ノーベル経済学賞からみる山口大学経済学部の特色

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年11月 トピックス】

毎年10月に発表されるノーベル経済学賞は、大きな関心事である。今年は、「マクロ経済安定化政策のミクロ経済学的基礎を構築した功績」に対して授与された。

簡単に言えば、景気変動の「山」と「谷」を緩和し、経済をより安定させる理論を発展させたことが評価されたのである。受賞者が開発した新しいマクロ経済モデルは、効果的な安定化政策を実施する能力を大きく向上させた。これらのモデルによれば、適切なタイミングで財政政策や金融政策を行うことで、景気変動を和らげることができる。

経済は景気後退と景気拡大を繰り返すという特徴を持つ。ジョン・メイナード・ケインズが有効需要の理論を提唱して以来、こうした景気変動への対応において安定化政策は重要な役割を果たしてきた。不況期には金利を引き下げたり財政支出を拡大したりして景気を刺激し、逆に好況で経済が過熱している場合には金融引き締めや財政支出の抑制によって需要を抑えることが望ましいと考えられている。

今回評価された理論モデルは、世界各国の中央銀行や政府が利用するマクロ経済モデルに確固たる理論的基礎を与えた。また、エネルギー危機や家計消費の急激な変化といった経済ショックに対しても、より適切な政策対応を可能にしている。

最近5年間のノーベル経済学賞(2022~2026年)

年受賞者授賞理由(要旨)主な研究分野
2026年ロバート・E・ホール、マイケル・ウッドフォード「マクロ経済安定化政策のミクロ経済学的基礎を構築した功績」マクロ経済学、金融政策、ニューケインジアン経済学
2025ジョエル・モキール、フィリップ・アギヨン、ピーター・ハウィット「イノベーション主導の経済成長を説明した功績」経済成長論、技術革新、創造的破壊
2024年ダロン・アセモグル、サイモン・ジョンソン、ジェームズ・A・ロビンソン「制度がどのように形成され繁栄に影響するかの研究」制度経済学、政治経済学、開発経済学
2023年クラウディア・ゴールディン「女性の労働市場成果に関する理解を前進させた功績」労働経済学、ジェンダー経済学、経済史
2022年ベン・バーナンキ、ダグラス・ダイアモンド、フィリップ・ダイブビッグ「銀行と金融危機に関する研究」金融経済学、銀行論、金融危機研究

この5年間の傾向

近年のノーベル経済学賞を眺めると、評価されているのは単なる理論ではなく、現実の社会問題を説明し政策に応用できる研究である。

分野該当年
金融危機・銀行システム2022
労働市場・ジェンダー2023
制度と国家の繁栄2024
技術革新と経済成長2025
マクロ経済安定化政策2026

近年のノーベル経済学賞では、行動経済学、ゲーム理論・メカニズムデザイン、計量経済学・データサイエンス、開発経済学・実証分析などが高く評価されている。こうした分野を体系的に学べる大学としては、東京大学、京都大学、一橋大学、大阪大学、神戸大学、慶應義塾大学、早稲田大学などが知られている。

山口大学経済学部と慶應義塾大学経済学部の比較

内部から、山口大学経済学部と慶應義塾大学経済学部を見てみると、「経済学を学ぶ」という点では共通しているが、教育・研究の方向性には大きな違いがあるように思える。特に大きな違いは、経済学そのものの理論的・実証的な深さにある。

比較項目山口大学経済学部慶應義塾大学経済学部
教育方針地域社会・公共政策・実務志向理論・実証研究・国際水準
学習範囲経済・経営・会計・法学・観光を横断的に学ぶ経済学を中心に体系的かつ高度に学ぶ
数学・統計基礎〜中級中級〜高度
教員層地方国立大学として充実国内最高水準の一つ
研究志向実践・地域課題重視研究者養成機能も強い
大学院進学一般的ではない国内外トップ大学院への進学実績あり
就職地方公務員・金融機関・地域企業大手企業・外資系企業・官公庁・研究職

一般に、経済学を網羅的に見た場合、基礎的な学習分野としては、主に以下が挙げられる。

  • ミクロ経済学
  • マクロ経済学
  • 財政学
  • 金融論
  • 国際経済学
  • 計量経済学
  • 経済史
  • 経済思想史
  • 労働経済学
  • 開発経済学

これらを土台として、大学院修士課程や博士課程では、より高度で専門的な研究へと進んでいく。

旧官立高等商業学校を源流とする国立大学を見ると、

博士課程を有する大学

•             一橋大学

•             神戸大学

•             横浜国立大学

•             滋賀大学

•             長崎大学

•             和歌山大学

修士課程までの大学

•             山口大学

•             小樽商科大学

•             香川大学

•             福島大学

という違いが見られる。

山口大学経済学部とは

山口大学経済学部は「全国で三番目に設立された官立高等商業学校の流れを汲む」とよく言われる。しかし、その教育理念は東京商科大学(現一橋大学)や神戸高等商業学校(現神戸大学)とはやや異なる。高度な経済学を研究する機関としての一橋大学や神戸大学と、前身である旧制山口高等商業学校は、即戦力となる国際的実業人の育成を目的として設立された。旧制高等商業学校は商業実務家養成機関として位置付けられ、大正前期まではビジネスエリートを養成する実学中心の専門教育機関であった。この歴史は今日まで続いている。

一般的に、大学の経済学部はどこでも同じ学問を学ぶものと思われがちであるが、大学によって重点を置く領域には違いがある、また昔の経済学部で学んだことと、今の経済学で学ぶことも違っている。

山口大学でも、近年のノーベル経済学賞で評価されている研究分野に関連する学問を学ぶことができる分野もある。

•             行動経済学(寺地教授)

•             開発経済学(山本准教授)

•             ゲーム理論(小嶋准教授)

などである。

山口大学経済学部では、学部の中に経済学科、経営学科、観光政策学科と分かれており

経済学科では、下記の学問が学べるとされている。(経済学部HP)

•             ミクロ経済学

•             マクロ経済学

•             政治経済学

•             社会政策

•             財政学

•             金融経済

•             労働経済

•             地域福祉

•             ジェンダー論

•             経済史

•             経済統計

•             国際経済

•             国際金融

•             国際協力

•             観光政策

そして、学生の進路は、以下の先が多い。

•             公務員

•             地方銀行

•             地域企業

•             税理士・公認会計士

•             地域振興・観光行政

山口大学は、山口県という地域に立地する大学として、地域社会への貢献を重視している点も大きな特徴である。歴史的に見ても伝統がある。

山口大学経済学部は、旧制山口高等商業学校以来の実学教育の伝統を受け継ぎながら、地域社会への貢献を重視する特色ある学部である。一方で、近年のノーベル経済学賞で評価されるような高度な理論・実証研究についても学ぶ機会が用意されている。研究大学としての一橋大学や慶應義塾大学とは役割が異なるものの、地域に根差しながら幅広い経済・経営教育を提供する点に山口大学経済学部の大きな魅力がある。

学40期 山口勝裕

首都東京圏(大江戸)神社仏閣巡り その5

【トピックス 2026年11月】
 令和8年10月31日 文京区大塚にある豊山派大本山「護国寺」を第7回長州歴史ウオークのスタート候補地として鳳陽会東京支部幹部と訪問しました。私の 最初は伯父さん(元都立高校教員:宮崎から東京師範)の葬儀が20年前に護国寺であり、訪問しました。前回は今年6月に歴史ウオークの下調べ、今回3回目になります。護国寺は5代将軍徳川綱吉が母桂昌院を弔うため創設されました。長州毛利藩士であり、元老であり山県有朋元帥と肥前鍋島藩士で早稲田大学創設者大隈重信公の墓詣でをしました。

 下見の行程最後に「雑司が谷鬼子母神」を参考訪問候補地として訪問しました。そこは、豊島区雑司が谷(武蔵国)にありますが、日蓮宗「威光山法明寺」という寺で、結構な規模があります。私は「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる、東京都台東区入谷(武蔵国)の「真源寺の鬼子母神」しか知らなかったのですが、ここと千葉県市川市の中山法華経寺にある「遠寿院の鬼子母神」も有名だそうです。そこも訪問したことがあります。江戸三大鬼子母神と言います。ただ中山法華経寺にある「遠寿院の鬼子母神」は、下総国です。

 雑司が谷鬼子母神の樹齢400年を越すと言われる欅並木の参道は、立派です。

 参考までに豊島区南池袋にある「雑司が谷霊園」には、夏目漱石や永井荷風、小泉八雲、泉鏡花、竹久夢二、らの文人や芸術家達の墓が多くあります。

以上 学29 YK

令和8年度山口七夕会年次総会&懇親会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年11月 トピックス】



◆令和8年度 山口七夕会年次総会が快晴の10月31日(土)10時30分~飯田橋のインテリジェントロビー・ルコであり、昨年に続き5回目の出席となりました。(2022年5月末入会)

◆総会第一部は議長役の藤井謙志会長代行の挨拶で始まり、令和7年度事業報告、令和8年度事業計画の議事進行、会長・評議員・監査役の選任があり、本部役員・ふるさと山口本部役員紹介がありました。
秋草会長逝去に伴い、新たに大下元氏が会長に選任されました。
早稲田大学法学部を卒業後、日本鋼管に1982年に入社され、JFEエンジニアリングの社長を歴任されたようです。
第二部は山口市役所が担当され、伊藤和貴山口市長のご挨拶及び入伊藤斉市議会議長のご祝辞がありました。
山崎直和山口県東京事務所長の祝辞と続きました。
その後、山口七夕ふるさと大使の任命がありました。
(私が七夕会等でよくお話しているお二人が任命され、嬉しいです。)

◆休憩を挟んで、日本航空木村機長の「旅客機のパイロットに必要なもの」題する講演会がありました。
質疑応答が活発でした。

◆関 周幹事長の司会進行で昼食懇親会に移りました。
今回も同じテーブル(8名)はFacebookで友達になっていただいている某国会議員の秘書の方で、実家が山口市下竪小路出身で、学生生活は仙台で過ごされ、一昨年、昨年と盛り上がりマークしていた農林省出身のN氏(同年齢)と再会することが出来ました。
私はこれまで国会議員の方の配慮かと思っていましたが、山口七夕会十数年の会員で、プライベートな出席と判明しました。
山口七夕会ふるさと大使のO氏を交え政治談義に花を咲かせ、N氏からは酔った勢いもあり、数々の裏話も聞け、大満足でした。
後半、山口七夕会前々本部長の椙山俊哉氏が上京されていて、4年ぶりに再会し、握手をして頂きました。
現在は山口市議会議員(2期目)として活躍されています。

山口市ふるさと納税のご案内等、大変な盛り上がりの中、14時30分、山口市総合政策部岡村萬利雄部長による中締めとなりました。

◆山口市幹部職員を含めて、多くの会員の方が出席され、山口クイズ等盛り沢山の趣向を凝らした企画の数々に首都圏から山口市を応援する弾みになりそうです。
私は大学時代に5年間在籍しただけの山口市ですが、山口七夕会に入会させて頂き、一会員としてこうして交流会やイベントに出させて貰うだけでも誇りに感じ嬉しいです。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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三人の財界巨人 その26 久原房之介⑬

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年11月 トピックス】

◆自慢の邸宅

富豪たちは豪邸を建てる。久原房之介も大阪、神戸、東京などに邸宅を建て、拡張した業務に応じて居所を変えている。

◆神戸・住吉

神戸の「久原住吉本邸」は明治41年に竣工、昭和3年頃まで住んでいたという。


神戸の住吉地区は富豪が多く住んだ。

果樹園、病院のほか発電所も建てられ、家族の幼子たちのために敷地にレールを敷いて小さな本物の蒸気機関車を走らせた。また、鉱山の技術を生かしてトンネルを掘り、川の上流の涼風が自宅に入り込むような工夫もしている。

◆東京・白金

しかし、永く住んだのは東京の白金だ。

昭和3年以降、房之介は閣僚となったことから国会関係の仕事が増え、神戸から東京に拠点を移し、白金で寝泊まりすることになったからだ。

白金の土地は事業が好調だった大正4(1915)年に購入している。

もともと、この地は旗本で、「天下のご意見番」大久保彦左衛門の屋敷だったが、島津藩の抱え屋敷となり、明治の初めには渋沢栄一の従兄で、一時は彰義隊の頭取にもなった渋沢喜作(成一郎)の手に渡ったところだ。

購入を決めたきっかけは一本の松の木だったという。

房之介はこの松に惚れ込み、即刻購入している。

購入後、全国から名木や名石を集めて庭園の拡張・整備を行い、四方八方、どこから見ても美しい庭園として、自ら「八芳園」と命名した。

房之介は95歳で没するが、息を引き取ったのもこの地、白金だ。

庭園の一部は、料亭として活用されており、令和4(2022)年には米国バイデン大統領と岸田首相の会食会場として使われた。

(学23期kz)

旧久原邸(神戸市住吉川東岸)
八芳園
八芳園 「壺中庵」

他校に学ぶ・・・小樽商大の「緑輝星」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

(事務局記)

◆毎年秋には日本寮歌祭が日暮里のホテルで開催されている。

今年は11月29日(日)に開催。

午前中から始まり、昼食をはさんで午後の3時過ぎまでの長丁場だ。

北の北大からスタートし、各校の校歌・寮歌を登壇し、肩を組んで歌う。

2校目に歌うのが旧小樽高商だ。

♪「琅玕融くる緑丘の 春曙を逍遥えば 浪漫の靄に街沈み 風悠久の言葉あり・・・」

小樽高商の「若人逍遥の歌」だ。

◆我々鳳陽会は小樽商大や長崎大・経済とは旧高商つながりで、年に数回、意見交換をし、杯を傾ける。

その繋がりで、寮歌祭では、小樽商大や長崎大の番になると、一緒に登壇し、歌う。

小樽商大は北海道で経済の分野では北大・経済と覇を競っており、我々総合大学では経済学部を率いるのは経済学部長であるが、単科大学の小樽商大では「学長」となる。

◆先生と、学生と、同窓生

先生、学生、同窓生が一丸になって活動している大学は強い。

こうした一体型の活動を展開している学校は無きにしもあらずで、私立大学に多い。

しかし旧国立大学で、一丸になって活動しているとことは滅多にお目にかかれない。

大学の中をみると、教職員と学生から成る。

このため先生と生徒は繋がりが強いのは当たり前だ。

次に、我々同窓生と先生はどうか。

学生時代に先生から授業を受けたのは、はるか昔。

先生との関係は我々が卒業し、OB/OGとなった途端、急速に薄れる。

では、三つ目。もう一つの塊である現役学生とOB/OGとはどうか。

この二つの塊を繋ぐパイプはなかなか見当たらない。

これでは学生諸君からOB/OGを頼ってもらうことができず、また我々OB/OGとしても日ごろから社会人の先輩として積み上げた知見を後輩の学生諸君に伝える機会が損なわれている。

もったいない!

現役学生とOB/OG。

何とか両者を有機的に繋ぐことはできないか?

◆小樽商大の「緑輝星」に学ぶ

他校をみるとOB/OGと繫がることを目的とした現役学生の「クラブ活動」組織がある。

その例が小樽商大の「緑輝星」というクラブ活動だ。

テニス部やワンゲル部、マンドリンクラブなどと同様、学校公認の「部活」組織であり、

この部活には他の部活と同様に、顧問の先生が付いている。

◆緑輝星の成り立ち

学生のクラブ組織「緑輝星」の成り立ちをみてみよう。

現学長が副学長当時、「学生と同窓生OB/OGを繋ぐパイプ役としてのサークルがあれば!」というアイデアを出した。

これが発端で、副学長のゼミ生、同窓会支部長との協力を得て「緑輝星」ができたという。

これには大学側や同窓生組織の危機意識が底流にあったという。

その危機意識とは何か。

もともと大学や同窓会組織・「緑丘会」が抱えていた問題として「若手卒業生の同窓会入会数の減少、若手会員不足」があり、学生の同窓会組織への認識を高める必要があるとの危機意識があったという。

これが契機となり、「緑輝星」が2023年1月に発足した。

歴史は古くはなく、数年前のことだ。

◆「緑輝星」の活動

緑輝星は、大学からと同窓会・緑丘の両サイドから支援を受けており、緑輝星は同窓会・緑丘会の「在校生支部」という位置づけになっているという。

緑輝星は自らメンバー募集を含む日常活動や各種イベントを自律的に行っているが、必要な時はその都度、サークル顧問教員や全国のOB/OGネットワークからアドバイスを受けることができる体制もできているようだ。

緑輝星としては、メンバーが卒業し、世代が替わる際に、毎年しっかり活動が引き継がれていくことを最重要目標に置いており、学生サークルではあるが、他サークルとは異なる団体であることをメンバーが理解し、大学、同窓会・緑丘会と一丸となって活動を続けていくことを心掛けているという。

◆学生と同窓生との交流

ホームカミングパーティーは母校・山大でもやっており、山大では大学・鳳陽会の共催になっているようだが、小樽商大では緑輝星が主催する。

こうしたイベントを通じた交流で何が変わるのか。

学生諸君にとっては、現役学生時代からのOB/OGとの触れ合いによって生きた社会勉強ができ、やがて迎える最大のイベントである「就活」について、自分の進むべき道を探り、社会人になるにあたっての心構えが身に付く。

他方、OB/OGの側でも、学生諸君の考えていることや、将来の希望を聞くことで、学生への支援の在り方について具体的な方策が見えてくるという。

また、大学側でも一枚嚙んでくれて、新春の名刺交換会で、優秀な成績、活躍した緑輝星の何名かを招待しており、

このほかにも、学長も交えた緑輝星とOB/OGとの懇親会も年一回行われているという。

大学と学生、そしてOB/OGの同窓生。

この三つ巴一体となって動いている大学は活力があり、強い。

是非とも、見習いたいものだ。

(kz)

緑輝星のメンバー(出所:緑丘会・札幌支部)

ルーツ探し

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆人が生きている中で、自分のルーツについて、ふと知りたくなるタイミングがある。
きっとその多くは自分より先代の永遠の別れに伴うときのようだ。

投稿に使用している“岡山のB”という名についても察しのいい方は「B級グルメの“B”からきているのでは?」

B級グルメは安い・早い・うまいの三拍子が売りだ。

その察しは正解!そのものだ。

(“岡山のB”の文書については、安い(易い)、早い(時に旬な話題?)文書はうまくはなく、三つ目
は(拙い…)の揃いだ)


◆現役時代、会社のある会合で、当時担当していた物流業務について次のような案内、いや宣言をした。

岡山から供給されるサービスについて、“B級グルメの聖地”(蒜山焼きぞば、カキオコ、ホルモンうど

ん)といわれる岡山から“A級のサービス”をお届けします!”と宣言した。
ウケる人にはウケた(笑)

◆以前トピックスの投稿にも引用した“チコちゃんに叱られる”という番組の中で「B級はそもそも何?」

というテーマがあった。
番組で取り扱われたそもそもの「B級」、その中に将に「岡山の“B”」のルーツ探しだ。


答えは「二本立ての映画の前座のものをB級作品と呼び、それを指す」という。


1900年代初頭の米国には既に年間8000万人の観客を呼び込むことができていた。
しかし、経済学の授業で必ず一度は出てくる“1929年10月24日の暗黒の木曜日(ブラックサーズデー)”・・・

(そこから何回もの形容詞がつく曜日となる:10月28日に「暗黒の月曜日(ブラック・マンデー)」、

10月29日に「悲劇の火曜日(ブラック・チューズデー)」、これらが連鎖して世界恐慌へと発展していく。 

「悲劇の火曜日」を境に大不況となる。

年間観客動員数は5000万人も割る数になった。


起死回生を狙った映画の製作会社は、二本立ての映画鑑賞を準備する。制作費用を多くかけ、製作日数も

しっかりかけた本命の作を「A級作品」と言い、ホラー、スピーディーな「B級作品」は、その逆張りだ。

先の安い・早い・(経営的に)うまいの三拍子となる。

その効あって、再び8000万の観客を呼び戻すことができたという。
勇気づけられる話だ。
これからも拙い文書を徒然なるままに綴っていくとすると、その綴る意欲がふつふつと静かに湧き上がる

ルーツ探しの話だった。

久しぶりの銀座

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

◆10月27日(火)の東京、朝方は小雨でしたが、その後は薄曇りの比較的穏やかな天気でした。
こうした中、朝から東京品川病院で内分泌糖尿病内科の経過観察の日でしたが、午後から松屋銀座地下一階銀座スイートに行って来ました。

◆昨年5月に広尾での野村慶太郎さんホスト役の「思いつき昼飲み会」(既報)で知り合った岡田依里さん経営の小豆島の「島の四季梱包」さんが、10月21日(水)から27日(火)まで期間限定でポップアップされているとのことで、最終日の午後に銀座散策を兼ねて覗いてみました。
今回は写真の瀬戸内ポルボロンを購入させて頂きました。
若い頃に壺井栄原作の「二十四の瞳」を読んだ微かな記憶はありますが、小豆島には一度も行ったことがありません。

◆岡田 依里さんは元騎手の方で、学生時代に北海道新冠の牧場で住み込みのバイトをされ、馬術で広島国体準優勝等をされ、ダービー馬のメリーナイスやオグリキャップと写真を撮られたこともあるとか。
学生時代から競馬好きだった私には堪りません。
そういえば、永倉ゼミのコンパで競馬実況中継の余興をし、先生から、「Y君は競馬の馬券が買えるとはお金持ちなんですね。」と言われたのを思い出しました。(汗)
お客様対応で忙しい中、しばし、諸々近況報告と情報交換をし、帰途に就きました。
(学22期Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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第9回 カフェ・ド・ちゃぁみぃ 吉安健太郎 絵画展

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】


◆10月23日(金)、大井町から、りんかい線で新宿迄行き、西武新宿線に乗り換えて、狭山市駅に着き、中央4丁目迄バスで辿り着きました。
昨年の10月19(日)以来、4回目の参加となりました。
片道2時間半、往復5時間の旅でした。
私は狭山の街は好きですが、新宿の雑踏は田舎者ゆえ、好きにはなれません。
ここ1年3ヶ月は体調を崩し、全く働いていません。
メンタルも何とかしなければと思い、発奮し、遠出となりました。

◆吉安健太郎さんは元力士(力士歴3年半)の画家の方で、私が大ファンだった北の湖さんと同じ昭和28年生まれです。
日本相撲協会退職後は警視庁に42年間勤務されました。

◆残り2日の土日は来場者で混むと思い、平日の訪問としました。
絵画は事前にFacebookで紹介されたものを観ていますので、簡単な説明をして頂き、先ずは、秋場所の総括をしました。
私からは死に体とか、かばい手が審判団の親方によって見解が異なるのではないか。
審判部は研修会とかやっているのだろうか。
又、物言いの付いた一番はハイテク時代、ビデオ室の一人の親方の見解を参考にするとはいえ、恣意性があるので、難解で長引く物言いには急遽、土俵上に機器を持ち込んで5人の審判で決められないか。

次にお互いの近況報告でした。
特にこの1年の私の近況報告に多くの時間を割いて聞いて頂きました。
2時間滞在し、16時に帰途に就きました。
絵画の入った2027年の卓上カレンダーが便利で楽しみです。
何とか年を越したいです。

◆帰りも西武新宿線で、新宿経由で帰りましたが、新宿の街は若者の凄い人出で、私のような老人は皆無でした。

追記)
吉安さんはバイク搭乗が趣味のようですが、私はオートレース観戦が趣味です。
(川口オートの観戦歴は100回以上、山陽オート7回、船橋オート6回、伊勢崎オート1回)
今回も話題にするのをすっかり忘れていました。

これ迄に訪れた美術館)
ひろしま美術館
広島現代美術館
大原美術館
足立美術館(島根県)
MOA美術館(熱海)
横浜美術館
東京国立博物館
東京都美術館
西洋美術館
上野の森美術館
アートセンターBUG
(リクルート)
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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三人の財界巨人 その25 久原房之介⑫

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

◆寄付

事業で成功した久原房之介は、進んで寄付をしている。

寄付先は出身地の須佐や萩を中心とした学校関係が多かったが、これは母に促されてのもののようだ。

また、政治家からも寄付の要請を受け、これに応じている。

久原は同郷の寺内正毅(18代総理、大正5年)、田中義一(26代総理、昭和2年)のほか、日本に亡命していた孫文に対しても資金支援をしている。

孫文が唱えていた大アジア主義、すなわちアジアはひとつになって欧米列強に伍して行くべしとする主張に共鳴し、支援をしたのだ。

政治家への寄付が重なっていけば、おのずと自らも政治の世界との繋がりが深まっていく。

また、誰彼ということなく金を配るということで、右翼や左翼、また情報屋と称される輩も久原邸に出入りしていた。

しかし、政治の世界の近くに身を寄せるようになった房之介自身も、政治に纏わる情報を自ら求め、欲しがるようになっていく。

こうした成り行きで、亀川哲也なる右翼の浪人を匿うことになった。房之介が亀川に資金を与え、それが二二六事件の資金源になったのではないかとの嫌疑が掛けられ、起訴されたこともあった(東京地裁で無罪にはなったが・・・)。

◆政界へ

大正5年、母・文子が逝去する。

母の死去は房之介にとって、事業意欲にかかわるほど大きなものだったという。

さらにその翌年、49歳の時には本人が腸チフスにかかり、20日ほどの隔離生活をしたが、これも事業経営から身を遠ざける一つの転機となったようで、昭和の初めから政治の世界に入っていった。

政治の世界でも、事業の世界と同様、長州閥が助けとなった。

同郷の田中義一と親しかったことから田中内閣で逓信大臣になったのが昭和3(1928)年だ。

田中義一は軍の長州藩の親玉・山縣有朋の腹心であり、明治40(1907)年には、山縣が音頭を取って日ロ戦争後の国防の在り方を決めた「帝国国防方針」で、田中は何と「中佐時代」に陸軍のパーツの執筆を任されるほど、山縣は田中を買っていた。

また、房之介は田中義一の大口寄付者でもあり、こうした長州のつながり・長州人脈から、政治の世界に身を染めていった。

これまでの事業の方はどうしたのか。

事業は妻の兄、すなわち11歳も年下ながら義兄にあたる鮎川義介に委ねることにした。

◆久原がスターリンに語った非武装地帯構想

久原房之介が田中義一内閣で逓信大臣を任されたのが昭和3(1928)年。

その前年の昭和2年、房之介は田中義一総理の依頼を受け、経済使節団団長としてソ連とドイツを訪問している。

そこで、久原はスターリンに会うという離れ業をやった。

スターリンは時すでに大物であった。政界での経歴が浅い房之介がとても会える相手ではない。

しかし、房之介は何としてもスターリンと会い、己が描く地域平和構想をスターリンに説きたかった。

そこでどうしたのか。

スターリンと同郷でスターリンを補佐する立場であったミコヤンを口説き落とし、スターリンとの面会に漕ぎつけることができ、久原はスターリンを前に、持論の「緩衝地帯構想」を説いて見せた。

緩衝地帯構想とは火薬庫のような北東アジアに和平をもたらすことを意図した構想だ。

具体的には朝鮮、満州、シベリア東部を「ひとかたまり」として新たな国(地域)を作り日・中・露の緩衝帯とし、緊張を緩和しようという構想だ。

もちろんこれには日・中・ソ連の間の理解と協力が要る。

房之介は「スターリンもすこぶる興味を持ち、質問してきた」と後日談を述べている。

この件、鮎川義介も日経の「私の履歴書(第24集、1965年)」で、「田中義一が総理のころ、久原はスターリン、張作霖と手を握り合って、スターリンはシベリアを、張は満州を、日本は朝鮮を出し合い、そこに無軍備、無関税の一緩衝国を作りあげ東洋の恒久平和を図るという久原らしい構想を持って帰ってきた」と記している。

・・・しかし、残念ながら、この構想が陽の目を見ることはなかった。

覇権争い、策略、謀略が渦巻く流動的な北東アジアの国際政治の中で、こうした構想は望ましいユートピアではあっても、とても実現に向けた力学が作用する余地は無かったのだろう。

しかし、房之介はこうしたユートピア的な和平理念を温め続けている。

時が経ち、公職追放を経て、その後追放解除後も、日中・日ソ国交回復などに努め、衆議院議員時代だった昭和30(1955)年には日中・日ソ国交回復国民会議の団長として、北京で毛沢東、周恩来と会っている。

この時、毛沢東にも非武装緩衝地帯設立構想を披露し、自説を熱く語ったのではないか。

◆政界では大政翼賛会総務、立憲政友会総裁となり、権謀術数に長け「政界の黒幕、フィクサー」とも呼ばれたこともあった。

萩に生まれ、萩の教育機関を中心に多額の寄付を行った久原房之介。

昭和36(1961)年、萩市名誉市民第1号となった。

(学23期kz)

毛沢東(中央)と周恩来(左端)に囲まれた久原房之介(左から2人目)

縮む田舎の氏子数、どっこい生き続ける田舎・・・

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年10月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

規模の大小、そして組織体そのものの違いはあっても、その”底流に流れるこころは同じもの、ありにしかや”?と思い、田舎の氏神さまの祭祀について記す。

◆縮む田舎の氏子数、どっこい生き続ける田舎…

自分が住む地元には、住人の信仰を集めている荒神社という神社がある。2000年頃の氏子戸数は50戸余り。ほぼその地域にある全戸が氏子であった。2026年本年は25戸、ほぼ半減した。

これは住民票に登録されている戸数がそのまま減ったと言う意味ではない。神社の氏子としての脱会が発生し、今に至ると言うことだ。

また、近隣には住宅地が開発され、戸数は150戸ほどになる。しかし、新規に住民になった家の神社への氏子加入はほぼない。

(氏子役員の中でも積極的加入の動きが追い付かず、加入申請を待つと言う“待ちの姿勢”だったかもしれない)


◆荒神宮は、部落で祀るものは生活全般を守護する神として山麓に祀られることが多い、その部類だ。毎年のお米の収穫に感謝し、また各戸の弥栄の繁栄と健康などを祈ったものだったのであろう。

地元の荒神社の起こりは1850年代(黒船来航)までさかのぼる。何故そのことが分かるのか?祭事に使われている太鼓、その革が劣化してきたため太鼓の革の張替を数年前に実施 した。
その太鼓の内側にその当時の年号「嘉永」という年号は墨書きされていたからだ。村の言い伝えでは、飢饉のとき、疫病蔓延ととき、その沈静化も願って集まり、そのご利益があった神社だという。

今でも氏子、近隣を散歩される方からは朝夕のお参り、お宮参り、正月の初詣等々、機会あるごとに厚い信仰を集めている。村にとっては将に自分が住んでいる地域、土地、住民を守ってくださる神様となる。


◆仕事の関係で代々の相続関係の事例を担当したことがある。嘗ての 大まかな流れでいうと50代ぐらいで先代の財産を相続する。

人生70年が「古稀」と称されていたことからも分かるよう、75歳を前後にその財産管理においては、“次世代に引き継ぐ”時代であった。悲しいかな、現在の健康寿命の年代と重なり合う。(2022年統計によると72.57歳)

以前の氏子数だと50軒、4軒が交代で当屋と言って、その年の祭りの準備をする。

昔風に言えば、戸主となる期間は約25年、各家々を守って、凡そ12年周期の当屋を2回担当すると次の世代に引き継ぐといった流れであった。

今は違う。凡そ6年に一回は回ってくるので、嘗ての25年を世帯主期間としても最低でも4回。 

自分は今回が3回目の当屋となった。  若くして世帯主、そして運よく長命であった場合は8回9回と当屋を担当することとなる。ある意味、後者のケースは当屋の役割を果たせる、担えることが 一つの幸せ指数ともなりうる。


お祭りの前日には早朝6時集合で、神社の掃除をすることになっている。あくまで申し合わせの6時だ。そんな時間にのこのこ出かけるようであれば、掃除は完全に終わっていることが多い。

所謂、日が昇る時には作業が始まり、6時過ぎには挨拶をし、それぞれの家路に向かい、その日の仕事の準備に取り掛かる段取りの時間だ。地元では地域の名前を冠につけ「地元時間」と言われていて、注意が必要だ。

◆これらを税負担の考え方に置き換えて考えてみよう。

税負担の考え方には「応益原則(おうえきげんそく)」と「応能原則(おうえきげんそく)」という2つの代表的な基本理念がある。

・清掃時間は後者の方だ。負担が出来る人は身の丈相応の負担を厭わないということだ。

・氏子の会費は年1500円。ここ何十年も変更がない。
税金の負担を考える際、次の2つの公平性が言われる。

①水平的公平: みんな均等「同じ経済力(所得)の人は、同じだけの税金を負担すべき」

②垂直的公平: 「経済力が違う(高い)人は、それに応じて異なる(高い)税金を負担すべき」の考え方。

会費については①みんな均等なのだ。掃除の地元時間は②に該当しそうだ。

そして、祭りの荒神社へのお供えというものについてはまた②の考えに基づき、それぞれが懐の許す中で、新米をはじめ、農作物、果物、飲料等をお供えする。

ちょっと生意気な言い方をすると「ノブレス・オブリージュ」(フランス語: noblesse oblige):高貴なる者の義務。
最低限の事をすればいいと言うより、自ら進んで出来ることは骨身を惜しまずやってみる。そして、それが務めとなる。(矜持かも)ましてや、フリーライダーと言うような考えは持つ者はいない。

祭司への参加者数は減少しているが、時間の許す限り、地域の事、今年のお米の豊穣等の話で盛り上がる。
嘗ては、白幕を張って、子供の為に映画なども催していた。地域に根付いた、住民挙げての祭りであったことだろう。

◆祭事が終わった後の直会(会食)の経費についても少し緩めに構えてしまうと会費以上、3倍以上の支出をしてしまっている年も帳簿の上にはある。

過去は過去とし、・・・。
今年の当屋担当者の間では、今後の運営に当たって、どこかでほぼ会費の中で廻しうる年を敢えて演出する必要性があろうと言う意見になった。では、どうするか?

座して待っているだけでは、過去の慣例と言う大きな流れに流されてしまう。ならば、「入りを計って、出るを制しよう。」

収入に見合うお供え、接待用の飲み物、おつまみの検討、”予算枠内作戦”で出来るものはないか?

飲み物を冷やすのに、氷の購入はいるか?

お賽銭の預け入れに金融機関への多額の手数料はいるか?

お供えで戴けるものは予め情報収集できるものはしておいて、それをお下がりとして利用し、外部支出を大幅に減らせないか?

物品の購入に当たっては、少し街を歩いて、安いところで必要とする品質のものを確保する足で稼ぐことはできないか?

(氷は当屋の自宅の冷蔵庫で、そして凍結ペットボトルも利用。お賽銭の小銭は当屋で予め札に交換し、”小銭持ち”になって貰い、50枚以下の小銭の預け入れにして交換手数料を発生させない等。 

こんな積み重ねでも15%位は経費を抑制できる)


何例か上げたが、そのような視点で当屋の役割を見直すとほぼ予算内でやり切れるのではないかと・・・

考える、計画する、行動する(動く)、出来れば見栄えは落とさないようにして、実利はしっかり取りに行く。

手間は惜しまない。全てがやり切れたとまでは言わないが、ほぼ当初の計画通り、皆さんの会費の中で運営することができた。

ひょっとすると、何か、そして、何処かに、大小を問わず組織運営に生かせるちょっとした流儀がありそうだ。