山口大学ワンダーフォーゲル部

      山口大学ワンダーフォーゲル部

1970年代の春、私は山口大学経済学部に入学した。

さて、どのサークル(部活)に入ろうか。思案した。

私は中学・高校時代、剣道部だった。山大には剣道部がある。

父と兄(いずれも剣道有段者)からは剣道部に入るよう勧められた。

 だが、私は太陽の光を浴びて、爽やかな汗をかきたかった。

ワンダーフォーゲル部に入部した。

         ◇鳳翩(ほうべん)山

 山大ワンゲルの訓練は厳しかった。

リュックに20キロの砂袋を詰め、担いで鳳翩山に登る。

20キロは重い。ひとりで立ち上がることはできない。

仲間に背中を支えてもらい、「よいしょ」と声をかけて立ち上がる。

 部員とともに鳳翩山で訓練中、私は疲労でふらふらになった。

険しい登山道を踏み外し、リュックを背負ったまま、崖を転げ落ちた。

 崖下で止まった。自分で足と手を点検する。骨は折れていない。

私はリュックから砂袋を取り出し、空(から)にして崖をよじ登った。

 ようやく、登山道に戻った。新入部員たちは心配そうな顔をしている。

 だが、先輩は違った。じっと私の様子を見つめる。

「大丈夫か」と、優しい声を期待した私が甘かった。

 先輩はあごで指示する。無言のままだ。

―崖下に置いてきた砂袋をとってこい。

 私は崖を下った。リュックに砂袋を詰め、崖を這い上がった。

          ◇星空のキャンプ

 楽しい思い出もある。

山大ワンゲルには女子部員がいる。夏山合宿や冬山合宿は男女別コースだが、

山口近郊の山で行う1泊2日のキャンプ訓練は合同だ。

 テントを張り、早めに夕食をとる。夜はキャンプファイヤー。

焚き火を囲み、山の歌を歌う。星空を見上げる。

隣に座る女子部員がいった。

「わたし、山でお星さまを見たくて ワンゲルに入ったの」

 青春だったなあ・・・。

         (元山口大学ワンダーフォーゲル部員)

青春のザビエルの塔②

 

           ◇ザビエルの塔炎上

私は山口大学経済学部を卒業した。         

関西、そして首都圏で暮らし、忙しくも充実した日々を過ごしていた。

1990年代、驚くべきニュースが流れた。

―山口のザビエルの塔炎上

えっ、あの青春のザビエルの塔が燃えたのか。

受験で初めて山口を訪れたとき、鮮烈な印象を与えた

白く、美しいザビエルの塔。

天上から降りそそぐ鐘の音・・・。

 火災当時、山口に住んでいた同窓生に話を聞いたことがある。

彼の家は市街地から遠く離れた郊外にあったが、

ザビエルの塔が赤く、燃えているのが見えたという。

 山口は大騒ぎになったそうだ。

          ◇塔 再建

 その後、ザビエルの塔が再建されたという話を聞いた。

永い歳月が流れた。私は海外勤務を終え、帰国。

山口を再訪した。

亀山の丘に登った。確かに聖堂と塔は再建されていた。

 だが、その塔は私の記憶とはまったく違うものだった。

斬新な、現代風な設計というのだろうか・・・。

私は悲しかった。

私は昔の、青春時代のザビエルの塔が好きだ。

      (元山口大学経済学部生)

事務局員交替のお知らせ

        事務局員交替のお知らせ

 令和3年4月、鳳陽会東京支部を5年近く支えてきた

事務局担当者、吉澤義則(22期)が退任しました。

後任の担当者として葛見雅之(23期)が就任しました。

 吉澤は引き続き、副支部長として活動していきます。

 コロナ禍ですが、山口大学経済学部同窓会の絆を大切に

精一杯、運営していきます。

 ご指導、ご支援をお願いします。

              鳳陽会東京支部事務局長

              塩塚 保(23期)

東京支部総会中止のお知らせ

        【鳳陽会東京支部総会中止のお知らせ】

 鳳陽会東京支部は新型コロナウイルス感染防止のため

令和3年度総会を中止します。

 東京支部は例年6月に支部総会を開いてきましたが、

新型コロナ収束が見通せないため、昨年度に続き、

開催を見合わせます。

          【長州歴史ウォーク】

鳳陽会東京支部は令和3年6月5日(土)、東京都・六本木周辺で

長州歴史ウォークを開催しようと企画しています。

 3密を避け、感染リスクを抑えた野外行事です。

 母校(山口大学経済学部)ゆかりの長州を基軸に歴史の現場を

巡ります。企画が具体化したら、改めてお知らせします。

青春のザビエルの塔①

         青春のザビエルの塔①

1970年代の早春、わたしは高校の黒い制服を着て、山口駅に降り立った。

明日、山口大学経済学部の入学試験に臨む。

 改札口を出る。駅前通りに立った。愕然(がくぜん)とした。

人がいない。活気がない・・・。

 ―こんな街で青春の貴重な4年間を過ごしたら、

  時代に取り残される。受験はやめた。浪人しよう。

 その場で、決心した。

         ◇天上から鐘の音

だが、せっかく、九州から列車を乗り継いで山口まで来たのだ。

名所を見物してから、帰郷しよう。

駅前通りをまっすぐ進む。早間田交差点を渡った。

そのときだった。

天上から美しい鐘の音色が降り注いできた。

空を見上げる。

亀山の森。教会の白い塔がすっくとそびえている。

ザビエル記念聖堂の塔だった。

 戦国時代、フランシスコ・ザビエルは山口を訪れ、

布教活動を行った。そのゆかりの教会なのだろう。

 亀山のふもとに山口大学経済学部の校舎が建っていた。

格調高い本館と講堂。いいじゃないか。

しかも、正門前広場ではヘルメットをかぶった学生たちが

政治集会を開いている。

 これなら、時代に取り残されることはないだろう。

―よし、明日、本気で入学試験に臨もう。

 受験の結果、なんとか現役で合格することができた。

        ◇クリスマスの夜 

 ロマンチックなクリスマスの夜。

学生たちのデートコースは亀山のザビエル聖堂だった。

寒い夜。なぜか、経済学部の男子学生と教育学部の女子学生の

カップルが多かった。

 甘い、青春の思い出・・・。

        (元山口大学経済学部生)

深夜食堂「蛇の目寿司」

深夜食堂「蛇の目寿司」

1970年代、山口大学経済学部(亀山校舎)の学生たちは鳳陽寮や

亀山、一の坂川周辺の下宿などで暮らしていた。

 若かった学生時代、深夜になると、腹が減る。

 当時、山口には深夜営業のコンビニや牛丼店はなかった。

  ◇午前零時も営業

 友人と議論(1970年代は熱い時代だった。私たちは政治、文学、

恋愛、そして人生論などをめぐって激しく語り合った)や麻雀で

夜が更けると、だれかが言い出す。

 「腹減ったなあ。蛇の目に行くか」

 「異議なし」

 蛇の目とは山口駅方面の裏通りにある「蛇の目寿司」のことだ。

この店は山口では珍しく、午前零時を過ぎても、営業している。

 ◇大盛りカツ丼

のれんをくぐる。年配のおかみさんがしゃがれた声で「いらっしゃい」という。

私たちは席に座るや、メニューを見ることなく、早速、注文する。

 「カツ丼、お願いします」

 「僕も、カツ丼」

 「私も・・・。」

 学生が寿司を注文することはまず、ない。決まってカツ丼である。

 大盛りのカツ丼が出てくる。

豪快にかっこむ。うまい。完食。満腹。大満足。

  ◇伝説

  カツ丼1杯でおなかいっぱいになった。

だが、経済学部の某先輩がお代わりを注文して2杯、たいらげたという

伝説(私は目撃していない)が語り継がれていた。

寿司屋のカツ丼。

昭和の時代のよき思い出である。

(元山口大学経済学部生)

山口市歴史雑感

はぼ半世紀前に山口市市街地で4年間の学生生活を送った。1年目は山口大神宮近くの学生寮(松風寮)で、2年目からは瑠璃光寺にほど近い上竪小路に下宿した。

今、思えば毛利藩庁跡を中心にそこいら一帯は明治維新に関わる長州藩士が活躍した史跡の宝庫であったが、その当時は歴史の教養に乏しくたとえ史跡に出会っても何の感慨も持たず目の前を通り過ぎるだけであった。

そもそも竪小路自体が古びたしもた屋が立て込んだ何の変哲もない道に過ぎないと思っていたが、下宿の前の通りは高杉晋作や久坂玄瑞も駆け抜けた萩往還の山口側の出入り口であったとは今振り返ってみて己の無知にあきれる。

社会人となって司馬遼太郎を初めとする作家、歴史家の著作やドラマに触れて幕末から明治にかけての劇的な変化の詳細を知ることとなり、今になって十分に時間的余裕のあった学生時代に維新に関係する史跡に関心を持たなかった自分が少し悔やまれる。

特に最近になって知ったのは、戊辰戦争にて使用された官軍の錦の御旗が山口市後河原(正確には水の上町)にあった藩の養蚕所の一室で秘密裏に製作された事実である。

鳥羽伏見の戦いにおいて京の東寺に薩長軍の錦旗がひるがえったことで、幕軍側が戦意を喪失したエピソードは余りに有名であり、映像の中においても官軍が勢いを増す象徴的なシーンとしてよく登場するが、その錦旗が下宿から数分先の一の坂川河畔において秘密裏に製作されたとは全く知らなかった。

ネットで検索すると、現在は現地に「錦の御旗製作所跡」として案内板や板塀が山口市により整備されているそうだが、石碑はかなり以前から設置されていたとのことで学生時代でもこの事実を確認することができたようである。

この錦旗が誕生する経緯は司馬遼太郎の作品「加茂の水」に記されているが、岩倉具視の陰謀に近い企てに主要なプレーヤーとして大久保利通や品川弥二郎が参画したもので、その後の歴史に及ぼした影響は誠に大きく興味深い。

(鳳陽会東京支部 Y生)

    冬山合宿

              冬山合宿  

1970年代の冬、山口大学ワンダーフォーゲル部は冬山合宿を行った。

重いリュックを背負って山口を出発。列車とバスを乗り継いで広島県と島根県の

県境にある山地に到着した。ふもとにテントを張り、寝袋に潜り込んで宿泊した。

 翌早朝、起床。空は青く、晴れ渡っている。

さあ、出発だ。部員6人は意気揚々登っていく。

先頭を行くのはサブリーダーだ。1回生、2回生が続き、最後尾はリーダー。

 冬山合宿のリーダーはN先輩(経済学部3回生)だった。

中腹まで登った。山は雪でおおわれている。登山道が見えない。

頂上の方向を目指し、ひたすら、まっすぐ、登っていった。

          ◇天候急変

 8合目あたりに達した。頂上が見える。あと、ひと息だ。

ところが、突然、空が暗くなった。風が強く、吹く。雪が降る。

猛烈な吹雪となった。リーダーが登山停止を命じた。

 「全員、その場で足踏み」

 吹雪の中、歩みを止めると、身体が冷え切る。動けなくなる。

重いリュックを背負ったまま、足踏みをして体温を維持する。

 1時間ほど経過した。吹雪はますますひどくなる。リーダーが指示した。

 「リュック下ろせ。チーズを出して足踏みしながら食べろ」

部員は非常用食糧としてチーズひと箱をリュックに入れている。

チーズを取り出し、立ったまま、かじる。エネルギー補給だ。

          ◇リーダーの決断

 暫くして、ようやく吹雪が収まった。青空が広がる。頂上が見える。

さあ、登山再開だ。

 ところが、リーダーが下した決断は意外なものだった。

登頂断念。下山。

 ―えっ、天気は回復した。頂上は目前なのに・・・。

 リーダーの決定に従い、私たちは未練を断ち切って下山した。

こうして私たちは全員、無事に猛吹雪の冬山から生還することができた。

 若きリーダーの見事な判断と決断。いま、思い出してもほれぼれする。

(元山口大学ワンダーフォーゲル部員)

ボランティアガイドの効用

        ボランティアガイドの効用

            ◇歴史散策

数年前に会社を定年退職して、膨大な余暇を前に何をやろうかと考えた。

何を始めるにしても条件はお金がかからないこと、地元の仲間ができること、自分の興味に適したこととした。その結果、たどり着いたのが地元の歴史散策ガイドである。

            ◇横浜市都筑区        

現在、住んでいる横浜市都筑区は横浜市の北部に位置し、東京にも近い。都筑区と言っても馴染みのない人が多いだろうが、都筑郡という地名は律令時代から昭和初期まで1200年以上使われたもので、その名前が平成6年の横浜市北部再編に伴う新区名として復活したものである。

都筑区の特徴は計画的に開発したニュータウン地域と農業専用地区が分かれているが、開発から免れた地域や古い街道(大山街道、中原街道など)周辺には神社仏閣、旧家など古俗もかなり残っている。都市計画により、15㎞に渡って車と交差しない緑道が街中を巡っており、安全な散策にも事欠かくことがない。

歴史的にも鎌倉から江戸時代にかけての文書、伝聞が多く残っている。

             ◇コース選定

以上の街の特徴を元に緑道や農専地区、古街道を織り交ぜて3時間程度で歩けるコースを数か所選定して参加者を募る。ガイドするためにはその予習も必要である。おかげで街の歴史には詳しくなった。知らないことや、疑問が湧いてきて夢中になって調べる楽しみもできた。その結果を仲間と議論したり、参加者に披露する場もある。

定年後は地域に戻ることでもあるので、地元に多くの仲間ができたことは喜ばしい。元気な間は少しでも長くボランティアガイドを楽しみたいと思っている。

(山口大学経済学部22期生)

古き、よき酒場「大万」②

        古き、よき酒場「大万」②

        ◇日本一安い(?)フグ鍋

1970年代、山口市道場門前に古き、よき酒場「大万」があった。

連日、学生や市民で、にぎわった。

店の壁には安くて、おいしいメニューがずらりと貼ってある。

おでんの一品、卵、厚揚げ、ちくわ、大根、じゃがいも、こんにゃく、ごぼてん・・・。

一品料理の餃子、玉子焼き、肉野菜炒め、湯豆腐、冷奴、肉じゃが・・・。

 寒い季節に登場するのが、ふく(フグ)鍋だ。

小さな鍋に骨付フグ、豆腐、そして白菜とネギ。

私の記憶が正しければ、580円だったと思う。日本一安いフグ鍋と評判だった。

骨にフグの白身がへばりついており、舌の先ですくいとるようにして食べる。

それでも十分、おいしかった。

 しんしんと冷える夜、友とフグ鍋を囲み、熱い酒を飲む。

 ああ、あの日に戻りたい。

 ◇メニュー順にどんどん注文

ある夜、私は後輩たちを連れて大万ののれんをくぐった。

アルバイトの収入がたっぷりあった。

 「よし、今夜はおれのおごりだ。メニューの端から順番に全部、

注文しよう」

 後輩たちは本当に順番にどんどん注文し、次々にたいらげていく。

だが、若い胃袋にも、限界というものがある。メニューの最後までたどり着くことはできなかった。あの夜の贅沢な宴・・・。今も思い出す。

        ◇消えた酒場

山口大学経済学部を卒業。永い歳月が流れ、山口を再訪した。

―今夜は大万で飲む。と、決めていた。日が暮れて道場門前を訪れた。

だが、古き、よき酒場「大万」は消えていた。隣の映画館「金龍館」(あの、仁義なき戦いを見た)も閉館していた。青春の酒場がない。喪失感・・・。悲しかった。

 いつ、大万は閉店したのだろうか。ご存知の方、教えて下さい。

               (元山口大学経済学部生 S )