第65回日本寮歌祭 写真特集(他校の雄姿も)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

第65回日本寮歌祭が令和7年11月23日、東京・日暮里のホテルで開催された。

北海道から九州まで全国の大学の同窓生が結集。ハッピ、ハチマキ、学帽、黒マント姿で母校の寮歌を歌った。山口高商の伝統を受け継ぐ我が山口大学経済学部の有志はオレンジ色のハッピ姿で登場。明治時代に作歌された鳳陽寮寮歌「花なき山」を高唱した。

印象に残った情景を写真特集で紹介する。 

鳳陽会(山口大学経済学部同窓会)東京支部

第65回日本寮歌祭開会式
山口大学の有志
2025年山口大学
2025年金沢大学
2025年愛知大学
2025年熊本大学
2025年慶応義塾大学
黒マント
2025年小樽商科大学
2025年早稲田大学
2025年拓殖大学
2025年長崎大学
2025年東京大学
2025年北海道大学
2025年乱舞
2025年琵琶湖周航の歌①
2025年琵琶湖周航の歌②
2025年日本寮歌祭実行委員

第65回日本寮歌祭に参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】


◆11月23日(日)東京都荒川区東日暮里のアートホテル日暮里ラングウッドで11時00分~15時30分に開催された日本寮歌祭に鳳陽会(山口大学経済学部同窓会)東京支部有志として私は昨年に続き参加しました。

◆全体で約40校264名が参加し、凄い人数の参加者で私は圧倒されました。
東京支部からの参加者は10数名でした。
開会式の幹部の挨拶の後、塩塚 保鳳陽会東京支部長が檄を飛ばし、その後、各校が壇上に登壇し、寮歌を熱唱しました。
山口高商の流れをくむ山口大学経済学部は、今回は前半の12時~でしたが、寮歌を熱唱しました。
壇上では日頃交流している長崎大学、小樽商大等の応援もありました。
三高(京都大学)の琵琶湖周航の歌は寮歌祭参加の女性陣が全員で壇上に上がり、男性陣はボートを漕ぐパフォーマンスを演じ、最高潮の盛り上がりとなりました。

◆広島勤務時代の40代前半に広島寮歌祭に広島支部一員として一度参加したことはありますが、こんな大規模な寮歌祭は昨年に続き2回目でした。
亀山にあった鳳陽寮(西寮)に二十歳過ぎに数ヶ月入寮していたことがありますが、当時をご存知ない後輩のY氏の提案で、鳳陽寮の話題や亀山キャンパスの校舎のショッキングな焼失を含め、メンバーで思い出話に花が咲き、50数年前の山口に思いを馳せました。

◆今回の最高齢は102歳の方でしたが、私は最近体調を崩し、今回の参加は無理と思って諦めていましたが、急遽参加となりました。
年齢的にも体力的にもいつ迄参加できるか全く自信はありませんが、健康に務め、可能な限り参加し、伝統の寮歌を継承し伝えて行きたいと思います。
今回は前日になって学生時代から懇意にしている友人のM氏にも声を掛け、初参加での再会が実現しました。
M氏は同じテーブルで6期の最高齢のI大先輩と同じ会社に勤務だったとは吃驚仰天でした。
寮歌を歌い、飲んで食べて、大先輩、後輩と歓談し、久しぶりに弾けた一日となりました。

◆今回、小樽商大のテーブルに出向き、関心あるテーマでお二人の方と懇談しました。(私が懇意にしている広島在住でサラリーマン時代の1年先輩のN氏が、小樽商大出身で、学生時代に麻雀仲間だったT氏が、一浪一留を経て大出世を遂げられ、今や世界の空調機器メーカの社長、会長を歴任されていること。小樽商大出身のH投手が社会人を経て、阪神タイガースの育成選手となり、今季一軍で2勝を挙げたこと)
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
※コメントを宜しくお願いします。
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あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

日本寮歌祭に参加して 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆檄

開会冒頭、塩塚支部長が檄を発す。

「烈風吹きすさぶ晩秋

我ら 北の大地 南の海原より 広陵たる武蔵野に集い来ぬ

而して 日本寮歌祭2025 ここに開催されり

・・・まだ続く・・・

◆200余名が参加者

コロナ前は400名を超える参加者があったようだが、コロナ後は200名台で推移。

長州・山大からは10余名が参加。

参加チームの中では、寮歌祭実行委員長を出している四高・金沢大は30余名が参加したほか、身近なところでは、長崎大が今年も20名を超える参加者を集めており、脱帽。

薩摩の七高・鹿児島大も18名を集めた。

◆山大の出番

山大の出番は10番目。12時頃の登板と相成った。前回は14時過ぎの出番だったが。

我々と仲が深い小樽商大、長崎大、昨年から寮歌祭を機に知りあった七高・鹿児島大は15時頃の登板のため、昼食を挟み応援に向かうことになった。

◆コスチューム

毎年参加している先輩方の出で立ちは・・・

旧制学校の名前を染め抜いた法被姿の方、応援団の出で立ちの方、マント姿に高下駄の方・・・

当時被っていた破れた帽子をそのまま被って参加した猛者の方も。

私も次回参加の際には、当時の貧乏学生らしく見えるボロの剣道着で参加するのも良いかもしれない。

当時の中学、高校で着用した帽子も捨てずに取っておけばよかった。

試しにヤフオクで学生帽を探してみたが、意外と出品が少ない。

また、高下駄は持っているが、膝を痛めているため無理だ。

履いて踊ると踏み外す・・・危ないな。

◆応援団

小樽商大にも、長崎大にも応援団上がりのリーダーがいる。

彼らの声の張り上げ方、姿勢、腕の振りは「型」ができており、堂に入っている。傍から眺めていて、本当に小気味良い。

山大にも応援団はあったのか。

応援団に来てほしかったのだが。

山大にも以前、応援団はあったようだ・・・

当時の応援団のメンバーが参加してくれれば、寮歌を歌にも迫力が出るのだが。

◆円卓の同席者

山大の指定席として円卓が2卓用意されていた。

一卓目は山大マンバーで満席。

私は2卓目のテーブルに座ったのだが、他に4名の方が同席。

その皆さんはユニークな方ばかり。

①一人は司会進行役の五高・H氏。

数年前に知りあった同郷の方で、木原官房長官と同じ高校出身だ。

彼の破れた帽子は高校時代に実際使っていたものだという。

②もう一方が六高・E氏。六高からは唯一の参加者。

彼の頭には全ての寮歌が入っており、各校寮歌が歌われるたびに壇上で応援参加、歌詞を見ることなくソラで何番までも歌う。

このため、ほとんど席には居なかった。

毎回参加の有名人だ。

③今年もお会いできたN女史。

彼女も単独での参加。

「旧制佐賀高等学校」と書かれた空色の法被を着用しておられる。

来年の再会を約した。

④残る もう一人・・・

若い女性だ。

会が始まって間もなく、我々の席に。

着席するや、大粒の涙を流している。

涙を堪えることもなく、顔を歪めたまま涙を流す。

途中席を立つが、着席するや、また涙。

不躾に事情を聴く分けにもいかない。

何とも困るのは、我々山大の指定席から寮歌が歌われている壇上を窺うに、彼女の泣き顔で壇上が見えないのだ。

途中、何かを思い出したように、また涙。

五高の法被を着始めたため五高関係の方かと問うに、否と。

H氏に事情を聴くと・・・

彼女は施設の職員らしく、施設で寮歌祭に参加するという高齢者に方に出会い、寮歌祭で会おうという話になったようだ。しかし、その高齢者が逝去されたのか、会えなかった・・・

どうやら、そういうことのようだ。

◆我は湖の子 と 嗚呼玉杯に・・・

会の半場には恒例の琵琶湖周航の歌で会場が一体化。

壇上は婦人方、フロアーは殿方が肩を組んで船を漕ぐ。

また、会の最後には全員肩を組んで旧制一高寮歌「嗚呼玉杯に花受けて」会場内を一周して閉会。

なぜか。

寮歌として知名度が高く、寮歌祭のシンボルとしての位置づけなのだろう。

◆毎年11月下旬の寮歌祭

都合がつく方は全国から参加してほしいものだ。

山大応援団だった方、是非参加されたし。

(1975年卒 榎田悦朗)

嗚呼玉杯に花受けて・・・

2025 日本寮歌祭開催

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

11月23日 事務局記

◆昨日(11月23日)、都内ホテルで第65回日本寮歌祭が開催された。

北の北大、小樽商大から、南は長崎大、鹿児島大、さらには台北帝大予科まで約40校・200人余が集った。

冒頭、主催者役員でもある塩塚保氏(鳳陽会東京支部長)が檄を発して会が始まり、各校が歌い継がれた寮歌を披露し合った。

◆山口高商・山口大からは6期の先輩を始め10名を超える同窓が参加、鳳陽寮寮歌「花なき山」を肩を組み、高唱。

また友誼校である小樽商大・長崎大が壇上に上がった際には、応援で壇上に上がり、寮歌の列に加わった。

漱石in熊本 ①6度の引っ越し

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆松山での出会い

漱石は明治28(1895)年に旧制松山中学に赴任する。

漱石、28歳の時だ。

三島由紀夫が終戦の年・昭和20年に20歳となったように、漱石も明治の年代と年齢が重なる。

すなわち、山口高等商業学校が創立された明治38年に、漱石は38歳。

この年に「吾輩は猫である」を発表している。

明治38年といえば西暦1905年。東郷平八郎の連合艦隊が露バルチック艦隊に勝利した年でもある。

話を松山に戻すと・・・

後に山口高商の校長となる横地石太郎は、東京から赴任してきた漱石を松山中学で教頭として迎えた。

横地石太郎は、翌3月に松山中学の校長になるが、その年の4月、漱石は熊本へ転勤した。

1年ほどしか松山にいなかったことになる。

しかし、松山での漱石の足跡は色濃く、野球場、路面電車、食べ物、土産物など、いたるところに「坊ちゃん」の名前が付いている。

◆「森の都」熊本へ

漱石は松山の生活が合わなかったようで、1年で松山を去る。

向かった先は、第五高等学校教授になっていた親友・菅虎雄のいる熊本だ。

池田停車場(現・JR上熊本駅)から人力車に乗って菅虎雄邸に向かう途中、高台から眼下に広がる市街地を見て「森の都」と言ったという。

「森の都」とは熊本に付けられた決まり文句だが、漱石が作ったフレーズだったとは。

ひとつ勉強になった。

昭和3(1928)年に作られた熊本県立第二高等女学校の校歌に「森の都」のフレーズがあるほか、昭和5(1930)年制定の熊本市歌にも「森の都」と歌われている。

また、昭和47(1972)年には熊本市議会が「森の都宣言」を出しており、街づくりのキャッチフレーズにしたのだろう。

ただ、金沢も森の都と言われているらしい。

昭和7(1932)年に作られた旧制第四高等学校の寮歌には「森の都」のフレーズが見られ、また、昭和49(1974)年に金沢市議会が「緑の都市宣言」をし、その中に「森の都金沢」というフレーズがあるようだ。

しかし、金沢は少しばかり熊本に、フレーズの採択で遅れを取っている。

他方、杜の都となれば仙台だ。

◆熊本での漱石の影

漱石は熊本で、文部省からロンドンヘの留学命令が出るまで4年3か月を過ごしている。

熊本滞在の間、結婚もし、子供も生まれた。

漱石の妻は貴族院書記官長・中根重一の長女・鏡子だ。

そういえば・・・三島由紀夫の作品に「鏡子の家」という作品があった。

結婚式は明治29(1996)年、漱石29歳の時。

熊本・光琳寺の借家で式が執り行われたとされ、東京から来た新婦の父や東京から連れてきた婆や、それに車夫など6名ほどが集った、つつましい式だったという。

漱石31歳の時に、鏡子のヒステリーが激化。

翌年に長女・筆子が生まれた。

個人的にはいろいろなことがあった4年余であろう。

しかし、熊本市民にとって漱石の影は薄い。

松山に1年に比べても、熊本での漱石の影は、かなり薄い。

なぜだか・・・

◆引っ越し

熊本滞在期間中、6回も引っ越ししている。

引っ越ししたことにはそれぞれ理由がある。

妻の鏡子が神経質だったこともあるのだろう。

古い借家は嫌だ、墓の近くは幽霊が出る、使い勝手が悪い、家賃が高い、川の近くは危ない・・・

帝大出で高給取りの夏目・五高教授もカミさんには弱かったようだ。

つづく

(学23期kz)

山口大学経済学部校舎
建物上部の「1905~」の表示は、本校が明治38(1905)年に創立されたことを示す 
坊ちゃんスタジアム 
坊ちゃん列車
坊ちゃんだんご
秋の水前寺公園
漱石の句碑  「しめ縄や 春の水湧く 水前寺」

随筆 横目で眺めた経済学 ⑰-3 政府の役割 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆ニューケインジアン

スタグフレーションの発生を契機に、M.フリードマンやR.ルーカスなど小さな政府を主張する新自由主義の台頭でケインズ主義は霞んだようにもみえた。

しかし、2000年を境に、市場の失敗や市場の不完全性に対する政府の役割、経済に関する積極的な政府の役割を認める主張は根強く残っていた感がある。

◆スティグリッツやクルーグマン

ジョセフ・スティグリッツは、情報の非対称性があるため市場は不完全であり、市場の失敗をもたらすとして、「情報の非対称性」で2001年にノーベル経済学を受賞。

言われてみれば確かにそうだ。

売り手と買い手は商品に対する情報量が全く異なるのだから。

またスティグリッツは、小さな政府を信奉する論者が政府の経済規制を撤廃すべしとする見解に対し、規制緩和がバブルをもたらし、金融の規制緩和が世界金融危機をもたらしたとして規制緩和に真っ向から反対する。

規制なしで機能する社会はありえないのであり、目指すべきは「適切な規制とは何かだ」と主張し、政府に積極的な役割を持たせ、小さな政府に異を唱えた。

このため、政治的には民主党寄りとされる所以だ。

かつて、日本に対しては、デフレを抑制するための方策として政府紙幣の発行を唱えた。

また、ポール・クルーグマンも大恐慌時のニューディール政策を信奉しているとされ、「小さな政府」に異を唱える。

政府のやるべきことは多いのだ。

◆政府の役割

古くて新しいテーマだ。

旧くなった経済規制、経済環境に変化とともに効果が疑わしくなった政策措置など、検証もされないで過去の遺物として、あるいは既得権益として残っているような規制や制度は、検証の余地がある。

こうした規制や、古くなった制度は、新たな目で見直し、縮小・撤廃するのが当然だ。

しかし、政府の経済規制一般について「恣意的で撤廃すべし」とするのは極論にすぎるように思われる。

きめ細かい検証が必要だ。

◆「小さな政府」の下での勤務実態

小さな政府が日本でも花開いたのは国鉄民営化の中曽根政権下。

国鉄、専売公社、電電公社の三公社が民営化された時に当たる。昭和の終わりのころだ。

政府は余計な事はしないという「小さな政府」。

職員はすることがなく、手持無沙汰だったか。

とんでもない、仕事は次から次に湧いてくる。

当時、仕事が終わるのは明け方。

明け方に仕事が明け方終わるというのは、その日の朝から、すなわち、夜明けの1~2時間後から、忙しい一日が始まることを意味する。

明け方に帰宅して仮眠し、朝刊に目を通して出勤する日が続いた。

特に国会開会中は。

◆「大きな政府」でも「小さな政府」でも、忙しい職員

行政に対する要望が減ることはなく、業務範囲が広がり多岐化するし、業務が高度化、複雑化する。

こうした中で、職員の定数が厳しく抑えられた「小さな政府」。

一人当たり業務量は増える一方だ。

これが我々にとっての「小さな政府」の実態だった。

(学23期kz)

ジョセフ・スティグリッツ氏

どうぞ、めしあがれ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿



◆サラリーマン…

その柵(しがらみ)、憂さ、その滑稽さを「十七文字」に込めて詠うサラ川(サラリーマン川柳)
それを懐かしいことばにすら感じられる
一番の名句は「無理するな、無理を承知で、無理を言う…」だと思う
永く言われ、短い期間お願いしたかも知れない…



◆一方、“サラメシ“って言う番組になると気はずっと楽になる(“楽“には気楽に、そして楽しんでを含)
残念ながら惜しまれつつ、番組は終了…

その後継番組は“激突めしあがれ“♪
素人の様々なアイデア、手法で審査員を務めるプロの料理人も唸らせるレパートリが番組内で実演、紹介される
審査員に食して貰う時に「どうぞ、めしあがれ」と呪文の様な合言葉♪

◆11/19は「お弁当」がお題♪

御意!

旨み、塩気、甘み、酸味+目で食す(味と5色を上手く盛り込むのが極意と言う)

中学、高校は母親弁当、そして、社会人になって、工場務め時代は上さん弁当
かの土佐日記ではないが、先ず男子厨房に入り、自らやってみよう(何回か親父弁当は挑戦済み(笑))

◆さぁ〜て、主菜は熟成華味鶏もも肉の酒蒸し♪ ふりかけすら色使いの一つと数えて良い
のりたま、韓国海苔、明太ふりかけ…これは、他力本願になってきた(笑)
出来上がりをみると大根の青菜が床柱を背負っている(笑)
楽しくなってきたぞ♪

では、無理くり極意を捩じ込んだ親父弁当、「どうぞ、めしあがれ」

(岡山B)

予行 長州歴史ウォーク(11/29・土)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年11月 トピックス】

事務局記

◆11月29日(土)開催の歴史ウォーク。

昨日、事前確認のために幹事でコースを回ってきた。

森林浴ができる格好のコースだが、結構な距離を歩くため靴は歩きやすいものが望ましい。

また、今回は神社3か所を回るため賽銭用の小銭の準備が要る。

神社3か所はいずれも結婚式の名所。今回3か所いずれの神社でも和服姿の新郎・新婦が見られた。

◆1 明治神宮(一の鳥居前 10時集合)

最寄り駅はJR原宿駅。西口を出れば、目の前が集合場所の「一の鳥居」前に出る。

幹事団は鳥居に向かって左側に待機。

南参道を通り、東門から南池、菖蒲田を眺め清正井(きよまさのいど)から北門に出る。

ここでは500円の拝観料がかかるが、清正井は都内有数の名湧水。悪い気が浄化され運気が上がるパワースポットとなっている。

◆2 東郷神社

日本海海戦の連合艦隊司令長官・東郷平八郎。

「運が良い」ことで司令長官に抜てきされたとされる東郷。

露バルチック艦隊を破り、国内外から英雄視される。

◆昼食(各自 1時間休憩)

午後は表参道のケヤキ並木通りを通り、地下鉄表参道駅から乃木坂駅へ。

◆3 乃木神社

長州藩士として陸軍大将にまで上り詰めた後、学習院院長へ。

明治天皇崩御の日に殉死。自害した部屋も残る乃木将軍の邸宅を訪ねる。

乃木邸に隣接した乃木神社で参拝し、解散。

当日が好天に恵まれることを祈る。

集合場所 一の鳥居 JR原宿駅西口徒歩1分 
鳥居に向かって左側で幹事が待機
明治天皇皇后の昭憲皇太后がよく釣りを楽しまれたという南池(なんち)
 
松の枝先にはシラサギが
パワースポット 清正井(きよまさのいど) ここは加藤家の下屋敷の庭園があったところで、清正が掘ったとされる。夏冬通して15度程度の湧き水が出て、 都内有数の名清水。携帯の待受け画面にすると運気が上がるとされる。拝観料を払っても元が取れるかも。
東郷神社で

ゴルフ 何でそうなるの ⑲S.バレステロス

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆セベ・バレステロス

全英オープンのはなしの続き。

バレステロスは1984年と1988年に全英オープンで勝っている。

映画俳優のようにハンサムだった。

その彼を博多駅で見つけたことがある。

福岡の親戚を訪ねた帰りだったか、電車に乗り込もうとするバレステロスを見つけた。

宮崎まで行く特急列車だ。

何でここに、バレステロスが?

咄嗟に手元を探りメモ帳の類を差し出して、サインを求めた。

彼は気分を害したのか、ニコリともしなかったが、サインに応じてくれた。

ちょっと待てよ。

疑問が生じた。

バレステロスじゃないかもしれない。

ガイジンさんの顔は見定めがつきにくい。

しかし、えらくハンサムだったことは間違いない。

◆調べてみると、1977年にバレステロスが20歳の時に宮崎のダンロップ・フェニックスで優勝していることが分かった。

この縁で歴代優勝者の招待を受け、大会に向かう途中ったのかもしれない。

やはり、バレステロス本人だったのだろう。

この時もらったバレステロスのサイン。

今ではどこに行ったか分からない。

◆ハンサムは徳

女性は美人であることが徳だ。

男もそうだ。

ハンサムはやはり徳だろう。

バレステロスのようにハンサムな人物がカリフォルニアに入る。

ギャビン・ニューサム、カリフォルニア州知事。

トランプ一色の米国。

民主党は旗色が悪い。

しかし、このニューサム知事は人気が出てきているようで、2028年大統領選の民主党候補の目玉という話も出ている。

(学23期kz)

バレステロス
ギャビン・ニューサム カリフォルニア州知事

11/8 常任幹事会を開催 事務所移転問題等を論議

山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年11月 トピックス】

◆昨日11/8(土曜)、4期の先輩から40期のメンバー10名が集い、常任委員会を開催。
事務局から本部を含めた同窓会活動の現状・取組みを報告したうえで、今後の同窓会活動
の在り方について論議。
参加メンバーからは傾聴すべき意見や参考になるアイデアが多く出され、有意義な会合と
なった。

◆1.【本部・理事会(10/25)の模様について報告】
・収支赤字是正に向けた取組み(会報「鳳陽」発行の効率化、全国総会の簡素化、理事会
の簡素化・web化、寄付講座の見直し)
・本部事務所移転(亀山から平川・経済学部への移転を検討)
・機動的な意思決定に向けて代議員制の導入を準備
※低い会費納入率
本部事務局は「会費納入率が他校に比べ突出して低い」ことを指摘。会費納入率の向上へ
取り組むことが望ましい旨問題提起。
(参考)
東京支部の会員は1085人、納入率は24%(他校は30%を超えるところが多い)。

◆2.【東京支部の現状と課題】
・収支赤字是正
事務所賃借料(120万円)が毎年の収支赤字(120~130万円超)の大きな要因。
このため事務局から、最低限の事務所機能を残し、経費節減にも大きく資する効率的なス
ペースへの移転(含、23区外)を提起。
・注目されるホームページ
アクセス件数は200~300件から最近では500件の日も。瞬間風速では5,000件を超える日

も散見。
(HP管理者に問い合わせるも、サイバーアタックではない模様)
最近の納入者のうち、約1割が新規会費・寄付金納入者となっており、これにはHPでの積
極的な広報活動が寄与している可能性も。
・学部を超えた山大関東同窓会創設の動き、旧高商校との連携拡大
―関東同窓会創設へ。近く、大学も含めた関係者で打ち合わせ。
―従来の長崎大、小樽商大に横浜国大も加わり、連携拡大

◆3.【今後の活動・予定イベントの紹介、協力要請】
・日本寮歌祭(11/23・日曜、於:ホテルラングウッド日暮里)
  男性9名、女性1名が参加
・長州歴史ウォーク(11/29・土曜、於:明治神宮、東郷神社)
  27名が参加
・次回、東京支部総会(令和8年6/6・土曜 12~16時、
於:私学会館アルカディア)
以上、議論は2時間を超え、会食・喉を潤しながら歓談し議論を続けること数時間。

会議終了後の帰る間際、すぐ外にはライトアップされた大きな東京タワーが・・・
来年の常任幹事会では、外の景色が変わっているかもしれない。
(事務局)