三人の財界巨人 その22 久原房之介⑨

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

◆新鉱山での事業開始

「日立鉱山」として新たに事業を開始するにあたって、赤沢銅山(茨城)の従業員は引き続きそのままの形にした。

他方、これまで一緒にやってきた小坂鉱山の同年輩の優秀な技術陣については、ごっそり引き抜くといったエゲつないことはしなかった。

小坂鉱山では房之介と同年輩の若き技術陣は、房之介が小坂を去ったあと、小坂に残った者もいれば、他社に招かれ転職した者もいる。

◆「鉱脈断層」事件

前稿で述べたように、銅の産出が軌道に乗ってきた明治40(1907)年に「鉱脈断層事件」が起きる。

神田所長から「断層に当たった」との重大発表があった。

ここで神田は、何と自分が連れてきた事業所の幹部や技術陣を連れて、日立鉱山から引き揚げてしまった。

これには房之介も参った。

鉱脈が無いことには採鉱ができない。

しかしここで、天は門外漢でありながら採鉱に運命を賭け、努力を傾けた房之介に助け舟を出す。

秋田の小坂鉱山で共に働いた仲間「小坂組」が、日立鉱山に駆けつけてきたのだ。

赤沢銅山の鉱脈の質については、購入前に溶鉱三羽烏の一人、竹内維彦が「有望」と判断し房之介に赤沢銅山の購入を進めたという経緯があり、自分が見立てた鉱脈の潜在力に関する判断に自信があったため駆けつけてきてくれた。

また、竹内と同い年で東京帝大工学部の同窓・小平浪平も小坂鉱山で電気課長を務めたあと、広島水力電気、次に東京電燈(現・東京電力)へと転々と職を変えていたが、房之介が発電機械建設指導要員として日立鉱山へと誘い、房之介のもとで再び働くようになっていた。

この断層事件で、図らずも「小坂組」で房之介と志を同じくするメンバーが集うことになった。

◆生き返った日立鉱山

断層となっていた鉱脈問題だが、懸命な鉱脈探査の結果、ありがたいことに断層の先に「新たな鉱脈」を見つけることができたのだ。

ここでも小坂鉱山で起きた小坂のメンバーによる復活劇が、日立鉱山でも始まった。

この日立鉱山を母体として久原財閥が誕生し、日産コンツェルンの原型が形を成し、また鉱山の電機修理部門からら独立した小平浪平が自らの創意工夫と頑張りで日立製作所が誕生することになる。

つづく

(学23期kz)

竹内維彦(後に日本鉱業社長に)
小平浪平

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