前立腺がんの疑いあり その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

◆同窓のIZ君、前立腺がん放射線治療の権威を目指す

がんになったとしても安心して相談できる若きドクターを見つけた。

大学附属病院のドクターになっているIZ君。

彼は鳳陽会東京支部の同窓だ。学50期生。年齢は40を少し過ぎたところか。

山大経済学部を出たが、思うところこれあり、別の大学で医学を修めたのだ。

文系と理系のダブルメジャー。

海外ではダブルメジャーはよく聞くが、日本では珍しい。

◆IZ君と乾杯

そのIZ君は筑波にいるが、東京に用があったようで東京支部の事務所を訪ね来てくれた。

彼とは一度、若手の諸君と一緒に飲んだのだが、みんなと一緒の時には愉快に話はするが、深い話はできない。

今回改めて彼のことを知る機会ができた。

彼の生まれは茨城。もともと筑波の近くだったのだ。

大学の時には進路に悩み半年間休学したという。

その彼は大学病院でも実績を上げている。

「放射線治療は任せてください」と自信ありげに語っていたIZ君。

私と会っている時は一言も言っていなかったが、彼の所属している大学附属病院のホームページを開くと、彼が筆頭著者として書いた論文が海外の放射線専門の医療ジャーナルが選ぶ2022年の最優秀論文に選ばれたことが3月のホットニュースとしてフラッグ付きで紹介されていた。

何とも誇らしい。

彼は前立腺がんの放射線治療の権威となっていくのだろう。

頑張れIZ君。

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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(学23期kz)

春の叙勲

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

学23期・葛見雅之さんが令和5年春の叙勲で瑞宝小綬章を受章された。
葛見さんは昭和50(1975)年に経済学部(学23期・鈴木ゼミ)卒、同大学院(2期)を修了後、旧大蔵省に長年在籍され、平成25年に財務省退官。

令和4年秋の叙勲の米谷雅之名誉教授(学12期)に続く受章であり、東京支部から受章者が出たことは大変栄誉あることだと思います。
現在葛見さんは、鳳陽会東京支部の事務局長をされており、経済学部同窓会の運営にも尽力されています。
今回の受章を心よりお慶び申し上げます。

山口勝裕 1992年卒 (学40期)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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偶然の一致(1)

(自転車泥棒)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

若い時に、松本清張の作品が好きで、「点と線」をはじめ何作品かを読んだことがあります。
又、水上勉の「飢餓海峡」も印象に残っている作品の一つです。
松本清張の作品は偶然が重なって展開していくので、読んだ後は、自分が妙に用心深いというか、臆病になった記憶があります。
そんな偶然が重なる確率なんて驚く程低い筈であるが、小さなことでも気にして、仕事上のちょっとしたミスでも暴かれて窮地に立たされるのではないかと思った時期もありました。
水上勉の「飢餓海峡」にしても、篤志家の人が、ちょっとした新聞記事になり、そこから昔の過去が暴かれていくといったストーリーです。
私は、過去2回ほどこんな偶然が本当にあるのかと体験した出来事がありましたが、2回に分けて紹介してみたいと思います。

まず、ひとつは山口での学生時代に遡るので、もう50年位前のことですが、私はアパート生活をしていて、アパートの共用のトイレが水洗でなく嫌で、1.5キロ離れた山口市民会館の公衆トイレに自転車を利用してわざわざ行っていました。 
ある夜のこと、市民会館で用を済ませて出ると外に置いていた私の自転車がないではないか。
付近を捜したがないので私は仕方なく、とぼとぼとアパート迄、15分程度の距離を歩いて帰るとアパートの私の部屋の前のいつものところに自転車が置いてあった。
私はすぐにこれは、私の友達のいたずらであると直感し、誰のいたずらにせよ、一件、落着の思いであった。

ところがである。
翌日以降にどうも私のアパートの住民が私の自転車を使っている気配なのである。
そんな筈はないのにとの思いもあり、使用しないで様子を見ることにしたが、その後、荷台等少し改造して使われていたのである。
旧い自転車であり、お世辞にも他人がほしくなる自転車からは程遠かった。
当分、アパートの住民に使わせておいて、ある日、自分のものと思って使おうとした住民に対して、「それは誰の自転車ですか」と聞いたら、「私のです。」というので、「いい加減にしろ!!、勝手に使って!!」と。
詰問すると苦し紛れに友人からもらったという。
その人は、社会人であったが、その後、いづらくなったのか、4世帯のアパートを出て行った。
私は警察沙汰にするつもりは毛頭なかった。 
盗まれた私も驚いたが、盗んだその住民も卒倒する程驚いたであろう。
偶然の一致とはいえ恐い。
(学22期 Y・Y)

写真は山口市民会館

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常盤工業会セミナー紹介

常盤工業会(山大工学部)はにオンライン講演会を開催します。

期日:5月27日(土) 15:35~17:00

テーマ

「海水と淡水から電気を生み出す逆電気透析発電の原理と最近の技術動向」

山口大学大学院 比嘉 充教授

申し込み締め切り:5月25日(木)

興味のある方はこちらからアクセスしてください。

https://tokiwa-k.sakura.ne.jp/696/

鳳陽会東京支部事務局

前立腺がんの疑いあり その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

◆4を超えたPSA値

定期健康診断で最寄りの医療機関で前立腺がんの疑いありと指摘された。

示されたのは血中のPSAの値。4を超えると前立腺に疾患があると推定される。値が高ければ前立腺がん、前立腺肥大、前立腺炎の疑いがあり、PSAの値が高いほど前立腺がんの可能性が高まるとされる。

私の値は7を少し超えていた。

すぐにかかりつけの医者に診てもらいに行ったところ、ひと月ほど薬を飲んで様子をみて、どうするか判断しようということになった。

自宅に帰って調べてみると、前立腺のがんであっても致死率は低いようで、5年生存率は98.4%とある。

しかし、がんとなるといい気持ちはしない。他の器官に転移はしないのか、また治療の過程で厄介な副作用が出はしないか、前立腺がんを根治するには前立腺の摘出手術もあるが、その場合は男としての機能が不能になる。

不安の種は尽きない。

◆生体検査

薬を服用して様子を見たが、残念ながらPSAの数値は下がらなかった。このため大きな総合病院に行くことになり、生体検査をすることになった。

通常は日帰りの検査だが、私の場合は心筋梗塞を患い抗凝固剤(血液サラサラノの薬)を飲んでいるため出血が止まりにくい。このため、服用を中止する必要があり、何と7日間程度かかった。

平日はまとまった休みが取れないため、年末年始を手術に用い、日ごろ読めない本をゆっくり読むことができた。

◆下半身麻酔

下半身麻酔をし、前立腺に針を刺して組織の一部を摘出する。

とても不思議な感覚だ。

動かそうと思っても、動きそうでピクリとも動かない。

下半身不随の方は歯がゆい思いをしておられるのだ。

右から6か所、左からも6か所、計12か所組織を摘出した。

検査結果が出て、幸いがんではなかったということになった。

年末年始、「足掛け2年」の病院生活。大がかりな検査入院だったが、結果を聞いて力が抜け、いつもの当たり前の生活が戻ってくることに安堵した。

◆4月4日を祝う

フィットネスクラブの知り合いで前立腺を摘出した方がいる。

4月4日がお祭りの日だという。

女の子のひな祭りが3月3日。男の子の端午の節句が5月5日。

「男にして男に非ず」ということだという。

◆後日談

なお生体検査の前にPSAの値を測りに総合病院に行ったのだが、そこは自転車で結構な坂を上ったところにある。

もちろん電動自転車などではない。

息が荒いうちに血液検査をしたのだが、1か月の薬の服用の甲斐もなく高い値が出て、生体検査をすることに相成った。

後日PSAについて調べていたところ、激しい運動の後には高い値が出るという。

何だって! それ、早く言ってよ。

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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(学23期kz)

回顧・馬関戦争 ⑥幻の彦島租借

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

長崎のオランダ商館付き医者であったドイツ人・シーボルトは江戸に向かう。巌流島を過ぎ、彦島を視界に収めた周辺の景色を「素晴らしいパノラマ」と表現している。

この彦島租借は馬関戦争の講和折衝の際に、英公使オールコックが持ち出し、交渉相手の高杉晋作が拒んだとされる。

しかし、このことは講和文書の形で残ってはおらず、関係者の口述の記録にとどまる。

すなわち講和の時の通訳を下した伊藤博文は「彦島租借は高杉が断固拒否した」と後に口述しているが、通訳をした英・外交官アーネスト・サトウの記録には出てこない。

◆オールコックの脅し

英公使オールコックはアヘン戦争で香港を手に入れ、第2次アヘン戦争(アロー号事件)で九龍等を租借した実績を持つ。

当時の英国は七つの海を支配し、「太陽の沈まぬ国」であった。

長州の外国艦船砲撃は米、仏、蘭であり、英国艦船は対象とはなっていなかったが、四か国が連合した長州へ報復砲撃、その後の講和と四か国を取り纏めリードしたのがオールコックであった。

オールコックは、交渉に際し、清国での香港島(1842年租借)、九龍半島の九龍(1860年租借)の話をよく持ち出して脅しをかけてきたという。

◆講和の長州代表・高杉晋作

講和の際、長州側は高杉晋作を交渉役に充てたが、これは的中した。

もともと急進的な攘夷論者だった高杉は「危ない存在」として国内に置いておけず、外国に出される。

しかし、欧州への派遣組の選考に漏れた高杉の渡航先は、上海行きに変わる。そこで欧米が市中を闊歩し、市民が肩身を狭くしている上海の姿を見たのだ。

もちろん、アヘン戦争で香港や九龍等が租借という名で実質的に英国が領有することになったことも知っていたからだ。

彦島は香港島と似た位置づけにある。

こうした経緯で高杉はオールコックの彦島租借要求を拒んだ。

◆仏ロッシュ公使

彦島租借を阻んだもう一人の立役者が仏ロッシュ公使ではなかったか。当時フランスはナポレオン三世下産業革命が進み、資本家、労働者、農民が激しく対立。国民の目を外に向け国論をまとめる必要があり、一歩先を行っていた英国の極東マーケット開拓に割り込む必要があった。

こうして仏は英国に追随する形で極東に向かうが、その存在ゆえに

英国の独走をけん制する形となったのだ。

幕末当時の日本では英公使オールコックと仏公使ロッシュが覇権争いをしていた。

日本の行方を見誤り、幕府に付いた仏公使ロッシュであったが、日本にとっては英国の彦島租借を阻んだ影の貢献者であったと言えるかもしれない。

(学23期kz)

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平和な瞬間に感謝

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

1989年4月1日はこの国に初めて消費税が導入された日でした。

山口でのあまりにも楽しすぎる4年間を過ごした私にとって、社会人になる唯一のモチベーションは、山口では経験できなかった、アーバンライフが経験できる都会(東京)での新しい生活。東京ラブストーリーや、君が嘘をついた に代表されるトレンディードラマの様に、ワンレン.ボディコンの女性に囲まれながらの社会人生活が東京で待ってるはず!と期待を胸に抱いて、新宿の高層ビルに本社のある、H製作所のグループ会社の内定をもらい、後ろ髪を引かれながら山口を後にした日でした。

その高まる期待と裏腹に、入社式が行われたのは、茨城県の下館という片田舎の街でした。

羽田空港から電車を乗り継ぎ、新幹線の止まる小山(栃木)で降りて、水戸線に乗り換えた時、ここは小郡(新山口)かと錯覚する様な光景でした。

この水戸線は、当時は単線で、唯一山口線と違うのは、電化されていたことでした。

駅のコーヒーショップで飲んだコーヒーが¥206で、初めて消費税3%導入されたことを知りました。

入社式では、百数十人の同期を前に、社長から

「ここにいる全員が社長になれる。我が社は子会社をこれから100以上設立する」と豪語されていました。(その会社は数年前に売却されましたが笑)

当時の鳳陽会の東京支部総会は、4月の終わりの金曜の夜。場所は上野精養軒。平日の金曜日の夜にもかかわらず、500名を超える参加者。幹事の先輩達は、自分の会社の部下の女性を受付要員として、引き連れ、大抽選会では、協賛?企業からテレビや電子レンジなど今では考えられない賞品が用意されていました。

(まさに公私混同がまかり通る時代)

あれから34年、その後の社会人生活は、ドラマみたいな激変ですが、コロナで人生初めての制限のある3年の時が終わり、再び平和なこの国で生活する幸せを噛み締める、ゴールデンウィークです。

@東京御岳渓谷

大学37期 上野 啓

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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わが野球人生

元プロ野球選手・野球解説者 西本聖氏

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

6年半前の2016年10月17日になりますが、朝3時半に起床し、最寄り駅のJR大井町駅から京浜東北線の始発電車に乗り、東京駅で京葉線に乗り換えて舞浜駅に到着。
タクシーでシェラトングランデトーキョーベイに到着したのは5:30でした。
6時から浦安市倫理法人会の経営者モーニングセミナーに初参加しました。

今回、講師が元プロ野球選手の西本聖さんということで野球好きな私は是非、聴きたいと思った次第です。
西本さんが巨人、中日で活躍された頃は私は広島カープファンで松山商業で甲子園準優勝投手でカープに入団されたお兄さんの明和さんを応援したことはありましたが、西本さんは常に敵軍のエースピッチャーでした。
私が中日ファンに転向した時は中日からパ・リーグに移籍された後でした。
でも、星野さんが阪神の監督をされ、一軍投手コーチに乞われて就任された時はコーチとして星野監督に認められて嬉しかったです。

セミナーは最高で大感銘を受け、嗚咽を止められませんでした。
ドラフト外で入団され、甲子園で活躍しドラフト1位入団の定岡投手に負けたくないという悔しい思いの練習、その後は甲子園で大活躍した怪物江川さんの入団により、同じチームなのにライバル視して闘ったことが、本音で語られていて我々の実生活やビジネスにも通じるところがあると思いました。

セミナーは平日の早朝にも拘わらず200名近くの方が参加され大盛況でした。
最後になりましたが、非会員の私にも拘わらずご案内いただいた渡邊あかね様に大感謝です。
(学22期 Y・Y)


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回顧・馬関戦争 ⑤賠償金

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

◆先例としての薩英戦争賠償問題

馬関戦争が起きた同じ文久3年(1863年)に英国は前年の生麦事件にかかる犯人の処刑と賠償金の支払いを薩摩藩へ迫ったが、薩摩藩がこれを拒否。このために薩英戦争が起きている。

薩摩は、日英修好通商条約は幕府が勝手に始めたものでることを理由に支払いを拒否。

このため薩英戦争での賠償金は幕府に対して10万ポンド(生麦事件・1862年9月)、1万ポンド(東禅寺事件)、計11万ポンド(44万ドル)、薩摩へは2万5千ポンド(10万ドル)合計54万ドルであった。

幕府は翌年(1864年)5月9日(長州による攘夷決行の前日)11万ポンドを支払っている。

薩摩藩としては、賠償金(10万ドル=6万300両)を幕府に用立ててもらい支払ったが、この分、幕府への返済は行っていない。

◆馬関戦争の賠償金は300万ドル

馬関戦争での賠償金はどうであったか。四国連合は報復攻撃を終えた後、講和の席で幕府と長州に対し、賠償金300万ドルを要求した。これは薩英戦争での賠償額54万ドルの約5倍に当たり、幕府予算の3分の1に相当する。

長州は、薩摩の対応と同様、幕府の攘夷実行の命令に従ったことによるものであるとして支払いを拒否している。

また、支払能力もなかった。長州側の言い分は「防長二州でコメの収入は36万石、このうち20万石は家臣の扶持、残りは大砲、武器・弾薬に使い、支払い能力なし」とした。

◆英国の開港圧力と幕府の判断

交渉の当事者になったのは英国公使オールコック。

オールコックが目指すは300万ドルの弁済ではなく、本当の狙いは開港・開市にあった。このための返済不能と思われる額の賠償金を持ち出したのだ。

しかし幕府は支払うことを決める。

なぜか。

開港したくなかったのだ。

孝明天皇への配慮もさることながら、開港要求に応じれば攘夷熱が起こり、雄藩への支持派が増え、さらに攘夷熱が高まることを懸念した。

また、幕府が長州と談判することなく支払いを決めたのは、薩英戦争後の英国と薩摩とが親善関係に発展したように、英国と長州が交渉する過程で両者に幕府抜きでの良好な関係ができることは、幕府にとって好ましくないと考えていた節もある。

このほか、経済的な理由も賠償金支払いを決めた背景にあったようだ。

開港したことによってモノが海外に流れ、物資の供給不足から、米、塩、油などの生活必需品の値が上がり、場所によっては以前の数倍に上がったことが記録に残る。庶民の首を絞めたのだ。

こうしたことで庶民が暴徒化する治安の乱れを止める意図もあったようだ。

◆賠償金返済

幕府は300万ドルを3か月ごとに、50万ドルづつ6回に分けて払うとした。2回の支払を終え、3回目を1866年3月に終えたが4回目の支払のめどが立たず、2年間の支払延期の要請している。

しかしその半年後、幕府が倒れた(10月15日大政奉還)。

賠償金の返済は明治新政府に持ち越され、支払い終えたのは明治7年(1874年)であった。

4か国はそれぞれ80万ドル弱を手に入れ、またなし崩し的に開港・開市となった。

◆米国に渡った賠償金の返還

下関事件によって米国は長州側の無通告砲撃第一砲を商船ペングローブ号に受けたが、その砲撃に対し、後日艦船が出動し、長州の軍艦2隻を撃沈、1隻を大破させ報復している。この時ペングローブ号が被った損害として米国単独で1万ドルを幕府に請求し、翌年7月に幕府から支払いを受け、米国との間で賠償問題は決着が付いている。

他方、英国が講和を取り仕切った四国連合への賠償金300万ドル。このうち、米国では賠償金80万ドル弱が渡った。

しかし、この賠償金の扱いを巡り、米国では15年かけて議会で検討され、すでに賠償問題は終わっているため、「本質的に相当な理由のない賠償金」であるとし、1884年に日本に全額が返還されている。

この全額返還された賠償金は横浜港の大規模な築港工事に使われ、大規模な防波堤、大型船が着岸出来るようになったという。

賠償金の扱いを巡る米国の美談であり、当時の米国の清らかさと見識の高さを示した判断であったとされている。

(学23期kz)

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田園調布巡り

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年4月トピックス】

会社を早期退職してから3ヶ月位、昼間、某チャート社の株式スクールに通ったことがあります。
以前から株式の知識はあり、実践もしていたのですが、我流ではなく体系的にきちんと勉強してみたいと思ったからです。
それと併せて月1回土曜日開催のセミナーに参加しました。
そこで知り合った人にNさん(35歳独身)がいました。

サラリーマンをやっていて、セミナー終了後は、喫茶店や食事に一緒に行って株式談義をしました。
埼玉県内に住んでいるが、実家は東京の大田区というだけで具体的にどこかは聞いたことがなかった。
ある日、ぼそっと実家は田園調布で今度、車で田園調布に案内しますという。
ポプラ並木も綺麗ですよという。

もともとお父さんの以前の代から田園調布に住んでいて、そのことで子供の頃から劣等感に苛まれたという。
ちょっと私には理解に苦しむが、彼のお父さんはサラリーマンをやっていて、クラスメイトと比較したら天地の差があるという。

テニスプレイヤーだったM氏は同級生という。
読売巨人軍の元監督だったN氏、東京都知事だったI氏、超有名歌手のI氏、スーパーDのカリスマオーナーだったN氏、UコーヒーのU氏等中途半端な年収の人はいないという。
彼の実家は一丁目の商店街でとても脚光を浴びている三丁目の住民と比較すると金持ちのレベルが全く違うというのである。
子供の頃から、早くそこを抜け出して普通の生活をしたいと思ったという。

車から降りて散策してみたが、どこか自分が浮いていて、周囲の風景に溶け込めないものを感じた。
さもありなんである。(笑)
そして彼曰く、これまで何人かの知り合いを案内したことがあるが、大抵の人が愕然としてショックを受けて茫然としたが、Yさん(私)は全く変わらないという。

それはそうである。
雲の上の人か遥か彼方の宇宙の人で比較の対象ではないのである。
私は将来は多摩川のほとりでテント生活をすれば気楽で良いと思っていました。
上を見れば切りがない、下を見れば後がない。(笑)
精神の自由さが一番であると自分を納得させています。
田園調布駅前の豪華な喫茶店でケーキをいただきながらのんびりと田園調布を楽しんだ半日でした。
(学22期 Y・Y)

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