山口七夕会 秋草史幸会長の思い出

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年4月トピックス】


・4年近く大変お世話になった秋草会長(元三菱UFJモルガン・スタンレー証券社長)が3月2日に直腸癌で亡くなられていたことを暫くして報道各紙が報じていて知りました。(享年76歳)

・2022年に入会して7月の最初の総会では秋草会長を始め、メンバーから身に余る大歓迎を受け吃驚しました。
秋草会長は在学中に経済史を受講した秋草実教授のご子息でお父様からは「良」を頂きました。
その話をすると、父は非常に厳しい人でしたが、極く稀に優しくなる時期があり、Yさんはその時期で良かったですねと。

・その後、2024年3月に山口七夕会で「金融にまつわるこぼれ話」と題する講演会に出席した時は証券会社の社長を経験された秋草会長に新興市場のグロース市場の売買で日頃感じている批判的な質問をしましたが、さらりと交わされてしまいました。
投資するならプライム市場の銘柄ですよと。
(秋草会長には2019年7月に吉岡理事長、松永支部長時代に同様なテーマで講演されて視聴しました。)

・その日の午後からの春の花見ウォーキングでは谷中七福神巡りと題して7ヶ所を散策し、談笑しました。
その後も総会には欠かさず出席しましたが、病気のことは伏せておられたようです。

・翌年12月のレノファ山口の小山会長を迎えての講演会で秋草会長にツーショットをお願いした時に嬉しそうな笑顔で応じて頂いたのが忘れられません。
大先輩と思っていましたが、私より1歳年上でした。
ご冥福を心よりお祈りしております。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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緊急役員会を開催しました

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年4月トピックス】

昨日(4/5・日曜)、14時から塩塚支部長急逝に伴う緊急役員会を開催しました。

◆今回の会議は6月6日の支部総会までの間、当面の運営方針を取り決める性格のもので、事務局からホームページの発信強化、歴史散策、寮歌祭など、従来の取り組みを継続・拡充することを説明し、了承されました。

 人事体制については、規約に基づき支部総会までの間、事務局長が支部長職を代行すること、その後、支部総会で決定される支部長・事務局長の選出の段取りと人選について確認しました。

 また今回、ウェブを通じて参加して頂いた役員の皆様一人ひとりからご意見やご要望をお聞きする貴重な機会を得ることができました。

◆①(参考)

 今回の会議では、先般(3/22日)行われた本部理事会の模様も事務局から併せて報告しました。

討議テーマとなった

①収支赤字への対応としての支出節減策

②亀山にある本部の平川移転構想

③採決を容易にする代議員制度の導入

などについて説明するとともに、

④支部支援金制度(ここ数年廃止されていた、本部へ支払われた会費の3割支部還流)の復活

も紹介しました。

 また出席された松永顧問(本部・理事長)から、資産運用の在り方の問題、本部移転問題、代議員制度導入の時期などについて掘り下げた説明を頂くとともに、山口大学オールの同窓会実現へ向けた構想とその障害克服に関する留意点についてアドバイスも頂きました。

(事務局記)

ノーベル賞考 ⑤勉強や研究環境

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年4月 トピックス】

◆受験のヒートアップが始まって、勉強の仕方、学問に対する意識が変わったようだ。

しかも低学年から「お受験」が始まって久しい。

少子化だからお受験での競争倍率が低下したかというと、そんなことはない。

こうした事情は、洋の東西を問わないようだ。

◆心が震えるような授業

私も子息の関係で、勉強ができる子息の友人の技を間近で見たことがあるが、受験スキルには凄いものがある。大人も顔負けだ。

限られた時間で精度の高い回答を要求される受験戦争。

ここでは、短時間で素早く「正解」にたどり着くスキルを磨くことが最優先される。

ノーベル賞受賞者がインタビューで語るような「小・中学で心が震えるような感動的な授業を受けた」、あるいはまた世の中の事象に「疑問を持ち、その疑問をとことん追求し、疑問が氷解するまで何日かかっても粘り強く解明した」と答えている。

しかし、こうした勉強は受験戦争では推奨されず、こうした「優雅でゆとりのある」学習をやってきた者は極めて限られているのではないか。

◆受験のピーク

受験のピークが大学入試だ。

第一志望校ではないが、頭を切り替えて大学に入学した後は、筋肉が一気に緩み、別の意味で世の中が大きく開けたように感じ、受験で棚上げにしていた遊びに花が咲く。

私がそうだった。

ゼミの担当教授から授業中に「大学はレジャーランドじゃないぞ!」と叱られたものの、その癖は直らなかった。

大学に入ることは学問をする通過点であるはずだが、大学に入ることが目的となり、大学入学に入った途端、目的達成の褒美を貪ることになる。

受験とはそんなものだという意識が、学生の間に充満していた。

◆大学に入るのが目的・・・これはおのずと高校の授業を変えてしまう。

また、名門高校に入るため、中学の授業も変えていく。

要領が良い学生ほど、受験にとっては非効率で差し障りのある「感動、情緒、深い疑問」を避けることになる。

今年の日本人ノーベル賞受賞者も、受験戦争を潜り抜けてきた方であろうが、彼らは30~40代から、十分な研究費を使いながら、友人(先輩・後輩)、周囲の人間関係にも恵まれた中で、じっくりと考え、実験を重ね、また実験結果の解析にも昼夜を問わず汗をかくことのできた環境で、節目・節目で栄誉ある賞を受賞しながら研究をつづけた研究者だ。

そう考えると、かなり恵まれた御仁だったといえる。

◆この先、こうした環境に身を置くことができたとしても、そうした日本人研究者は減っているという。

ノーベル賞受賞者の卵となる大学院生の伸びが、諸外国を下回っていると報じられている。

手っ取り早く稼ぐことができないからか。

そうならば、この先、日本人のノーベル賞受賞者の発表を待つ楽しみが減ることになるが、寂しいことだ。

◆日本でも、大学は金欠病で悠長に研究する環境にはない。

しからば、米国に渡るか。

大統領が変わって以降、今では米国の大学では研究をやりにくくなっているようだ。

ならば、こうした先端的な研究を強力に推し進めている中国に渡るか。

それも厳しい選択肢かもしれない。

ノーベル賞を目指す我が国の研究者にとっては悩ましい時代がやってきた。

(学23期kz)

福島の学習塾(福島経済新聞)

鳳陽ゴルフ会 100回記念大会報告

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年3月トピックス】

◆満開の桜の下、第100回大会を開催しましたた。

13期の松本さんから64期の窪井さんまで18名5組でのコンペとなり、参加者の世代も半世紀を超えました。

優勝は23期の宮岡さん。

見事に前回大会のリベンジをされました。(前回は後半で大叩き)

準優勝は久しぶりに参加された22期の佐藤さん。3位は25期の澁谷さん。

(賞品は上野が預かっています)

上位の方はいずれもグロスで90前半と記念大会にふさわしい競技となりました。

松本さん、鹿児島さん、七村さんから副賞、参加賞を寄贈いただきました。

ありがとうございました。

◆1977年の初開催以来、50年近く続いてきましたゴルフ会ですが、

今回を持ちまして、鳳陽ゴルフ会としての開催は一旦一区切りとします。

次回以降は違った形でのゴルフ会を事務局のみなさんと継続して企画する予定です。

改めて連絡しますのでご期待ください。

 

幹事 37期 上野啓

随筆 横目で眺めた経済学 24イノベーションと信用創造

 

◆信用創造

シュンペータのイノベーション理論の中では、銀行の信用創造が重要な役割を果たす。

銀行は貸し出しすることで、銀行システム全体では預金準備率を考慮した大きな信用創造をすることができる。

例えば単純な例では100万円の銀行預金は銀行システム全体の信用創造による預金総額は預金準備率の逆数倍の大きさとなる。

◆銀行員の目利き

シュンペータがここで力説しているのが銀行の融資態度だ。

金融機関の目利き力の有りや無しやを問題にしている。

企業の革新的な企業活動があっても、目利き力がないと資金を貸し出しを拒む。

こうなると、革新的な企業に血液を与えることができない。

銀行の目利き。

・・・これをシュンペータは「高度の熟練を要し、知的・道徳的性質が要求される仕事であり、銀行員の誰もができることではない特殊な才覚」としている。

◆融資

融資をするのか、しないのか。

融資にしり込みをすれば、銀行は大きな利益を得るチャンスを無くすことになり、他方、企業側では革新的な事業を行うに当たり事業資金を得られないとすると、革新的な企業行動にブレーキがかかり、イノベーションが起きず、その結果、社会的にも一段高い経済成長のチャンスが失われることにもなりかねない。

かといって銀行が無謀な融資をすれば不良債権が増え、銀行経営にとってはマイナスとなるのが当然だ。

難しい判断だ。

スコアリングで判断するか、AIを活用するか。

あるいは、昔言われたように最後は「社長の熱意」、「社長の腹の据わり方」を決め手にするか。

融資をするのかしないのか・・・。

どの銀行経営者にとっても頭の痛い問題であり、この先も最重要課題であり続けるのだろう。

(学23kz)

ザ・益税 ②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年3月トピックス】

◆インボイス制度

インボイス制度は事業者が消費税を納めるとき、累次の取引段階とともに、消費税が二重三重に掛からないようにするため、売り上げにかかる消費税から、仕入れにかかる消費税を控除することができる制度だ。

コンビニA店があるとする。

消費者がA店で100円の商品を買い、消費税10円を含め110円を払う。

この商品は免税業者Bから税抜き80円で仕入れた商品としよう。

AはBに対し80円と、それにかかる消費税8円の88円を支払っている。

が国税当局に払う消費税は10-8=2円となる。

導入されたインボイス制度の下では、Aが消費者から預かった10円の消費税から、仕入れにかかる消費税8円を差し引いた2円を税務署に納めるには、ある書類が必要となった。

それが「適格請求書発行事業者」が発行する「適格請求」書だ。

この制度に対応するには、免税業者Bが税務当局で「適格請求書発行事業者」登録、すなわち課税事業者の登録をし、特定の記載要件を満たした適格請求書を発行する必要がある。

そうしないとどうなるか。

Aは仕入れにかかる消費税8円を差し引くことができず、10円の消費税を税務署に収めなければならなくなる。

こうした不具合があるため、AはBとの取引を敬遠することにもなりかねない。

このためBは、こうした取引関係の解消が生じることなく、Aに迷惑を掛け適格請求書を発行できるよう、免税業者から課税事業者に鞍替えする誘因が働くことになる。

◆悩ましい問題

しかし、コトはそう簡単ではない。

免税事業者から課税事業になるため、新たな税金納付の他、切替えコスト(既存システム変更、新規システム導入)が発生するほか、慣れない新たな事務負担(インボイス作成、インボイス保管)が発生する。

こうした制度変更への対応には困難が伴うため、影響を緩和するため、特例措置や経過措置が手当てされている。

一度にきれいな形で完全導入が困難なことは、消費税導入で経験済みだ。

さあ、国民会議で消費税の軽減が検討されるという。

直ちに減税へ向けた作業が開始されたとしても、実際導入されるのは2年後だと報道されている。

また、税を元の税率に戻すときは実質増税となり、大変な作業になるのだろう。

◆消費税の上げ・下げは難作業

一般的に、税は導入するのも困難、変更するのも困難だ。

また、消費税は全ての個人、全ての企業に関わる。

一旦減税するのも時間がかかるし、減税対応にかなりのコストもかかる。

また税率を元に戻すというには、ハードルがかなり高い難作業になる。

(学23期kz)

塩塚 保さんの思い出

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年3月トピックス】



・塩塚さんとは学生時代は一時期、同じ鳳陽寮に在寮していましたが、面識もなく全く接触はありませんでした。
以前、2008年頃に鳳陽会東京支部総会の準備等が卒業年度の担当制だった頃に会でよく顔を合わせました。
追手風部屋の力士を応援されていて相撲談義をしました。

・東京支部長になられた頃に田町まで千葉からわざわざ出て来て頂いて1時間半お話をしました。
私は1会員に過ぎませんが、この時、トピックスへの投稿を約束しました。
最初の数年は週1のペースで、恥を掻き捨て駄文を投稿しました。
今でも皆さんの反面教師になればと思い、時々投稿しています。
塩塚さんには投稿に対して、メールで頻繁にコメントを頂き励みになりました。
私も匿名の塩塚さんの投稿にコメントを返信しました。

・昨年の11月23日(日)開催の日本寮歌祭は体調を崩して闘病中の為、前年初参加したものの今回の参加は無理とその旨伝えていましたが、急遽、2日前になって私には最後になるであろう寮歌祭に参加したいと思うようになり、塩塚さんに連絡を入れたら色々と動いて頂き、急遽、声掛けした学生時代からの親友を含め参加が実現しました。

・そのすぐ後の11月29日(土)開催の長州歴史ウォークも欠席予定でしたが、急遽、当日朝、参加を決め、明治神宮に一番乗りで集合1時間半前に駆けつけたら、暫くして塩塚さんが現れ、二人で話す機会がありました。
今回の葬儀が遷霊祭とあるように昔から神道を信奉しているとか、奥様、お孫さんの話とか聞きました。
その時、健康の話になり、いつまでも東京支部長をされると思っていたのに自分は80歳迄生きれれば御の字と言われ意外で吃驚しました。
雲龍型で有名だった第10代横綱の雲龍久吉の末裔の塩塚さんとは相撲談義は勿論、もっともっと色んな話をしたかったなあ。

・特にお話したかったのは産経新聞社に勤務されていましたので、私はサラリーマン時代にフジサンケイグループのフジテレビ、日本工業新聞とお付き会いがあり、フジテレビの社長時代に何度かお会いした日枝会長を信奉していましたので、騒ぎが落ちついたらと思っていました意見交換が出来なかったのが至極残念です。

20年間のお付き合いありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈りしております。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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大相撲三月場所(大阪場所)を終えて

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年3月トピックス】

・関脇霧島が14日目に安青錦相手に敗れはしましたが、14場所ぶりに3回目の幕内最高優勝を決めました。
千秋楽は大関琴櫻に敗れましたが、直前3場所を34勝とし、大関復帰は決定的。
実は三賞候補の一番手に挙げ、いつもは相手力士を応援していましたが、初日から応援していました。
横綱豊昇龍は2差で僅かな可能性を残し追いましたが、力尽きた感じです。
安青錦、予想外の黒星で千秋楽に豊昇龍に初黒星で負け越し。
私は無理して横綱になってプレッシャーに押し潰されるより、課題を克服して横綱になってほしいです。
横綱大の里の初日からの3連敗で休場には驚きました。
まだ、先場所痛めた左肩の怪我が良くないようです。
熱海富士、後半不調の高安に敗れ、9勝6敗で敢闘賞逃す。

・応援している力士では阿炎が4勝6敗5休。
腰の骨を骨折していたようですが、頑張りました。
平戸海、7勝8敗でしたが、頑張りました。
今の相撲で良いので、三役を期待です。
王鵬、藤ノ川相手に負け越し。眠れる大器はいつ目覚めるのか。
藤ノ川、初挑戦の横綱に2日続けて金星を挙げ勝ち越し、技能賞。天晴れ。
玉鷲、5勝10敗。
若元春、3勝12敗と超不振。
幕下深井4勝3敗、三段目、山口市出身、若輝元3勝4敗、千代大宝4勝3敗
序二段千代栄5勝2敗(引退発表)
序二段翔傑5勝2敗
序二段大当利2勝5敗

追記)
*序二段は膝の大怪我で休場が続いた元十両の木竜皇(立浪部屋)がデビュー15戦無傷の旭富士と相手の優勝決定戦。
番狂わせを起こしたいとのことであったが、残念。
でも、よく頑張った。

*先の投稿で触れた今場所から応援を始めた三段目東3枚目の光星竜(25歳、6場所目)が5勝2敗と大健闘。
174㎝、125kgと小兵。
Abema TVで、リアルタイムで7戦全て視聴した。
幕内での活躍を目指して頑張れ。
という訳で、所属の音羽山部屋(師匠、元横綱鶴竜)絡みで、今後、霧島関との縁もありそうで、今場所から霧島関も応援しています。

*写真1枚目は霧島が横綱豊昇龍を破った一番。
写真2枚目は昨年初場所での十両時代の木竜皇関とのツーショット。
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塩塚支部長追悼 「その日」

事務局長 葛見雅之(2026年3月26日記)

◆出会い

当時の塩塚保さんから、鳳陽会の活動をしないかと誘いがあった。同窓会活動に縁がなく、自信がなかったが、三田の事務所に通い始めた。

爾来、塩塚保支部長のもと、鳳陽会東京支部を二人三脚で運営してきた。

ようやく3年目に入ったかなという感覚だが、まる5年が経つ。

◆「その日」は3月21日、土曜日

翌日に予定されていた鳳陽会本部での定例理事会参加のため、二人とも前日から別ルートで山口入りした。

投宿先である市役所前の国際ホテルに荷物を預け、昼食を食べに米屋町商店街に出向くと、ばったり塩塚支部長に出会った。

支部長は人通りの少ない商店街のアーケードに腰を落とし、片膝を立てて熱心に写真を撮っていた。

産経新聞記者だった支部長。

首から下げた重そうなカメラはプロが使う業務用のカメラなのだろう。

鳳陽会東京支部への投稿の際、文末に貼られた多くの写真はそのカメラで撮られたものだ。

鳳陽会東京支部ホームページのカバー写真も昨年のこの時期、卒業式の当日に経済学部前で撮った「お気に入り」の写真だ。

◆話しを戻そう

アーケード街で、カメラのレンズの先には太陽堂旅館があった。

学生時代にはあった多くの馴染みの店が姿を消す中、太陽堂旅館は、いまだ健在。昔の姿をとどめている。

1970年代の学生時代はワンダーフォーゲル部に属し、青春を謳歌していた支部長。ワンゲルのコンパではよく使っていた会場のようで、ひとしお強い思い入れがあったようだ。

◆防府へ

昼食を終えたとき、支部長から誘いの電話が鳴る。

「松永さんからの誘いで、今から防府天満宮にいくが、君も行くかい?」

松永理事長もそうだが、私も防府天満宮は初めてだ。

夕方に予定されている新旧経済学部長との会食会までにはかなり時間があるため、同行させていただくことに相成った。

防府天満宮までは20km弱、車で30分程度。

車の中では、教育学部で防府出身の奥様との出会い、産経新聞時代の外地赴任生活のこと、三人の自慢の御息女のこと、お孫さんのことなど、最近の近況まで話が及んだ。

◆道真公

防府天満宮には菅原道真公が祀ってある。

全国に菅原道真公を祀る神社は1万2千社あるが、最初に創建されたのが防府天満宮だという。

道真公が大宰府に左遷される折、三田尻港から出港予定であったが、時化のため数日をこの地で過ごしたのが由来とある。

「自分のための勉学」を「社会のための勉学」に昇華させた道真公。

学問の神様、ということで受験生が祈願に来る。

当日、天満宮には合格が叶った若者達から、お礼のメッセージが貼ってあったがその中に、「山口大学経済学部に合格しました。最後まで自分を信じて頑張ってください!山口県岩国市・・・・」

というのを見つけ、塩塚さんに紹介すると・・・

「ほんとだ!」。

母校愛がとても強かった塩塚支部長。

天満宮の石段を登りながら、山大経済学部合格時のことを話してくれた。

合格発表はラジオで聞き、飛び上がるほど嬉しかったという。

しかし、ラジオで聞いたのは一瞬のこと。

聞き違えだったのかもしれないという疑念が湧く。

そこで、しっかりと確認したいとの衝動に駆られ、合格発表を文字で伝える媒体である西日本新聞・朝刊が店頭に並ぶまで徹夜したという話をしてくれた。

◆夕食会で 有村学部長

理事長の発案による新旧学部長と東京前泊組有志の会食会だ。

2年間お世話になった有村経済学部長に感謝の意を伝え、新学部長の古賀先生とのお付き合いが始まることを祝す会。

有村先生には大変お世話になった。

大学と鳳陽会の間、学生諸君と鳳陽会とを繋ぐことに配意して頂き、常々鳳陽会の支援に、経済学部のホームページを通じて、また鳳陽会総会での来賓祝辞などを通じて、謝意を表して頂いている。

昔の高商時代、卒業期一桁台の諸先輩方には錚々たる方が多いが、最近の学生諸君も負けてはいない。

ゼミ単位での研究発表・討論会等での全国優勝など全国的な活躍ぶりを始め、現役での公認会計士や税理士試験合格など最近の学生諸君が、山大経済学部のブランド力を上げる活躍ぶりしているのだ。

こうした事績を経済学部のホームページに精力的に投稿・掲載しておられることに塩塚支部長ともども日頃から感謝の念を抱いており、お礼を申し上げる良い機会となった。

◆もう一人、古賀新学部長

古賀先生と塩塚支部長は古くからのお付き合いがあり、メールではなく、電話を掛け合う仲だ。

というのも、かつて鳳陽会の寄付講座で、塩塚さんが新聞記者時代のことを大講義室で講演された時以来の仲とのこと。

古賀先生は新入生などを対象とした「基礎ゼミ」を通じて学生から、高く評価されている。

鳳陽会東京支部で活躍する若者に出身ゼミを聞くと、口々に「古賀先生」、「古賀先生」と古賀先生の名が上がる。

3年生からの本格ゼミではなく、新入生「基礎ゼミ」でお世話になった古賀先生の名前が出るのだ。

◆戦時特派員

酒もお好きだった塩塚支部長。

当日もビールで乾杯した後、ワイン少々。

紹興酒が始まった時にはオンザロックで。

手元にはいつものように必ず水があり、健康にも配意されていた。

健啖家で何でも美味しそうに食される。

しかし、その日はいつもと少し様子が違う。

「場を仕切る」のが得意技の支部長にしては、なぜか物静かだった。

会話の流れで、時事の話題となる。

トランプ大統領とイランの動きに話が及んだ時、支部長から湾岸戦争時の話が始まる。

現役時代、産経新聞の特派員として戦時下のイラクへ派遣された際の話だ。

弾丸飛び交う中、出国を図るため現地の運転手を雇い、夜間に戦場からの脱出を試みるも運転手が道に迷う。無灯火での走行だったのかもしれない。

暗闇の中、車に取り残された二人。

その時、現地人の運転手が逃げ出したという。

取り残された支部長・・・

支部長は人の注目を集める話し方をし、話が魅力的だ。

この時の話に、場の一同は支部長の話に身を乗り出し、聞き耳を立てていた。

◆洋風居酒屋

会食後ホテルに向かう途中にある洋風居酒屋。

いつも一次会の後立ち寄るスポットだ。

ここに、前回も、前々回も、立寄る度に対応してくれるアルバイトのお嬢さんがいる。

経済学部の学生だ。

その時も我々のことを覚えていてくれた。

アルバイトをしながら、国家試験を目指し勉強しているという。

そこで翌日の理事会の議案について意見交換し、店を出た。

◆コンビニ

支部長曰く「朝飯を買いに行こう!」

翌日はホテルの朝食を頼んでいなかったのだ。

踵を返し、朝食を調達しにJR山口駅近くのコンビニに向かった。

支部長のレジ袋には私の倍ほどのボリュームがある。

後で分かったが、中にはサンドイッチ、500ccの牛乳パック、400ccの缶コーヒー・ブラック、ヤクルトのサイズ大。おにぎりも入っていたのかもしれないと思えるほど大きかった。

◆コンビニを出て

当日は土曜。

夜の山口は繁華街近くでも明かりが少ない。

ホテルへ向かう途中、一軒だけ明々と輝いている店がある。

否が応でも目に入る店だ。

入口の大きな看板には「たこやきテンホウ」とある。

テンホウ・・・縁起の良い名前だ。

小腹も空いた。

店に入る。

◆その時

10時近くになった。

翌朝は亀山にある鳳陽会本館で9時から会議がある。

出よう!

二人一緒にスッと立った。

その時、見たことのない光景が。

支部長の顔が私からゆっくり遠ざかっていく。

私の目の前で支部長が仰向け大の字に倒れた。

映画に出てくるシーンよりも、はるかに大胆な倒れ方だった。

帰り支度で帽子を被り、またテーブルに腰が当たっての倒れ込みのため、後頭部を強打したということはない。

愛用の黒い帽子は飛んだが。

支部長に声を掛けるが反応はない。

◆救急車で病院へ

すぐに救急車の手配を店長に依頼した。

すぐに電話が繋がると、救急隊員から私に心臓マッサージの要領を伝え、救急車が到着するまでの間、

心臓マッサージを続けるよう指示があった。

救急車が到着し、救急スタッフが対応にあたる。

私も救急車に同乗した。

病院に着き、ストレッチャーが救急治療室に吸い込まれた。

長い時間が経過すれど、救急治療室からなかなかスタッフが出てこない。

救急治療室の扉から、たまに姿を現す看護スタッフをつかまえて様子を聞くが、

「私からはお答えできません」と。

長い・・・

零時、まだだ。

1時になってもまだスタッフはまだ出てこない。

1時半ごろ、看護スタッフが出てきて、奥様の電話番号を聞かれた。

電話番号・・・困った。

電話番号は知らないし、登録した覚えもなかった。

しかし、奥様とはLINEで繋がっていたかもしれないことに思い当たる。

支部長は奥様と各種会合に一緒に出掛けられることが多く、奥様とはLINEの交換をしていたことが助けになった。

教育学部の奥様と私は同学年で、共通の通人もいる。

また鳳陽会東京支部での看板行事にひとつで、塩塚支部長が企画しリーダー役兼案内役を務め、名物行事になった史跡巡り「長州歴史ウォーク」に奥様は毎年参加しておられる。

奥様へのLINE電話が繫がり、その電話を看護スタッフに渡した。

ドクターが出てきて説明を受けたのが2時頃だったろうか。

「蘇生の見込みはほとんどありません」

病院には5人ほどの警察関係者が来ており、事情聴取を受けた後、倒れた現場に向かい、「現場検証」を終えてホテルに帰ったのが3時近かった。

◆「急性心疾患」・・・

死亡時刻は23:50分。

死因は「急性心疾患」となった。

支部長はもともと心臓に問題を抱えており、13時間にも及ぶ大動脈瘤の大手術をし、3年前には心臓バイパス手術も終えて、快適な日常生活を過ごしていたように見えた支部長。

昔と違い、大好きな酒でも大酒飲みはしなくなり、健康に気を使い、東京支部での各自持ち寄り会食でも必ず、酒好きに似合わず、グラスの脇には必ず野菜サラダがあった。

◆寝顔

寝顔は塩塚さんらしく穏やかで、実に堂々としていた。

塩塚さんと同期で、私の一つ上にあたる先輩の塩塚支部長を評して「裏表のない男」だと。

確かにそうだ。

情に厚く、細かいことに拘らず、少年のように純真で、人の失敗を庇い、人の好い所を褒めてくれる。

こちらが気恥ずかしくなるくらい褒めてくれる。

眼を輝かせ、「それ、いいね!」が口癖だった。

人を貶めるようなことは言わないし、しない。

何をやるにも姑息なことはしない。正攻法の正面突破だ。

仕事の仕方も綺麗なものだった。

博識で歴史には知見があり、特に幕末ものに蘊蓄が深かった。

日本寮歌祭での檄は見事だった。

全国から集った強者たちが集う寮歌祭の仲で、代表者として先頭を切って檄を発する姿は、とにかく勇ましかった。

そして何よりも存在感のある兄貴分だった塩塚さん。

通夜で改めて、棺におさまった塩塚さんに対面すると、あまりに堂々として立派な男振りの良い人相に、こころ打たれた。

母が高校3年の受験前に逝去した時も涙しなかった私だったが・・・


母校・山大経済をこよなく愛した塩塚さん。

「花の経済学部」というセリフがお気に入りだった。


青春を謳歌し、大好きだった町、山口
奥様と出会った町、山口
その山口で、大好きな桜の季節に旅立った塩塚支部長。

この先も、必ずみんなを見守り、いつまでもみんなを応援してくれるだろう。

撮影:塩塚保