仕事はやらずに、儲かる仕事に経営資源を注入するという当たり前のことが行われていないのではないか。これがなかなか難しい。経営トップの判断ひとつで舵を切れるはずだが、これができない。

これまでの仕入れ先、販売先との長年の付き合いがあるからで、こうした硬直的な契約が利益を抑え込んでいる場合がある。

長年の付き合いで、儲からない仕事や高い仕入れ価格に悩んだ企業が、経営者が(特に外国人社長に)変わった途端に業績が回復した日本の有名企業は少なくない。

◆配置転換の逡巡と難しい解雇

使えなくなったスキルの低い労働者をどのように扱うのか。非正規労働者の場合はさておき、解雇はしない。大企業ほど解雇は事実上できないのだ。こうした人員を会社にとどめておけば、利益を圧迫する。

では、新たな仕事に必要な人材はどうするか。新たに雇用するのだという。

企業にはこうした解雇できない「余剰労働者」が400万人おり、有力な人財系シンクタンクの見通しでは2025年に500万人に増えるという。

望ましいのは、こうした雇用者が新たな技術を身に付け需要の高い分野で新たな職を得ることだ。

これには「学び直し」=リスキリングが必要であり、この必要性が叫ばれているが、日本では他の先進諸国に比べて学び直しに消極的だ。学び直しについては別稿で述べる。

(学23期kz)

思い出のワンゲル

湯田温泉駅で見たその先輩は、まだ春だというのに赤銅色に日焼けしていた。バッグからラケットのグリップが覗いている。まぶしく見えた。

山口に行くことを決めたもののまだ鬱屈した気持ちをぬぐえなかった私は、大学ではスポーツをやりたいと強く思った。

 中学・高校と何もしてこなかった者が運動部に入ることは容易ではない。消去法でワンダーフォーゲル部に入部した。週4日およそ1時間のトレーニングであることも魅力的だった。(その後、土日は山に連れて行かれ、月曜日は体が痛くて動けないことを知った。)

 新人歓迎登山で鳳翩山の麓にテントを張り夜更けまで楽しく語らった後、さあ寝ようとなった時、女性の先輩が当たり前のように自分の隣に寝たのには驚愕した。寝袋で隔てられているが横に女性がいる。緊張で眠れなかった。(その後、すぐに慣れたが・・)

因みに、テントに定員オーバーで寝る時は、リーダーは「目刺し」と指示をする。その時は頭と足を交互に並んで寝る。この時気を付けておかないと寝相の悪い隣人の足で頭をけられることがある。女性だっていびきもかくし、寝相の悪い人もいる。人生をちょっぴり知った。

 1年生最大の試練は5月下旬にやってくる「錬成」だ。1泊2日の行程で山に連れて行かれるのだが、1回目は25㎏、2回目は30㎏以上の重さを担いで山を歩き通さねばならない。部室に風呂屋の体重計がある意味がやっと分かった。与えられたリュックサック(キスリング)を見てその大きさに驚いた。金大中を拉致したリュックサックとはこれに違いないと思った。

 担いだ当初は何とかなりそうに感じた重さだが、1時間2時間と経つうちに肩に食い込んでくる。3時間4時間もすれば発狂しそうな苦しみになってくる。何度大声を上げそうになったことだろう。(その後、社会人になって「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし=家康」を知るのはまだ先のことである。)

段々腕がしびれてくる。休憩で荷物を降ろせば回復するが、徐々にその回復も鈍ってくる。いわゆる「ザック病」だ。私は結局このために夏合宿に行けなかった。

 夏休みが終わって復帰するかどうか迷ったが、同期が皆誘ってくれた。優しい仲間だった。それからは、怪我をしない体づくり、山でバテない体づくりを目指して日々のトレーニングに打ち込んだ。年が明けて屋久島での春合宿、そして初めて参加する南アルプス縦走夏合宿を余裕をもってこなすことが出来た。やっと同期の仲間に追いつけた気がした。

(元ワンゲル部 A)

                                    以上

幻のシャンソン

50年ぶりの巡り会い

◇ラジカセで切り取ったシャンソン

学生時代のアルバイトで手に入れた「ラジカセ」・・・最近では、もはや死語になっているかも知れない。

ラジオと一体となったカセットテープレコーダーだ。買った当初はニュースや知識を録音し、繰り返し聴いた「魔法の器械」であり、世界の半分を手に入れたような気がした。

刻々と変化する世界を伝えるニュース、語学をはじめとする各種教養講座、極東米軍対象とした英語のFEN放送のほか、当時ヒットした曲もカセットテープに録音し、繰り返し聞いた。

カセットテープが擦り切れたり、摩耗したり、巻き付いたりしたが、その度に「セロテープ」で繋ぎ合わせて繰り返し聞いた。

◇切り取ったシャンソン

ある音楽番組で、哀愁を帯びたフランス語のメロディーが流れてきた。私の琴線に触れる好みの曲の調べ。この曲の録音は”MUST”だと脳髄から指令が飛ぶ。録音可能スペースのあるカセットを慌てて探し、録音操作を終えた時は曲の前半3割ほどが流れ去っていた。

中途半端に録音されたその曲を繰り返し聞き、意味が解らぬまま、それらしく諳んじて口ずさむ度に、その曲が醸し出す世界に吸い込まれ、埋没していった。

私の第二外国語はサイレントの入る仏語を避けて独語を選んだ。歌に出てくる仏語で理解できたのは“maison” (家)、もう一つは大サビで出てくる“toi e moi”(あなたと私)くらい。

録音操作が遅れたことが、その後50年、曲を探してさまようことになるとは、この時思ってもみなかった。

メロディーが浮かぶ度に、どうしてもこの曲名が知りたくなってレコード屋に足を運び、店員に私の鼻歌メロディーを聞かせたが、50年も前に流行ったシャンソンを分かってくれる優れ者の店員は一人もいなかった。

◇街角で流れてきたあの曲

今から10年前くらいになるだろうか。街角で哀愁を帯びた“あの曲”が聞こえてきた。眠っていたものに再び火が付きインターネット検索するもヒットしない。

それから間もなくとうとう見つけた。

ミッシェル・デルペッシュの「哀しみの終わりに」。you tubeの中で。

原題は<La maison est en ruine>

洪水で家を流されたカップルが、仲間に元気づけられ、元気を出して立ち直ろうとする姿を描いた曲だ。

東日本大震災の時にデルペッシュ自身がいち早く東北の被災地にメッセージを寄せ、日本人によるカバー曲が復興の応援歌となったそうだ。

50年の時を超え巡り会えたシャンソン。時を超え、国を超えて震災で打ちひしがれた人々に寄り添い、励ます応援歌となった。

街角であのメロディーが聞こえてきた時とは、いまから考えると東日本大震災の直後だったのかもしれない。

◇パリの大洪水

こうした曲を生んだデルペッシュの故郷フランス。頻繁に洪水に見舞われるのだろうか。

しかし、自然災害はほとんどないという。大洪水が起こったのは1910年、今から約100年前だという。

それに比べて日本は地震、台風、土砂崩れ、洪水、津波、噴火と各種自然災害が多く、フランスほど建物も頑丈にはできていない。それでも日本人は、何度も何度も立ちあがってきた。何事もなかったような顔をして。

日本人は逞しいのだ、本来は。しかも相当に。

(学23kz)

空手部哀歌 入門編

「明けない夜はない」だが、夜は長かった。

「トンネルをぬけると雪国」しかし、トンネルも長かった。

約半世紀前、不合格に太鼓判押す教師の期待を裏切り、山口大学経済学部に合格。めでたく古都入りした。

当初仕送り1万3千円!寮のカレーライス80円、金はなくとも心は錦!の1回生―のはずだった。

創立90年のボロボロ鳳陽寮入寮。壁は穴だらけ、床はブカブカ、隙間風、窓から放尿なんのその、憧れの一人暮らしが始まった。

何も知らぬ18の春なのに、歓迎入寮コンパのどんぶり酒で死ぬ寸前。

小中高と「整列!前に習え!」でいつも一番前、いじめられっ子の幼少期。

巨漢外人レスラーの反則に我慢して、最後は空手チョップで勝利する力道山に憧れ、

無謀にも空手をやろうと考えた。

だが、寮の先輩がこういった。

「空手部なんか入ったら、卒業できんぞ。壁の穴はみな、奴らの拳の跡。やるなら

合気道。上品、女子もいる!」

女子もいる!!という重要ポイントに痺れ、一旦進む道を決定した。

その矢先、小柄でニコニコ優しい顔した空手部2回生が寮に勧誘に来た。

当時、他大学の空手部やワンゲル部のしごきで死亡事故相次ぎニュースになっていた。

 

私ー「入部しても、いやならすぐ辞められるの?」

先輩ー「君!仮にも国立大学だよ、紳士的・民主的、何の問題もない。一度稽古を見にいらっしゃい」

疑うことを知らない田舎のボンボンは、「なんや、寮の先輩の話と違うやんか!」とアリ地獄に真っ逆さま、経済学部の正面にあった空手部道場へ。

道場の端に正座見学、すごいのなんの、寸止めなんかとんでもない。

バッチン!ボコッボコ!殴るは、蹴るは!!道着は血だらけ、選手の一人は顔に大傷

(実はこの4回生は直前バイク事故で顔を怪我。中四国大会直前で特に過激な稽古中)

ムリ!無理!無理!!、来るんじゃなかった、すぐ帰らねば!!と

逃げるタイミングを計っていたら、バタンとドアを閉める音。あーヤバイ!!

長い稽古が終了。「ハイ、新入生紹介!」

泣く泣く居並ぶ部員の前に立たされ自己紹介。拍手!!

鬼の形相、副主将が「明日から来いよ。来なかったら迎えに行くけんね。」

こうしてめでたく入部、オス、オス、何でも押忍!!恐怖の理不尽生活が始まった。

主将は嘉穂高校名門柔道部出身。頬にチェーンで抉り取られた傷あり、眼が弱く普段は薄いサングラス、893さんも避けて通る。

下宿にお邪魔したが、壁には大きな国旗。北一輝の本が並ぶ。右翼結社??

超豪華ステレオでクラシック。初めてゴールドネスカフェをいただきました。

副将は経済、坊主頭で鬼軍曹、仏の2回生は彼に倍返しを誓いとても強くなりました。

母は「学生運動と山岳部は危険だからやめて。それ以外なら」と。

父は「運動部はいい、頑張れよ。」

人の気も知らんと、二人は賛成。

楽しい学生生活はどこへやら、わが身の不幸を嘆く肥満の一回生でありましたー続く。

次回は修羅奮闘編 お楽しみに。  

(経済学部22期生 N)

注) 以上はフィクションで実在の人物、組織とは関係ありません。ーということにしておきます。

不適切な表現もありますが、作者の意図を尊重し、ほぼ原文のまま掲載しております。