◆正門を背に右手に行けば・・・
吉田寮に向かう路だ。
撮影時は2013年5月となっており、「サビエルセンター・寮」の看板が見える。
むかしは「サビエル教会」と出ていた記憶がある。
当時に比べて、敷地も広くなっているような気もする。

◆神父さん
この施設はカソリック・イエズス会の施設のようで、2008年3月31日で閉館となった。。
「平川サビエル学生支援センター」は1970年4月に建設、私の入学が昭和46年71年4月入学なので、私の入学からちょうど1年前に建ったことになっている。
何もかもが新しかった。その中に茶室「一心庵」があり、入学したての男女数名がお茶をいただいた。お茶を入れて頂いたのは、ここの主人(あるじ)。
横に控えた奥様も笑顔の絶えない柔和で穏やかな方だった。
この主人の名は神父・プロットさん。
プロットさんはチェコ出身のドイツ育ちで1963年に来日し、上智大学で神学や英米文学を学んだ後、1971年7月に山口大でドイツ語と英文学を教える講師として山口氏に移住してきたという。
そういえば、しばらく後に、シラバスにはドイツ語講師欄に「プロット」と出ていたような気がする。
しかしその時、私は既にドイツ語の単位を取り終えていたため関心を寄せることはなかったが、いまから考えれば、このプロットさんだったようだ。
画像をよく見ると「サビエルセンター・寮」の掲示板には、ガラス越しに「37年間ありがとう」の文字が見える。
◆山大正門前 今は昔
前稿でも触れたが、山大正門前界隈は山大通りの右手も左手も当時から変わり、何だかよそよそしく、ふらりと店に立ち寄りにくい気がする。
なぜだろうか。
車での来客用に駐車場が店の前にあるため、店の入り口が通りから奥まったからかもしれない。
ひとつ残念なことに、大学のある街につきものの古書店がない。
かつて一番の繁華街であった道場門前や米屋町あたりには古本屋があった。教育学部や経済学部の平川移転に伴い、古本屋の一つや二つ、正門前に移転してきてもよさそうなものだが。
我々が入学したての時、大学が平川に統合移転という形で集まり始めて5年しか経っておらず、「大学」という古ぼけ、苔むしたイメージからほど遠く、校舎の隅々まで光っていて、施設や備品も新しかった。
50年前の当時、授業が終わって平川の正門を出た時の風景を思い浮かべるたびに、3人のおばちゃんを思い出す。
◆文榮堂のおばちゃん
正門の正面にあったのは本屋。店にはかなり大きな看板が出ており、確か赤の地に白で「文榮堂」と出ていた。
店を切り盛りしていたのは色白で頬がぽっちゃりのおばさまで、彼女が店主であったのか、店長さんだったのか。穏やかで物腰の柔らかい方で、注文にもソツなく対応してくれた。
山大に生協ができたのが1996年12月。それまでは大いにはやったはずだ。
現在の文榮堂には昔に比べて文房具のほかコミック類が増えたと聞く。
現在も山大正門前にも店舗はあるが、本店は道場門前になっている。このほかに郊外の総合ショッピングセンター・ゆめタウン(本店は広島)にも出店しており、それなりに繁盛しているようだ。
◆徳光のおばちゃん
いまでいうコンビニのような雑貨屋・徳光商店であった。いつも男女を問わず、若い学生で混み合うっていた。この店の名物が「徳光のおばちゃん」。愛想のいい世話好きなおばちゃん。年の頃は「おばぁちゃん」だったような気がするが、「徳光のおばちゃん」と呼ばれており、客あしらいがうまく、人気の絶えない店であった。
徳光のおばちゃんのご主人の話がある。
最近友人から聞いた話だが、その彼が魚屋でアルバイトしていた時に山口刑務所に何度か出前した時、届け先の刑務官が徳光のおばちゃんのご主人だったという。
刑務所の位置を調べてみると、山口刑務所は湯田温泉駅の近くにある。当時は刑務所の存在すら知らず、友人の間でも話題にならなかった。
◆上高地のおばちゃん
KEY COFFEEだかUCCだか、大きな看板のあった喫茶店「上高地」。
この店の女主人もそうであったが、このおばちゃんは、徳光のおばちゃん同様おばぁちゃまに近かったが、徳光のおばちゃんと違い、あまり笑わなかった。
ここの名物、上高地のカレーについては稿を改める。
(学23期kz)

文榮堂本店(道場門前)