生き残った山大・東亜経済研究所

生き残った山大・東亜経済研究所

学生時代、山大の東亜経済研究所(以下東亜研と略す)には「満蒙や満鉄時代の蔵書・資料が豊富で、他に類を見ない」という話を聞いたことがある。

◇山口高商の校是

満韓の支配を巡って戦われた日露戦争。山口高商はその戦中に設立されている。戦勝によって満韓経営問題が我が国の大きな課題となり、特に満韓に近い良港下関を擁していた山口高商では、満韓を担う人材の育成が校是とされた。

◇“日本の生命線”とされた満州

満州への関心が一気に高まったのが1932年の満州建国。東亜研はその翌年の1933年に設立された。当時満州は軍事面からは共産主義拡大に対する「防衛基地」であり、また経済面では、昭和恐慌の混乱が続く中、経済混乱打開に向けた「日本の生命線」と位置付けられた。このため満州には、満鉄や満業(財閥系重工業)による基幹産業への投資が行われ、農業の分野でも耐寒性に優れた改良品種により耕作地が広がり、満州こそが希望の地となった。

東亜研の設立趣旨にも、東亜の調査・研究は「国民に課せられた・・興亜の世界史的使命を貫徹する・・必須の条件」と大変気合が入っている。

◇山大だけに残る“東亜”経済研究所

当時は「東亜新秩序」、「大東亜共栄圏」こそ我が国が目指すべき道とされ、「東亜」の名称を付して満蒙の調査研究を行う研究所が、山口高商以外にも、東京、神戸、長崎など全国各地の高商で多数設置されている。こうした研究所はGHQの指令で一時廃止されるも「東亜」の文字を廃し、単に「経済研究所」と呼称することで多くが現存している。しかし「東亜」を付した名称で研究所が続いているのは山大の東亜経済研究所だけだ。実に誇らしい。

研究所の蔵書と「大林コレクション」

東亜研研究室に在籍された金重氏の東亜研紹介レポートによると蔵書・史料は12万5千冊。戦前のコレクションが満鉄関係、朝鮮総督府、台湾総督府、中国の清朝時代、その後の中国など9つのジャンルに区分・収納されているという。

同氏のレポートを読んでいくと、最後の9番目に「大林コレクション」とある。アッと思った。

中国および中国の少数民族問題がご専門だった大林先生。学生当時、先生の研究室を訪ねると、「“収入”の大半を注ぎ込んだ」という、うず高く積まれた本の中で、現在人権問題として取り上げられているような中国辺境少数民族の話を伺ったものだ。コレクションは先生が2001年3月に退職された際、寄贈された8千冊。貴重な史料が多く、他大学や研究機関から最も引き合いが多い人気のコレクションとなっているそうだ。

  ◇米・議会図書館で見つかった山口高商の図書

大林先生が書かれたエピソードを紹介する。終戦直後、進駐軍が山大・東亜研の資料を大量に持ち去ったという。大半が返却されたが、一部が戻ってこない。時代が流れ、ある時先生の知人から、米・議会図書館に“山口高等商業学校の蔵書印”が付いた本があるぞ、との報せを受けたという。

この時の大林先生は「無駄に資料を散逸させていないな。さすがにアメリカ人だ」と思ったという。続いて先生はこう続ける。「片や我が国。日本軍も東亜の史料を接収したはずだが、所在は不明。それを用いて立派な研究がなされたという話も聞いたことがない」と。

これではいけない。

   ◇史料は宝の山

史料は全て「みんな」のもの、公共の物だ。たとえ当事者の一部指導層にとって、容認できない内容を含んでいたとしてもだ。これを、偏狭な判断やその場限りの身勝手な意図をもって隠匿・廃棄処分をすれば、公共物とはならない。言うは易いが実際は難しい。とても難しい。古今東西そうだった。しかし我が国において史料が公共物であり、真実を共有しようとする意識は欧米に比べて低いように思われる。

公共物として、みんなで分析・検討し、解釈し、議論を重ねなければ真相に迫れず、同じ過ちを繰り返すことにもなりかねない。

また、こうした史料の「収集・保存」も重要だが、「活用」してこそ「収集・保存」が活きる。東亜研の史料は宝の山だ。この宝の山への引き合いが、他の大学や研究機関から寄せられることは大変ありがたい。さはさりながら、山大学内の研究者・関係者の方々や学生諸君からの引き合いが増えることを願っている。さもないと宝の持ち腐れになりかねない。

「西欧的な合理性に欠ける」(M.ウェーバー)とされたアジア。しかし、米経済史学会会長も務めたロバート・C・アレンは欧米先進国とは異なる径路で例外的に高い成長を遂げた国として「日本および日本の旧植民地だった台湾、韓国」を挙げている。東亜研の史料の中に、「西欧的な合理性」だけでは捉え切れない高成長の秘密が眠っているかもしれない。

(学23期kz)