中也について

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

大学29期KYさんからの投稿

◆随筆家小林秀雄は、最近まで存命でした。中原中也と小林秀雄の関係は、長谷川泰子を巡る三角関係を中心にした愛憎劇に当方は関心を持っていました。

泰子は中也を捨て、小林を取った。

随筆家小林秀雄は、最近まで存命でした。中原中也と小林秀雄の関係は、長谷川泰子を巡る三角関係を中心にした愛憎劇に当方は関心を持っていました。

泰子は中也を捨て、小林を取った。

形の上では、小林が中也から泰子を奪ったことになる。

◆そうした事件の後からも、中原と小林の交友関係は続き、死の直前、故郷山口に戻る決心をした中原は、二冊目の詩集となる『在りし日の歌』の原稿を小林に託すほどだった。

◆湯田温泉中也記念館の碑面には、「帰郷」の一節「これが私の故里だ/さやかに風も吹いている/ああ、おまえは何をして来たのだと/吹き来る風が私にいふ」という詩句が掘られている。

(大学29期 KY)

山口大学硬式野球部の友

(岡山支部からの投稿)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

宇部・山陽小野田支部のMyzさんが投稿した山口大学準硬式野球部の話に触発されて、山口大学硬式野球部にいたある人物の出会いについて書いてみたくなった。

また、当時の準硬式野球部が遠征に行った久世球場(岡山県)への自分自身の再訪に繋がった。

◇入学試験前夜

私は1980年、山口大学経済学部を受験した。湯田温泉にあった小さな宿、加藤旅館(今はない)に泊った。受験前夜、風呂に入った。固形石鹸を丸刈りの頭にこすりつけ、洗髪しているがっつりした体格の君がいた。君との初めての出会いである。

洗髪に固形石鹸?こんな世界を知らなかった、10代の僕は驚いた。そして何学部を受験するのかと聞いた記憶があるが、他のことはあまり覚えていない。

入学して教養部の授業を受けに行ったとき、ばったり、固形石鹸洗髪の君に会った。

開口一番は「あっりゃ!」という驚きの一声であっただろう。

その後、学生時代の4年間、そして互いの転勤などによる中断はあったが、40年を超える交友が続いている。

◇野球部キャプテン

君は大阪の公立高校で、帽子の左右に3本線が入っていることで有名な野球の名門校のキャプテンをしていたという。そして専攻は理学部の数学科。将来は高校の先生を目指しているといった。

都会育ちであったはずの君が選んだ下宿先は、野球場南にあった平川の農家の納屋、その離れの小部屋であった。これだけでもかなり変わった人物であった。

教養部時代は自転車をこいで、よく君の下宿を訪問した。大阪出身の君は、同郷の司馬遼太郎の小説を早い時期からよく読んでいた。また、「父子鷹」とかも読んでいた。江戸時代の人情味あふれる市井の人にも興味を持っていたものとみられる。

今、振り返ってみると、生まれもっての教育者にふさわしい人間陶冶を早い時期から自ら重ねていたようにみえる。

経済学部には野球の名門の広島商業から入学した同期の学生もいた。彼は文武両道で、広島商業野球部で活躍していたという。

山大硬式野球部のキャプテンになったのは理学部数学科の君であった。

◇数学の高校教師

君は大阪の教員採用試験にも一発合格をし、念願の数学の高校教師となった。そして当然のように硬式野球部を指導することとなった。

教員としてのその後は高校野球界の名門校の出身、そして公立高校の教師という立場で大阪高野連ではかなりの重責を担うことになったようである。休日も練習試合があり、同行して指導する。そしてその時間を嬉々として楽しみ、高校生と一緒にクラブ活動をしている話をよく聞かせてくれた。

進学校で、大阪野球界の公立高校の星、春日丘高校の監督をしたこともあるという。その指導力の評価がうかがえる。「ああ、春日丘ね!」という人は相当な高校野球好きに違いない。 

まさに君は大学入学当時から、そして在学、定年まで人の教育に携わってきた。そして進学校の教師として近畿圏の難関大学の数学の入試問題を毎年解き続け、進学指導、数学指導にも熱い情熱をささげてきた。

そんな凄い教育者の卵と出会えたのも山口・平川であった。そして君は親鳥となった。

定年を前にもうひとりの大阪出身の経済学部の同期と3人で飲んだお酒は格別のものであった。

(岡山支部 B)

久世球場①
久世球場②
久世球場③
久世球場の水道

これが私の故里(ふるさと)だ

中原中也「聖なる無頼」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

中原中也。詩人。

私は山口大学経済学部の学生時代から、彼に強い関心がありました。

彼の少年時代の写真もいい。見るからに賢そうな顔。

「神童」と呼ばれていたそうです。

湯田温泉界隈を歩いているとき、ある屋敷の表札に「中原」と記してありました。

―ここが中也の実家か

◇私の好きな詩

 kzさんが「好きな詩もお伝えください」と書いていたので、私の好きな詩の一部を伝えます。

帰郷

これが私の故里(ふるさと)だ

さやかに風も吹いてゐる

心置きなく泣かれよと

年増婦(としま)の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・

吹き来る風が私に云ふ 

私が山口で暮らしていたころ。

天気のいい日。窓を大きく開け放ち、この詩を

よく口ずさみました。

     

◇中原中也記念館

 10数年前。山口を再訪しました。

湯田温泉の一角に建つ中原中也記念館を訪れました。

心地よい空間です。

窓辺の椅子に座り、中原思郎さん(中也の弟)の文章を読みました。

これがとても素敵な文章なのです。中也の臨終の情況も描かれていました。

◇詩人の臨終

中也は1937年10月、鎌倉の病院に入院しました。思郎さんは母親と共に鎌倉へ駆けつけます。

中也は死の間際、母親の指を自分の2本の指ではさむ。煙草を吸うかのように。

そしていった。

 「おかあさん」

  もう一度

 「おかあさん」と呼ぶ。

 「僕は 本当は 孝行者だったんですよ」

 

「今に分かるときが来ますよ」

 

10月22日午前零時10分、死去。30歳。

思郎さんはこう記しています。

 ―中原家から「聖なる無頼」が消えた感じであった。

(鳳陽会東京支部 S)

①中也

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆山口の詩人といえば金子みすゞもさることながら、中原中也もいる。

中也も金子みすゞ同様夭折した。

ご存知のとおり湯田温泉には記念館が建っている。

そう、中也の出生地は湯田温泉だ。

今年の初め、NYタイムズに山口市が紹介され脚光を浴びたが、この機会に中也も海外の注目を集めて欲しいものだ。

中也はクセがある人物のように思うが、各界にファンが多い。

伝説的なロックグループ「はっぴいえんど」のメンバーでドラムを担当していた松本隆氏。

松本氏は作詞も手掛け、長年にわたり曲に歌詞を付けてきたが、気が付いてみると作詞家として阿久悠にも引けを取らないくらい多くのヒット曲を生みだしており、2017年には紫綬褒章を受章している。

その松本氏が、好きな近代詩人として宮沢賢治、萩原朔太郎よりも先に、中原中也の名を挙げているのだ。

ドラマーだけあって韻律、リズム感が「命」の松本氏。彼が中也は音楽家だという。言葉という楽器を弾いている音楽家だと。中也の詩を目で読むより、声を出して読んだ方が良いと語っている。

◆中也は、山口高商卒の「知の巨人」柴田敬教授の5歳下。山口高商の卒業期別でいえば、22期に相当すると思われる。

中也は代々医者の家系である中原家の長男として明治40(1907年)に湯田温泉で生まれる。幼い頃は神童呼ばわりされもしたが、青年時代には婿養子の医者として中原家に入った父親との確執もあった。

そういうこともあってか17歳の時に京都へ出る。その後19歳で東京に移っているため、高商生と酒を酌み交したことはなかったのだろう。しかし、幼馴染みはいたはずだ。

◆文人仲間

中也は多くの文人・詩人と交流があった。小林秀雄、太宰治、坂口安吾、吉田秀和、檀一雄、草野心平などだ。

しかし、中也はあまり人付き合いが上手い方ではない。むしろ下手だ。かなり下手だ。

喧嘩っ早いのが良くない。

特に酒が入り、酔いが進むと、しつこく絡む癖が出てしまい、喧嘩となることが多かったようだ。

相手に議論を吹っ掛け、「チェ、だからおめえは・・・」と、殺し文句を切る。

困ったものだ。

しかし、詩については評価される作品を残している。

◆皆さまの中也論・・・お聞かせください!

好きな詩もお伝えください。

(学23期kz)

18期 田口浩一氏の作品

レノファ山口FC、アウェイ岡山での第3戦を東京・松涛のスポーツバーから応援

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆3月10日(日)、ファジアーノ岡山との対戦が、シティライフスタジアム(14:00キックオフ)であり、りんかい線で渋谷経由で神泉駅迄行き、モダン居酒屋レストランのブラ・セリエで応援しました。
今回は東京レノサポ会主催のPVはなく、私一人での参加となり、会場には他に5名のレノファンの方がおられ一緒に観戦・応援しました。
北海道のザンギが売りの店で、コーラ等で堪能しました。

◆試合は前半は両チーム無得点で後半戦になり、どちらが1点先取点を取るかとなり、清水エスパルスが負けていて、サポーターの方から勝てば首位との声もありましたが、84分田中雄大選手に決められました。
後半、押し気味に試合を進めた岡山に先取され、残念ながら逃げ切られました。
レノファ山口はこれで1勝1敗1分となり、次の試合以降に期待です。

◆試合後は、鳳陽会東京支部のトピックスに学23期 kzさんが、先日、教養部時代の憲法の西村先生の投稿をされており、私も専門の2年生の時に名西先生の講義(経営学?)を亀山校舎で受講したのを思い出しました。
名西先生は学生時代に三木武夫氏と学友であったと熱く語られていたのだけは覚えています。
丁度良い機会なので、神泉駅から南東徒歩6分という南平台にある第66代総理大臣(1974~1976年)だった三木武夫氏旧居を探し歩き、確か13年ぶりに訪れました。
記念館は2012年に既に休業していましたが、解体作業が始まり、時代の流れを感じ帰途に就きました。
(学22期 Y・Y)
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新聞配達の「夢」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆学生時代のアルバイト歴につきましては、昨年12月のトピックスに投稿しましたが、現役のサラリーマンを退いた第二の人生の求職活動やアルバイト歴等に少しずつ触れてみたいと思います。
悪戦苦闘の連続ですので、反面教師というか他山の石にして頂ければ幸いです。

◆学生時代に毎日新聞&日経新聞(平川に下宿。湯田温泉→大歳までの国道9号線沿い)と朝日新聞&中国新聞(道祖町に引っ越し後、上竪小路付近)を、時期を変えて、其々短期間ではありましたが、2箇所で配達していました。
早朝3時に起きての孤独なバイトでした。
配達先で暗がりの中、お疲れさまと声を掛けられた時が一番嬉しかったです。

◆時は過ぎ、50代後半でしたが、求人誌の募集広告を見て新聞配達をしたいと品川区にある朝日新聞の店舗に連絡をしましたら、女性の事務員から社長の面接を是非受けて下さいと言われ、履歴書を書いて、二代目で40代と思われる若社長の面接を受けました。
店舗は配達員も多く、建物も立派で社長の羽振りも良さそうでした。
配達員なら雇って貰えるであろう。

◆社長:「う~ん、経済学部出身ねえ。学生時代にいくら新聞配達をしていたからと言ってもあなたの年齢では広告チラシの多い朝日新聞の配達は無理。
継続して若い頃から新聞配達をしている人なら兎も角も。
この履歴書を持って広告チラシの少ない東京新聞に行きなさい。」と。
私:「拡張員として実績を挙げ、高収入の人もおられるとか聞いたことがあります。」
社長:「中にはそういう人もいますが…」と手応えもない。

私は実家が朝日新聞を購読していて、朝日は読みやすく好きな新聞でしたが。
東京新聞は東京での販売部数も限られ、講読者が点在していて配達に時間がかかりそう。
ということで、購読していた中日新聞社の発行している東京新聞の店舗に面接に行くことはなく、最後の砦と思っていた新聞配達&拡張員の”夢”は断たれました。
(学22期 Y・Y)

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少子化考 ⑤

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  

大問題の少子化対策。

若者の経済問題も一因といわれている少子化問題。

では、少子化問題の解決に財政支援は必要か。

また、財政支援をしたことによる効果は上がるのか。

希望出生率があるとして、実際の出生率がそれを下回っているのであれば、そのギャップは何らかの対策を講じれば出生率が回復するかもしれない。

しかし、希望出生率そのものが下がっているのであれば、すなわち若者が子供を欲しがっていない状態であれば、対策を打っても効果は見込めないことになる。

◆財源

財政を用いて少子化対策をする場合、財源が問題になる。

★国債発行か。

もうこれ以上国債発行はできない。

世界でもGDP比の国際発行残高はG7諸国と比べても突出して悪い。

国に対する信認が低下すれば金利に跳ね返りかねず、通貨・円の弱体化にもつながりかねない。

★それでは増税か。

どの税目をどの幅で。

日本経済がようやくデフレのトンネルを抜け、テイクオフしようとしている時に、冷や水を浴びせるのはマクロ経済的に問題があり、これも難しい。

社会保険料の引上げか。

これはフロー所得が多い若い人達を対象とせざるを得ない。そうすれば若者の可処分所得が減り、子供を持とうとする若者の意欲の低下を招き、少子化対策と逆行する。

★社会保険料の引上げか。

これはフロー所得が多い若い人達を対象にせざるを得ない。そうすれば若者の可処分所得が減り、子供を持とうとする意欲の低下を招き、少子化対策と逆行する。

★では他の歳出を削減するか。

どの支出科目か。

文教か、防衛か、科学技術か、公共事業か、社会保障か。

どれも大事だ。

どれの項目を削減しても大反対が起きる。

うまくいかない。

財政政策は無理だとすると、どのような施策があるのか。

難しい。

各国も頭を悩ませており、少子化対策の万能薬はない。

せいぜい少子化の進行を多少遅らせる程度のものになるのだろう。

私の学生時代、地球の人口爆発を案じていた時があった。それからすると真逆の潮目になった。

人口爆発、それはそれで大きな問題であったが、人口減少、出生数の減少もそれはそれで、大きな問題だ。

日本として、世界として、人類として。

大変困った時代になった。

(学23期kz)

教養課程の授業の思い出 憲法・西村先生

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  

これまでこのシリーズでは語学の授業を中心に書いたが、語学のほかにも想い出に残る特徴的な授業があった。

◆憲法 西村先生の「ばやい」連発

清潔感溢れるきちんとした身なり。ポマードの利いた髪。下あごが少し張り、意思の強そうな面相。そこに三つ揃えのスーツ。よくお似合いだった。

今から思えば年の頃は50代半ばだったのだろうか、髪は細り、頭頂部は地肌がかなり見えていた。

この先生は、授業で「場合(ばあい)」いうところを「ばやい」とおっしゃる。

自信ありげに連発されるのだ。

「経済」同様、高校までは習わなかった「法学」。

この法学に特有の読み替えなのであろうか。

あるいは、あいまいさを避け、明確化するための先生独自の読み替えであろうか。

いや、ただの年配者の特有のクセなのか。

それとも地方の訛りということも考えられる。

発音しやすい先生独自の単なる癖か。

こんな疑問を先生にぶつけるわけにもいかない。

しかし、連発される「ばやい」がどうしても気にかかり、講義の中身が頭に入らなかった。

◆辞書を引くと・・・

後々の話だが、広辞苑によれば「ばあい」は「ばあい」の読みの訛りとあった。

インターネットで調べると「古い時代の方言調査では埼玉県、東京都、岐阜県、三重県、和歌山県、島根県、愛媛県」という解説もあった。

関東以西であるが、土地と土地の繋がりが見えてこない。

西村先生もそうしたところで育った方かもしれない。

九州や山口、愛媛でもそうした訛りは聞いた覚えがない。

◆新鮮さと戸惑い

中学・高校とは違い、親元から離れての生活の始まり。

各県・各地から集まった生徒同士や先生たちとの出会い。

新たな世界、新たな繋がりの始まり。

高校までの教科にはなかった「法律」の授業。

そこには最高学府で新たな世界を学ぶ新鮮さと同時に、目を凝らせど辺りが暗く、置かれた環境の全体図が見えてこない中で、意味のない、いや、意味がないかどうかも分からない些細な戸惑いがいくもあった。

(学23期kz)

「レノファ山口」ホーム開幕戦の応援ツアー観戦記

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス

Myz(宇部山陽小野田支部17期)さんからの投稿

令和6年3月3日(日)記

2回目のJリーグLive 観戦である。この度も「ご近所ふれあいサロン」の参加者に関係者の方々のご支援のもと「宇部市ホームタウンデー」として選手たちに「応援メッセージ」を届けるために招待された。

今回は、ホーム開幕戦として「応援10,000人プロジェクト」も企画され、各自治体及び関係者の方々の大いなる意気込みもが感じられた。

私は、昨年(10月22日)と同様に「宇部市の交通局」出発のチャーターバスで宇部市内の街並みを見学しながら現地(維新みらいふスタジアム)に向かった。

昨年とは、若干違う順路であったが旧宇部市役所の取り壊しが完了し、新庁舎第2期棟新築への工事が進んでいた。(出来上がりがどのようになるのか想像するだけで楽しい)

一方、ANAクラアウンプラザホテルの営業終了(この3月末の予定)による中央通りの寂しさは常盤通りの明るさ(ウオーカブル化への街並み)と好対照になっているのではないかとも感じた。余計なことだが常盤通りに「Ajisu farm」の店を発見、このように新しい店も出店してきているのだ。

さて、私たちは試合開始(午後1時)の約1時間半前に到着、昨年と同じようにMS(ミックス席)に席を取り、昼食の弁当を頂いた。

ホーム開幕戦でもあり、様々な試合前の儀式やイベントが行われた。これも現地観戦での面白さなのであろう。徐々にセンター観客席もサポーターで満席になりつつあった。

一方、対戦相手のブラウブリッツ秋田のサポータは遠隔地でもあるのだろうが100人程度であったような気がする。鳴り物で元気に応援していたが、昨年のファジアーノ岡山(当時はJワンを狙える順位を確保)とは大きな差があった。これは仕方がないのであろう。

そうこうしているうちに試合開始のホイッスルが鳴った。

開始早々、秋田の先制攻撃にレノファの危ない場面があったが、GKからのロングボールにMF、FDがうまく処理し、前半7分に最初のコーナーキックを得た。このコーナーキックをDFの新保海鈴選手がペナルティエリア中央付近に蹴りこみ、タイミングよく梅木翼選手がヘディングシュートを決めた。

このゴールは私たちのいるサイドだったのでその瞬間を目の前で見て、周りの大歓声はすごかった。

やはり早いうちの先制点は大きい。前半は余裕をもって戦っていたような気がする。何度か追加点のチャンスはあったが、前半は1-0で終えた。

後半に入ると、相手の秋田も少し戦術を変えてきたようだ。何度か押し込まれる場面もあり、ハラハラしたが、秋田の選手の一人が焦りからかラフプレーでレッドカードとなり退場となった。

その後一進一退が続いたが、後半44分に試合を決定付ける追加点が生まれた。私たちの向こうサイドからDFのヘナン選手が中央に浮き球のパスを送り、タイミングよくMFの小林成豪選手が角度を変えてへデイングシュート。後半危ない場面も何度かあったが、GKをはじめDF陣もよく頑張った。2-0で試合終了。

ホームの開幕戦の勝利。しばらくはスタンドのサポーターも含めてその余韻を楽しんでいた。

今回の入場者数は8,900人余りで、昨年私が観戦したファジアーノ岡山戦の6,500人余りを大きく上回っていた。「応援10,000プロジェクト」には届かなかったが、私は、昨年の岡山のサポータ数(2,000人余り)を考えると、今回のホームサポーターは倍増し、大成功のイベントだったと思う。その意味からして、この度の企画は私たちにとって感謝しかない。

さて、レノファア山口はいいスタートが切れた。しかし、まだまだ試合は続く。勝負はこれから強豪とあたる。さしあたり、次節のファジアーノ岡山(アウエイ)との戦いが見ものである。今年は、監督も変わり、選手層も若返りが出来ている。期待が膨らみ、楽しみだ。

今回 鳳陽会東京支部のY・Yさんの投稿に先を越されたがされた。英国風パブのHUB日比谷でのパブリックプレビューイングも大興奮で楽しそうだが、Live観戦も「ハラハラ・ドキドキ」感がたまらない。特にゴールが決まった瞬間、競技場全体が興奮の坩堝と化した感覚は忘れられない。

Myz(宇部山陽小野田支部17期)

宇部市の㏋より(宇部市長とご近所フレイアイサロンの皆さんと
筆者は最前列で応援旗の右側を持っている
宇部市の㏋より(宇部市長とご近所フレイアイサロンの皆さんと)

ほぼ中央茶色の帽子をかぶり左手のこぶしを上げている

フィールドの様子(遠方に懐かしい「連なる周防の山高く」が見える)
フィールドの様子(遠方に懐かしい「連なる周防の山高く」が見える)
試合終了(2―0で勝利)
Myzさんの応援の様子

レノファ山口FC、本拠地山口での開幕戦を有楽町のパブから応援

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆3月3日(日)、ブラウブリッツ秋田との対戦が、維新みらいふスタジアム(13:00キックオフ)であり、東京レノサポ会主催のパブリックビューイングが英国風パブのHUB日比谷店で12:45~あり、参加しました。
山口県に縁のある約40名のファン・サポーターの方と熱く応援しました。
山口七夕会の先日の横浜FC戦でのJ氏、今回O氏とも現地で一緒でした。


◆前半7分、レノファの梅木 翼選手がヘディングシュートを決め、先取点、後半この1点を守り、逃げ切れるかに注目しましたが、88分、小林 成豪選手がヘディングシュートを決め、勝利を確信したメンバーで盛り上がり、ハイタッチで乱舞しました。
初心者の私には解説を聴きながらの大画面での観戦は判り易かったです。
試合は志垣 良新監督の元、レノファ山口が2ー0で2024年初勝利しました。
入場者数は何と8,906名だったとか。


◆20数年前でしたが、中日ドラゴンズファンの私は、渋谷や関内のスポーツカフェでナゴヤドームのホームの試合を応援したことはありますが、サッカーのスポーツカフェでの応援は今回が初めてでした。
参加前に有楽町で東京マラソンのランナーに遭遇。

◆鳳陽会東京支部の会員の皆様も、本拠地山口でのレノファ山口の応援は難しいと思いますので、今回のように東京でのパブリックビューイングに参加されたり、首都圏でのアウェイの試合にご一緒に観戦、応援されませんか。
(学22期 Y・Y)

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