山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【トピックス】
◆寮の友人
入学当初、朝から晩まで、「女人禁制」の時間を共に過ごした。
最低限の学業をこなしながら酒に、麻雀に、ギターに熱中した。
消灯時間もなく、門限もない。
深夜まで、時によっては卓を囲んで早朝まで仲間と過ごす。
吉田寮は二人部屋だ。
よくしたもので、部屋の住人の組み合わせは原則、文系と理系の組み合わせになっていた。
ここで他学部の同級生や先輩たちとの出会いがあった。この時の出会いで生涯の付き合いとなった者もいる。
寮生活は入学当初、知り合いを増やす絶好の機会をもたらしてくれるありがたい場であった。
ただ二人相部屋の寮では生活には独りになれないという欠点があったが、私は先輩や仲間を早く知り合いたいという気持ちが先に立ち、寮生活を続けた。
◆A君との出会い
私に割り当てられた寮の部屋のはす向かいに、理学部化学科、福岡出身のA君がいた。
酒に、麻雀に、ギター。話も上手いし、各種の口上もプロ級だった。本棚にはA・ビアスの「悪魔の辞典」があったが、ありきたりの退廃的な逆説ではなく、意気を高揚させるポジティブな逆説をこよなく愛し、またスパイスの効いた冗談も冴えていた。そのA君とはアルバイトも一緒のことが多かったし、一緒にバンドを組んで、ロックミュージシャン気取りを楽しんだ。
A君は見るからに頑健で、高校時代はラグビーをやっていたという。
彼は心身ともに逞しい。当時、A君のことを「原爆が落ちても生き残る」と確信していたほどだ。
身体もさることながら指も大ぶりの芋虫のように野太いが、その指でクラシックギターを弾き、センチメンタルな旋律を弦で奏でる繊細さも持ち合わせている。
彼は吉田寮を1年で退寮し、下宿暮らしに変るが、健康食材にこだわりがあった。飯を炊くにも、米ではなく、圧力釜で玄米を焚くことを厭わなかった。
学年が上がると学業が忙しくなる。白衣姿で実験漬けの毎日で、学生に極めて厳しかった化学のN教授の下でかなり苦労したようだが、無事卒業を果たした。
器用なもので、学業の合間に山大七夕祭を立ち上げ、初代実行委員長になっている。
◆ベストセラーを出したA君
彼は卒業後、総合商社勤務を振り出しに、食品を中心として色々な業界に身を置いたようで、行く先々で活躍した。テレビにも何度か登場したが、その際には事前に連絡をよこしてくれた。
次の職が決まる間の浪人時代には特許をとることに没頭し、5つほど特許を持っている。文系にはいないタイプだ。
しかし、色々な職の遍歴を持つ彼は、健康と食品が交差するジャンルに落ち着き、そこで頭角を現わす。添加物食品のジャンルだ。
そのジャンルに切り込み、彼の天職となった。
築紫哲也と出会い、彼から可愛がられる一方、東洋経済から添加物に警告を発する本を出し、初版で65万部を売った。この本は当たり、3作目、4作目とシリーズものを出している。今では食品関係の協会を立ち上げ、代表理事をしている。
マンガ・美味しんぼにも彼の顔と名前が何度か登場しており、5年ほど前には山手線の2両が彼の本の広告で埋まったことがあった。
また去年の秋、山大ホームカミングデーに登壇している。
今年刊行した和食復活の食育本でA君の名を冠した「●●ごはん」なる著書を刊行したが、学生の食生活を案じるO学長の推薦で山大の指定図書に採用され、山大売店でも販売されているという。
彼は今でも講演活動で全国を飛び回っており、今でも月に2~3は上京する。その折には、楽器を弾ける新橋のライブハウスに行き、昔のレパートリーだった洋もの楽曲をハモり、シャウトして遊んでいる。
そこではA君の僕(しもべ)であるはずの芋虫君は、いつものように別の生き物のように、しなやかに、そしてリズミカルに弦を這い、時には妖しくうねって旋律を奏でる。
その様は半世紀を経た今でも健在だ。
(学23期kz)
山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
★SNSに登録していただき、フォローをお願い致します。