普門寺横の同窓

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【11月トピックス】

友人紹介

高校、大学が一緒で、50年以上付き合いがある二人の友人がいる。

ひとりは関東在住、もう一人は九州在住であり、三人一緒に盃を酌み交わすというわけにはいかなくなったが、個別には会い、語り、酒を酌み交わす。

三人とも一通りの遊びをこなし、洋物の音楽を好み、話が合う。

Ⅿ君

高校時代はテニス部(軟式)のキャプテンで、インターハイへの出場経験がある。3人の姉を持つ長男だ。年上の兄姉がいない私からすると、姉3人とは何とも羨ましい。高校時代は多くの友人が彼の家を訪れていたようだが、姉目当ての友人が結構いたらしい。

Facebookでは頻繁に記事を投稿している。

最近の記事ではマラソンで2000キロを達成した記事をアップしている。

昔から映画に詳しく、音楽にも造詣が深かった。また、イチローや大谷などメジャーリーグの動向にも詳しい。

学生時代には棚いっぱいにレコード盤が収集されていた。また本も読んでおり、本棚にはロシアの文豪の作品、日本の作家では三島由紀夫のシリーズが置いてあった。

九州に帰省した時には必ず飲むし、ゴルフをし、自宅にも泊めてもらう。

もともと器用なタチのだろう。ギターを弾き、ピアノもこなし、ドラムも叩く。

姉と弟、二人の子供も音楽好きで、姉は九州で上場企業に勤めながら、夜にはステージでジャズを歌う。

弟君はギターが大好きだ。東京の一人暮らしのアパート住まいであるが、ギターを弾くため、部屋には防音ユニットを持っている。

音楽好きなS君一家。S君の父君の葬儀の際は音楽葬となったという。

下の弟君、親元から離れているため、私の愚息共々会食していたが、この秋めでたく結婚し、私も式に参列した。

◆普門寺横の下宿

Ⅿ君と君は同じ下宿に間借りしていた。下宿の大家の名は国●さん。

そこではよく酒を飲み、先輩仲間の中に入って麻雀もした。

この下宿は亀山近くの白石町にある。上り勾配の強い丘の中腹にある下宿で、横には寺があった。

つい先日、Ⅿ君から下宿の横の寺の名は普門寺、その昔大村益次郎が一時寝泊まりしたところだと教えられた(普門寺の写真は文末。令4年11月6日撮影)。

調べてみると、幕末に大村益次郎が起居したのは普門寺の境内にある観音堂。大村は明倫館で兵学を教える傍ら、この寺で兵学を教える私塾「普門塾」を開いた。四境戦争(第二次長州征伐)の前夜には、各隊の指揮官が集められ、戦術や兵学が叩き込まれたという。

山口にはこうした歴史上の名所・旧跡がいまだにあるが、当時はこういうことすら知らず、もったいないことをした。

◆大村益次郎と木戸孝允との出会い

大村益次郎は木戸孝允に上級藩士として取り立てられ、長州藩の軍事指導者として大いに活躍する。

大河ドラマ「花神」(1977年、昭和52年、原作・司馬遼太郎)では、小伝馬町で処刑され千住・小塚原刑場付近に運ばれた吉田松陰を桂小五郎(木戸孝允)が引き取りに行くが、そこで村田蔵六(大村益次郎)と出会う。

中村梅之助扮する村田蔵六が蘭語を交えた解説をしながら、見事な手さばきで女囚の腑分け(人体解剖)をするが、その姿に桂小五郎が大きな感銘を受け、これを契機に幕末を大きく動かす二人の縁が生まれる。

すなわち、死せる吉田松陰が明治維新の大立者となった二人を出会わせるという筋立てだ。

木戸孝允は吉田松陰の遺体を引き取ったあと、近くの回向院(えこういん)に改葬したことから、回向院には松陰の墓が残る。

第三回長州歴史ウォーク(12月3日、鳳陽会東京支部主催)ではこの回向院も訪ねる。

(学23期 kz)

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厚木毛利氏プロジェクト主催 厚木歴史講座に参加

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【2022年11月トピックス】

全2回の第2回「季光の信仰と飯山」の聴講に品川区から片道1時間50分掛けて、10/23(日)あつぎ市民交流プラザ迄行って来ました。

山口市ファンクラブメンバーでもある主催者のTakahiro Fujiiさんと前回に続き休憩時間にお話する機会がありました。
講師はあつぎ郷土博物館学芸員の飯田好人氏でした。
厚木市山口県人会の協力で質疑応答を含めて2時間でした。
多くの方が参加され、大盛況でした。

講演概要)
・最初に武士の信仰について
殺生を生業としているので堕地獄への潜在的恐怖があったようだ。
当主の死後、居館(一部)を寺院あるいは持仏堂に改修したり、一族の菩提を弔う為に師弟の一人を仏門に入れる等の慣習もあったとか。
・大江氏一族は京都時代より浄土宗を信仰していて、広元は病平癒・極楽往生を願い臨終出家している。
四男の季光は主君実朝の死に殉じ出家している。(出家といっても家督を保持し世俗活動を継続)
・季光は天台宗の重鎮でありながら浄土宗に改宗し流罪となった隆寛を飯山で匿っている。
・季光は宝治合戦に敗れ、鎌倉法華堂にて三浦一族と共に45歳の時に一族郎党約500人と自害している。
しかし、三浦氏の乱に巻き込まれなかったのが越後庄と安芸吉田庄の地頭として関東を離れていた季光の四男経光で、血筋は絶えることはなかった。

以前から厚木のお土産は何だろうと思っていましたが、ネットで検索し、今回、早目に着いて厚木のお土産に雅藤(ガトウ)の看板商品のスイスロールノアを購入しました。(1個185円税込み)
小田急本厚木駅から徒歩10分の距離にありましたが、その後、道に迷い焦る場面もありました。

帰りには本厚木駅の電車の到着音に「いきものがかり」のメロディが流れているということで、聴いてきました。
(学22期 Y・Y)

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山口での思い出(食事編)

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【2022年11月トピックス】

学生時代の友人と会うと昔話に花が咲きます。
共通の友人の動静の情報交換の後は食事の話になります。

入学した頃は平川地区に下宿していて、講義に出た時は学食で食べました。
ただ、私は大勢の学生や教職員のいる学食は落ち着かず、大学通りにある「長門館」や平川郵便局近くのこじんまりした食事処に行ったものです。(長門館は最近解体されたとか)
湯田温泉駅前にあった食事の店にも行った記憶がありますが、店名は思い出せません。
湯田はお好み焼屋にも行きました。

平川から自転車で中心街に出た時や下宿が山口に移ってからは中市にあったご年配のご婦人がお客対応をされていた「鳩食堂」や白石町にあった「万両」をよく利用しました。
亀山の経済学部食堂は安くてリーズナブルで小皿を沢山取っても500円あれば、たらふく食べれ、お釣りがありました。
国道9号線から少し入った中年のご夫婦でされているとんちゃん(ホルモン)の店にも夕食によく行きました。
当時、ビリヤードをした後の楽しみでした。
繁華街の「蓬来閣」は地域が一緒の私の知り合いのおばさんが働いておられて、ここの中華丼は絶品で私の最後の晩餐の一候補ですが、店は既になくなっているようで、ネット検索してもありません。💧
深夜には「蛇の目寿司」には行きました。
凄いボリュームのカツ丼が学生の間では人気でした。

アルコールは苦手で当時は殆んど飲みませんでしたが、親友に酒飲みがいて、道場門前の「大萬」に付き合いました。
一度、焼酎を飲み意識が無くなって、気がついたら日赤病院近くをさ迷っていました。
今でもご主人と奥様のお顔は鮮明に思い出せます。
日赤病院前の定食の「寿ゑ吉」にもよく行ったのを思い出しました。

そういえば、受験の際の宿泊旅館が後河原の惣野旅館で、入った文化会サークルの歓迎会も惣野旅館でしたが、飲み過ぎて、泣き上戸なのが判り、先輩に介抱して頂き、迷惑を掛けました。

50年の月日が経ち、繁盛していても後継者の方がおられなければ、殆んどの店は無くなっているのではと想像しています。

写真1枚目は白石の「万両」、ネット検索するとヒットしますので、健在のようです。
面影がないので建て替えられたようです。
写真2枚目は万両の現在の看板、山口市ファンクラブの湊 和久様に提供頂きましたが、昼時は山口市職員や中国電力社員でいっぱいとなり、大将と奥様もとても元気とのことです。
写真3枚目は後河原の惣野旅館。

(学22期 Y・Y)

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竪小路「まちなみアート」訪問記

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【2022年11月トピックス】

一の坂川・竪小路界隈の地域主導の町おこしイベント「アートふる山口」が開催されたのが1996年。秋の風物詩として23年間開催されてきたが、コロナもあり2019年は中断された。

しかし、その種は残り、昨年に続き11月4日(金)から6日(日)にかけて「竪小路・まちなみアート」が開催された。

会場は八坂神社までの萩往還・竪小路。最近では八坂神社のはす向かいに古民家を改装した欧風レストランができている。現地で経験を積んだシェフが店を開いており、なかなかおいしく評判が高いという。

八坂神社の境内横の公園は小さなコンサート会場に早変わり。爽やかな秋空の下、アコースティックギターの澄んで乾いた音色で、昔よく口ずさんだ曲目が奏でられた。

コンサートの終わり頃には一時的に小雨が舞ったが、雨上がりの後には虹が立ったのが愉快だった。

竪小路に点在する店は各流派の生け花アートの展示会場となり、また、ある店は画家・加藤照氏の作品が置かれた小さなにわか美術館に。加藤照さんが好む独特の青が支配する絵が、竪小路のシックな小店とよく調和していた。

懐かしの道場門前、米屋町の通りまで足を伸ばす。

ひと頃に比べてシャッターの下りた店がかなり減っており、新しい小ぎれいな店が増えていることに軽く驚く。これには行政の開業補助金制度も貢献しているらしい。

また、最近は街の周辺部に10階ほどのマンションが建ち始めており、井筒屋のすぐ近くも、来年3月に建つ18階建ての高層マンションの建設予定地になっていた。

◆「よそ者」の活躍

このまちなみアート、企画した中心人物が山大経済で筆者と同級生K君で、地元のイベントの大物になっている感がある。この手のイベントには欠かせない人物になっている。

また、君の相棒で東京在住の君は東京から力強い支援を行っている。同郷の画家の加藤照さんをイベントに引っ張り込んだ。また、イメージキャラクターとして女優さんを東京から呼んでいる。

九州F県出身で山口在住のK君、九州K県出身で関東在住のS君、画家の加藤照氏、そしてわたし。

竪小路のイベントは「よそ者」が活躍していた。

学生時代を過ごしたところは懐かしい。思い出のかけらがあちこちに散らばっている。

山口はいわばもうひとつの故郷。

気に入った別荘を愛する感覚に似て、ある程度の時間と資金を気軽に注ぎ込み、応援することを楽しむ気楽さがある。

(学23期kz)

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豊響引退山科襲名披露大相撲

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【2022年11月トピックス】

山口七夕会の前本部長で山口市ファンクラブ管理者である椙山 俊哉様より、後輩の方が豊真将の立田川親方と親交があるということで、下関出身の豊響関の掲記情報について頂きました。

最高位は東前頭2枚目で、通算97場所を務め、「平成の猛牛」と言われた豊響関は高校時代に勧誘に来られた境川親方に、お母様が「親方にお世話になったら」と声をかけたら、「だったらおまえが行けよ」と言い、親方が親に向かってのぞんざいな言い方に激怒して、こちらから御免だと帰られ破談となったエピソードは有名です。

私自身、横綱朝青龍の不祥事後の復帰場所初日に当日券を求めて早朝の3時過ぎに国技館に一番乗りで並び、テレビ局、新聞社の報道各社の取材を受けた際に2番目に並ばれた境川部屋後援会の豊響関命の埼玉在住の方と相撲談義をしたことが忘れられません。

元両国の境川親方は協会の理事の要職にありますが、弟子を育てる実績が半端なく、伊勢ケ浜親方と双璧で敬服しています。
境川部屋では元大関豪栄道、妙義龍、佐田の海等多数の関取を輩出しています。
最近では私は幕内に昇進した平戸海を応援しています。

豊響関の引退披露には私もチケットを購入し、豊響、境川親方、立田川親方他多数の関係者の方とのツーショトを撮って来ます。
相撲仲間とも再会出来そうで、来年の1月29日(日)が待ち遠しいです。

https://toyohibiki.com/

(学22期 Y・Y)

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米谷教授が叙勲

米谷雅之(こめたにまさゆき)・山口大学名誉教授(マーケティング論)が3日付の秋の叙勲で、瑞宝中綬章を受賞されましたのでお知らせします。

米谷(こめたに)名誉教授は1941年福岡生まれ。1964年山口大学経済学部卒(学12期)。2004年度まで山口大学教授を務められました。

思い出のワンゲル②【番外編】

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【2022年11月トピックス】

【番外編】

夏合宿(北アルプス・南アルプス)

夕方6時就寝(まだ陽が高い)、早朝2時起床(満天の星空)、4時出発。これが夏合宿のサイクルです。一年生の「起床!」の声に飛び起き、ご飯を炊いての朝食、片付け、テント撤収、パッキング(リュックに荷詰め)を、懐中電灯の明かりだけを頼りに二時間でやるのは大変でした。最初もたもたしていた一年生も合宿後半には見違えるように早くなり、心なしか顔つきも引き締まってきたものです。ある合宿での寝ながらの会話。「下界じゃ俺たち今頃何やってたっけ?」「ん-、万両に並んでますね」

エピソード(魔の高野豆腐事件)

合宿初日、すき焼きを食べていた一年生が「今日は高野豆腐も入ってるんだ」と感激。リーダーと食料係(エッセン長)は「んー?そんなもの入れとらんぞ」。一年生が「でも、ほらー」と持ち上げたのは、たっぷりすき焼きの汁を吸った食器洗用スポンジでした。暗い中、懐中電灯だけで食事を作ると、ままこのようなことが起きました。

3秒ルール

山での食事はテーブルもないので、ご飯をひっくり返したり、食べ物を落としたりすることがよくありましたが、そんな時3秒以内に拾えば何もなかったことにする(自分で思い込む)ルール。その場合、周りの者は皆顔を背けて見ないようにするのがマナーとされた。社会人になった後も、床に落としたものを拾って食べようとする癖がなかなか抜けませんでした。

用語

ワンダーフォーゲルはドイツ発祥なので、食料をエッセン、女性部員をメッチェンと呼びます。そこから派生して、男の部員をオッチェンと呼んだりしました。また山に登る人達の隠語もよく使います。他大学のワンゲル出身者と話すと、使われていない言葉が多く、驚かされました。

【元ワンゲル部員A】

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思い出のワンゲル①【合宿編】

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【11月トピックス】

 炎天下の登山道を一歩一歩喘ぎながら稜線をめざしてひたすら登る。合宿初日、荷物は食料など一番重たい状態で30キロは優に超えているだろう。山大ワンゲルは皆平等な重さの荷を担いで合宿に臨むが、体力の劣る下級生にとって苦しみは大きい。パーティーは一番体力の無い(その日調子の悪い)者のペースに合わせて進んでゆく。他の者はペースが遅いので少しゆとりも出るが、調子を崩した者にとっては、限界ぎりぎりの苦しみが続くことになる。皆誰が一番先に体調を崩すか、疑心暗鬼の中で探り合いを続ける。そして調子の悪そうな者が次第にはっきりしてくると、俺ではなかったと心からホッとする。だがそんな顔はおくびにも出さない。

 サブリーダー(サブリー)はパーティーの先頭に立ち、後ろのペースに気を配りながら、ルートファインディングに忙しい。ちょっとした木の折れ具合、人工的な枝の切り口、小さな枝につけられたテープ、石にペンキで塗られた印など、決して見逃してはならない。国土地理院発行の5万分の1の地図とコンパスを時折取り出し、方向は合っているか、地形は合っているか、確認しながら進む。体力の無い下級生は疲れから頭を垂れがちだが、サブリーはそうはいかない。常に顔を上げて進む。体力的に強く余裕がないと務まらない。

 パーティーリーダー(パーリー)は、パーティーの最後尾で皆の様子を見ながら進む。

道を間違えていないか、メンバーの体調はどうか、要はパーティーメンバー(パーメン)の安全と健康全てに責任を持つ。休憩の時に、調子の悪そうな者を指名してポリタンクの水を

出させる。皆で回し飲みして空っぽにすることで、荷物を軽くさせるためだ。これは夕食の食材を出させる時も一緒だ。気象状況により、明日行動するか沈(その場にとどまること)するかの判断もむつかしいし、天気の急変やメンバーのけがや病気など、アクシデントにどう対応するか的確な判断が求められる。責任が重く気の休まる時がない役割だ。

 それだけに、無事に下山した時の嬉しさは半端ではない。リーダーは事故がなかったことにほっとするし、下級生は何とか山を歩き通せたことにほっとする。夏合宿では信州の松本近郊に集中地を設けていて、上級生やOBが待ち構える。すべてのパーティーが下山後に集まってくる。最終日はキャンプファイヤーで盛り上がる。だがまだ合宿中なので禁酒である。翌日合宿解散後、信州松本駅の構内では、酔っぱらってリュックサックを枕に寝込む部員が多数転がっていたものだ。まだカニ族も多いのんびりした時代だった。

【元ワンゲル部員A】

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どこへ行くニッポン その3 

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【10月 トピックス】

DXの続き 

学校教育の現場

高校まではパソコンを用いた授業に不慣れな先生が多く、黒板派が多いという。

人的な接触が回避されるコロナ禍では、教育の現場でパソコン需要が高まったが、そのパソコンを返却する例すらあるという。

先生方はパソコンのスキルを磨くような学び直しを余儀なくされ、授業の進め方や宿題の出し方も従来とは異なる。教材の作り直しが求められ、余分な時間がとられることになるからだ。

また、インターネット上では各地域、各学校の先進的な取り組み事例が取り上げられており、そうした事例は取組みに消極的な学校に身を置く先生方にとって、大きなプレッシャーになっている可能性がある。自分が受け持つ生徒や生徒の親にはあまり知られたくない話なのだ。

なぜか。

取り組みの遅れがあからさまになれば問題化するからだ。

また、大学にとってはインターネットで世界の有名教授の授業が無料で提供されているサイトがある。

こうした中で、安くない授業料を払う学生を、いかに学校に惹きつけることができるかが大学に問われている。

先生にとっては、自分の専門分野の教育や研究とは別に、パソコンスキル、デジタルスキル、パソコンを用いたリモート授業スキルなど、デジタル関係の新たなスキルを高めていく必要があるが、そのハードルは決して低いとはいえない。

◆行政の現場

(以下は行政に身を置いたことのある筆者の感想)

パソコンが導入された直後は、配布用に手書きの文書をパソコンに入力し直したものだ。

また、パソコンの活用によりペーパレス化も目指されたが、ほとんどの幹部はパソコンに不慣れであった。また庁舎内イントラネットで決済を行う「電子決済」も試みられたが、それには膨大な量の文章をパソコン上で読み込んで電子押印により決済する必要があるが、パソコン画面上では文書を読みこなす上で書類の一覧性に欠け、また目が疲れやすいため、決済に携わる担当官一人ひとりがプリントアウトすることになり、結局ペーパーレス化は進展しなかった。

また官庁の手元にあるビッグデータの活用はどうか。

官庁が握るデータの有効活用が大学や研究機関、マスコミなど各方面から期待されたが、官庁側では生(なま)データが特定の個人や地域が特定されないような形に「加工する」必要があることから、官庁側は出したがらない。

ITシステム導入についても、システムに精通している職員はほとんどおらず、システムの更新、改善、改革に関する入札についても、仕様書作りで相当苦労した。

官庁の中にはメーカーからの出向者をいただいて、その場を凌いでいるところが多く、業者によっては若い時から定年まで官庁内の一室でIT関連スタッフとして従事した例もある。

また、今回のコロナ禍では特別定額給付金や雇用調整助成金のオンライン申請で多くの不具合が生じたほか、各省庁のデータ連携不足などが白日の下に晒された。国の統一的な規格・基準がないものが多くみられるのだ。自治体は自治体で、それぞれこれまで付き合いのあったIT業者と個別に繋がってきた歴史がある。この結果、緊急事態に際し、国として地方自治体を含めた統一的な対応ができない。ここには「行き過ぎた地方自治」のマイナス面が出ている。

サイバー攻撃回避にも自治体ごとに対応する例が多く、このため同盟国と防衛外交や防衛の連携を組む際に支障が生じる恐れがあることは内外の識者から指摘されている。

◆企業の現場

先進的にDXに取り組んでいる大企業も出てきたように報じられている。しかし、その数は限られている。

企業でDXが進まない背景として中間管理職が反対しているという話がある。

その中間管理職層には、デジタル化など新しいことを避ける行動様式が見られるという。減点主義だからだ。成功してもさしたる加点は付かないが、失敗すれば、大きなマイナスが付く。

50代の中間管理職では危機感が薄く、アンケートでも不安は感じていないというが、もうすぐ退職で、逃げ切れると思っているからかもしれない。

色々な資料やデータを見ても、年々国際的なランキングが落ちている日本。

国際的なプレゼンスをもう一度回復するためではなく、むしろ日本がこれ以上ランキングを落とさないためにも、世界で標準化されつつあるDXに国を挙げて取り組む必要がある。

さもなければ日本丸は本当に沈没しかねない。

(学23期kz)

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