江戸で生まれた初代山口県令

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

◆中野梧一(天保13年・1842年~明治16年・1883年)

藤田伝三郎を語るうえでは、もう一人の人物、幕臣だった中野梧一が欠かせない。

彼は優秀な男であったのだろうが数奇な運命を辿りながら、藤田組に貢献する。

◆江戸生まれの中野梧一

彼は生まれも、育ちも長州ではない。

江戸に生まれ幕府に出仕する。

主に勘定畑を歩み、慶応年間には小栗忠順直属の部下となっている。

戊辰戦争では好戦継続派で江戸開城後は旧幕府軍・彰義隊に入隊。

明治2年・1869年には函館戦争に参戦、五稜郭で投降した。

榎本武揚らとともに東京に移送され投獄されるも、翌年には釈放される。

◆どのような縁があったのか、明治4年には新政府の大蔵省に出仕することになった。

幕臣として勘定方の業務に精通していたためかもしれない。

この時、大蔵省には誰がいたか。

大蔵卿(大蔵大臣)は大久保利通であったが、大久保は岩倉使節団の一員として外遊中。

省内を仕切っていたのは、ナンバーツー・副大臣級にあたる大蔵大輔が井上馨であった。

同年、井上馨は中野を井上の地元山口県の参事に登用する。

当時、権令・県令は空席で事実上の県知事、初代県令だ。

明治5年に権令(ごんれい)、明治7年に県令に名称替え。

当時大蔵省は民部省と合併してできた巨大官庁で、中央の財政だけでなく地方官僚を通して地方財政にも関与できたという事情もあった。

旧幕臣が討幕派の総本山の一角・長州に県幹部として派遣されることは異例だったのであろう。

しかし井上は身内に山口の者がいない方がやりやすい大仕事、すなわち地租改正の実施(封建制度の解体を意味する土地制度、土地課税の大変革。地価を定め3%の地租を賦課・徴収)を含め、た任務を与えた。

その任を負わせるのは、情が絡みやすい地元・長州の人間ではなく、利害が絡まない「よそ者」が適任と判断したようだ。

◆しかし中野は、明治8年には実業界に身を置きたいとして県令を辞職。

この時も井上候が世話をしたのだろう。

縁があり「三井の番頭」とも揶揄された上候は三井への転職を勧めるが、中野はこれを断る。

結局藤田組に入社するが、これも井上候の口利きだったのだろう。

長州出身の商人グループ・藤田組も井上候の筋だ。

藤田組では伝三郎を頼って山口から出てきた二人の兄に、この中野が加わり、藤田組を支える。

◆明治10年に勃発した西南戦争では政府から軍需品の調達を請負、伝三郎とともに藤田組に巨利をもたらした。

中野は明治11年に大阪商法(のち商工)会議所の設立に参画し、副会頭に推され、大阪財界の大物として活躍した。

しかし中野は明治16年に自宅で猟銃自殺している。

何があったのか。

その理由は判明しておらず、謎となっている。

(学23期kz)

中野梧一

「トヨタ・・・変革の開発現場」という番組 その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆カローラの販売を開始しようとした1965年(昭和40年)は”明日は豊かになる”とみんなが信じることが出来たという時代。
2025年は、現在はどうだろうか? 
社会の中心を構成する、その中間層基盤が急速に薄くなっている時代ではないのか?

ハイブリッド、プラグインハイブリッド、BEVなど、またガソリン車の開発というとトヨタの”マルチパスウェイ戦略”も追求しながら、開発工期の大幅な期間短縮も目指す。
従来の 日本の車両のモデルチェンジは6年周期。しかしいま、中国のそれは2年という期間での見直しがなされている。
先に述べたよう、時間軸がすでに異次元にある。
こんな環境下で共有しているミッションは、エネルギーのマルチパス、時間軸の半減でなく1/3かと一兎を追うだけでも大変な命題の二兎。

そして追いかける個々の兎も高い目標設定で困難を極める。
現場での声は「会議に参加している皆さんと一緒に開発に当たり、生産現場も皆で頑張っている。しかし、現実は、実情は、顔面蒼白の状態。

時間が、工数が、仕入れ先を含めたサプライヤーが・・・全てが足りない。こんな無理を要求され続けても・・・」と言った。それが現場の悲鳴の声・・・

会議の中では強い発言力をもって、その言葉が展開される。

多くの組織の中で、ありがちな企画部門の”本部の意見”が最優先される場合が多くある。
(ともすれば企画本部の考えた大方針が最優先され、後の部門はそれに如何にアジャストするかが多くの企業でなされていることではないか?自分自身の拙い経験で見聞きした場合でも、そういったケースはなかったか?自戒の意味をも含めて敢えて記しておきたい)


◆トヨタにおいては、 製品企画、設計、技術、生産技術、製造(技術)  のそれぞれの部門が対等な関係で、議論がなされる会議の場が設定されているようだ。
製品企画は各部門の意見を出させ、最終統合して、一致点を見出そうとする。しかし、それぞれの部門で生生に近い段階での会議取材、(トヨタ自身も日本のものづくりの危機として共有して欲しい意図あるかも知れない)その発言の数々。
そして、”製造技術”(生産現場)は、開発部門の製造に当たっての外部に指示を出す設計図面の受け取りを今の段階では受け取れないと明言する。


「しょうがない、しょうがない、しょうがないを“しょうがないまま進めてしまう” とどうしようもなくなる」「しょうがない、を少しでも解決して、次のことを進めていけなくては!」とも語る。 現場の声が生産に向けて合議を必要とし、最後の決定権を持っている姿がある。

取材をしている記者が “製造技術”(生産現場) の責任者に素朴な疑問として次のような質問をぶつける。
「現場において、ものつくりで一番大切にしていることは何ですか? 」と「うぅ~ん・・・」と悩み、深い想いをもって語ったのは次の言葉だ。
「 現場において、ものつくりで一番大切にしていることは”人”なんですよ。 最後は、人が助けてくれるんですよ  」と。
ここで、 「良い品 良い考」 の看板の言葉にトヨタ生産方式の生み出した大野耐一さんも大きくうなずいているであろう。人による「KAIZEN」(改善)が生きてくる。しかし、この番組の中では、ここに安穏として留まっているだけではいけないトヨタ、ものつくり日本があるとの指摘だ。  

◆豊田章夫会長は”クルマ屋の拘り”を二つの会話の中で語る。
・「車は+50℃からー50℃までの厳しい環境下で、そして振動が常にある中で動いている。そして、そこには乗車している人がいて、その”命”、安全と言う大命題がある。デジタル機器の様に調子が悪いからリセットして再起動とはいかないんですよ。そこには「命が乗っているんですよ」」
・豊田章夫会長はトヨタ自動車の経営のトップであるだけでなく、「モリゾー」と言うテストドライバーの顔を持つ。試作車の最終的テストドライバーとして、その味を見極める。記者が「最終的にこれだと思う乗り味は何なのですか?」と聞くとすかさず、「貴方が映像を取るでしょう?それもなんカットもなんカットもいろんな映像をとるでしょう、そして、編集して、最後に放映できるのはこれだ!っという映像に仕上げる。そんなことやっていませんか?」
「はい!」
「それなんです、それ!最終的な乗り心地、乗り味のこれだ!と言うのは、それと同じなんですよ!なんか感覚的と言うか・・・」と、カメラの前で語る。

番組の中では、豊田章男会長を始めとし、各段階で使われるコンセプト『クルマ屋』という矜持がそこにある。 


◆今回の番組を文書に起こすのは大変難しい問題のままである。十分起こしたとは言えないがその底流に流れているものの一部を書き出してみた。
問題提起、問題意識満載の特集番組。そして、その中でなにかとその素材を、取組みたい課題を抽出することも出来る番組。

もう一度、再視聴!「読書百遍 意 自ずから通ず」。

「トヨタ・・・変革の開発現場」という番組 その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆7月19日21時からのNHKスペシャル
「トヨタ・・・変革の開発現場」(インサイド・トヨタ)と言う番組があった。
その番組案内には、トヨタ開発現場ルポとあった。
しかし、番組の趣旨を敢えて一言に集約すると”世界のトヨタが今持つ危機感”ということに集約できるかもしれない。

「國を思うて、何が悪い」の著者は阿川弘之。
トヨタ関係者の中には「日本のものづくりを思うて、何が悪い」と息巻いてみたくもなった志士もいたかもしれない番組だ。


◆あのトヨタが・・・ ここまで その内部を公にするか 。敢えて言えば、 厳しい内容、場面も赤裸々に、かつ勇気をもって晒す。
(もちろん番組制作グループが作成したデモをトヨタ自身が放送前には、内部で検証したうえで準備されているものであろう)

この番組のすべてを要約する術は持ち合わせてはいない。しかし、このような番組が時間とともにただ流れていくのは・・・

その一端でも目に留まればこの拙文が存在することになる。

◆経営層が持つ、そして従業員各員が共有する、自動車メーカー一社の危機意識といった水準の問題に止まらない。
日本のリーディングカンパニーとしてのトヨタ自身が”日本のものつくりが今、将に現場で取り組んでいる、そしてこれから直面する「危機」”に対する警鐘を打ち鳴らしているのではないだろうかとさえ感じられる。
番組では、製品企画、設計、技術、生産技術、製造(技術)の各部門の生々しい現実が出てくる。
その仕事を進めるうえでの部門間の連携、時には軋轢、開発最終決定段階の葛藤をもオープンにしている。


◆取材内容は次の三本柱から構成される。メインは何といっても以下で述べる①、そして、”クルマ屋”トヨタとして譲ることの出来ない、そして ないがしろ(蔑ろ)にすることのできない”クルマ屋”姿勢として②③をということになろう。

①既に累計5700万台の販売実績のある大衆車の代名詞カローラの商品開発に関する取材。
1966年から製造されていた日本を代表する大衆車、もう12代のモデルチェンジを経験している。(今までの標準的なモデルチェンジの周期は6年)
今や世界150か国での販売実績を持つ。

②強大な投資を必要とし、かつ次世代の製品、安全品質のベースとなるプラットフォームの開発。
従来の開発手順は、プラットフォーム(共通土台)→アッパー(上物の箱)の流れとなる。
今回はその両者の開発を並行して展開、さらにガソリン車、BEV(電気自動)車、ハイブリッド車、プラグインハイブリッド車までの4方向を
一挙に開発を進める。

③ 車体の真ん中にエンジンを置くミッドシップタイプのスポーツ車の開発。
この段になると、国内の同業他社の車の優位性、又ドイツ車の絶対的優位性についても吐露する。つまり小手先の空力特性とかで対応しようとするのでなく、車が走る根本的原理、”自動車とタイヤの関係性を制御する技術”で圧倒的に凌駕する外国車についての遅れを認める。

◆他の場面で二人の技術者に問う。日本の技術は世界の車作りでトップランナーにいるのではないか? いや、まだ追いつき切れていない部分はあるのか?
二人の開発者は語る。
「長く自動車の開発に従事してきて、見えなかったものがだんだん見えてくるようにもなった」「一方どうしても追いつき切れていない技術も・・・」とも語る。「クルマ屋」として、車本来の走り、そして、操作性の楽しさそのものを追求すると・・・・・

「まだ車本来が持っている「走りの良さ」で改善することはありますか?」と記者から車に対する”究極の 価値観、コンセプト”が追求される。
奇しくも二人の口からは「あります!」と口をそろえたかのように同じタイミングで言葉が揃う。確かにあるのだ!


番組の中で象徴的な映像は[Toyota Technical Center]で始まり、最後の映像が [Toyota Technical Center] で結ばれると言うことだ。
トヨタの技術の殿堂「技術本館」 そして、さらに目を引くのは「ZE」と「良い品 良い考」と言う二つの看板 。 

・ [Toyota Technical Center]これだけ全世界に展開されているグローバル企業、その技術本館。 
販売拠点、生産拠点では多国籍化している企業のベースはあくまで豊田市となる。そして、テクニカルセンターなる言葉でなく、「技術本館」という名称にも拘っている。

研究、企画、評価、製品開発、製造技術の確立はそこでなされているという。
・「ZE」はアルファベットの最後の「Z」をとって、このプロジェクトのチーム名としている。全社・全部署へ号令をかける中枢の技術者集団。「E」はエンジニアリング/設計・企画。
そのプロジェクトが取り組む課題、ミッションの規模からするとあまりに ちっちゃな、そして簡素な「ZE」の看板だ。
・製造現場に掲げられている「良い品 良い考」は 1953年に制定されたトヨタ自動車の代表的な標語・理念。従業員一人ひとりが「よい考え」を出し合い、創意工夫を重ねることで「よい品」を安くつくるという、同社のものづくりの原点を表す。
このことが今や世界の共通語の一つともなっている「KAIZEN」(改善)に通じるのであろう。

 ◆今回の商品開発における重要なミッションがある。それは自動車の車体、筐体(土台)の基礎となる次世代のプラットホームの開発という案件が絡むことだ。商品開発にはよくコードネームというものが用いられる。  これが先に述べた 「ZE」だ。


従来の自動車メーカーの世界は企業内、企業グループ内で蓄積され、共有されていた技術、知識を垂直統合する形での製造構造で構成される。
垂直統合する形での製造構造に対する反対の極にある言葉は、一般的には水平統合(水平分業)となる。
製造メーカー各社が製造した製品の各部品や設計を標準化したものを組み合わせる「モジュール化」という構造でものつくりが出来る時代となった。今や、自動車製造といえどもその世界の一部となり、大きく変えつつある。
米国のテスラ、中国のBYD等が既に脅威となっている。
メーカー、系列会社の技術の積み上げの上に成立する世界から、いわゆるモジュールで構成部品の組み合わせでも自動車ができる時代になった。

番組の中で紹介されていたよう、BYDの商品開発は24時間、三交代で開発が進められる。嘗ての栄養ドリンクの宣伝の様、”24時間戦う!” が現実化されていると言う。

当然の結果とも言えるかもしれないが、BYDの新商品開発(モデルチェンジ)までの開発期間は2年、日本の1/3が時間軸となっている。
その上、これから自動車の動力として主流になるであろうと言われている電気自動車、そのバッテリー開発技術においても日本を凌駕しているとも紹介されていた。

トヨタの開発の技術者が口にする。「競争相手は”上へ”上へ”と高みを目指して行動している。一方、日本が従来のママ、また、従来の考えの延長で行動していると大きく負け。」既にその兆候はないか!?
「少し前の時代は”トヨタ一強”が問題だと国内で批判されたことがあった。しかし、今はその”一強”が崩れつつあると言った一企業のことにとどまらず、これから”日本という国のものつくり”が世界では負け続けるのではないか?」と言う強い危機感である。
グローバル市場の競争の厳しさから、本来の再生産に必要な利益さえ十分獲得することさえ難しくなってきている。
(つづく)

ドクター“B”の夏の挑戦

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆現在居住の地域でオープン·ファクトリーのイベントがあった。
夏休み期間を活かし、 子供たちに地元の会社を知って貰おう、そして各人に職業観を養って貰おう。ひいては地域で活躍する人材の発掘をもという意欲的な企画だ。

大人の人にも開放されていて、地域産業への深い理解を促すものとなっていた。

その中の一つに医療を幅広く理解して貰おうと地域の基幹病院で企画されていたものがあった。齢60過ぎの親爺も参加してみた。


◆先ずは赤ちゃんの沐浴。調剤の袋詰め。車椅子の実乗車。栄養指導。病院に関わる幅広い実体験を、そして歯磨きクイズ、視力クイズ等を通して、医療について考える良い機会となった。

その中でも、腹腔鏡手術の真似事の体験。
映像の画面を見ながら、メリーランド鉗子:(先が細く曲がっていて、細かい組織を剥がしたり掴んだりする道具{マジックハンドをより繊細にしたもの})を使って、不安定な台車の上へドラえもんを積む体験だ。

メリーランド鉗子自体は治療対象の組織の把持、剥離、切開、凝固、止血など多用途に利用する道具と解説されるとテンションは否が応でも上がる。

直接手で扱うのでなく、先の道具を介在して扱い、そして視覚情報も手元を目視するのでなく、画像を通して自分の作業状況を把握する。

このまどろっこしいひと手間( 腹腔鏡手術手法)が患者さんへの負担軽減、入院期間の大幅な短縮、医療としての質の改善にも繋がる。

少し前のテレビドラマで言うと”ドクター”X””の向こうをはった、俄仕掛けのドクター”B”が誕生する。
今回のミッションは不安定に傾く台車の上にドラえもん達を全員乗車させる事に挑むものだ。台車には運転席もあるので、最初は運転者としてきちんと座らせ様とするが、これは至難の技だ(部分最適に拘っていては全体的最適には到底届かない…)

先ずはどんな形であれ、全員乗車に挑戦!
頭を切替え、道具を使い、ドラえもん一人一人を摑む。積む事は出来るがこれを不安定な台車に乗せるとなると今度は人間側の繊細な道具使いが必要となる。そして、そっ〜と置かないと折角乗車して貰ったドラえもん達が全落ちどとなる。

今風の言葉で言えば、超「ムズイ」のだ。

◆ドクターBは白衣こそ着用していないが、ほぼ医師成り切り。このミッションは何としても成し遂げたい。これまたテレビドラマで言うと「JIN(仁)」の医師の気持ちになる。

全積みはかなりの難易度が高い様で、”全積み”がなんとか終わったら、ほんまものの医師から、看護師たちから拍手が起きた。
因みに、ある一人の子供さんは小さな模型積みに成功したと言う。(この子の技量は将来正真正銘のドクターXになる資格、間違いなくあり!)

“失敗をしませんから”と胸を張って手術に臨むのが”X”なら、失敗は今まで一杯やって来てますから…と少し謙虚なのが”B”。(笑)
そして、ドクターⅩは術後ガムシロップをコップ一杯飲み干すことが定番である。ドクターBにとって、それは血糖値を 一挙にマックスに持っていく危険な行為となるから、持参したマイ水筒のお茶をごくりで我慢だ。


◆鳳陽会会員の中には、経済学部を卒業して医師になられた方や途中で転部されて医師になられた方が少なからずいる。
自分が知っている同窓の中にも広島に、東京に、岡山にもいる。

先ずは生物や化学を基礎として、更に濃度の濃い内容の医療知識の山々。自分には高くて越えられない山が、壁が、間違いなくそこにある。

しかし、医は人術といった心意気の部分、また与えられたミッションに対しては最善を尽くすまだまだ青いドクター”B”がそこにいる。

大相撲名古屋場所を終えて

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

◆五月場所全休で大関から関脇に陥落した安青錦の10勝以上挙げて一場所での大関復帰なるか、横綱大の里の強行出場の行方、前場所準優勝に終わった霧島のハイレベルの優勝で横綱昇進となるかで始まった名古屋場所でしたが、とんでもない大荒れの末に12勝3敗の巴戦で、安青錦の優勝で幕を閉じました。
以前は名古屋場所には首都圏から遠征し、昼は名古屋場所を観戦し、夜はナゴヤドームでドラゴンズの応援を2度した記憶もありますが、名古屋場所には単発でも随分と通いましたが、今はAbema TVで自宅観戦です。

◆横綱大の里が連敗スタートした時は即休場かと思いましたが、初白星の後に1勝3敗となりましたが、そこから最後まで土俵を務めたのは立派でした。
まだまだ時間は掛かるようですが、復活を期待したい。
藤ノ川、両横綱破り8勝7敗。敢闘賞。
横綱豊昇龍、7勝6敗となり、14日目の霧島戦から怪我が治っておらず休場となり敵前逃亡?でした。
13日目のカド番琴櫻戦では申し合わせた決まり手の互助会か?と思われる一番もありました。
負けた後の悔しがりようは役者でした。
横綱に昇進前の昨年の初場所はレノファ山口有志のメンバーで枡席観戦し、巴戦を制しての優勝に大感動でした。
その後、横綱に昇進して9場所優勝がなく、批判が噴出しています。
スピード相撲と下半身の驚異的粘りは魅力で好きな力士でしたが。

◆名古屋場所では新関脇熱海富士の安定した強さが目立ちました。
大関への足掛かりとなりました。
又、琴栄峰の前場所に続く活躍も成長著しいです。敢闘賞。

◆期待を裏切ったのは三賞予想に挙げた小結義ノ富士と小結王鵬です。
義ノ富士は綺麗な立ち合いですが、負ける時の内容があっけなく、6勝9敗。王鵬は相変わらす受け身の相撲で何がしたいのかわからず2勝13敗。
当分応援を見合わせます。

◆応援している力士では、霧島が12勝3敗に終わり、横綱昇進はならず。
平幕相手の2敗が痛かったです。
稽古もし、安定はしていますが、横綱相撲ではありません。
短命横綱では困ります。
(音羽部屋の部屋頭で三月場所から応援しています。)
阿炎が突き押しが決まり、良い相撲も4番位ありましたが、立ち合いの変化で、その後、自らの体勢を崩すのが目立ち、7勝8敗の負け越し。
若元春も勝てなくなりました。
6勝9敗。
平戸海も壁にぶつかったのか勝てなくなりました。4勝11敗。
十両の玉鷲は9勝6敗。
台湾絡みの東白龍8勝7敗。
幕下、深井改め朝ノ龍、2勝1休4敗。
同じく光星竜、5勝2敗。
千秋楽の7番相撲で177kg二本柳相手に立ち合いの叩き込み。
思わず雄叫び。
同じく、木竜皇、2勝5休み
山口市絡みで応援している三段目、若輝元、前場所怪我で全休でしたが6勝1敗
同じく千代大宝、1勝6敗。
三段目、翔傑、1勝6敗。
大当利、6勝1敗。

◆幕下(7名)と十両(5名)の優勝決定戦がトーナメントとなり実に見応えがあった。
幕下は旭富士、十両は湘南乃海が優勝。

特記事項)
3月場所から音羽山部屋の光星竜を応援しています。(25歳、174㎝、125A㎏)
今場所は幕下31枚目に昇進し、対戦力士は大きく実力者ばかりの中で5勝2敗の成績でAbemaでリアルタイムで視聴しました。
関取を目指して頑張れ。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)

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三人の財界巨人 その13 藤田伝三郎⑫ 大倉喜八郎似

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

◆伝三郎の人となり

満鉄総裁、外務大臣、東京市長をした歴任した後藤新平は、藤田伝三郎を「士魂商才の権化、頭脳明晰にして人格高邁」と評している。

数々の事業を展開し、財界の巨人となった藤田伝三郎は人に向かって決して威圧的な態度をとらなかった。

むしろ、物腰柔らかで、親しみやすく、親切。それでいて気品高く、部下に会う時でさえ折り目正しい服を着て、尊大な態度を見せなかった。

仕事ぶりはどうか。

部下に仕事を任せるに際し、一切を任せ、疑うことをしなかったという。このため伝三郎から仕事を受けた者は、伝三郎の度量の大きさに感激し、責任を自覚し、熱心にことに当たったという。

また、判断は迅速で果断。

記憶力に優れ、机上には書類の堆積なし。

すべての用件を記載した手帳をいつも懐に入れていた。

一件ごとに熱心に調査研究し、腑に落ちないところがあれば、担当者と何時間でも話し合ったという。

◆また、商工会議所の会頭にまでなった人物だけに、財界の催しでは彼の周りに人垣ができたかと思いきや全く異なる。

財界のパーティーには顔を出さず、新聞や雑誌の取材にも応じず、投稿もしない。

写真も嫌った。

しかし、藤田の邸宅には東京から、京阪神から、春夏秋冬、朝から晩まで、公私の客が引きも切らなかった。

酒は飲まず、食事は日々家族と一緒で一汁一菜に満足していたらしい。

事業の華々しい成功、名誉ある役職、男爵という民間人で初の爵位を得た人物であり、暗礁に乗り上げた厄介な膠着案件でも調停役を果たし、頼まれた公共性の高い社会的な事業に個的利益を顧みることなく身を投げ打ち、寄付もした。

性格は大変地味で、外に出るを好まず、古美術を愛し、生活ぶりはつつましかった。

そのギャップに接した者は、伝三郎にたまらない魅力を感じるのだろう。

◆古美術を愛す

その古美術の話。

伝三郎は古美術への造詣が深く、特に茶道具に関する鑑識眼は卓越していたとされる。

明治維新後の廃仏毀釈から、海外に流れた古来の美術品にも私財を投じて収集したとされる藤田コレクションは、三井、三菱、住友、大倉などの他の財閥系企業によるコレクションに比べて、質が高いと評価されている。

◆慈悲のこころ

財界では大倉喜八郎(新潟・新発田)と似通っているとされる。

独立自営の精神が強かったこと、また、趣味が豊かで美術品の収集を精力的に行ったこと、いわゆる四大財閥の三井、三菱、住友、安田が手掛けなかったような建設請負業、また革を扱う製靴業を行なったためだろう。

また、二人とも不幸な境遇の者、恵まれない者に同情的で、寄付を施すことを忘れなかった。

伝三郎にこうさせたのは、慈悲深い母がいたからこそなのかもしれない。

(学23期kz)

大倉喜八郎

お約束の「45年ぶりの再会♪」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿



◆先の大阪支部主催の鳳陽会総会で45年ぶりに再会した先輩がいる。
今は大阪で所謂「士業」に従事されているM也さんだ。
十年一昔と言われるから、”四昔”…にもなる。

当日、恐る恐る「K隆さんと一緒に下宿にお邪魔した事のあるBです」と自己紹介をした。
その日の事をよく覚えていてくださった。
それもそのはずだ。勉学に勤しまれた後か、少し遅い起床であった様だ。
「M也居るか、M也!M也!」とドアの外で声、そしてドアをどんどん叩き、”ガサ入れ”の様に立ち入ってくる後輩2人!(笑)

読者の方には”仇討ちのストーム”(笑)かと思われる方もいるかも知れないが、それは違う。M也とK隆さんは高校の同級生なのだ。少し勉強好きで後に入学し、後輩となったK隆さん。
2人は互いにファーストネームで呼び合う関係だから、何でもあり、何でも成立する間柄なのだ。
(ひょっとすると曾ての中河原にあった鳳陽寮の寮生の中のストームを楽しむ人間関係の濃密さに似ている?)

余りに、ある瞬間のインパクトが強いと記憶に刻まれている様だ。
「あっ…あの時のBさんかい?」と心優しく、そして紳士的に対応戴いた。

昔ながらの風体、スリムで長身、頭にはごま塩を降っている以外は何ら20代の時と変わりない。

「いやぁ~、その節は大変ご迷惑をお掛け致しました」45年ぶりの謝罪から始まった。
当時の事、それから就職先の事まで記憶に留めて戴いて、旧知の仲の様に話が弾んだ。

◆二次会になると「どうも昔の当時のBさんが思い出せん。昔の写真とかあるとや?」と出身地の言葉で”何か”をご所望の様だ。
自分の携帯の中にある紅顔の写真を検索して、見せた。
「あっ、これや!これや!」と大笑いである。
紅顔の美少年?が今や体格も一回り大きくなり、強面にもなっている。
少し大きな会社やその筋には必ずいる「マル暴」対策用の人となっているからだ。(笑)

M也さんと山口での交流した時間は少ない。しかし、無二の親友とも言えるK隆さんを通じ、山口でその人なりをよく聞いていた。

総会当日は小雨が降っていた。二次会に向けて歩いて移動。先行して先に渡った横断歩道でM也さんが鞄を少し肩にかけて、信号待ち。
その姿が、ブラックレインに出てくる松田優作、その姿である。
若い頃から松田優作が好きで憧れていたM也さん。お洒落でいて、ナイスガイだ。

◆その後、ラインとかのやり取りをしている。今は一層、ストイックな生活をされている。
特に健康には留意をされていらっしゃるご様子。
暴飲暴食の傾向があり、時には足の指踝の辺りに風が吹いても”痛い!”と言う病持ちとは違う。40年の時を経ても間違いなく”ごま塩頭の優作”がそこにいる。

鳳陽会総会を機会に、45年ぶりの新たな交流が始まる日となった♪

三人の財界巨人 その12 藤田伝三郎⑪

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

藤田伝三郎は人物を見定める方でも目が利いた。

他の組織にいた人材にも、これといった人物にめぼしをつけて引き抜き、多くの人材を藤田グループ内で育てた。

◆本山彦一

藤田組総支配人で熊本出身の本山彦一もそのひとり。彼は福沢諭吉が創刊した日刊新聞「時事新報」にいたところ、福沢とともに伝三郎に会いに行ったことがある。

それが縁で、本山は藤田伝三郎のもとに居つくことになる。

伝三郎が引き抜いた訳でもないのに・・・だ。

伝三郎は井上馨候と近い。福沢諭吉は井上候に近い伝三郎のところに居ついた本山に翻意を促すが、徒労に終わる。

本山は伝三郎によほどの人間的な魅力を感じ取ったのだろう。

この本山はやがて藤田グループの「大番頭」となる。

伝三郎も本山に藤田組の一切を任せるにまでなった。

もちろん仕掛中の難工事・児島湾干拓プロジェクトも任せた。

また本山は福沢諭吉の「時事新報」にいたため、新聞作りはお手の物だ。

そこでその本山彦一が毎日新聞の基礎を作るまでになった。

◆岩下清周

伝三郎に惚れ込んだのは本山だけではない。三井銀行・大阪支店長から北浜銀行(旧三和銀行・現三菱UFJ銀行の前身のひとつ)を創った岩下清周(きよちか)もそうだ。

岩下は岩下で、単なる銀行家に終わらず、我が国を工業立国にすることに身を捧ぐという大志を抱いている。事業への目利きに優れており、融資を通じて谷口房蔵(東洋紡の前身にあたる大阪合同紡績)、大林芳五郎(大林組)、豊田佐吉(トヨタ)、小林一三(阪急・東宝)、森永太一郎(森永)などなど・・・優秀な経営者を育てていったほか、自身も大阪電気軌道(近鉄の前身)を創設して社長を務めた。

◆こうした大物を育てた藤田伝三郎。

しかし伝三郎は、育てた人物のことを「俺が育てた。俺が、俺が・・・」と周りに吹聴し、自慢するようなことはしない。

決してしない。

いつも穏やかで、自然体だ。

大物の「育ての親」でありながら偉ぶらず、謙虚にして穏やか。

表向きは大衆に混じっても決して目立たない静かな存在でありながら、内に秘めるは誰にも負けることはない大きく、また気高い志を持つ、口数の少ない男。

そこに藤田伝三郎のたまらない魅力がある。

(学23期kz)

本山彦一
岩下清周

鳳陽会本部理事の中吉さんと両国で親交を深めました

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】



◆7月16日(木)仕事で上京の中吉雄二さん(学21期)とJR両国駅で18時に待ち合わせ、もち豚料理「わとん」で一杯やりました。
大相撲のチケットの入手方法について知りたいと。
中吉さんとは当時は広島市に合併前の安佐郡にあった祇園中学で同級生でした。
彼はブラスバンド部に所属し、生徒会長で類い稀なリーダーシップを発揮し、先頭に立ってぐいぐいと全校生徒を引っ張っていました。
校旗のような物を持って、運動場の先頭を行き、鼓舞していました。
私は小さくなってただ見つめるのみで、在学中は一言も話したことはありませんでした。

◆彼は中高一貫校の私立の雄、修道高校に進学し、大学では入学同期でしたが(中国新聞の合格発表で知る)、八坂神社近くの竪小路に下宿していたようで、私の友人も近くに下宿していて見掛けたことは2度位ありましたが、恐れ多くて近寄ることなく、声も掛けられませんでした。
教養時代のクラスも異なり、学内で見掛けたことは記憶にありません。
在学中は自動車部に所属し、メカを含め車には詳しく興味があったとか。

◆卒業後は日産自動車に就職し、4年勤務されたようですが、結婚を機に奥様の実家の家業を継ぎ、マツダを始め生産設備を主に担当し、今はご子息が社長で会長職とか。
私は39歳~45歳の2度目の広島勤務となり、鳳陽会活動で再会し、彼は広島支部の総会では大抵は司会進行役に担ぎ出されていました。
私についても、ご存知ない現在迄の略歴を紹介しました。
チャンコ料理や刺身料理に舌鼓を打ち、懐かしい思い出話で盛り上がりました。

◆後半は店主の常光弘泰さんが加わられ、大相撲談義は勿論、広島、長崎の原爆の話や現在の米イラン中東戦争、ロシア―ウクライナ戦争、中国の話等ワールドワイドな話となりました。
我々の育った戦後の時代とは違い、予想もつかない閉塞感のある別の意味で激動の大変な時代となりました。
様々な話題で4時間談笑し、両国の街を後にし、帰途に就きました。
今回、東京支部トピックスの存在を強調しておきました。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

山田洋次監督の兄・正巳様の孫娘の方からメールが

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】



◆NHK「プロフェショナル」仕事の流儀、山田洋次監督と題する2023年10月、鳳陽会東京支部トピックスに投稿しましたが、ご覧頂いた孫娘の方から、先日、突然メールが。
広島基町高校時代の地学の山田正己は山田洋次の弟ではなく、兄との連絡で、私の勘違いでした。
それは兎も角、祖父の正巳は雑誌等のメディアに取り上げられることもありましたが、インターネット記事はなく、あなたの投稿に遭遇し、嬉しかったと。

◆また、私は千葉県在住と思っていましたが、それは三男の方で、広島大学を卒業して以来、地学の教師として広島県に在住していたと。
山田正巳は2024年6月に亡くなり、お墓も広島県内にあると。
今の私には広島は遠く、もう10年は行っていません。
広島に向かって手を合わせることにします。

◆東京支部トピックスは全体公開となっていて、私は投稿の際に自分のメールアドレスも書いているので、このようなメールの返信があると望外の喜びです。

◆昨年、広島太郎さんが亡くなられた時も、Yahoo等で報道され、広島太郎とは何者ぞやとなり、私が投稿した「素顔の広島太郎さん」に辿り着き、3千のヒット数となり、亡き塩塚支部長の話では、一時は乗っ取られたのではと騒動となったようですが、ヒット数は実数で、乗っ取りは杞憂だったようです。
また、新潟在住の見知らぬ方と兵庫県在住の鳳陽会会員の方からコメントがありました。

◆先日、東京支部総会の際に同じテーブルのメンバーの方から、最近投稿が少なくなりましたねと言われ、いいね!が全く付かないですからねと答えましたら、若い人は兎も角、我々の世代はいいね!は付けないですよ。
はっとした反面、本当にそうなのであろうかと自問しています。
私はmixi歴10年、その後、Facebook歴10年ですが、mixiは足跡、Facebookは自分のタイムラインの投稿にはいいね!がそれなりに付きます。
私の承認要求なのかな?
東京支部トピックスの投稿に対し、遣り取りは双方向でありたいと願う者ですが。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp