広中平祐学長 対談本 その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆池田満寿夫氏との対談

対談本「数学とエロチシズム」(講談社、1977・昭和52年)

私の手元には池田満寿夫との対談本がある。話題が実に多岐に亘っており、興味深い。

両者は3歳違いで年令が近く、話はざっくばらんで、タバコをふかしながら談笑し、冗談を言い合いながら、話が続くこと、つづくこと。この二人、相当相性がいいと見た。

二人とも大学入試で浪人生活を経験している。

池田満寿夫は3度も東京芸大に落ちた。広中も京大に受かる前に1年、浪人生活を送っている。

池田は1934(昭和9)年   奉天(現瀋陽)生まれ。

1945年に長野市に引き揚げ。

1952年長野北高校を卒業後上京。

東京芸大を3度受験し、不合格。

街頭で絵画の創作活動。

1960年、26歳の時に第二回東京版画ビエンナーレで文部大臣賞を受賞したのを手始めにベネチア・ビエンナーレの版画大賞など多くの受賞を重ね国際的な版画家として活躍。

1977年には「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞。

1979年「エーゲ海に捧ぐ」をカンヌ映画祭に出品。

1997(平成9)年、3月、63歳で急逝。

◆容易ではない才能の評価

この二人が、大学入試をはじめとして人の才能をどのようにして評価し、どのようにして人を選抜するかについて議論している場面に目が留まった。

以下は対談本「数学とエロチシズム」(講談社、昭和52年)に載った両者の対話だ。

対談の中身は以下のとおり。

池田) 米国では40歳台になっても、思い立ったら大学に入れる。

広中) 日本と入試の方法が違う。米国は地域別割り当てがあること、面接や推薦も合格判定に大きな役割を果たし  ている。すなわち、特殊な技能、特別の経験、感覚を持った人は学力テストの枠外でも入学を許可することがある。

主婦でもボランティア活動などの仕事が認められれば、面白いケースだから一応入学させてみようとなる。

しかし、日本では子育てを終え、時間ができ、意欲のある主婦が大学に入って勉強しようと思っても、学力テストで落とされる。

池) 僕なんかでも許されれば、数学を習いたいですね。

広) 東大は無理だけど、ハーバードなら入学できますよ。しかし、東大に入れば、ほとんど確実に卒業できるが、ハーバードなら、卒業は大変ですよ。

池) 40歳を過ぎて学校へ行きたいという考えを持ちますね。

広)池田さんのような才能を落とさない学校も作ろう(笑)

池)落とさない学校が欲しい。100人(の志望者)がいて、その中で本当に才能のある人間を果たして見分けることができるのか。人間の才能を見分けることはできないと思うけど。

広)実際、不可能だね。可能だとしても非常に難しいね。試験のシステムは手っ取り早いからやっているだけで、それが最善の方法だからやっているわけではない。数学などはかなり技術が必要な学問だから試験の意味は大きいが、芸術家の場合は、ほとんどゼロかもしれないね。

池)芸術家はゼロですね。

広)数学の場合でも、試験だけでみると出来そうなのが案外伸びなかったり、そうでもないと思っていたやつが意外と伸びたり、将来大成するためには、いろんなファクターがあるから、非常に難しい。

池)まあ、一人を真面目に選ぶとしたら一年かかるね。

広)一年でも完璧とまではいかないね。十年はかけてみないと(笑)

池)選ばれなかったということでガーっと出てくる人間がいるわけですよ。僕なんかその一人です。全部閉ざされちゃって、<これは、俺一人でやるしかしようがない>って。

だけど閉ざされたためにガタガタ落ちるやつがいるし、逆に入って安心し、ガタっと崩れるやつもいる。

◆大学院教育について

広)大学院の水準に達するまでにいろんな才能が落とされているわけよね。いろんな可能性もね。その点アメリカの場合はかなり危険も冒していますからね。

技術的には駄目だと思っても、何か面白みがあったら採ってみるとか。

だから、アメリカではハーバードに入学したからといって特別才能に恵まれているとはいえない。

著者追記

◆懸念

近頃では学校推薦や総合選抜入試(旧AO入試)が増えており、2025年度入試では一般選抜(旧一般入試)は46.3%と、少数派になっていると報道されている。

一般入試が少数派に変わっており、入学し易くなっているようだ。

他方、対談本で広中先生が仰せのように、日本の大学が卒業しやすくなっているのは昔から変わっていない。

ならば・・・「入学し易く、卒業しやすい」ということになるが・・・これで大丈夫なのか。

国際的な大学ランキング(THE)でも東大ですら20位以内に入れない状態が長いこと続いている。

日本は大丈夫か。

日本の将来を支えるのは日本の若者だ。

入試制度の変化が、教育の劣化、引いては日本人の劣化、国力の低下に繋がらないことを祈る。

(学23期kz)

池田満寿夫

稲葉浩志 母校での十六夜祭 


山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

2026・9.21投稿

夜明け前! 

-鳳陽会にいらっしゃるかもしれない稲葉浩志ファンの皆様へ-

◆明日、明後日(9月22、23)とB’z稲葉浩志さんが故郷に凱旋、ソロコンサートが開催されます
浩志Memorial loadってな通学に使ったであろう道さえ名付けられます
今回は誕生日に合わせて開催されます
では、そもそもの歌手としての源流、先ず母校の十六夜祭に参加してみよう!

◆B’zの稲葉浩志さんが高校時代、友人のバンドのボーカルとして、デビューしたとも言われている十六夜祭です
今では、何万人規模のコンサート、そして集客力のあるスターが、1000人規模の地元の文化センターと言う、津山にとっては、文化の殿堂でのコンサートとなります
きっと、地元愛に燃えての事でしょう!
その業界に関わる人に言わせるとどんな興行でも2000人はminimumの観客人員数だそうです

◆文化センター建設当時から、1000人の観客席の確保は絶対的条件、苦労された話を耳にしております そして、2日間に渡る公演で何とか最低条件をクリア! 
津山の街には「178」のプレート番号の車が散見されます そして、敬称を付けた「1783」!
チケットは入手出来ていなくとも同じ空気を吸いたい、その街にいたいと言う熱心なファンに支えられています
早朝お会いした方もそのお一人でありました
プレート全写りOKですよ、の返事
ありがた山で1枚パチリ!
街に溢れるおもてなしロードをまた1枚パチリ
写真だけで街のその盛り上がりを伝わる事は叶わない
明日と言う夜明け前の一コマを捉えました

今は校訓となっている「畏天敬人」の石碑 
開学100年の1995年に制定
本館一階正面玄関奥にあった校長室入り口ドア上高くに掲げられていた「畏天場」の古い扁額(へんがく)による
それは江戸時代城内にあった武道道場に掲げられていたものにその源流がある
その石碑の右奥の施設は全日空、また朝日新聞の社長を務めた美土路昭一の生家、100周年記念館を寄贈されている

広中平祐学長 対談本・その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆広中平祐氏が逝去したのは本年3月18日。

それからおよそ半年が経つ。

山口大学の学長だったのは1996年から2002年までだ。

広中学長は、いわゆる「代数多様体の特異点解消の一般定理」を証明し、数学のノーベル賞にあたるフィールズ賞を受賞した数学者だ。

文化勲章も受賞している。

ご本人は「学者としては遅咲きの方だった」と述懐している。

◆生い立ちを簡単に辿ってみよう。

1931(昭和6)年、岩国生まれ。

柳井高校卒。高校では弁論やピアノに取り組む。

京都大学理学部数学科へ入学したが、ストレートで入った訳ではない。

1年の浪人生活を経験している。

京大大学院在籍中、当時来日した代数幾何学の世界的権威ザリスキー教授の勧めでハーバード大へ渡り、同大で博士号を取得。

1959年仏・高等科学研究所客員研究員

62年ブランダイス大学講師

64年に特異点解消の定理に関する論文を発表。論文が評価され、同年コロンビア大教授に就任している。

68年ハーバード大教授

70年フィールズ賞受賞、学士院賞受賞

75年文化勲章

2026年94歳で逝去。

◆広中先生は様々な分野の著名人と対談をよくおやりになった。

広中氏は象牙の塔に籠ることなく、文学者、画家、音楽家など、およそ数学の世界とは「対極」とも思える各界の著名人と対談し、多くの本が残っている。

そのいくつかを紹介する。

◆直木賞作家・水上勉との対談

水上勉

水上勉は大正8年1919年、福井生まれ。

広中平祐の12歳年上にあたる。

1961年「雁の寺」で直木賞受賞。

日本芸術院会員、文化功労者。

2004年9月8日 85歳で逝去。

特に、1963年の「飢餓海峡」は社会派推理小説の大作話題を集め、映画化、テレビドラマ化され、舞台でも上演された。

映画化は1965年。主演は三國廉太郎、刑事役が伴淳三郎・高倉健、のほか左幸子、沢村貞子も出演。私の好きな映画のひとつだ。

広中に水上氏との対談本「素心・素願に生きる」(小学館ライブラリー、1993・平成5年)が手元にあるが、あとがきで水上勉が広中平祐の人となりについて次のように述べている。

「対談が終わって、ある一日、京都の北のとある町の路地にある呑み屋にゆくと、誰も他に客のいないうす暗いカウンターに広中氏がひとりぽつんと止まり木に腰かけて徳利をかたむけておられた。ぼくもひとりだった。偶然の再会にふたりは驚き、かつ、旧知の間柄のように、氏が話しかけてこられた・・・

酒も吞みすすむうちに、また議論となった。

人は一度しか死ねない、ということで話に花が咲いた・・・ぼく(水上)は数学者で文化勲章といえば、雲の上の学者だと思っていたのだ。ところがこの人は、誠実な人生の単独旅行者であった。つねに日常の些細をおろそかにせず、人間の救いようのない愁苦の根について、語り合える人であった。」

◆対談本のあとがきでは、逆に広中氏が水上を評している。

「氏(水上)の話は含蓄があり、巧まないユーモアと、人柄から滲んでくるペーソスが私の心琴を快く奏でるのだ、また作家ということもあって語彙が多彩でそれを軽妙に駆使した話術・・・私は若い時からどんな分野にも興味があり、活躍する方がたと対話をしたが、水上氏ほどの対話の達人はいないと思う」

また、京都の対談のことについては・・・

「囲炉裏を囲んで、山海の珍味を頂きながら津々と尽き果てることもなかった。強くなく弱くなく炭の火を守る板前。叩くとキートという独特の金属音を発する備長の炭火を熾す板前の話題に感服し、うなずきながら、快く酩酊した冬の京都の夜長は、私の脳裏に今もなお流風余韻として快い」。

枯れた美文だ。

水上勉氏との対談時、広中が竹で漉いた紙に筆で書いた特異点解消の定理
水上勉氏

◆小澤征爾との対談本

「やわらかな心をもつ」1984(昭和59)年

副題が「ぼくたちふたりの運・鈍・根」

小澤征爾とはウマが合ったようで、パリで一緒、ボストンでも一緒。昵懇の仲であったようだ。

生まれながらの天才は・・・一般論として「運」は不要で、鈍感ではなく驚くほど「鋭敏」、また、泥臭い努力とは正反対のスマートを備えているというのなら解るが、その対極の「運、鈍、根」を両者が共通項として語るところが面白い。

エジソンの「1%のひらめきと、99%の努力」にも通ずる。

つづく

(学23期kz)

三人の財界巨人 その20 久原房之介⑦

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆小坂鉱山所長に就任

久原房之介は明治33(1900)年、19世紀最後の年の元旦、32歳で小坂鉱山の事務所長に就任。小坂鉱山の運営を一手に任されることになり、4月、新たな精錬法を有する新精錬所の建設に着手する。

新たな精錬法は藤田組傘下の他の鉱山でも採用され、銅の生産量は大幅に拡大。

銅価相場の上昇もあり、毛利家からの借り入れも一気に完済できた。

藤田組の経営から外されていた藤田伝三郎も経営に復帰でき、資金不足から滞っていた児島湾干拓も進んでいった。

◆小坂に集まった精鋭たち

房之介が所長になった7月には溶鉱三羽烏のひとり竹内維彦と東京帝大出の同い年、電気工学科の小平(おだいら)浪平が入社し、小坂鉱山に赴任。

小坂鉱山の電気主任技師として電気関係を担当した。

後に日立製作所を創設することになる小平は鉱山関係の変電所、発電所、電気鉄道、電灯設備、また地域の電化を通じた近代化に大きく貢献することになる。

伝三郎は伝三郎で、明治30年代後半から40年ころにかけて小坂鉱山の管理部門に監督官庁の農商務省の鉱山局長経験者や帝大・工学博士の学識経験者を多く採用し、若手の技術者として東京帝大の工学部冶金学科のトップクラスを年々集めた。

◆山の中の別世界

小坂鉱山では労働者を集めるためにアパート、病院、鉄道などが整備されていった。

また、明治38(1905)年には、ハイカラで小坂鉱山のシンボル的な建物、後に重要文化財に指定されることになる旧小坂鉱山事務所や、明治43年には芝居小屋の康楽館を建てた(文末の写真参照)。

ただ、良いことばかりではない。

それは公害問題。

明治35年以降、鉱山から出る煙害が問題化した。

しかし、これには煙害に強いニセアカシアの植林を大規模に行い、煙害に対応した。

(学23期kz)

小平 浪平
旧小坂鉱山事務所(門の看板には「合名会社藤田組」とある)

康楽館

国際温泉サミット in「はわい」その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿



◆2030年「温泉文化」をユネスコ無形文化遺産登録に向けて、その文化的価値と魅力を
世界へ発信しようとする国際温泉サミット。国内では初の試みだ。
全国の温泉各地の行政、観光協会、また温泉学会とも連携し、温泉文化に関する学術
的な講演会、パネルディスカッションが開催された。
鳥取県湯梨浜町から世界に向けての「温泉文化」の価値と魅力の発信となる。

◆当日鳥取県知事より「温泉文化アンバサダー」に任命されたのは漫画『テルマエ・ロ
マエ』の作者で画家・文筆家・画家のヤマザキマリだ。当日の講演者、パネリストの
一人でもある。
そもそも、テルマエ・ロマエとは、”ローマの浴場”と言う意味。漫画から映画化された
優れモノ。
内容は仔細に触れないが、古代ローマ時代の浴場と、現代日本の風呂をテーマとした
コメディとなる。
イタリアと日本をこよなく愛するこの作者がそのものがたりを語れば、それだけで十
分温泉文化を語り、イタリアと日本の温泉文化比較となる。
幼少の頃、北海道に居住し、北海道の温泉文化に触れたことがその根にあると言う。
14歳の時に留学し、それ以降イタリアの生活が続く。その中で、幼少の頃の当たり前
、日本のお風呂文化が世界では貴重な存在であることに気付く。入浴前にかけ湯をして、ひとまず体を温め、そして入浴前に体の汚れを落としてから
の入浴。そして、一糸纏わぬあの入浴スタイルで人と人の壁を取っ払ってしまう。時

には、見ず知らずの人とも語り合ったり、自分の近況を話し合ったりする。

入浴前が不浄とすると、入浴によって、身も心も浄化される。そして、何より癒され

る。

◆その昔、ローマにおけるお風呂文化も身分階級を問わず、入浴し、時に権力者同士の
政談の場として、時には民衆の声を、政を司る人に直接届ける場として存在した。
ある意味日本の一糸纏わぬあの入浴スタイルで人と人の壁を取っ払ってしまう、その
同じ文化がイタリアにもあったのではないか? 
温泉文化、入浴の作法と言う文化。日本のそれをイタリアで再度、また世界に向けて
その価値を発信することでその文化の深さを紹介し、理解をしてもらう。
世界各地にある温泉文化においてもきっと違うステージが見られるのではないか?

そんな問題意識のようである。


◆一方、繁栄を極めたローマ時代の200年、この時代はパックス・ロマーナ(ローマ

の平和)と呼ばれるの時代だ。「パンとサーカス」と言う言葉に象徴されるように、それ

を市民に与えていたと言う話がある。本来はそれに公衆浴場が加わった三点セットが民衆を統治するのに用意された。
温泉(テルマエ / 公衆浴場)は「ローマによる平和」を象徴する、最も重要な社会イン
フラであり、文化でもあった。

◆もう一人のパネリストは大阪の大川哲次弁護士。温泉学界の副会長を務められる、その
道の重鎮だ。
「温泉平和主義」と言うユニークな説を提唱される。世界各地で未だ争いが続く中でも、
「温泉があるところに争いはない」をモットーに、入浴文化を通じた平和や社会貢献を

信じ続けられている。
大川さんのもっとすごいのは自ら旅をし、入浴する実践派だ。ケタ違いの温泉・旅実績

として、 国内の温泉は2,020カ所以上に入湯済、海外も秘境を中心に103カ国を訪問、さらに「日本百名山」の全山登頂も達成している趣味のひとでもある。
その際の写真も展示されながらのお話なので、居ながらにして既に世界各地の温泉の外

湯めぐりをした気分にもなれる。
 
もうひと方は、台湾の観光協会の方も参加され、台湾の温泉についてご案内を戴いた。

◆これだけのメンバーが揃えば、温泉文化の魅力を十分に語りつくすパネルディスカッシ
ョンのいい機会となった。

会場内には日本各地や世界の温泉文化を紹介するブースの展示の他、ヤマザキマリさん
の漫画『続テルマエ・ロマエ』(60歳代になった)とコラボした複製原画も展示され

ていた。


前編に引き続き、今一度記載しておこう。
2030年頃には、きっと 日本の「温泉文化」が世界へと展開され、そして、203

0年のユネスコ無形文化遺産登録になった暁には大祝賀会が開催されることとなるだろう。

雑感)

願わくば、鳳陽会設立120年に当たる2028年の総会は山口支部主催で、山口で開催。
そして、理事長をはじめとする理事の方々とも「テルマエ・山口」を称して、湯田温泉の

何処かの大きな湯船(会場)で同窓会員の懇親を深め、会員の声を直接届ける場として一

湯(酒席)で、みなで交わるのも悪くないと夢想をしてしまった♪♪♪

蛇足)
写真に写り込んでいる浴衣姿に湯タオルをかけた若者、何処か「テルマエ・ロマエ」で主

演を演じた役者の阿部寛に似てはいないか?
実は鳥取県の県庁職員の方で、阿部寛似と言うことで、これから様々なイベントに登場し

そうだ。
今の所属はよく知らないが、温泉観光を推進している部署は、「輝く鳥取創造本部 観光交流局の観光戦略課」と言うのがあるそうだ。

来週の人事異動を占うときっとその一点への異動であろう。

山口大学フォーラム2026in東京 時間変更

標記会合につきましては、7月1日にホームページでご案内しましたが、主催の山口大学基金から、

以下のとおり、最終案内が届きましたのでお知らせします。

【変更点】

●今回の案内では講演会の開始時間が当初の案内より1時間遅れの15:30開催、

懇親会の開始時間が30分遅れの18:00になっていますのでご留意願います。

●このほか、参加費は40歳未満は5千円、40歳以上は7千円と設定されました。

また参加申込期限も延長され、9月28日(月)までとなっていますので、

参加希望の方は、以下の申し込みフォームから参加申し込みをお願いします。

本部から届いた会の最終案内は以下のとおりです。

 【開催概要】

 日時: 2026 年10 月2 日(金) 15:30〜20:00 (受付:15:00 開始)
    ※14:30 開始から15:30 開始に変更になりましたのでご注意願います
 会場: アルカディア市ケ谷 私学会館(東京都千代田区九段北4 丁目2-25)

【講演会】6階「霧島」/【懇親会】6階「阿蘇」
 参加対象者: 山口大学卒業生・修了生

 参加申し込みフォームURL: https://forms.gle/B8e3ntbbssdNrwGP8
 申込締切: 2026 年9 月28 日(月)

【第1 部】講演会(15:30〜17:45)
 挨拶・講演:山口大学学長:谷澤 幸生
 講演:山際 大志郎 氏(衆議院議員 山口大学農学部獣医学科 卒業生)
 講演:山口大学情報学部長・山口大学大学院創成科学研究科 教授:山口 真悟
 山口大学基金活動紹介:山口大学副学長(地域連携・基金・広報担当):重松 宏武
【第2 部】懇親会(18:00〜20:00)
 形式:着座形式
 会費:本イベントの参加費は、開催当日時点のご年齢に応じて以下の通りとなります。
 40 歳未満の方:5,000 円
 40 歳以上の方:7,000 円
 なお、本懇親会の参加費につきましては、山口大学同窓会より一部ご支援をいただいております。
 ※会費は当日、受付にてお支払いいただきます

なお、標記会合は大学のホームページでも案内されています。

https://ds0n.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~kikin5622/forum26

11/14土曜 第7回長州歴史ウォーク 申し込みフォーム

~明治の元勲、将軍、昭和の偉人の足跡を巡る~

以下のフォームから参加登録をしてください。

よろしくお願いします。

イベント参加登録【長州歴史ウォーク】












    ※は必須項目です

    【第7回 歴史ウォーク】開催します。

    ~明治の元勲、将軍、昭和の偉人の足跡を巡る~「初秋の風を感じながら、近代日本の礎を築いた偉人たちのゆかりの地や、風情ある庭を巡る見どころ満載のコースを一緒に歩いてみませんか?」。

    ■ 開催要領

    日時   令和8年11月14日(土) 午前10:00 スタート

    集合場所 護国寺 山門前広場(東京メトロ有楽町線「護国寺駅」下車)

    参加費  無料(鳩山記念館への入館料、交通費、昼食代は各自負担)

    定員・対象 どなたでもご参加いただけます(途中参加・途中帰宅も可能です)

    雨天時 雨天決行

    ■ コース【行程】

    護国寺山門➡社殿➡山縣家墓前➡鳩山記念館➡椿山荘➡肥後細川庭園➡早稲田大学

    大隈講堂(昼食休憩)➡都電荒川線(早稲田駅~雑司が谷駅)➡学習院大学正門➡乃木館

    (至近 学習院大学生協前解散)

    【案内人】

    総指揮 吉田 学29

    1.説明要員 吉田

    護国寺 山門(午前10時集合)➡ 本殿 ➡ 山県有朋公 墓前

    2.説明要員 吉田

    鳩山記念館(※見学:入館料 700円)

    3.説明要員  葛見支部長 学23

    椿山荘(フォーシーズンズホテル)➡  肥後細川庭園

    4.説明要員  中尾監事 学22

    大隈講堂 周辺(※こちらで各自、昼食休憩となります)

    都電荒川線「早稲田駅」 ➡ (都電移動) ➡ 「雑司が谷駅」

    6.説明要員  吉田

    学習院大学 正門・乃木館

    7.説明要員  山口副支部長 学40

    現地解散(午後3時頃を予定)⇒解散場所から徒歩約10分でJR「目白駅」、

    もしくは都電荒川線「雑司が谷駅」。

    ■ お申し込み方法

    [参加申込はHPの問合せコーナーもしくは参加フォーマット]

    ⏳ 申込締め切り日:令和8年11月11日(水)まで

    ■ イベント終了後: 有志による会食(懇親会)をJR目白駅周辺で予定しております。

    国際温泉サミット in 「はわい」その1

    山口大学経済学部同窓会

    鳳陽会東京支部

    【2026年9月 トピックス】

    岡山支部 岡山Bさんからの投稿

    ◆鳥取県、「はわい町」で9月7日に国際温泉サミットが開催された。
    開催テーマは「日本の「温泉文化」を世界へ――」
    2030年のユネスコ無形文化遺産登録を目指す「温泉文化・世界サミット」だ。

    ◆この“はわい”へは、飛行機に乗り、パスポートがなくても行ける。
    実は今は昔で、「はわい町」は存在しない。
    平成の大合併で羽合町・東郷町・泊村の3町村が合併して湯梨浜町になっているからだ。
    しかし、この“湯梨浜”の名称も良い。温泉の“湯”、鳥取の20世紀ナシの“梨”、東郷湖の浜辺にある地域の“浜”からなる。

    旧羽合町には、“はわい”から南国感を演出するヤシの木(ワシントンヤシ等)が街路樹
    の並木として植えられている。また、湯梨浜町はわい支所に勤務されている役所の人は、
    夏はアロハシャツを着用。通勤している姿でも一目で見分けが出来る。挨拶も“アローハ~”となっているから徹底されている。

    ◆では、何故、この湯梨浜町で温泉サミットか?
    答えは、
    ・アクセスのいい場所に、東郷温泉、はわい温泉、少し山際には三朝温泉、関金温泉と集
    積している。
    海の温泉、山の温泉、市街地の温泉。ラジウム泉、微量の放射能泉、硫酸塩泉、それぞれ
    の源泉にも特色がある。
    ・前述のユネスコ無形文化財登録を目指し、群馬の山本一太知事(草津の湯)と、鳥取の平井知事とが強力にタイアップしている。
    前全国知事会の会長だった鳥取の平井知事の事だから、万事抜け目なく手配されていることであろう。山本一太知事からも尊敬している知事と言わしめる平井知事。

    ◆平井知事は冒頭の挨拶の中で、今回の企画に賛同されている台湾、フランス、英語圏からの来賓の方に歓迎の意も込め、それぞれの国の母国語で歓迎の挨拶を短く挟む。
    来賓の観光庁長官は挨拶の中で、「平井知事の後の挨拶ほど嫌なものはない」と冒頭…
    、聴衆から大きな笑いを取っていた(笑)
    それぐらい平井知事は話し上手、聞かせ上手なのだ。 素晴らしい挨拶だった。

    ◆小さな規模の地方県で発案、推進してきた活動が大きなうねりを起こしている。
      ユネスコ無形文化財登録を推進している国会議員の議連の会長は岸田元首相、100人以上の議員が属していて、国としてのバックアップも強力になっている。

    鳥取県は前片山知事、平井知事と近年鳥取県の知事は歴代優れている!
    生まれも育ちも東京、自治省から、出向で鳥取県へ。
    日本一人口の少ない県、その不利な条件を逆手に、他県に出来ない抜きんでた施策を実施している。

    例えば、“女性活躍社会”。今では当たり前のムーブメントとなっているものも、実は片山知事時代に、ふとあることに気づいたことに発端があったと講演で聞いた。
    何故県の幹部には女性登用者がほとんどいないのか?そして、翌年の各事業組織、人事部からの人事案を見るとそのリストにあまり女性の名前がない。
    これはおかしい?何故、何がそうさせているのか? その地方の県での改革が社会を動かす。


    片山前知事時代にきっとあるべき地方自治の在り方を様々教え込まれているからなのか?
    (40歳時には副知事として在籍)

    それに平井パワーが加味されて一層輝きを増してきているようにも見える。
    2030年頃には、きっと 日本の「温泉文化」が世界へと展開され、そして、2030年のユネスコ無形文化遺産登録になった暁には大祝賀会が開催されることとなるだろう。

    ◆(雑感)
    今、観光経済学科を有している母校の後輩の皆さんにも、何かと参考になる点や観光を文化として推進としている施策が読み取れるかもしれない。

    (山口にも各地に名泉がある。そして、嘗てその観光地においてホテル経営等で奮闘されていた先輩方、そして今も活躍されている先輩方が多くいる。
    そして今観光経済学を学ばれ、より深く観光を考察されている後輩の皆さんには多大な期待を抱いてしまう。
    専攻学科を問わず、ゼミの前でもいい、ゼミの終了後でもいい、ゼミの仲間と湯田温泉でひとっ風呂浴びると言うような贅沢も出来るのが山口だ。
     “はぁ~、せんない日もやれん日も”、身も心もきっと浄化してくれますいね)

    岩国・錦帯橋

    山口大学経済学部同窓会

    鳳陽会東京支部

    【2026年9月 トピックス】

    岡山支部 岡山Bさんからの投稿

    9/12土曜日、”ブラ·フミエ”(NHK広島の小野文惠アナが中国地方をぶらぶらと歩く地方番組)が錦帯橋で有名な岩国をぶらぶらと。
    錦帯橋の凄さ、川と生きる岩国、岩国蓮根の紹介!があった
    岩国は川と生きる 干拓で水田開発、その為の水路は今は蓮根栽培に生き、全国でも有数の蓮根生産地だ
    石垣、河川敷の家にも江戸時代の石組み、船を使った運搬の痕跡が残る

    岩国·錦帯橋の繋がりは吉川氏による錦川を含め、防御力も兼ね備えた岩国城の築城による 
    毎日の登城に必要な橋  最初は平らな形、それから今にも繋がるアーチ型木造組の5橋梁.石組みの4脚の形
    橋の下から覗く木組みに先ず圧倒される

    しかし、今回の番組で紹介された次の3点、それがセットで今の錦帯橋をなす
    ①アーチ形の木組み

    ②船首の様な水切型の形をしま橋脚

    ③橋脚の根元で水洗いが起きない様に70×200mの敷石がその橋脚を守る

    職人の智慧が貴重な遺産に込められている事が紹介されていた