マーチャン大神宮と白黒世界の商品梱包

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿



◆白黒パッケージで商品梱包された商品が一部棚に置かれ始めたとの報道がある。

今から40数年前、会社で「マーチャン大神宮」と言う、営業推進のためのソフトがあった。
量販店とかをお得意先とする部署に店舗の商品棚割を提案するものだ。(B to C の食品メーカーにおいて)

◆「マーチャン大神宮」 は マーチャンダイジングを文字って、名づけられたものだろう。そもそも マーチャンダイジングとは、 消費者の欲求・要求に適う商品を、適切な数量、適切な価格、適切なタイミング等で提供するための企業活動と言われている。
商品政策 に関して、商売繁盛を願って、「大神宮」を訪れて 祈るとでも言ったところだったのだろうか。


◆今は昔かも知れないが仕掛けとしては簡単なものだ。

スーパー等の棚数、棚の幅を事前に調べ、それに色とりどりの自社の商品の割り付けを行う。(仮想の商品棚に、自社商品のアイコンを貼り付けると棚割りが出来る)
棚割りの提案として一覧性のあるものとして、店舗責任者や売り責任者に提案するものだ。
この棚割りは商品一つ一つの商品力はもとより、棚割りによって如何にお客様に(当時はメーカー側も奢った見方をしていたのか、消費者と呼んでいた)メーカーとして一連の商品群を売り込めるかが決まる。商品を売り込むと言うプッシュでもあり、お客さんを引き込むと言うプルでもある。

◆新商品、推奨の商品の配置も大切で、レイアウトの良し悪しにより販売数量には大きな差が出る。

このシステムが無いときは、 若き営業マンはきっと閉店後、店に赴き、実際の棚に商品を並べ、店舗の人に見てもらう。

「これ違うよね」となったら、改めて商品を並べ替える。この繰り返しの中で、延々と時間を費やしていたかもしれない。
しかし、「マーチャン大神宮」があれば、事前に事務所において何案か準備。前もって店舗側に確認を願う。最終棚割に店舗に赴くときは微調整で「答え一発!」。店舗間で「答え一発!」の横展開をしてもらえれば、より効率的な営業活動が出来る。

これは商品個々に色つきのパッケージがあるから成立する世界である。

◆昨今のニュースでは、ナフサ由来の印刷用のインキの調達が難しくなったという。そこで白黒の商品パッケージ。ある意味全体量の中でほんの少しだから、物珍しさもある。そして話題性もある。
しかし、棚にある商品群が全て 白黒パッケージ商品に埋め尽くされた棚を想像してみよう。どうだろう?

もっとわかりやすい例は、大相撲の関取を応援するために準備される懸賞旗に例えるとどうだろう。お茶漬け海苔で有名な企業さんの懸賞旗は 「赤、黄、黒、緑」の横縞模様がデザインされている。 企業名など見えなくとも色のついた懸賞旗で、あのお茶漬け海苔の企業さんの懸賞旗だな!とわかる。
歌舞伎座の  「 黒色、柿色、萌葱(もえぎ)色の3色が縦に並んだ幕 」の  定式幕、これが白黒の幕になると・・・ 弔事の時に使用する幕  。。。


全体として、商品梱包も色のある世界から白黒の二色の世界へ・・・特別な場合を除いては戴けない。


◆この例でもわかる様、もう既に我々の頭の中では、色によってイメージされている豊かな世界がある。

人によっては、白黒の世界にも「赤、黄、黒、緑」や「 黒色、柿色、萌葱(もえぎ)色」がイメージできる人もいるかもしれない。しかし、頭の中では、ある意味AIの様にものすごいエネルギーとしての発熱を必要とするかもしれない。

旧型の「マーチャン大神宮」であっても、色も楽しめる商品棚であり続けてほしい。

(岡山B)

三人の財界巨人 その8 藤田伝三郎⑦

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】 

◆事業拡大

<橋梁工事>

軍靴製造の次に伝三郎が関わったのが高麗橋の橋梁工事だ。

伝三郎の本店のある大通りに掛かり、大阪城の防衛上重要な橋で、天満橋、天神橋などと並ぶ幕府管理の公儀橋になっていたところだという。

明治3(1870)年この橋を鉄鋼の橋に掛け替える橋梁工事に関わった。

<鉄道建設>

次の事業は明治4年・1871年の京都-大阪間の鉄道建設。

この鉄道建設は当時、大蔵大輔(たゆう、次官)の大隈重信と大蔵小輔(しょうゆう、次官補)伊藤博文が組み、諸藩が割拠する地域に鉄道を敷設することで古い体質を打破し、人心を統一しようとしたものとされる。

まず、①新橋-横浜間、次に②大阪-神戸間、③三番目に大阪-京都間で工事が進められ、伝三郎は三番目の京都-大阪間の工事を請け負っている。

この時の契約は、初の「本格的な総合請負方式(ゼネコン)」。

こうした鉄道工事の話が来たのは、長州出身の「鉄道の父」・井上勝が関与したとされる。

ここでも長州つながりがものをいった。

<井上馨の先収会社>

また、明治7年、井上馨は財政縮減を巡って司法卿江藤新平と対立し益田孝とともに大蔵省を辞し下野するが、その際、地租引き当て米や軍事物資など扱う商事会社である先収会社を一時期2年ほど立ち上げるが、伝三郎は井上馨から実務経験を請われて先収会社(三井物産の前身)の頭取に就任している。

◆こうした大きな話が手元に来た幸運もさることながら、伝三郎の方ではこうした話を受けてよく事業に取り組んだものだ。

もともと、萩では酒や味噌の醸造のほか、下級武士相手の金貸しをやっていただけの藤田伝三郎のはずだが。

器用なのか、要領がよいのか、運が良いのか。

親戚の醸造会社も工夫をして3年復興させており、事業の才能があったのだろう。

◆藩閥のつながり

明治新政府では藩閥のつながりがものをいう。

薩摩の五代友厚が大久保利通と通じたように、土佐の岩崎弥太郎は後藤象二郎や板垣退助との繋がりがあった。

また、藤田も長州出身者とのつながりがあった。

◆藤田一族での経営

事業が忙しくなり、伝三郎は兄弟を呼び寄せたのが明治6年のことだ。

明治6年(1873)に久原家に養子に行った伝三郎の兄・庄三郎(久原房之介の父)が萩に見切りをつけ、伝三郎を頼って単身上阪。房之介が5歳の時だ。

藤田の長男鹿太郎も庄三郎とともに上阪している。
明治8年には井上馨の縁で初代山口県令となった、江戸生まれの中野梧一も藤田組に合流。

藤田一族での同族経営が軌道に乗った。

◆事業はさらに拡大

このさき、伝三郎が藤田財閥の中で育てた人材が藤田グループの中核企業を切り盛りし、土木(大成建設)はもとより、建築施工(帝国ホテル、歌舞伎座、赤十字病院、日銀、京都帝国博物館、二高、三高)、鉱山(現DOWAホールディングス)、阪堺鉄道(南海電鉄の前身)、北浜銀行(旧三和銀行、現三菱東京UFJ銀行の前身のひとつ)、紡績(東洋紡)、宇治川電機(関西電力の前身)、大阪毎日新聞(毎日新聞の前身)のほか、大規模で難工事の児島湾干拓にも関わるようになる。

側近の育てた者には、十二分にその才能を発揮し、有能な経営者として花を咲かせる。

こうした伝三郎の人材を発掘する眼力にも恐れ入る。

(学23期kz)

北尾さんと川島さんの話

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【20266月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆SBIホールディングスの北尾吉孝さんのYoutubeの中で何度も名前を呼ばれる人がいる。

プレジデント社が”Youtube”の中で、SBIホールディングスの北尾さんに”リーダーシップ”について取材をしている(プレジデント社編集長・星野貴彦の北尾吉孝会長へのインタビュー動画(2026年3月24日撮影)「リーダーの器」-決断の裏側)

 
今ではSBIホールディングスは800社の会社を傘下に、そして関連する職員数は19000人といわれている。
その中で野村證券時代からの部下である川島克哉さん(鳳陽会・学33期)は何度か名前が挙がった。

◆元々野村證券でも、いつかは社長の任を担うであろうと期待されていた北尾吉孝さん。野村證券の歴代社長に嘗ていた大田淵、小田淵のうち、小田淵・田淵義久さんに可愛がられた。
証券業界を揺るがした各主要証券会社の損失補填問題。その責を取って、田淵義久さんは
社長を退任する。機をほぼ一にして、北尾吉孝さんも1995年に野村證券を退職。以前より資金調達でお付き合いがあったソフトバンクの孫正義さんの誘いに応じ、ソフトバンクに移る。
そして、孫さんから北尾さんにその話があった時、外の車で待っていたのが川島さん。”一を聞いて十を知る”の言葉の如く、北尾さんの言葉は聞かなくとも、様子から「ソフトバンクに来るようにお話がありましたね?」と北尾さんに声をかける川島さんがいたという。孔子の弟子でいくと”顔回”の存在となる。

「自分を慕って、60名くらいの人間が野村からソフトバンクに移ってきた。川島君は子供さんも小さかったが奥さんとよく相談して、僕についてきてくれた」と名前を挙げて語る北尾吉孝さん。

◆その後SBIの株を外資に売り払うようにし、 2005年にはソフトバンクから離れ、資本関係を断つこととなる。今までは金融サイドの人間であったのが、これを機に企業家として独り立ちするようになる。

その北尾吉孝さんが語る。リーダーたるもの、信・義・仁の三つの徳が兼ね備わることが必要と。

それぞれの「信・義・仁」について語られる内容を拾ってみよう。
信:社会や他者からの信頼を裏切らないこと。
義:損得勘定ではなく、社会正義や道理に照らし合わせて「正しいことを行う」という強い意志と規範。
仁:相手の立場に立って物事を考え、思いやりを持って他者に接する心

この3つの徳目を大切にし、経営、判断の「ものさし」とすることで、目先の利益を追うだけでなく、社会課題の解決や持続可能な社会の実現にも貢献できるとされる。
そして、北尾吉孝さんが番組の中で何度が口にされるのが「天意」という言葉だ。天命と相通じる言葉のようだが、 自らに与えられた使命に対しては、全身全霊で全うし、その結果は天に任せるという生き方。

◆1995年、2005年、北尾さんにとって、人生の分岐点ともなるそれぞれの選択は、天意に基づくものである。

偉大な経営者の最後の大きな課題は次に誰にバトンを渡すかという問題。


我々年代でみても、野村證券に就職されたのは、一期上ヨット部主将、そして、我々同期は陸上部中距離ランナー。そして、33期の川島さん。

何れにしてもタフネス、そして優秀な人材が挙って就職していることは間違いなさそうだ。

◆最後に、北尾吉孝さん流の仕事観、令和の時代となると少し違和感を覚える方もいるかもしれない。「我々が人間として成長していくからには、働くという行為なくしてはありえない」
何のために働くのか?誰のために働くのか?「自分の為なくして、他には何もない」と言い切る。そして、パワハラだとかいう言葉はあまり好まれないようだ。「愛情をもって、部下を叱る!これは、人の成長を願ってのことであって、叱る場合はその理由もしっかり説明をする。そして、その理由を理解し、すみませんと詫びた部下には翌日からはその叱ったことは不問に付す」という潔さだ。

川島克哉さんは、現在株式会社SBI新生銀行代表取締役社長の重責にある。

いま高市総理が「働いて働いて働いて働いて、働いてまいります」に通ずるか?
何処か昭和の頑張る親爺感がそこにはあって、まだまだ量的・質的成長の追い求めていた元気な日本がそこにはありそうだ。

(岡山B)

随筆 横目で眺めた経済学 経済政策の効果 ③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

◆政策効果の検証

これまで重要な社会問題に対して各種の対策が講じられてきた。

こうした施策は、予算をいくら使ってどの程度の効果が有ったのか検証されるべきだ。

しかし、これが難しい。

例えば少子化問題。

これまでに、○○プラン ○○戦略 ○○ビジョンなど首相が変わるたびに新たな対策が考案されてきた。

こうした新たな対策は過去の効果の有無につき、しっかりした検証を経たうえで戦略的に実施されているのだろうか。

検証作業がないと、判断がつかず、“wise spending” どころか無駄な支出、極端な言い方では「カネをムダに捨てる」といようなことになりかねない。

◆政策効果の測定

客観的な政策効果の検討はどのようにすればできるのか。

・国会での決算委員会での討議はどうか。

国会での質疑応答は答弁者が財政当局であり、経済対策が無駄な支出であったとは立場上言わないだろう。

・会計検査院の調査はどうか。

検査院の指摘事項は予算の使い残しであったり、また予算が違うところに使われていたというような指摘が多い。

それはそれで、重要なことではあるが、予算がきっちりその目的に使われていたとして、その政策効果はどうであったか、どの程度効いたかということについては触れられていない。

打った政策が果たして効果が有ったのか、どの程度効果が有ったのか客観的、定量的に測定しておかないと、次の施策が効果的に打てないことにもなりかねない。

◆仮説検定作業

なお、政策が講じられた結果、その効果が有ったか否かについて、「仮説の有意差検定」という作業を行う手がないわけではない。

検定はA群とB群、例えば出産支援プログラムを実施したグループと、実施しなかったグループのデータを比較する。

二つのグループで、政策の有効性の証明をするが、その際、背理法による手法を用いるのがミソだ。

すなわち、政策が有効であったことを証明したい場合、「政策が有効ではなかった(両グループに差がない)」という仮説(帰無仮説)を立て、その下で、ナマのデータが極端な確率(P値)を取ったとする。

その確率値(P値)が有意水準以下、一般的には5%以下になれば、帰無仮説を棄却し、反対の仮説(政策が有効であるという仮説、すなわち対立仮説)が正しいことを証明する方法だ。

そうすることで、95%のデータには差がある=因果関係があることになると考える。

しかし、こうした検定作業も、問題なしとは言えない。

取り上げるデータの期間の問題、この間イレギュラーな出来事があったか否か、A群とB群のデータが、原因と結果、すなわち因果関係にあるのか否か、注意深く見ないと誤った判断につながりかねず、神経を使うし、結構使いにくい。

◆独立機関

海外にはこうした各種検定を含め、政策の検証作業を実施し客観的な検証を行う独立的な専門機関がある。

特に米国では1960年代からEBPM (Evidence-based Policy Making)、いわゆるデータに基づいた政策に沿って各種政策が試みられている。その政策検証を担うスタッフは経済学の知識とデータ処理能力を持った経済学博士集団だ。

例えば米国には議会予算局(CBO)がある。議会予算局は議会に対して、予算に関する基本データや政策に関する情報を提供するとともに、予算に関する調査を行う党派を超えた客観的な独立機関だ。

日本でもデータに基づいた政策の重要性が叫ばれるようになったが、地に足がついていない感がある。

そうした作業を担うスタッフを見てみると、日本の役所では理科系の技官を除き、政策を扱うセクションには博士はおろか、修士を持ったスタッフもほとんどいない。また、政府としても各省庁から独立した専門集団を育成するような試みもなされていない。

このため、わが国は政策評価後進国といえ、こうした専門機関の早期設置が望まれる。

◆高い独立性

ここで重要なことは、こうした機関に高い独立性を持たせ、また出てきた結果についてはデータも含め、国民のもとに晒すべきだ。そうしないと、検定に恣意性があったか否か定かにはならないからだ。

こうした検証結果は公共物であるべきだからだ。

また、こうした機関が内閣府に設置されたとしても、調査結果が内閣府にコントロールされるようなことがあってはならない。

また、仮に○○省や△△庁が設置したとしても、その省庁の監督を受けるようなことがあってはならない。

こうした注文は言うは易いが、かなり難しい注文だ。

しかし、そうしないと、真に効果的な政策が打てず、いたずらに効果が不明な施策が累積的に講じられることにより、さらに財政赤字が積み上がるあがることにもなりかねない。

(学23期kz)

決算委員会

日曜日の早起き、お愉しみ「演芸図鑑」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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◆日曜日の早起きを促してくれていた「演芸図鑑」と言う番組が、今は「YOSE NI YOSE」(寄席に寄せ)と言う番組に衣替えしている。

曾ての「演芸図鑑」は東西の落語家の師匠が一人で司会をし、演芸(漫才、コント、色物のいずれか、落語の一席は必須)を二席、そして最後に各界の第一人者との対談と言う構成。
いろいろ学ぶ事が出来るオーラルストーリーがそこにはあった。大御所どうしのやり取には”味”がある。
一方、「YOSE IN YOSE」は東西の若手女流落語家が2人のやり取りをしながら、演芸二席を普通に進める。何となく、軽やかで軽妙。
番組名にも、ローマ字で準備し、新しい試みだ。

◆6月14日放映のYOSEは、三席。
所謂色物と言われる「紙切り」と若手落語家の新作落語、それに加えて、その新作落語をオペラ仕込みで別の歌手がソロでも熱唱。
最後の三席目は演芸として、新たなコラボが誕生(プッチーニの曲に落語の内容を詞として織り込む)

一席目の紙切りの演題は客席の声を題材に黒い紙に鋏を入れる。
今日のお題は”お茶っ!って母に声かけるお父さん”また、”テレビの前で横になっているお父さん”とくる。
いやいや、テレビを観ている側で、実はテレビから我が家を見られている様に錯覚するすら感じる御仁も多いのでは?(笑)

普通”紙切り”の演芸は、演者は紙切りのお題についてお話をしながら、また座布団の上で体を左右前後に恰も円を描きながら、鋏を進めていく。
しかし、これが話をせず、体を動かさないと…(笑)

人の手の平を上向きに動かすと”陽気”になり、下向きにすると”陰気”になると言う。
例えば、喧嘩を諌める時は”まぁまぁ…”と言って陰の手、下向きがマストだ。
ここを誤って陽の手、上向きに手を動かすと喧嘩に油を注ぎ、火を炙る事になる。
また、”恨めしや〜”と言って、ちょっとジメッとした感で、幽霊が出てくる場面で陽気な上の手で出てくる幽…おちゃらけた幽霊になってしまう。
やはり、目で入ってくる情報と頭の中で映像とが一致しないと頭は混乱する。
先の”微動だに動きのない紙切りの芸”になると頭は???(笑) 新たな笑いが生まれる。

◆レトロな演芸場で繰り広ろげられる新たな笑い♪
やはり、新たな取組みは大層力がいるが、何につけても必要だ。

芸が披露されるレトロな舞台の上に掲げられた額縁には、父の日が近い事もあって「御父上様」の四文字が掲げられていた。これも今の時代となっては、新たな取組みさえ、感じる。(笑)

(岡山B)

「千鍛万錬」のTシャツ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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◆アラカン(60前後)になってから、山に登りだした。朝の散歩は体力維持の為には不可欠だ。

朝歩いていると近所にある消防署本署で早朝ランニングをしている署員を見かける。
署員たちの軽やかなランニングは羨ましい限りだ。そして、その走りを眺めているとあることに気付いた。
本署の建物の周りをぐるぐる周回するのは同じ。しかし、建物の直ぐ近くの周りをまわるグループと敷地目いっぱいの外周を回るグループがいる。
一周の距離にすると同じ周回回数でもざっくりでも1.3倍近く長い距離を走っているグループがあった。

「鍛錬」・・・

ある学生のTシャツ 背中に一つの言葉が刻まれていました。 『千鍛万錬』と…
鍛錬が鍛錬で終わる様なら、それは訓練を強化したもの…。しかし、『千鍛万錬』とくると本物になる。
「千鍛万錬(せんたんばんれん)」は、宮本武蔵の兵法書『五輪書』に記されたものを言葉の起源とする。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」という言葉に由来する四字熟語。一つの技や道を究めるために、果てしない時間をかけて地道な努力と鍛錬を積み重ねることを意味す。

外周を回るグループ を引っ張って先頭を走っている人がインターバルとして休憩時間。その時に質問した。
「実は自分は剣道をやってはいたのですが、走るのはそんなに得意としていない。しかし、オレンジの服・・・(レスキュー班)で仕事をすることになってからは、自分の体力が仕事の源泉になっていることに気づいた。だから、自ら望んで外周走りをしています。そして、レスキューのチームを組んでいる皆も自然と外回りをするようになりました」と笑顔で語った。

ランニングをしていた署員のシャツは内回り組も外回り組も同じ紺色の消防署のTシャツである。しかし、外回りの組の背中には「 『千鍛万錬』  」の言葉が浮かんで見えるような気がする。
 
何かにつけて、自分に、自己に厳しくする事は難しい。これは他の為ならず、自の為なり。


◆アラカンになると友人にも周りの人の中にも、病に会い、その治療の一環として厳しいリハビリを病院側から求められることがある。
今病院でのリハビリは、術後だからと言って自分を甘やかすことを許していない病院もある。点滴の器具を持ちながら歩行訓練。ベットで出来る負荷が軽いプチ筋トレ等々。

計画的な、そして早期のリハビリがその後の回復のスピード、回復の質に大きく影響する様だ。自分に課された課題!  互いに  それに汗し、傾注し、力を注いでみよう、『千鍛万錬』

(岡山B)

三人の財界巨人 その7 藤田伝三郎⑥

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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◆長州つながり

大阪では同郷の大賀大眉(たいび、号は幾助)を頼り、その下で製靴業に従事した。

大賀とは幕末に、ともに攘夷運動で行動を共にした仲だった。

その当時、軍は輸入した革靴を兵士に支給していたが、舶来品は高い。このため、軍は国産への切り替えを望んでいた。

時の(1872年・明治5年)大阪鎮台の司令官は四条隆謌(たかうた)陸軍少将。

幕末期、少将は攘夷派公家で、八月十八日の政変で「七卿落ち」し長州へ移った一人。このため長州人に親しみを持っていたことが幸いした。

また大賀は五稜郭の戦いで一緒に戦った兵部大丞(だいじょう・兵部省軍務局長)山田顕義(あきよし)が少将として兵部省大阪陸軍所に赴任していたことから、藤田伝三郎を引き合わせる。

山田は元長州藩士(萩出身)、14才で松下村塾に入り、軍事の才あり。戊辰戦争では討伐軍の指揮をとり、西郷隆盛から「小ナポレオン」と称された「大村益次郎の秘蔵っ子」だ。

伝三郎はその山田から、西洋風軍靴の製作依頼を受ける。これが明治2(1869)年のことだ。

◆なぜに軍の拠点が大阪に

もともと大村益次郎は薩摩士族の動きを警戒しており、陸軍の本拠は東京ではなく、九州に睨みが利く大阪にすべきとし、大阪に陸軍士官学校も建てる計画を立てていたが計画半ばで暗殺されたという経緯がある。山田顕義は兵部省の中堅幹部として、九州方面の守りの要所・大阪に身を置いていたのだ。

◆軍靴製造

それまでの兵士の足元はなんと草鞋履き。

しかし耐久性のある頑健な舶来品の軍靴は値段が高い。

伝三郎は軍靴の試作に取り組み、舶来品と遜色ないものが半値ほどで作ることに成功する。

大阪での軍とのつながりを機に、身を寄せていた大賀幾助から事業を継承し製靴業に乗り出し、

明治2(1869)年、藤田伝三郎商社を設立した。

ここでは靴の製造のほか、軍備品の調達を行った。

また、靴の製造に当たっては、和歌山西洋沓(くつ)伝習所の製靴指導教官だったドイツ人・ハイトケンペルを明治9(1876)年に雇い入れ、藤田製革所を設立、本格的な軍靴の製造に取り掛かる。

これが現在のリーガルコーポレーションの前身だという。

明治の初めは政情が不安定で、佐賀の乱や神風連の乱があり、軍備品はよく捌けたという。

(学23期kz)

山田顕義 
陸軍中将。司法卿、司法大臣に就任。民法・刑法などの法整備にも貢献し。日本大学の学祖。

注射における 蜂の一刺し

 山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

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嘗て「蜂の一刺し」と言う言葉が時の流行語となったことがある。(1981年)
自分には大きな損害が及ぶかもしれないが自身の身を削りながらも強大な権力や組織に対して
強烈な一撃を加える様子を例えたもので、時の総理の地位をも揺るがした。

蜂ほど衝撃はなくとも、「蚊の一刺し」はなかなか厄介だ。

随筆『枕草子』の中「にくきもの」・・・
「ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽

風さへ、その身のほどにあるこそ、いとにくけれ」

蚊の針を刺された時はわからないが、あとになって痒くなり、刺されたことに気付く。そして

赤く腫れると言う厄介なやつだ。

注射する際の注射針の挿入が「蚊の一刺し」になると有り難いものになるから不思議だ。

チクリと一刺し! 献血の回数を重ねていくとその施業する看護師さんの腕の良し悪しも分かる

男となる。そう、コーヒーの味の違いが分かる大人の男と同様、注射針の針先の動きが分かる男

となるのだ。

上手い看護師さんは構えから違っていることに気付いた。ある看護師さんのスタイルは、肩幅よ

り少し広めに両足を広げて、腰を低く構える。腕と針先との挿入するときの絶妙な角度、タイミ

ングを探っているのであろうか? 

看護師さんがこのタイミングと思ったと思われる瞬間、先ず針先が腕に、そして血管まで一気に

針先まで届く。

勿論、肌に異物が挿入されるので、神経はチクリとする。しかし、痛くないのだ。

注射針における”蚊の一刺し”! 池波正太郎の必殺仕事人に出てくる「梅安先生」版の看護師だ。

あまり上手くない看護師さんだと先ず針先が腕に、そして、それから針先が血管を探る、手繰る

ように動く。そうはしてないとしてもそうしていると感じるくらい痛い。

先の看護師さんの施業後の止血用のシールにほとんど出血の後がない。しかし、後者の看護師

さんの止血用のシールには小さな「血の丸」が。。。

”蝶のように舞って、蚊の様に刺す”、そんな看護師さんには身も心も、腕も採血も、全身全霊で

預けたい。

◆一方、その注射針自身も実は長足の進歩を遂げている。
採血用の針とは異なるが 約60万人の糖尿病患者がインスリンを自分で注射する治療をしている

その注射針の話。

ある医療機器メーカーは患者さんの痛みを和らげたいという思いで「痛くない注射針」を発案。

そもそも針を刺して「痛くない」針と言った発想から凄い。

その針開発に当たっては名だたる企業さんも含め100社以上に製作を依頼したが断られ続ける。

 携帯電話の小型電池ケースなども生産する会社、また金属の絞り加工で卓越した技術を持つ精密

深絞り加工の岡野工業に白羽の矢がたつ、そして、開発に尽力。

針の先端が蚊の口吻とほぼ同じ、外径200 μm、内径80 μm。そうなると蚊に刺されたと同様、痛く

ないそうだ。

理論的には不可能と言われた加工をステンレス素材のプレス加工で実現させた。

自分自身の拙いメーカー勤務の経験から言うと微細な金型加工が出来、そしてその型を準備する。

超薄くプレスしたステンレス素材を巻き、絞り込んで繊細な針に仕上げ、その加工品にはバリや歪

みのないプレス加工が出来る技術の高さを予想させる。

◆それを完成させたのは、東京東向島にある先の岡野工業という所謂町工場だ。

 先端わずか 外径200 μm と従来品より2割も細い微細加工で、「蚊に刺された程度の痛み」しか

感じない注射針。

開発までの期間は5年間というから将に根気のいる”飽きない商い”をして、初めて成り立つ商売だ。

当時岡野工業の岡野雅行社長は語っている。「意気に感じて作ったものが選ばれ最高」と。重い責任を背負って、又背負わされて押しつぶされるようになることがあるかも知れない。しかし、このやりがいのある仕事、そしてその完成品を 「意気に感じて作ったものが選ばれ最高」と語れる職人は職人冥利に尽きる。

しかし、あることも契機になったのか、今は岡野工業は廃業されている。日本のものづくりの盛衰が兎角言われる。世界に冠たる技術は大手にも 勿論多くあるのだろう。
その裾野を支える町工場、零細企業にもその意気が、その技術が確かに存在している日本である。
 「誰もできないことをやる。その挑戦の先に成功がある」とも語っている。

(岡山B)

塩塚さんの思い出

山口在住 香原詩彦氏(有限会社ラグタイム代表取締役、1971年山大経済入学)からの投稿

好きな音楽を仕事にした山口県で数少ないプロモーターで、2023年6月30日、エフエム山口 ラジオ放送「山口大学大人ウォーク~今宵は山大」に出演した。

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

 1971年に北九州から山口大学に入った頃、教養部一番教室の屋上ベランダで黒いヘルメットを被り、アジっている男が居た。その後長いお付き合いになるとは思ってもいなかった「塩塚保」さん(注)であった。彼と知り合ったのはその翌年、彼が結成した「アップルハウス」というグループが『唄の市』というコンサートを、完成したばかりの山口市民会館で開催し超満員にした頃からと記憶する。(『唄の市』とは泉谷しげる、ケメ、古井戸etc.が参加するエレックレコードの企画イベント)

(注)塩塚保氏:本年3月まで鳳陽会東京支部長

その翌年アップルハウスは経済講堂にて『日本版ヘアー』というミュージカルを企画。余程の人材不足なのか僕も誘われるままに出演、生の演奏を交えたお芝居で勿論主演は塩塚さん。このイベントは後日「平凡パンチ」の1ページまるまる使って『山口にて「日本版ヘアー」上演!』という全国ニュースにもなってしまった。

この頃は「黒テント」や「曲馬館」等アングラ演劇の波も山口に押し寄せる時代であり山口大学演劇部も随分と影響を受け、活発な活動を実践していた。そして塩塚さんも僕も演劇部の連中と仲良くなっていった。演劇部の有志が1977年に『飛行舎』というライブ喫茶を開店し僕も開店準備から少し手伝った記憶があり、オープニングのライブとして「南正人」を招聘して一層深い付き合いとなったのだが、実はこの店の開店資金は塩塚さんが出資したという事実は3年ほど前に初めて本人から聞いた。

*3年前、アーケードを一緒に歩いていて、そんな話や「鳳陽寮」の事、バイト先の「モリイケ」(文房具)「山陰堂」(外郎)での事なども聞かされた。

*「僕は学生起業家の先駆けだよ!」と笑っていたのが印象的だった。

その後塩塚氏とは音信不通であったが6~7年前頃から学部の特別授業や「鳳陽会東京支部」の支部長として山口に来た時は昔の演劇仲間、学生運動仲間らと共に一夜の再会を喜んでいた。ここ5年ほど、僕が(学生時代に暮した)竪小路の町おこしイベントを企画し塩塚さんもサイドから支援して頂いていた。毎年資金面で苦労するこのイベントであるが(今年が最後と思いつつ)開催を決意し、塩塚さんを想い浮かべようと思う。

@「たてこうじ音楽祭〜まちなみアート」〜塩塚保氏を偲んで〜

@2026年11月21日〜22日(築山跡史跡公園と竪小路界隈にて)

宜しければご参加ください!

(翌23日は八坂神社をスタートとした、伝統ある『天神祭』があります。)

学生時代の塩塚保さん(1970年山大経済入学)

令和8年度東京支部総会を開催

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

◆6月6日(土)、12:30からアルカディア市ヶ谷 私学会館で令和8年度・年次総会を開催しました。

今年もこの会場、この部屋  アルカディア市ヶ谷・富士の間
受付役を買って出てくれました

今回は3期の長富武支先輩から春に卒業した新卒・74期の坂井陽一君まで総勢66名が集いました。

(当日急遽駆けつけて頂いた方が2名。事務局としては嬉しい限り)

来賓として本年4月から経済学部長に選任された古賀大介教授の他、防長倶楽部の丸田直久事務局長、鴻理会(理学部)の深谷純子事務局長、青山会(獣医学部)の深町輝康会長にお越し頂き、代表として古賀経済学部長から学内の現状を踏まえたスピーチを頂きました。

主賓・古賀経済学部長のごあいさつ

◆総会の部

①支部長選任

今回の総会は本年3月に塩塚支部長が急逝したため、先ず新支部長の選出から始まりました。

新支部長は規約により、合同幹事会での推挙された者という要件があるため、4月5日の緊急臨時合同幹事会(役員会)で内諾を得た葛見雅之事務局長(23期)が新支部長に選任されました。

また、葛見事務局長の後任には29期の吉田佳司常任幹事(29期)が選出されました。

新支部長と新事務局長の選出

②事務所移転

長年財政赤字問題と取り組んできましたが、支出の最大の固定費である家賃負担の軽減を図るため事務所をシェアオフィス(共同事務所)へ移転することにしました。

これまで家賃負担は月10万円ほどでしたが、移転により、2万円程度の負担に抑えることができるようになりました。

また、事務所の移転によりこれまで掛かっていた電気代・水道代・複合機リース料、通信費も支払う必要がなくなり、家賃も含めた年間の支出削減効果は120万円ほどになることが見込まれます。

他方、これまでのように事務所で行っていた役員会などの各種会議はシェアオフィス内で開催でき(有料:10分100円)、10名を超える比較的大きな規模の会合は事務所がある港区内の公共施設(3時間千円程度と格安)を使うことにします。

新事務所外観 所在地の最寄り駅は大江戸線赤羽橋駅。旧事務所に比べ、東京タワーに一段と近づくことに
シェアオフィスの中 固有スペースはないが、水道光熱費、通信費、コピー料金は無料、飲み物サーバー付きで家賃は低廉。

③規約改正

事務所所在地の変更は総会の決議事項であるため、事務所移転の規約改正を行い、承認を得ました。

また、規約改正にあたっては、これまで見直しが行われていなかったため、実態を必ずしも反映したものとなっておらず、今回実態に即した改定を行いました。

具体的には、現在行っている事業内容の明確化、年会費の明示、事務局長職の規定と役割の明確化、役員体制の見直しなどです。

④令和8年度予算案

事務所の移転費用が本年度(4月)に発生したため、移転の効果は本年度の予算では必ずしも明確ではありませんが、来年の令和9年度予算から事務所移転による効果が明確に表れるほか、本部からの支部支援金(注)10万円強が支給されるため、財政赤字の解消が見込まれます。

(注)東京支部の会員が山口の本部に納入した年会費(3千円)のうち、3割相当分が本年度から支部支援金として復活支給されることになりました。

今年度も人件費は3割カットを継続しますが、財政状況を勘案しながら、新たな交流会や勉強会の立上げ・運営など、活動を活発化させたいと考えており、余力のある方はご厚志を頂戴できればありがたく思います。

⑤役員改選

副支部長クラスでは19期の髙木監事、22期・田中敬一郎副支部長、23期・小林進副支部長が退任、新たな副支部長に40期・山口勝裕常任幹事、49期・大加瀬裕美常任幹事、50期・飯泉天志さんが選出されました。

また常任幹事では、10期・河野禮二さん、17期・鹿毛明さんが退任され、新任に52期・山口範子さん、64期・窪井耕さん、73期・王凱莉さんが選出されました。

このように、若手や女性に活躍頂くことで会を活性化させたいと考えています。

◆懇親会の部

懇親会は鳳陽会本部理事長の松永昭博・東京支部顧問の乾杯で始まりました。

松永東京支部顧問(本部理事長) 乾杯前のごあいさつ

◇会食・懇談の途中で副支部長を退任される22期・田中敬一郎さんから退任幹部を代表してスピーチを頂きました。

退任役員を代表22期・田中敬一郎さんのごあいさつ

続いて新たに副支部長に就任した40期の山口勝裕さんと新たに常任幹事に着任した王凱莉さんから就任挨拶がありました。

◇今回は円卓を縦3列、横3列の9卓配置し、期別に着席して頂くようにしました。

以下は各テーブルの集合写真です。

右端から3期長富先輩、6期の井上・山中両先輩、8期大草先輩、中尾監事
左端は司会を務めた大加瀬新副支部長
来賓席の皆さま
22期の皆様
28期の林さんを囲んで。周りは23期の皆さま

会場の中央の卓には古賀先生のゼミ生に集まってもらっており、頃合いを見計って60期以降7名の若手会員から自己紹介とショートスピーチがありました。

若手の皆さんの自己紹介とショートスピーチ

席に戻って古賀先生と乾杯

古賀先生と古賀チルドレン

先輩方からのビールも待っていました。

◇また、昨年から鳳陽会寄付講座の講師を務めており、大阪から参加された52期の大裏宙さんから寄付講座の概要について説明がありました。

鳳陽会寄付講座講師・52期大裏さんのスピーチ

◇じゃんけん大会

40期・山口副支部長が担当したじゃんけん大会。

各テーブル2名の勝者18名が山口の有名高級銘酒などを手にし、松永理事長から頂いた新潟の銘酒「鶴齢」、山口大学発の酒「長州学舎」、このほか寄贈があった仏ボルドーワイン、イタりー白ワイン、国産白ワインなども景品の対象となりました。

◇校歌・寮歌

山口大学学生歌、鳳陽寮寮歌、山都逍遙歌の3曲を、来賓の皆さんも法被を着、全員総立ちで高唱した。

壇上で歌をリードしたのはメンネルコール部に在籍した23期の町田秀雄さん。

中央が23期・町田さん(メンネルコール部に在籍)
ムードは上げ潮!
一体感に包まれる会場
ご来賓の皆様も法被を着ての校歌・寮歌高唱

やはり、会の最後を締めくくりのイベントで、会場が一体感に包まれるのがこの時。

会場のオーディオで校歌のCD操作を担当したのが、ソニーミュージックに新社会人として入社した坂井陽一君でした。

◇集合写真

来年もお会いできますように!

◇万歳三唱

記念撮影の後、万歳三唱の音頭を取っていただいたのは、13期の松本孝亮先輩。

中央が13期・松本先輩

まだまだお元気で、鳳陽会ゴルフ会には欠かさず参加されている。

来年もお会いしましょうと万歳三唱を唱えられました。

お開きになり、帰り際には山口の銘菓が配られました。

お土産は山口の銘菓

◆二次会

古賀経済学部長にも1時間だけお時間を頂戴し、二次会へ。

古賀先生の他にも来賓の皆さんや古賀ゼミの皆さんも会場へ来ていただきました。

梅雨前の夕刻のひと時。

老いも若きも入り混じって、山口時代の話に花が咲き、最近の話題、同窓会の在り方についても話が尽きず、あっという間に制限時間となりました。

(事務局)