山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年7月 トピックス】
◆伝三郎の人となり
満鉄総裁、外務大臣、東京市長をした歴任した後藤新平は、藤田伝三郎を「士魂商才の権化、頭脳明晰にして人格高邁」と評している。
数々の事業を展開し、財界の巨人となった藤田伝三郎は人に向かって決して威圧的な態度をとらなかった。
むしろ、物腰柔らかで、親しみやすく、親切。それでいて気品高く、部下に会う時でさえ折り目正しい服を着て、尊大な態度を見せなかった。
仕事ぶりはどうか。
部下に仕事を任せるに際し、一切を任せ、疑うことをしなかったという。このため伝三郎から仕事を受けた者は、伝三郎の度量の大きさに感激し、責任を自覚し、熱心にことに当たったという。
また、判断は迅速で果断。
記憶力に優れ、机上には書類の堆積なし。
すべての用件を記載した手帳をいつも懐に入れていた。
一件ごとに熱心に調査研究し、腑に落ちないところがあれば、担当者と何時間でも話し合ったという。
◆また、商工会議所の会頭にまでなった人物だけに、財界の催しでは彼の周りに人垣ができたかと思いきや全く異なる。
財界のパーティーには顔を出さず、新聞や雑誌の取材にも応じず、投稿もしない。
写真も嫌った。
しかし、藤田の邸宅には東京から、京阪神から、春夏秋冬、朝から晩まで、公私の客が引きも切らなかった。
酒は飲まず、食事は日々家族と一緒で一汁一菜に満足していたらしい。
事業の華々しい成功、名誉ある役職、男爵という民間人で初の爵位を得た人物であり、暗礁に乗り上げた厄介な膠着案件でも調停役を果たし、頼まれた公共性の高い社会的な事業に個的利益を顧みることなく身を投げ打ち、寄付もした。
性格は大変地味で、外に出るを好まず、古美術を愛し、生活ぶりはつつましかった。
そのギャップに接した者は、伝三郎にたまらない魅力を感じるのだろう。
◆古美術を愛す
その古美術の話。
伝三郎は古美術への造詣が深く、特に茶道具に関する鑑識眼は卓越していたとされる。
明治維新後の廃仏毀釈から、海外に流れた古来の美術品にも私財を投じて収集したとされる藤田コレクションは、三井、三菱、住友、大倉などの他の財閥系企業によるコレクションに比べて、質が高いと評価されている。
◆慈悲のこころ
財界では大倉喜八郎(新潟・新発田)と似通っているとされる。
独立自営の精神が強かったこと、また、趣味が豊かで美術品の収集を精力的に行ったこと、いわゆる四大財閥の三井、三菱、住友、安田が手掛けなかったような建設請負業、また革を扱う製靴業を行なったためだろう。
また、二人とも不幸な境遇の者、恵まれない者に同情的で、寄付を施すことを忘れなかった。
伝三郎にこうさせたのは、慈悲深い母がいたからこそなのかもしれない。
(学23期kz)

