「日本人論」の欠片 その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 9月トピックス】  

◆「異質の存在」を嫌う

「仲間外れ」、「村八分」、「バスに乗り遅れる」・・・

自らが、こうした「異質な存在」になることに、日本人は異常に敏感だ。

違いがある、違いが出ることを恐れることが多い。

◆協調的な日本人

日本人は協調的だという。

では日本人が協調、すなわち和を尊ぶのは何ゆえか。

日本では争いを嫌う。勝ち負けを嫌うのだ

なぜか。

勝者は負けた者の恨みを買う。

恨みの持つエネルギーは計り知れない場合が多い。

すなわち恨みは相手との閉じた関係で終わり、価値のある発展的なの方向に向かうことはほとんどないといえる。

昨今ではきれいな言葉として「ダイバーシティ」が盛んに叫ばれ始めたが、これはこれまでダイバーシティが軽視されてきたからではないか。

いや、軽視というより、むしろ無視されてきたからで、こうした中で、個性の重視、異種の容認、多様な在り方への理解が日本社会の中で急速に浸透するか疑問に思う。

日本人は相手の違いは認めるが、日本人同士、大きな「くくり」ではさほど隔たりはない。

表面的には様々な違いがあることは間違いないが、日本人の好み、考え方、行動様式は「基本的」には、同じ考え、同じ発想の同種の仲間同士なのだ。

日本の起業率が諸外国と比べて低いのもここに原因の一つがあるかもしれない。

すなわち、起業家が新たなビジネスを始めても、ライバルたちはすぐに追随しマーケットに参入してくる。そのビジネスが大きな利益を産むものならなおさらそうなる。

ライバルたちには手の内が分かっているのだろう。

同質な社会でのそうしたビジネスでは、マーケットへの参入により創業者利得は瞬く間に失われる。

こうしたことを避けようすれば特許をとるほかはないが、手間と、時間と、カネがかかるため、大企業ならいざ知らず、個人の起業家の場合、新製品がものになるかどうか分からない状態では特許取得に思い切れない場合が多いのではないか。

低い起業率の原因として、リスクマネーの供給、すなわちエンジェルやベンチャーキャピタルが育っていないとされるが、なぜか。

彼らは同種の競争の中では創業者利得がすぐに蒸発していくことが分かっていることも一因ではないか。

つづく

持論、異論、試をお聞かせください。特に在外経験の長い方々、ぜひ。)

(学23期kz)

生前葬

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年9月 トピックス】


◆サラリーマン時代の47歳位の時だと記憶しますが、当時、東京で勤務していましたが、故郷の広島で生前葬をしたことがあります。
といっても、場所は実家やお寺ではなく、広島の歓楽街の流川の居酒屋でした。
最初は帰省した際に、いろんな懐かしい人と会って久しぶりに話をしたいと思いましたが、ひとり、ひとりと会っていると人数が限られるので、一堂に会してもらえば多くの人と再会できると思い付きました。
それには大義名分が必要で、昇進は私には縁がなく、「生前葬」となった。

◆葬儀ですから参加者同士の横の繋がりは必ずしも必要ではありません。
もちろん、喪服姿の人はいなかったが、15名の男女が集まってくれた。
何しろ、私が亡くなったことを前提にしているので、参加者の表情が読み取れて面白い。
聞き耳を立てると「Yさんは実にいい人であった。」と一部の声はあったが、結構、悪口も聞こえたが、それはそれでいい。(笑)
知らない人同士のコミュニケーションにもなり輪が拡がり大変喜ばれた。

◆私の会社時代の先輩、同僚は企業戦士として活躍されたが、信じられない多くの人が、現役中か退職して間もない頃に病気で亡くなっておられる。
私も生前葬をきっかけに、自分は周囲に神経を使わないで我侭に思うように生きることに決めた。
周りから見ると、それまでもマイペースであったが。(笑)
一度は死んだのであるから、何でも出来る。

◆最後は、会葬御礼として、東京のおみやげの虎屋の羊羹を配った。
虎屋の羊羹は重いが、嵩張らないので便利である。
二次会は流川のスナックを借り切って、飲めや歌えやで深夜まで多いに盛り上がった。

その後、早期退職して62歳の時に大病を患い、先取りし、先見の明があったと思いましたが、幸か不幸かまだ生きています。(笑)
(学22期 Y・Y)

※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

幕末から明治、外国人に映った日本の日常 ③スウェンソン

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 9月トピックス】  

このシリーズでは、幕末から明治にかけて外国人が見た日本の日常の光景を彼らの日記等から紹介している。

◆仏・外交官スウェンソン

駐日フランス公使ロッシュに仕えたデンマーク海軍の軍人であり、フランス海軍に出向中、日本に赴任したスウェンソン。彼の日記には日本の若者の意外な側面が目に留まったようだ。

すなわち、

「求められれば自分の意見を述べる。青二才の若者が大名やゴロジョー(ご老中)に向かってフランクに率直な会話をする」。

「日本では地位と年齢を尊ぶことを教える一方、自己の尊厳をきちんと主張することを教える。こうして育てられた自尊心や独立心が日本人を他のアジア人や中国民族よりずっと優れたものにする。」

と見た。

また、日本人のユーモア好きをフランス人に似ていると綴っているのが面白い。

「ユーモアがあってふざけ好きなのは日本人すべての階層に共通している。上流の人は威厳を保つ必要があるため通常それを隠しているが、必要がないとなると、すぐそれを外してしまう。

下層の人は仮面をかぶる必要もないからいつでもどこでもタバコをふかしながら口々に冗談を飛ばし、悪意のないからかいをしている。皮肉を飛ばし合っても誰も怒らない。こうした点はフランス人とよく似ている。」

つづく

(学23期kz)

「日本人論」の欠片 その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 8月トピックス】  

◆日本人って・・・

難しい。

多様で多面的、百人百様誰しも自分なりの見解あり

私も私なりに興味があった。

いや、むしろこれまで興味を失わなかった問いの一つと言える。

これまで私の身近に起こってきた断片的な体験をもとに、思いついてきた自己流の日本人論について暫定的に書き留めておくことは、頭の整理として悪いことではない。

こうした作業はすべてがご破算になる認知症が発症する前に早く取り掛かる方がよいかもしれない。

日本(人の)優れた面、特異な面、あいまいな面これらが「てんこ盛り」の感がある日本。

あれこれ考えるだけでも面白い。

・・・タッチーな問題、例えば思想信条、政治、宗教、憲法、安全保障、軍事、核などについて正面からとり上げるのはのはヤメトコ。恥ずかしながらこれらの問題を扱えるだけの勉強量が不足しているので。

◆日米比較

日本は和の国だという

また、アングロサクソンの代表の米国は競争の国だという。

ほんとにそうか。

日本と米国で様々な課題に立ち向かうときに、どのような違いがあり、どちらがどのような利点を有するのだろうか。

◆日本は和の国か

テーマを逆に設定してみよう。

日本では競争がないか。

そんなことはない。企業ではライバル企業との間で激しいシェア争いを展開する。

少子化の中で、また国際競争が激化する中で、企業でも優秀な社員を獲得したいという誘因が働く。会社に入ってからも激しい出世競争が繰り広げられる。

また、教育機関大学でもそうだ。優秀な人材の取り合いがある。学習塾から予備校、大学。そこでは優秀な生徒を取り合い、激しく競争している。

◆一歩引いて眺めてみると、日本の競争は、競争の質として、「同質の者同士の競争」をしている感がある。趣味嗜好が同じであるが故に、競争は激烈になることになる。

ここでは異質、個性、種の違いは、そもそもさほど重視されない。

むしろ教育の世界ではこうした異質な者、すなわち強い個性を持つ者、優秀であっても、教室で教える先生が管理できない者たちは排除されてきたのが実態ではないか。

出来の悪い生徒然り、また、たとえ先生の知能を超えた優秀な子供もそういう運命にある。管理できないからだ。

つづく

持論、異論、試をお聞かせください。特に在外経験の長い方々、ぜひ。)

学23期kz)

簡憲幸老師の独立支援「起業家成功学」セミナーに参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

◆8月24日(土)大井町からりんかい線、中央線を乗り継いで、JR大久保駅から徒歩3分の新宿区百人町の竹林館にて11:00~16:30開催の簡憲幸講師の下記セミナーに参加しました。
簡憲幸講師の講座には昨年9月の台湾講座第1回「中華民国とは?」に続き、2回目のセミナー参加となりました。
四十の手習いならぬ古稀過ぎての起業は全く考えておりませんが、これからの残された人生のヒントになることがあるのではと思い参加しました。

◆8名の方が参加され、教科書にない裏話の数々にサプライズがあり、参加された方の中にも博学な実践者の方がおられて、活発な議論が展開されました。
起業を考えておられる方2名のコンサル・セッションと呼ばれる講師との遣り取りに既に起業されている参加者の厳しいアドバイスもあり、延長となり17時に終了しました。

◆参加者の中に南海トラフ地震への備え方やAIが人間の叡智を超えると言われている2027年以降、シンギュラリティ(特異点)の懸念事項を真剣に発信されている方がおられ、驚きました。

◆終了後は有志や新たな参加者2名により、近場の中華料理の店で舌鼓を打ち、2時間半懇親を深めました。
日頃不勉強な私に取って、8時間半に及ぶ長丁場の貴重な勉強の場となりました。
(学22期 Y・Y)

※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

懐かしのランチスポット再訪 蕎麦屋 志な乃

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

◆人気蕎麦屋 「志な乃」

都道301号の愛宕下、愛宕通り沿い(白山・祝田・田町線)にあった手打ち蕎麦屋。

職場からは1キロ近くあったが、先輩に連れられ、節目・ふしめに通った。

九州育ちの私は、ソバではなくうどん派。

社会人になりたての頃は東京のソバに馴染めなかった。

一般的に蕎麦は東。

寒冷な気候で地味のやせたところでも育つ蕎麦。

西はうどんだ。

小麦は温暖な気候に育つ。「関西うどん」というし、四国もうどん県の香川をはじめ、うどんが幅をきかせている。九州もうどんだ。

◆強いコシ

「志な乃」というくらいだから「信州そば」だろうか。

志な乃の麺はとにかくコシが強い。

「ハリガネ」にも似て、妥協を許さないとでもいうような堅い食感。

見かけはハリガネというより、「銅線」に近いかな。

昼に食べると夕方まで腹に原型を留めて居座っている思えるように腹持ちがいい。

また、けんちん汁もこの店の名物。

この店の人気メニューが「合い盛り・けんちん」だ。

合い盛りとは、ざる蕎麦とざるうどんの合わせ盛りのことで、この合わせ盛にけんちん汁を追加注文する。

冬はもちろんのこと、夏でも「アイモリ・ケンチン」と注文するのが流儀。

1000円から1100円くらいの時代が長かったように思う。

◆「にほん」を味わう・・・

ここの蕎麦を啜ると、なんだか「祖国・にほん」を味わう・・・とでも言えるような気がした。

大げさな話だが、特に海外赴任や海外出張の前に、また成田に着いた後に、足を運んだ時が多かった。

万が一、日本の土を踏めなくなっても・・・思い残すことは・・・。

そうしている先輩・同僚も少なからずいたように思う。

私が日本を味わえると感じるスポットと言えば、都内では山縣有朋の邸宅だった椿山荘、もう一つ都下では

八王子、奥高尾の里山にある「うかい鳥山」だ。

しかしこうしたところは職場からも、自宅からも遠く、安月給の私が気安く行けるところではない。

昼飯時に、手っ取り早く「にほん」を味わえるのが「志な乃」だった。

この店、昼時は混む。

いつも14~5人が店の外まで並んでいた。

それでも目当てのメニューを前にした至高のひと時を心待ちにして順番を待つ。

店の奥には3から4人の職人、配膳は女性3人でてんてこ舞いの忙しさだった。

◆店舗移転

かなり前に蕎麦屋が移転することになった。

「付近一帯の再開発」が移転の理由で、職場から通えそうにない遠くへの移転だった。移転先が貼ってあったが、職場から通えるところではなくなったため、仲間内では「志な乃」の話も全く出なくなった。

◆再訪

最近、ちょっとしたきっかけで、移転した「志な乃」を見つけた。

東京タワーの近くで、最寄り駅は大江戸線の「赤羽橋」。

元あった愛宕下の店から500メートルほど三田・田町方面に下ったところにあたる。

店舗は通り沿いではなく、大通りから二筋入ったところに控え目な看板が出ていた。

先日、数十年ぶりに転居先の「志な乃」の暖簾をくぐる。

「アイモリ・ケンチン」で注文が通る。

店は、奥に主人(と、もう一人いたか)、配膳は感じの良い年配の女将さんの若干名で回している。

当時と比べて、蕎麦もうどんも量はやや控え目。

けんちん汁のお椀も小振りになっていた。

蕎麦と、うどんと、けんちんと。

バランスよく箸を三角形に運び、最後の掬いで皿がすべて空く。

ふう・・・ごちそうさま。

合掌。

◆女将さん

最近3度アタックして、ようやくありつけた。

1回目は水曜に訪問。コロナ以降に加わった定休日でアウト。

2度目は忙しい昼時を避けて1時過ぎに暖簾をくぐるも、「けんちん」売り切れで、これまたアウト。

3度目で、晴れて「アイモリ・ケンチン」に辿り着けた。

1600円。

勘定を払う際、2度のアウトを喰らった小生に「申し訳ないことをした、あれからずっと気になっていた」と言い添えてくれた女将さん。

心優しい女将さん。

蕎麦の後に、もう一度「にほん」を味わえた。

(学23期kz)

強制入院の経緯

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

過去日記から
(2013-8-1mixi投稿分より)

◆2月頃からでしたが、マンション管理の仕事をしていても、どうも腹が張って仕方がないので、便秘だと思って、大正製薬のコーラックという下剤を飲んでいました。
しかし、下剤を服用後も腹は膨らんだままですっきり感はありませんでした。
腹だけ異常に膨らんで妊婦のようでした。
仕事は2、3、4、5月と4ヶ月間近く我慢して頑張りましたが、もう身体がいうことを効かなくなり、管理室で人目を盗んで横になることが多くなりました。

◆血糖値が高く薬をもらいに行っていた近くの病院に行って調べてもらうと、大病院でないと無理だという話になりました。
大病院で診察を受けると即入院しないと大変なことになるという医師。
私は仕事を放り投げるわけには行かないというと医師は仕事を取るのですか、命を取るのですかということで、代行の人にそれなりの引継ぎをして一週間後の6月5日に緊急入院となりました。
居住者の人からは顔や首筋が見る見る痩せてきたと指摘される程でした。
咳も出て、無理して食べても食事も消化しなくなりました。

◆入院後は大相撲5月場所が行われており、白鵬が優勝しましたが、次の名古屋場所はテレビ観戦も出来ないと観念しました。
又、都議選も病院で何とか不在者投票を済ませましたが、次の参議院選挙は無理だと諦めました。
もうこの世には存在していないのですから。
入院して一週間は点滴だった為、もうこのまま、この世では「最後の晩餐」もありつけないと思うと情けなくなりました。
テレビではグルメ番組をやっていて、レストランで思い切りステーキを食べて見たい。
ケンタのフライドチキンが食べたい。
リンガーハットの太麺皿うどんが食べたいと。

(学22期 Y・Y)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

魚屋で人を募集しているのに八百屋が来た

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】


◆鳳陽会東京支部のイベントの長州歴史ウォークに参加してみると第二の人生でマンション管理人をしている人が意外と多いです。
これは私が58歳の2009年5月に初めてマンション管理人の仕事を始めた時の話です。

◆あるマンションが永年管理していた管理会社から私が勤務することになった管理会社に代わりました。
前の管理会社の管理人から、指導員と一緒に引き継ぎを三日間受けましたが、その二日目のことでした。
管理人の紹介で新理事長にご挨拶をしました。

◆すると午後になって、「魚屋で職人の人を募集しているのに八百屋で働いていた人が来た。これは契約違反だ。」と言い出し、「歴史と伝統ある我がマンションに全く経験のない素人を寄こしてとんでもない話だ。それに会社で全く教育を受けないで来るなんて引き継ぎ以前の問題だ。あなたに責任はないが、あなた自身が困ることになる。」と。
新理事長は怒り、臨時に理事会の招集し解任の決議を図ろうとしましたが、土曜日で外出している理事が多く流会となりました。
そして理事として残っていた犬猿の仲の旧理事長と大論争が始まりました。
管理会社を変えた旧理事長には事前に日にちを取ってご挨拶をしていましたが、新理事長はその日が初めてでした。
どうも、管理会社を変えられた管理人が最後の悪あがきで新理事長に私のことを未経験者だと垂れこんだようです。
即、上司が呼ばれ、駆けつけましたが、話はつかず、翌週に持ち越されました。

◆私は翌日、自分の店を退職した女性が宇都宮で披露宴をするというので、移動しなければなりませんでした。
その上、新婦の来賓の代表としてのスピーチが入っていました。
練習と暗記をしなければなりませんでしたが、翌週にでも、マンションは辞めなければと思うと落ち込んで実に辛かったです。
新婦側の列席者は20人程度と聞いていましたが、当日、会場に早めに着くと何と新郎側の列席者と合わせて100名以上で睡眠不足の中、慌てました。
何とかスピーチも無事乗り切りほっとしました。
新婦にも大変喜んでもらいました。

◆翌日、出勤すると私を採用した上司の上司も来ていましたので畑違いだと云われたと抗議しました。
すると契約違反ではないというのです。そんなベテランを配置する条項はないと。
大抵の管理人は物件毎に管理会社で新規採用されます。
最初の管理会社は採用者は未経験者がほとんどということでした。
ベテランの管理人を確保していて派遣するということはありません。

◆新理事長とはその後、私に指導員を1週間ではなく、1ケ月付けることで渋々了承しました。
(学22期 Y・Y)

※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

幕末から明治、外国人に映った日本の日常②イブラヒム その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 8月トピックス】

    

3月中旬に北陸新幹線が金沢から敦賀まで延長されたことがニュースで取り上げられた。

イブラヒムは1907年1月下旬にウラジオストクを出港し、2月初旬、敦賀港に降り立った。

◆【敦賀港から横浜までの汽車の旅で】

・日本では「郵便」や「切手」など外来のものも外国語でなく日本語になって使われている。

・鉄道の客(の日本人)は全員が新聞や本を手にしている。窓の外を見ているのは外国人のみだ。彼らは外国人に誰も注目しない。外国人として自分(イブラヒム)の動静を怪しむものはいない。みんな読書に勤しんでいる。

ヨーロッパの文化圏では私のような異邦人は皆の視線が集まり、さぞや屈辱感を味わうだろう。

・窓の外の景色は見るに値するもの。雪を頂いた山々、田園の緑、快適な気候。空地は無くて、すべて田畑だ。

・乗客は非常に多く、車内は清掃が行き届いている。

・米原で乗り換えた際、小さな村でも電話ボックスや郵便ポストが置かれている(驚きに値する)。

・鉄道で預けた各種荷物が紛失せず、手元に戻ってきた(これも驚きだ)。

【横浜で】

・道には人が溢れ、往来は途絶えることなし。誰もが急きたてられるように小走りで通り過ぎていく。

【東京で】

・日本は宣伝広告においてヨーロッパさえも凌駕している。特に印象に残ったのが丸薬の「仁丹」だった

◆日本の観察

・町の往来は人が絶えず賑わっているが、男女の履く下駄の音が耳障りだ。

・人力車について・・・

馬か牛が引くところを日本では人が引く。

なぜか。これは日本が狭いため牧畜がほとんど行われておらず、馬や牛の調達ができないことによる。

・日本人の背が小さい理由・・・

子どもを背中におんぶしていること。子供を圧迫しており発育の妨げとなっていることは疑う余地がない。

・日本には夜の娯楽がない。夜は寝るのみ。そして朝早く起きる。

◆彼の日本人に対する評価は総じて好ましい

彼は特に日本人の礼儀正しさと道徳心を評価している。

エピソードを二つ紹介する。

その1

朝、彼が店でお茶を飲み、店の者が居なかったので、1銭を置いて旅に出た。

夕方同じ店に立ち寄ると、店の者が私の方に走ってきた。

さては代金が足りなかったかと財布を取り出したところ、女が小銭を差し出した。

お茶代は4厘で6厘の釣銭を持ってきたのだ。

みよ、この正直さを、この道徳心を!

日本人はイスラムに近い民族。イスラムの教えに中にある多くの守るべき道徳が日本人に自然に備わっている。清潔さ、羞恥心、中世、信頼。特に寛大さと勇気は日本人の恰も天分のようである。

その2

横浜の宿での話。宿には18歳と16歳の少年が働いていた。宿を引き払う時、夏が来たため、使わないベルトやコート、ブーツ等を置いていった。

年長の若者はそれを年下の者にそっくりやったのだ。

年長者曰く「年下の者は私より貧しいのです。年老いた父母が居ます。ずっと役に立ちましょう」

ご覧なさいこの気質を・・・このようなことを見つけるにつけ、人間に備わる慈悲の心に打たれるのである。

◆日本でイスラムが・・・

イブラヒムはイスラムの道徳が日本人に自然に備わっており、日本人はイスラムに近い民族と見ていた。

また、日本では厠が清潔であること、そこに水が置かれていること、これはイスラムの国以外では考えられないとも書いている。

彼は日本でイスラムが根付いていくことを夢みていたのかもしれない。

しかし、日本にイスラムが拡がっていくことはなかった。

(学23期kz)

一将功なりて 万骨枯る

  

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】  

        

 8月15日終戦の日 

 岡山支部からの投稿

「一将功成りて 万骨枯る」

これは唐代末期の詩人 曹松が黄巾の乱を詠んだ「己亥の歳(きがいのとし)」の結語の部分にあるという。

この言葉は不変の価値を持つ。

戦争の愚かさ、虚しさを訴える警鐘、警句・・・。

1980年代、山口大学教養部時代、柏原先生の授業に使われた英語の読本。

「Why don’t we learn from history? 」

その読本のなかで西欧の戦史をふりかえって

「一将功成りて 万骨枯る」とほぼ同様の訳語をあてる部分があった。

世の東西を問わず、貫徹される哲学がある。

今、世界に目を転ずれば、ロシアによるウクライナ侵攻、パレスチナとイスラエルの戦闘にも「一将」の問題が存在する。

20世紀は戦争の世紀と大きく総括された。

21世紀に生きる我々はいまだ、戦争の問題解決の糸口さえ見出すことができず、時を無為に過ごしているようにも感ずる。

「歴史は繰り返されるか? 否 !

歴史は不思議と、同じように“歴史の韻”を踏む」と、

歴史学者、磯田道史はいう。

 実は“韻を踏む”という歴史の螺旋階段をよい方向にも悪い方向にも歩みを進めることができるのではないか。

教養部の英語の読本を通し、10代の終りに学んだひとつの「歴史哲学」は、

僕の中では40年経過しても色あせることなく、揺るぎない哲学となっている。

私は原爆が投下された広島で開催された鳳陽会通常(全国)総会に参加した。

そして8月15日は終戦の日。

思いを深くする。

(岡山支部 B)