ノーベル経済学賞 その2

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【9月 トピックス】

昨年のノーベル経済学賞は「自然実験」の手法を開発した米・大学の3氏に決まり、またしても日本人の受賞はお預けとなった。

かつては宇沢弘文、森嶋通夫、青木昌彦などが受賞候補者として名前が挙がっていた時期もあったが、これまでに日本人が受賞したことはなかった。

なぜだろう。

解明すべきテーマは豊富にあるはずだ。21世紀に入りジャパナイゼーションという言葉も一般化した。

また問題解決に検討された手法で、同じ問題を抱える諸外国の参考となるものは日本に豊富にあるはずだ。

例えば戦後の廃墟からの高度成長、オイルショックからいち早く脱却することができた社会経済政策と官民協調、バブル崩壊と不良債権処理、最近では異常な国債発行の下での経済危機回避策、不況期でも上昇しない失業率、悪い例では30年デフレとG7最優等国から政府債務最劣等国への転落と採られた政策の検証。

しかし、日本人がノーベル経済学賞を受賞できない理由として、以下のような要因が指摘されており、そのどれもうなずけるものだ。

◆受賞要件

1.そもそも経済学賞はノーベル財団が授与するのではなく、決めるのはスウェーデン国立銀行(創設は1968年)。このため受賞者はマーケット寄りの学者シカゴ学派の受賞が多い。その点、歴史、哲学、社会学を中身とし、堅牢で壮大な体系ではあるが、マーケットから距離をとる、いわゆる「マルクス経済学者」が多い日本の経済学会は分が悪いといわれる。

2.イディオロギーバイアスがあること。すなわち日本の経済学者は権威に弱く、権威ある経済学者やその言説におもねる傾向があるとされる。

なお、こうした傾向は日本だけではないようで、アイルランド、オーストラリア、ノーベルの母国スウェーデンなど北欧諸国が含まれるという。

3.引用件数が少ないこと。これは発表される研究論文の使用言語の問題で、事実上共通の言語のなっている英語での論文発表本数が限られているからだろう。

4. 次にノーベル賞の選考過程の話だ。ノーベル委員会では、まず権威のある米国経済学会を中心に活躍し、評判となった者を候補者のリスト作り始まる。そのため、まずそうした有力な学会やサークルで顔を知られ、活躍して仲間での評価を上げ、名を上げる必要がある。

5.経済学のメッカである米国だけでなく、欧州などでも活躍するなど、いわゆる「世界」で活躍した実績が必要であることだ。アジアの中ではインドのアマルティア・センが1998年に初めて受賞したが、彼は米国と同時に欧州の英国でも評判を得ていた。

6.国際的な経済学会で活躍し、自らを推薦してもらえる多くの著名な友人を有し、自分の学説を広める優秀な弟子を多く抱える者が、自ずと有利になる。

◆立ちはだかる語学の問題

英語でのスムースな読み書き、特に「書く」作業ができなければ、英論文の本数も制限される。

また英語での会話に不自由すれば、海外の友人を巻き込んだ議論をする機会も限られ、有力な経済学会に入り込める余地も大きく狭められる。

日本で優秀と目される経済学教授の論文でも、英語を母国語とする学者に筆を入れてもらう、いわゆる“ネイティブ・チェック”を経た論文を見たことがあるが、無残なものだ。日本では新進気鋭で、英語も出来るとされる経済学者の論文でさえも、正体を留めないほど真っ赤に訂正されて戻ってくる。

ナッシュの受賞の陰に角谷静夫、またブラック=ショールズの陰には伊藤清が居たことはその筋では知られているとされる。

このことは日本人として嬉しく、また誇りに思う。

しかし、この時でさえ日本人に共同受賞という形で、受賞が回ってこなかったことは、誠に残念に思う。

今後の候補者としてマクロ経済学者で清滝=ムーアモデルの清滝信宏氏が挙げられている。調べてみると、マクロ経済のミクロ的な基礎付けのフィードで活躍している学者で、小さなショックが生産性の循環的な低下をもたらすとするモデルとある。

こうした理数系の処理を用いる経済分野においてはノーベル賞に近づく可能性が高い。

なぜか。

この分野では数学が言語になっているからだろう。

ディープ・ラーニング型のAI(人工知能)が囲碁の世界王者イ・セドル棋士に勝ったのが2016年。

この時に、瞬時に外国語と日本語の両方向の同時通訳、同時翻訳が使える機器がすぐにも開発され、世の中は言葉の壁を越えて格段に便利になり、日本人が世界で活躍ようになると思っていたのだが、使えるマシンがなかなか出てこないのは何とももどかしい。

目の黒いうちに日本人のノーベル経済学賞受賞の光景を見たい。

(学23期kz)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

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