山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年9月 トピックス】
◆広中平祐氏が逝去したのは本年3月18日。
それからおよそ半年が経つ。
山口大学の学長だったのは1996年から2002年までだ。
広中学長は、いわゆる「代数多様体の特異点解消の一般定理」を証明し、数学のノーベル賞にあたるフィールズ賞を受賞した数学者だ。
文化勲章も受賞している。
ご本人は「学者としては遅咲きの方だった」と述懐している。

◆生い立ちを簡単に辿ってみよう。
1931(昭和6)年、岩国生まれ。
柳井高校卒。高校では弁論やピアノに取り組む。
京都大学理学部数学科へ入学したが、ストレートで入った訳ではない。
1年の浪人生活を経験している。
京大大学院在籍中、当時来日した代数幾何学の世界的権威ザリスキー教授の勧めでハーバード大へ渡り、同大で博士号を取得。
1959年仏・高等科学研究所客員研究員
62年ブランダイス大学講師
64年に特異点解消の定理に関する論文を発表。論文が評価され、同年コロンビア大教授に就任している。
68年ハーバード大教授
70年フィールズ賞受賞、学士院賞受賞
75年文化勲章
2026年94歳で逝去。
◆広中先生は様々な分野の著名人と対談をよくおやりになった。
広中氏は象牙の塔に籠ることなく、文学者、画家、音楽家など、およそ数学の世界とは「対極」とも思える各界の著名人と対談し、多くの本が残っている。
そのいくつかを紹介する。
◆直木賞作家・水上勉との対談
水上勉
水上勉は大正8年1919年、福井生まれ。
広中平祐の12歳年上にあたる。
1961年「雁の寺」で直木賞受賞。
日本芸術院会員、文化功労者。
2004年9月8日 85歳で逝去。
特に、1963年の「飢餓海峡」は社会派推理小説の大作話題を集め、映画化、テレビドラマ化され、舞台でも上演された。
映画化は1965年。主演は三國廉太郎、刑事役が伴淳三郎・高倉健、のほか左幸子、沢村貞子も出演。私の好きな映画のひとつだ。
広中に水上氏との対談本「素心・素願に生きる」(小学館ライブラリー、1993・平成5年)が手元にあるが、あとがきで水上勉が広中平祐の人となりについて次のように述べている。
「対談が終わって、ある一日、京都の北のとある町の路地にある呑み屋にゆくと、誰も他に客のいないうす暗いカウンターに広中氏がひとりぽつんと止まり木に腰かけて徳利をかたむけておられた。ぼくもひとりだった。偶然の再会にふたりは驚き、かつ、旧知の間柄のように、氏が話しかけてこられた・・・
酒も吞みすすむうちに、また議論となった。
人は一度しか死ねない、ということで話に花が咲いた・・・ぼく(水上)は数学者で文化勲章といえば、雲の上の学者だと思っていたのだ。ところがこの人は、誠実な人生の単独旅行者であった。つねに日常の些細をおろそかにせず、人間の救いようのない愁苦の根について、語り合える人であった。」
◆対談本のあとがきでは、逆に広中氏が水上を評している。
「氏(水上)の話は含蓄があり、巧まないユーモアと、人柄から滲んでくるペーソスが私の心琴を快く奏でるのだ、また作家ということもあって語彙が多彩でそれを軽妙に駆使した話術・・・私は若い時からどんな分野にも興味があり、活躍する方がたと対話をしたが、水上氏ほどの対話の達人はいないと思う」
また、京都の対談のことについては・・・
「囲炉裏を囲んで、山海の珍味を頂きながら津々と尽き果てることもなかった。強くなく弱くなく炭の火を守る板前。叩くとキートという独特の金属音を発する備長の炭火を熾す板前の話題に感服し、うなずきながら、快く酩酊した冬の京都の夜長は、私の脳裏に今もなお流風余韻として快い」。
枯れた美文だ。


◆小澤征爾との対談本
「やわらかな心をもつ」1984(昭和59)年
副題が「ぼくたちふたりの運・鈍・根」
小澤征爾とはウマが合ったようで、パリで一緒、ボストンでも一緒。昵懇の仲であったようだ。
生まれながらの天才は・・・一般論として「運」は不要で、鈍感ではなく驚くほど「鋭敏」、また、泥臭い努力とは正反対のスマートを備えているというのなら解るが、その対極の「運、鈍、根」を両者が共通項として語るところが面白い。
エジソンの「1%のひらめきと、99%の努力」にも通ずる。
つづく

(学23期kz)

山口大学には時間学研究所がある。感謝。