番外タイ・アユタヤ編  神社仏閣巡り  その3

【2026年10月10日 トピックス】  

2012年末から2019年10月の間 タイ王国に赴任し、現地駐在でアユタヤにはよく行きました。

 車かバス、列車を利用し、列車の場合は国鉄アユタヤ駅下車しトゥクトゥク、モーターサイで市内に向かいました。駅周辺はゴミゴミしていて、田舎の駅という感じがしました。そのローカルが好きです。

 日本の江戸時代初期の駿河浪人の山田長政は御朱印貿易で東南アジアを目指し、アユタヤ王朝に辿りつきました。その王朝は、1350~1767年の約400年間に、35代の王が統治しています。長政はハジャイの知事まで昇り詰めましたが政争で毒殺されました。

「ワット マハタート(Wat Mahathat)」は王宮址の東にあり、王室と深い関係を持つ寺院で、「チェディ(Chedi)」(中心のパゴダ)は、第3代王「ボーロマラーチャーティラート1世」(在位;1370~1388年)の時代に建設に着手され、第5代王「ラーメースワン王」(在位;1388~1395年、第2代王の復位)の時代に完成されています。

ワット ラチャーブーラナの西方にある「ワット プラシーサンペット(Wat Phra Si Sanphet)」は王宮の守護寺院で、3基のセイロン様式のチェディーを中心にして歴代の王達の墓があり、1491年に建造されました。

ワット プラシーサンペットに隣接して北側にある「王宮址」は、1350年に「ウートン(U Thong)王」によって造営され、1767年にビルマ族に破壊されるまでの間「アユタヤ王国」の王宮でしたが、今では何も残っていません。

「アユチヤ日本人町の跡」は好きで何度か見学しました。日本からのお客さんも連れて行きました。

日本人町址は、アユタヤの少し南にあって「チャオプラヤ((Chaophraya)川」に面しています。

「アユタヤ歴史研究センター別館には資料が展示されていて、ビデオでも説明を受けましたが、山田長政は、王室守備隊長で知事迄昇進しました。日本人の血は100年後 現地人と同化しています。隣にはポルトガル人町があります。」

 タイ米で作る日本酒醸造場がアユタヤ県にあると六角精児のテレビ番組に出ていました。

以上  学29 Y K

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