三人の財界巨人 その24 久原房之介⑪

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

◆事業拡大

日立鉱山は機械化により銅の増産に成功する。大正元(1912)年には久原鉱業㈱を設立して事業を拡大、大正4年に日本汽船㈱、大正7年に久原商事㈱を設立した。

同年9月には個人経営の久原工業所を資本金1千万円の久原鉱業株式会社(大阪)と名称を改め、事業目的も鉱業、化学、機械、電気、農林業と多角化し、巨大企業グループへ転換を図った。

特に大正年4年から7年に至る間、久原工業が手掛けた鉱山は内外含め30を超え、石油や石炭などの資源も積極的に開発している。

その後も日本汽船(大正4年)、久原商事(同7年)、共保生命(同8年)、合同肥料(同9年)、また海運、造船、製鉄にまで手を広げ、久原財閥を形成した。

◆一次大戦終結に伴う判断の遅れで経営暗転

順調な事業展開をする中にあっても、リスクという地雷はどこにでも潜んでいるものだ。

第一次大戦の終結(1918年・大正7)の際、新入社員の仕事上のミスから巨体の久原商事に経営難を招く事態が生じた。

戦争終結に向けた手じまいの遅れから久原商事が破綻の危機に直面するが、そのいきさつはお粗末なものだった。

房之介は在外社員に対して、戦争が終結する予兆があれば、決められた暗号(合言葉)で即刻知らせるべく指示を出していた。

暗号は「プラチナ高い」。

同盟国の一角、ブルガリアが間もなく降伏するとの事前情報を得た久原商事のパリ駐在員は久原商事・東京本店に暗号を打電した。

これがブルガリアの正式降伏調印の6日前、ドイツ降伏の約2か月前だ。

この情報を基にものごとが処理されれば問題はなかったのだが・・・

しかし、その情報を受けたのが新入社員だったのだ。彼がチョンボをした。

「プラチナ高い」の電報を受けた新入社員、彼はその電報を机の上に放っておいたという。

こりゃ、ダメだ。

これで戦争終結に伴い、先手を打ってでも行うべき取引の手じまいが遅れてしまった。

房之介を含め、久原商事の社員が戦争終結を知ったのは、何と新聞の号外だったという。

◆この時、久原商事が負った負債は1億円。

戦争終結に伴い銅価も暴落し、久原鉱業は2500万円の不渡りを出す危機に直面する。

また戦争終結に伴い欧州の鉱業生産が回復したため、日本から欧州への輸出は大きな打撃を受けた。

さらには大正12(1923)の年関東大震災も加わり、経営が行き詰まることになった。

つづく

(学23期kz)

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