◆無名の東郷
海軍大臣・山本権兵衛は、同期の日高壮之丞(海兵2期・大将)を差し置いて、年上の東郷平八郎を第3代連合艦隊司令長官に任命した。
明治36(1903)年のことで、大抜擢といえる。
着任以前の東郷の任務は「舞鶴鎮守府長官」であり、新任務の連合艦隊司令長官を迎える者たちにとって、東郷の名は知られていなかった。
明治天皇から、なぜ東郷平八郎かと問われた海軍大臣・山本権兵衛は「東郷は運のいい男ですから」と陛下に奏したという逸話は有名だ。
◆司令長官の任に着く東郷を迎え入れる艦隊勤務中堅兵士たちの受け止めは、「ヨボヨボ下を向い歩く小さな男。戦争が起きるというのに、(海軍閥の)薩摩人だから任命されたのだろうが、こういう長官が来ちゃあ、こりゃあ叶わん」というような受け止めで、白けたものだったという。
東郷が着任するにあたり、車の停車場まで迎えに行った者は幹部の一部だけだったという。
しかし、しばらくするうちに「東郷という人は偉い人だ」という噂が艦隊勤務兵の一部に広がった。
ひと月半もすると、誰も彼も東郷に頭を下げる。水兵までも甲板を歩く東郷さんに頭を下げるようになったという。
寡黙な人ながら、実戦経験は豊富で、実績があるということが分かってきたのだろう。
◆連合艦隊司令長官の直前は舞鶴鎮守府司令長官、その前の任務は佐世保鎮守府司令長官だ。
海軍鎮守府とは各地域の海軍基地での、船の建造・補修、海軍病院など海軍施設の運営・監督だ。
日本海の鎮守府はロシア・ウラジオストク港に対峙する形で設置されたもので閑職ではなかったとされるが、勇ましい役回りというわけではない。
むしろ地味な役回りにあたる。
このため当初は東郷平八郎の名前を知る人は少なかったのだろう。
しかし、やはり東郷はついている。
こうした日本海の舞鶴、佐世保といった海軍基地で勤務し、地形を知り、流れを知り風を知ったことが、
後に日本海海戦を戦う上で、かけがえのない経験となった。
つづく
(学23期kz)


















