三人の財界巨人 その12 藤田伝三郎⑪

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

藤田伝三郎は人物を見定める方でも目が利いた。

他の組織にいた人材にも、これといった人物にめぼしをつけて引き抜き、多くの人材を藤田グループ内で育てた。

◆本山彦一

藤田組総支配人で熊本出身の本山彦一もそのひとり。彼は福沢諭吉が創刊した日刊新聞「時事新報」にいたところ、福沢とともに伝三郎に会いに行ったことがある。

それが縁で、本山は藤田伝三郎のもとに居つくことになる。

伝三郎が引き抜いた訳でもないのに・・・だ。

伝三郎は井上馨候と近い。福沢諭吉は井上候に近い伝三郎のところに居ついた本山に翻意を促すが、徒労に終わる。

本山は伝三郎によほどの人間的な魅力を感じ取ったのだろう。

この本山はやがて藤田グループの「大番頭」となる。

伝三郎も本山に藤田組の一切を任せるにまでなった。

もちろん仕掛中の難工事・児島湾干拓プロジェクトも任せた。

また本山は福沢諭吉の「時事新報」にいたため、新聞作りはお手の物だ。

そこでその本山彦一が毎日新聞の基礎を作るまでになった。

◆岩下清周

伝三郎に惚れ込んだのは本山だけではない。三井銀行・大阪支店長から北浜銀行(旧三和銀行・現三菱UFJ銀行の前身のひとつ)を創った岩下清周(きよちか)もそうだ。

岩下は岩下で、単なる銀行家に終わらず、我が国を工業立国にすることに身を捧ぐという大志を抱いている。事業への目利きに優れており、融資を通じて谷口房蔵(東洋紡の前身にあたる大阪合同紡績)、大林芳五郎(大林組)、豊田佐吉(トヨタ)、小林一三(阪急・東宝)、森永太一郎(森永)などなど・・・優秀な経営者を育てていったほか、自身も大阪電気軌道(近鉄の前身)を創設して社長を務めた。

◆こうした大物を育てた藤田伝三郎。

しかし伝三郎は、育てた人物のことを「俺が育てた。俺が、俺が・・・」と周りに吹聴し、自慢するようなことはしない。

決してしない。

いつも穏やかで、自然体だ。

大物の「育ての親」でありながら偉ぶらず、謙虚にして穏やか。

表向きは大衆に混じっても決して目立たない静かな存在でありながら、内に秘めるは誰にも負けることはない大きく、また気高い志を持つ、口数の少ない男。

そこに藤田伝三郎のたまらない魅力がある。

(学23期kz)

本山彦一
岩下清周

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