塩塚さんの思い出

山口在住 香原詩彦氏(有限会社ラグタイム代表取締役、1971年山大経済入学)からの投稿

好きな音楽を仕事にした山口県で数少ないプロモーターで、2023年6月30日、エフエム山口 ラジオ放送「山口大学大人ウォーク~今宵は山大」に出演した。

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

 1971年に北九州から山口大学に入った頃、教養部一番教室の屋上ベランダで黒いヘルメットを被り、アジっている男が居た。その後長いお付き合いになるとは思ってもいなかった「塩塚保」さん(注)であった。彼と知り合ったのはその翌年、彼が結成した「アップルハウス」というグループが『唄の市』というコンサートを、完成したばかりの山口市民会館で開催し超満員にした頃からと記憶する。(『唄の市』とは泉谷しげる、ケメ、古井戸etc.が参加するエレックレコードの企画イベント)

(注)塩塚保氏:本年3月まで鳳陽会東京支部長

その翌年アップルハウスは経済講堂にて『日本版ヘアー』というミュージカルを企画。余程の人材不足なのか僕も誘われるままに出演、生の演奏を交えたお芝居で勿論主演は塩塚さん。このイベントは後日「平凡パンチ」の1ページまるまる使って『山口にて「日本版ヘアー」上演!』という全国ニュースにもなってしまった。

この頃は「黒テント」や「曲馬館」等アングラ演劇の波も山口に押し寄せる時代であり山口大学演劇部も随分と影響を受け、活発な活動を実践していた。そして塩塚さんも僕も演劇部の連中と仲良くなっていった。演劇部の有志が1977年に『飛行舎』というライブ喫茶を開店し僕も開店準備から少し手伝った記憶があり、オープニングのライブとして「南正人」を招聘して一層深い付き合いとなったのだが、実はこの店の開店資金は塩塚さんが出資したという事実は3年ほど前に初めて本人から聞いた。

*3年前、アーケードを一緒に歩いていて、そんな話や「鳳陽寮」の事、バイト先の「モリイケ」(文房具)「山陰堂」(外郎)での事なども聞かされた。

*「僕は学生起業家の先駆けだよ!」と笑っていたのが印象的だった。

その後塩塚氏とは音信不通であったが6~7年前頃から学部の特別授業や「鳳陽会東京支部」の支部長として山口に来た時は昔の演劇仲間、学生運動仲間らと共に一夜の再会を喜んでいた。ここ5年ほど、僕が(学生時代に暮した)竪小路の町おこしイベントを企画し塩塚さんもサイドから支援して頂いていた。毎年資金面で苦労するこのイベントであるが(今年が最後と思いつつ)開催を決意し、塩塚さんを想い浮かべようと思う。

@「たてこうじ音楽祭〜まちなみアート」〜塩塚保氏を偲んで〜

@2026年11月21日〜22日(築山跡史跡公園と竪小路界隈にて)

宜しければご参加ください!

(翌23日は八坂神社をスタートとした、伝統ある『天神祭』があります。)

学生時代の塩塚保さん(1970年山大経済入学)

One thought on “塩塚さんの思い出

  1. 学生時代の塩塚さんの写真、興味深く拝見しました。
    私が懇意にしている塩塚さんと入学同期の友人の話では1年生の塩塚さんは演説がよくつっかえ、聴衆から笑われ、頑張れと励まされていたほのぼのとした光景が思い出されるとか。
    総会や日本寮歌祭での挨拶や檄の際は澱みなく流暢だったので、私には信じられません。

    私は二十歳の頃に古熊に下宿し、上竪小路から香山公園辺りまで、新聞配達をしていましたので、懐かしいです。
    寒い冬は孤独な仕事でしたが、配達先のご苦労さまの一言に救われました。

    塩塚さんとは同じ鳳陽寮に在寮していましたが、全く面識はありませんでした。
    社会人になって黒テントを始め演劇に興味を持ち、東京支部の投稿にコメントを頂いたのは嬉しい思い出です。

    塩塚さんがバイトで舌鼓の山陰堂に長年バイトをされていた頃に私は湯田の山陰堂のお土産店に気に入った子がいて足繁く通っておりました。
    私は塩塚さんより1年先輩ですが、同じく5年在学しましたが、卒業する頃には道場門前を乳母車を押している彼女に遭遇した時は只々唖然としました。
    甘党の私は今でも時々、おいでませ山口館で舌鼓を購入していますが、なぜかほろ苦いです。

    駄文失礼しました。
    香原さんのご活躍をお祈りしております。

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