途中下車の人生

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

「途中下車の人生」

◆はじめまして、山口大学経済学部64期の安平賢太郎と申します。

先日、初めて鳳陽会東京支部で行われた新年会に参加させていただき、この度この投稿の機会を頂戴しました。

先ずはこうした機会をいただき御礼申し上げます。

突然ですが、皆様は「途中下車の旅」はお好きですか?

私は、ゴールを決めずに、自由気ままな旅を楽しむのが好きです。

この感覚が私の人生そのものなのかなと、これを機に改めて考えさせていただきました。

◆平成4年、山口県宇部市に生まれ、小学校教員の両親の元、物心つく頃から剣道にピアノに習字と、様々な習い事をさせてもらっていました。いろいろな習い事に触れましたが、何かに熱中することはありませんでした。

小学生の頃、皆さんはありましたか。「将来の夢」を書かされることが。

私はあの時間がどうも苦手でした。周りの友達がプロ野球選手やJリーガー、学校の先生、獣医さんなどと書く中、私は「ラーメン屋さん」と書いたのを今でもはっきりと覚えています。確かにラーメンそのものは好きでした。ただ、それは夢と語れるものでもなく、その場凌ぎで書いたものに過ぎませんでした。

大学受験は1年浪人して山口大学へ進学しました。浪人という辛い選択をしてまで、山口大学にどうしても行き、学びたかったのかと問われれば、答えは”NO”です。単に父が山口大学出身で、母も国立大学卒だったので、なんとなく勝手に背負った期待と経済の面から「両親が喜びそうだ」と思ったからです。

◆大学卒業後、地元のテレビ局に入社しました。一度は最終面接で落とされたのですが、後日、内定者が他社に流れてしまったため、補欠採用となりました。

もうお察しの通り、テレビ局就職も”どうしても”と目指していたものではなく、成り行きでした。他にも銀行やインフラ系の会社など幅広く受けていましたし、当時学内にあった公務員専門学校で公務員試験の勉強もしていたくらいでした。

こうして執筆しながら振り返ると、私は他の人に比べ、意志の弱い人間だなとつくづく思います。「ここに行きたい」「これが食べたい」「これがしたい」という欲求が希薄なんだなと。

◆それでも、そんな意思の無い自分が選択した人生を振り返って、こう思うのです。

「楽しかった」

不思議なことですよね。

きっと私にとっての幸せは、何かを成し遂げた楽しさよりも、そのプロセスを共に過ごした「誰か」との時間の方なのかもしれません。

「何をするか、どこへ行くか」より「誰とするか、誰と行くか」

この表現が私の人生にはピッタリなのだと思います。

現在は、ひょんなことから山大時代の同級生が立ち上げた会社(株式会社ctow)に参加し、「社長の名は」というTikTokメディアの制作に携わらせてもらっています。

山口大学で出会った大切な仲間たち。

そして卒業から10年近く経って初めて出会った鳳陽会東京支部のOB・OGの方々。こうした繋がりを大切に、これからも多くの「誰か」と出会い、そして感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。

山口大学経済学部 64期 安平賢太郎

鳳陽会東京支部 新年会(編集者注・・・・筆者は右から6番目、メガネの君)
「社長の名は」 ミャンマーでの取材
山口大学体育会 剣道部

今でも思い出して胸が痛みます

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

学22期Y・Y

◆1月にkzさんの『名前のはなし ①結婚式の挨拶』と題する投稿がありましたが、
今回は私の対応を巡る44歳の時の失敗談です。
T社に勤務のサラリーマン時代の話ですが、リーガロイヤルホテル広島での特約代理店会総会での話ですが、地場の有力企業のF社長が会長されていて、我が部の部長が司会進行役で、私が事務局の担当者でした。

◆会長がメインの挨拶をされるのに上司の部長が馬場正三さんと紹介したのです。
会長の名前はF馬正三さんでした。
馬場正三と言えばジャイアント馬場ではないかと咄嗟に気付きましたが、空耳ではないかと我が聴力も疑いました。
会場は少しざわついたようですが。
私は予期せぬ出来事にどうして良いのかパニックに陥りました。
上司の部長に恥を掻かせるわけにもいきません。
しかし、大事にならないことをただただ祈るだけで固まっていました。😵💦

◆案の定、支社長同席の翌週の部長会では問題になりました。
後で調べるとジャイアント馬場の本名は馬場正平でしたが、流石に部長にはプロレス好きですか?とは聞けませんでした。
周りの人に確認し、総会の途中でも上司にメモを入れるべきでした。
こういった行事は何事なく終わって当たり前で、何かあると問題視されます。
あれから30年、今でも時々思い出して胸が痛みます。

注)写真はリーガロイヤルホテル広島から見た広島市内の眺望
(学22期Y・Y)

※コメントを宜しくお願いします。
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0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp
(学22期Y・Y)

悪しからぬ、良き輩たち

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆期末試験中に急襲!

80年代の多くの経済学部生は、4年生になる春前にはゼミと卒論を残すのみで3年生3月末を迎える流れがあった。それだけに3年末の後期試験で如何に単位をそろえておくかは重要であった。

3年生の後期試験の勉強を電気こたつで勉強していた時の思い出…

農家の離れの二階にあった下宿、その周りには、ゼミの先輩の下宿も多くあった。一方、先輩との直接的交流は歓迎コンパ、追い出しコンパ等に限られていた記憶がある。しかし、登校した折に偶々出会ったゼミの先輩にはきっと“礼”を欠くことはなかったであろう。

ある夜半、何やら二階の下宿の部屋につながる階段下で誰かが、何かを騒いでいる?それから少しすると、明らかに数人がその階段を駆け上ってくる! また、何かのおちゃらけで同級生がやってきたのかな?と思っていたら、下宿のドアを荒々しくノックする輩!(ここからはあくまで輩なのである(笑))

ひょいっと空いた隙間から顔を覗けたのはゼミの先輩、、、既に4年生で就職が決まって、4月からの社会人生活を待つのみ。余裕の上に余裕が胡坐をかき、余裕をかましているゼミの先輩たち。。。(4月から背広を着ると、超大手のゼネコンO組、秤のNo1企業T精工、当時10人前後が毎年就職していたY銀行、卒業生が多く進んだH系のメーカーへ進んだ輩たち)

「ストーム!」って声を出され、押し入ってこられた。少し談笑したら、飲みに行こうと連れ出され、また近くにあった同級生の下宿に…今度はミイラ取りがミイラになって次の同級生の下宿を急襲!多くはいなかったかもしれないが、当時の学生特有の、少しおちゃらけ気分を満喫した。そして、その拘束時間は、決して長い時間ではなかった。

心配される試験の結果は?ちょっと大げさに言うと前夜の乱痴気騒ぎもものともせず、そんな中でも試験を翌朝には何食わぬ顔で平川校舎に向かう逞しさ!そして、単位も取得できていた。

◆40年近くたって思うには、文面だけではとんでもない輩たちもいろいろ配慮をされていた感がある。先ず見境なく訪問先を選んでいない。また、急襲する後輩下宿もそこそこ単位が揃いつつある後輩を選んでいそうだ。そして、そんなことが翌朝の試験に影響しそうな後輩は選んでいないのではないか?

更に、試験の結果からしても翌日試験の結果に前日の勉強が影響しそうな科目の試験日は選んでいなかったようだ。

あくまで士魂商才を校訓とする山口は、後輩を少し弄るときも士魂商才だったのかもしれない。

共に大学生活、下宿生活、ゼミの先輩後輩の関係を楽しもうと言う魂胆が見え隠れする。(笑)

その輩たちの首謀者は、超大手のゼネコンO組に就職された人に間違いない。これは確信に近い。そして、その声掛けに大乗り、悪乗りされた先輩3名。

◆しかし、30数年位たって同窓会で会うと立場が逆転?するから面白い。勿論、先輩は先輩ではあるが、超大手のゼネコンO組の先輩は一流企業サラリーマンとしての社会的縛りが遠因か、今ではどこまでも紳士なのである。一方、30数年のうちに体重は25kg増量、人相は強面、そして、べらんめい調でもやっていけるメーカー育ちとなっていたのは自分。

ビール瓶の首を持つと先輩に若干無理強い的な雰囲気も含め、おちゃらけて、笑いながら「飲め!」と言う。そして、集合写真でも、肩をそっと組むと言うよりは、少々乱暴に肩を抱え込むぐらいの勢いで先輩方の肩を鷲掴みしている写真が残っている。

山口を「心のふるさと」とする鳳陽会の同窓の友垣は、学生時代はもとより、数十年経っても相変わらずの友垣である。そして、どこか紳士でどこか荒くれもんで、そして、それまで各人が歩んできた道程の喜怒哀楽を共にし、今も昔も楽しめる友垣である。

岡山 B

名前のはなし ②上司の名前

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

これは実話。

ただし、名前は仮名ということにしておこう。

◆そういえば、かつて総理大臣に二人の菅さんがいた。

一人は菅(カン)直人氏。

山口・宇部生まれ。宇部高出身で、民主党から出た総理だ。

もう一人、菅(スガ)義偉氏。

秋田出身で、自民党から出た総理だ。

菅(カン)という姓は西日本に多く、私が知っている中でも愛媛県にかなり多い。

愛媛でも今治に近い島嶼部では村じゅう菅(カン)の姓だという話も聞いたことがある。

他方、菅(スガ)は東日本に多い。

通常、苗字にはルビが振っていないものが多く、読み方を間違うことがある。

◆かつての勤務地で厳格な上司がおられた。

その上司の名は五十崎さん。

なかなか読めない。

庶務の高田係員が、その上司から叱られた。

上司の名前の読み方を間違えたからだ。

高田君は上司の難しい名前「五十崎」の読みで、

「五十」の部分を「イカ」と覚えたまでは良かったが、

最後の「崎」を濁って読み、上司を「イカザキ」さんと呼んでしまった。

上司は気を悪くし、「私の名前は濁らない。イカサキだ」として、

高田君はお叱りを受けた。

「人の名前の呼び方を間違えるのは大変失礼に当たる。いいかい、高田君。私の名前は濁らない!」

高田君も偉いもので、その時、「私の名前もタカダでは濁りません。タカタです。濁りません」と、蚊の泣くような声で上司にもの申したという。

名前の呼び方は難しい。

(学23期kz)