明治初めの廃仏毀釈に関するエピソード

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年6月トピックス】

こんにちは、22期の「じゃない方のY.Y」です。鳳陽会のホームページの廃仏毀釈に関する投稿を興味深く拝見しましたが、私の住む横浜市都筑区にも廃仏毀釈に関する興味深いエピソードがありますのでご紹介します。

都筑区の北東の東山田町の中原街道沿いに鎌田堂と呼ばれる小さな祠がありますが、そこの裏山は源義朝の側近であった鎌田正清(政家とも)の館跡との伝承があります。義朝と正清は平治の乱で敗れて落ち延びる途中で立ち寄った知多半島の正清の舅の家で裏切りに合い惨殺されています。

そんな正清の伝承が何故ここにあるかと言えば、昭和51年(1976)に鎌田堂から1キロの川崎市久末にある妙法寺というお寺の古井戸の工事中に底に捨てられていた大きな板碑が発見されたからです。

江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」の山田村の項に、鎌田堂に程近い三宝寺の寺伝として建長7年(1255)に家臣によって正清の百回忌法要が行われて石碑が造立されたと記されており、長い間行方不明になっていたその板碑だったからです。

三宝寺は廃仏毀釈の流れを受けて、明治8年(1876)に廃寺になっており同時に板碑も行方不明になっていましたが、100年後に突如出現したわけです。(板碑のレプリカは川崎市が保有、公開)

廃仏毀釈の嵐はまことにすさまじく、薩長明治の始まりと共に古き良き江戸の文化も暴力的に破壊されてしまいましたが、日本を訪れた外国人がその真価を認めたのは歴史の皮肉と言わざるを得ません。

なお、源頼朝が鎌倉幕府を樹立した後、鎌倉の勝長寿院で父義朝と正清の法要を行いました。その寿院跡(鎌倉市雪ノ下)に義朝と正清の墓がひっそりと佇んでいますので写真を添付します。

現代に生きる我々は、石牟礼道子を長く支えて今年亡くなった渡辺京二氏や民俗学の巨頭宮本常一氏の著書の中でしか、なつかしい日本人に会えなくなってしまいました。 (22期 Y.Y)

介護雑感(歯科の女医編)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年6月トピックス】

母の足腰が弱り、検査入院で病院に入院していた頃のことです。
介護施設に入居する1年と少し前のことであった。
母は病院に入院したものの、以前から入れ歯を失くしていて、担当医の勧めもあり、入れ歯を作製することになった。
病院と提携している歯科医院があって、送迎診療サービスもしてくれるという。
車椅子に乗ったまま、リフトが付いていて車に乗せ移動できるのである。
私は運転出来ないので有難い話である。

M歯科医院は病院から送迎車で25分位のところにあった。
到着すると、近代的設備を誇るモダンな建物で、診察台も10台位あり、歯科医師もその位いる歯科医院で、土曜日だというのに患者も多く大繁盛している。
小型の送迎車も7台位あるようで、スタッフも充実していてそれを売りにしているようであった。
担当の女医も、若くて感じが良くて、入れ歯作製に5回位通ってくださいとのことで、健康保険証がなかったが、月末までに持参してくださいとのことであった。
そのため、預かり金として4万円だったと記憶するが預けた。

次の土曜日、2回目の診察日であった。
予定の時間になっても、送迎車が来ない。
歯科医院に問い合わせると、何か行き違いがあり、予定の時間を40分位遅れて送迎車は来た。
その間、母は寒空のもと待つことに。
到着すると、担当の女医は、行き違いがあったようでと詫びた。
健康保険証がないので、診察券が発行出来なくて、車の送迎に手配漏れがあったらしい。
私は仕方がないとあまり気にかけなかった。
ミスは誰にもあるものである。
ただ、受付には次回からは、きちんと送迎をして下さいと念を押して帰った。

次の土曜日、3回目の診察日。
予定の時間前から送迎車を待ったが、定刻になっても来る気配はない。
少し待って連絡を取るとそれから、50分位遅れて送迎車は来た。
私は運転手の人に2回続けての手配漏れ、一体全体どうなっているのかと問いただした。
どうも、診察券が発行されていないことが原因のようだと運転手はいう。
私の怒りに圧倒されたのか、運転手は到着したら医院長から説明させますという話になった。
到着すると医院長は不在ということで、担当の女医から説明というとになった。
診察台に母を連れていって話を聞いた。
その女医曰く、「診察券がないので、送迎車の手配が出来ませんでした。」私、「それは前回そういう説明を聞き済んでいて、次回から手配漏れがないようにお願いした筈です。事実だけいわれても困る。」と。
担当の女医からはお侘びの一言もない。
「手配漏れを診察券が発行出来ないことを理由にされても困る!!それとこれとは違う!!」
私の激怒した大きな声がフロア中に木霊した。
「コンピュータと連動しているというが、コンピュータというシステムが出来ないことを人間が補うのではないのか!! その為に人間がいるのではないのか!!」
一斉に医師や診察台の患者の視線を感じた。
女医は母を診察しようとしたので、私は遮って母に「帰ろう。」と促した。
女医は、「診察を受けられないのですか?!」
私、「そうです。」
女医、「今後、受診される気があるのなら、連絡を下さい。」と言った。

私は、1時間半かけて車椅子を押して帰ろうとしたが、途中、道に迷い、雨も降ってきたので、タクシーを拾って帰った。
私は、病院に帰って母に詫びた。
母は理解したのかどうかわからないが、何も言わなかった。
その後、その医院からは何の連絡もなかった。
預けたお金もそのままで、年度末にどういう経理処理をされたのかわからない。
私は寒空に母を待たせたM歯科医院が許せなかったのである。
人には、損得勘定だけではなく、許せないことがある。
今も、近代的設備を誇るM歯科医院は大繁盛しているのであろう。
私の抵抗など何もなかったかのように。
(学22期 Y・Y)

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廃仏毀釈と古美術品 その3

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年6月トピックス】

◆外国人に買われた美術品

お雇い外国人や外国の美術商に買われた美術品はコレクションになって残るものがある。

1876(明治9年)にフランス政府の「極東宗教学術調査使節」として日本、中国、インドを回る旅に出て、日本に2か月滞在したフランス人のエミール・ギメ。

彼の滞日当時はちょうど廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた直後にあたり、また日本では外国との交流が増え外国の技術や文化に注目が集まっていた時代に当たる。

ギメは次のように述べている。

「日本は自国の風俗に対し、あまり自信を持っていない。日本人の力となり幸せの源となった多くの風俗、制度や考え方をあまりにも性急に一掃しようとしている。だが、もしかしたら日本が自分たちを見直す時がいつの日か訪れるのではないだろうか。私は日本のためにそれを願っている」

ギメは、当時のフランス社会の問題はキリスト教では救えないのではないかとの思いから、キリスト教に代わる思想・宗教による救いを模索するため母国フランスを出て日本を訪れたが、彼がもともと美術にも造詣が深かったことが幸いした。

彼は滞日時、多くの著名な僧侶と宗教上の問答をしている。宗教上の疑問を抱いて問答したが、応対してくれた僧侶からは必ずしも納得のいく回答は得られなかったようだが、僧侶に接したことで美術品を手にする機会が多かったのだろう。

彼の目には千年の間、日本人に崇められ、信仰の対象となり、親しまれた仏像や仏具、絵巻などが、日本人自らの手で破壊される姿はどのように映ったか。

彼は直感的に、緊急避難的に日本人の信仰のシンボルとしての古美術品を買い求め、海外に逃がすことによって廃棄、焼却されることを防ぎ、散逸から守ろうとしたのだ。

かつて、これらの古美術品は外国人によって「買いたたかれた」との記述を見かけたこともあったが、そうした表現を使えばバチが当たるかもしれない。また、彼らが母国で日本の古美術コレクションを紹介することで、東洋の一国である日本の精神性、技巧、芸術に触れ、一人でも日本びいきが増えるきっかけになったのであれば、なおのことありがたく感謝すべきことではないか。

(学23期kz)

エミール・ギメ

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令和5年度鳳陽会東京支部総会・懇親会 報告

 令和5年6月3日(土)令和5年度鳳陽会東京支部総会・懇親会がアルカディア市ヶ谷にて正午より開催されました。前日まで台風2号と梅雨前線の影響にて各地強い風と大雨という大荒れの状況でしたが、開催当日は雨も収まり改善に向い無事に開催することが出来ました。
 コロナも収まりつつありますが、万全とは言えない中、大学4期から大学71期まで70名と幅広い世代の参加で大変盛り上がりました。
 総会は、本年5月25日になくなられた松野浩二(学1)元鳳陽会理事長を始めここ1年のご逝去者を忍び黙祷から始まりました。
 続いて葛見雅之(学23)事務局長の司会、塩塚保(学22)支部長の議長により、財務諸表・翌年度予算・支部役員案等が審議されいずれも満場一致の拍手にて承認されました。
 今回永年監事を務められた大草豊(学8)氏が退任されることとなりました。長い間ありがとうございました。後任には髙木寛(学19)氏が就任しました。
 いよいよ懇親会の始まりです。松永昭博(学21)理事長の乾杯の音頭によりスタ-ト、皆さん弁当を味わい,ビ-ルを飲み会話が弾んで会員の交流がはじまっていき、暫く会員相互の懇親が続きます。
 続いて大学50期以降の参加者紹介、葛見事務局長の瑞宝小綬章受賞報告と続いていきます。

 ここで、ジャンケン大会。事務局が準備した,獺祭・東洋美人等の山口の銘酒、山口の銘菓の争奪戦。
 11のテ-ブル毎に勝者を決め、その勝者が塩塚支部長との勝負で順位を決め、各々景品を選んでいきます。これで終わりかと思うと敗者復活戦。松永理事長寄贈の新潟の銘酒鶴齢の争奪戦。同じくジャンケン大会が進んでいき約20名の方が景品にありつきました。
 いよいよオオトリは木村進(学11)氏の出番、木村氏の檄に続き鳳陽寮歌を5年ぶりに皆で熱唱、続いて山都逍遙歌をテ-ブル毎に肩を組み熱唱、その輪は徐々に広がっていきました。
 最後は、鳳陽寮歌・山都逍遙歌がBGMで流れる中散会となりました。外は晴れ間が見える程天候は改善していました。
 我々は2次会へ、皆様は?

 来年も6月第一土曜日東京支部総会・懇親会をアルカディア市ヶ谷にて開催いたします。皆様の参加をお待ちしています。

 令和5年度東京支部総会・懇親会出席者集合写真
総会進行役 葛見雅之(学23)事務局長 (写真左)
支部総会議長を務める塩塚保(学22)支部長
大草豊(学8)監事 最後の監査報告。大草氏は本年度で退任。永い間ありがとうございました。
松永昭博(学21)懇親会スタ-トの挨拶、乾杯の音頭

,懇親会風景
飯泉天志(学50)氏 若手としての挨拶・自己紹介。
黒川詩歩子(学66)氏挨拶。卒業以来、毎年支部総会に参加です。
仁井山竜(学67)氏挨拶。大学ではアメリカンフットボールをやっていたそうです。
井藤陸(学70)氏挨拶・自己紹介。
海本滉一(学71)氏、本年度卒業生。挨拶・自己紹介。本部HPからリンク画面支部HPにたどり着き支部総会、懇親会の開催を知ったそうです。
葛見雅之(学23)氏 叙勲 「瑞宝小綬章」受章挨拶。おめでとうございます。
ジャンケン大会。 テ-ブル毎の一次予選。

ジャンケン大会勝者決定戦。

ジャンケン大会勝者景品受領。 プレゼンタ-は黒川詩歩子(学66)氏。
ジャンケン大会 松永昭博(学21)理事長寄贈 新潟銘酒鶴齢を競う敗者復活戦。

ジャンケン大会 プレゼンタ-・黒川さんへのお礼授与。
特別参加 人文学部(H12卒)坂本良太氏。 葛見事務局長呼びかけによる東京地区、経済学部、医学部、工学部、人文学部、教育学部幹事会開催の賜です。
元東京支部長 上田精一(学19)氏挨拶
最後はこの人。 木村進(学11)氏よる檄!!!
参加者 鳳陽寮歌熱唱風景
塩塚支部長他2次会風景1。
2次会風景2。
2次会風景3
2次会風景4




 



お見合い雑感(5歳以上年下希望の困ったお姉様編)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年6月トピックス】

2012年の確か2月半ばから後半のことでした。
既に体調が悪く、動くのも苦しい状態でした。
後輩のM君から電話があり、会ってほしいという。
最寄り駅近くのバーガーキングで会うと、Facebookで知り合った女性がいて、結婚相手を探しているという。
彼はその女性にも一度しか会ったことがないという。
私は当時mixi派でFacebookなど全く興味もなく関係ない。
どうして会ったこともない私がそんな女性に結婚相手を紹介しないといけないんだ。
そんなことをしていたらきりがありません。

ということでしたが、その後、なぜか渋谷にできた話題のビル、ヒカリエのレストランで三人で会うことに。
その女性は45歳で某中堅製薬会社の社長秘書をやっているという。
その前も旅行会社に勤務したりして様々なキャリアを積んでいるという。
弟さんが病気となり、自分が家を継ぐことになり、後継ぎの子供もほしくなったという。
私が60歳の友人の話や40代後半のバツイチの人の話をしたが、60歳では子供が成人する頃には自分は65歳で男性はお爺ちゃんの80歳ではないかという。
バツイチは気にはしないが、離婚理由がわからないと嫌だという。
離婚理由までは私は聞けない。
確かにおしゃれで自信家ではあったが・・・

それでは一体全体どんな人がいいのかと聞くと、5歳以上の年下がいいという。
元気な子供を生むためには医学的に男性も若い方がいいという。
子供を諦めた男性なら兎も角、40歳の男性が、年齢的に子供を産むには微妙な40代半ばの女性を好むだろうか。
その上、スポーツマンタイプで性格は快活で家でいろんな人を招いてホームパーティをしたいので、社交的な人がいいという。
そんな男性など砂漠でダイヤモンドを見つけるようなものだと内心呆れた。
こういう人は、一度結婚相談所に登録して、自分の客観的評価を知ればいい。
結婚相談所への登録は何となく惨めで嫌だという。

帰りにM君と渋谷のマックに行き、やけ気味に私はマックシェイクを立て続けに二杯飲んで家路に着いた。
このことも随分とストレスを溜めることになったようである。
お見合い当時、マンション管理人をしていましたが、その後、身体が重く、昼休みは管理人室のカーテンをして、床に寝る状態に。
歩いて20分程度の自宅からマンション迄の距離も歩けなくなり、タクシーを拾って乗るのもやっということに。
還暦過ぎて、人生初の入院が実質9ヶ月に及ぶ入院になろうとは…。
(続く)
(学22期Y・Y)

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廃仏毀釈と古美術品 その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年6月トピックス】

◆燃え広がった廃仏毀釈運動

明治新政府によって出された1868年(明治元年)の神仏分離令はあくまでも神仏習合の禁止、神社の仏教色の排除であった。

しかし、これが古美術品の海外に流出につながる寺社の取り壊しや仏像・仏具の廃棄という形で全国に広がっていったのは一体なぜなのか。

この背景には、平田篤胤の復古神道の社会への浸透といった要因が背景としてはあったが、それだけでは「暴力的な廃仏毀釈運動」という熱の謎が解けない。

その熱とは何か。

怒りだ。

先ず神道の神職の怒り。

江戸時代を通じて幕府の厚い庇護があった仏教界に身を預ける僧侶に比べ身分的にも経済的にも格下であった神職。彼らの不満が積み上がっていたことによる

次に民衆の怒りだ。

特権階級として優遇される仏教の僧侶。彼らに油断があり、幕府からの手厚い庇護に安住し、修行を怠り奢侈に走る「堕落僧侶」が増えたとされる。こうしたことに庶民は常々反感を持っており、感情を暴発させる契機を待っていたのだ。

このため廃仏毀釈運動は全国的に燃え広がっていき、寺の数は約半分になったともいわれる。

◆寺が壊滅

廃仏毀釈運動がピークを迎えるのが1870年(明治3年)とされる。

廃仏毀釈運動は全国的な広がりを見せたが、地域によって自ずと違いは出る。新政府の屋台骨となった薩・長の間でもそうであった。

すなわち長州は仏教派であり、山口において寺の取り壊しはさほどでもなかったようだが、神道派の薩摩では徹底的に寺が破壊されている。薩摩藩では1066の寺院が壊滅し何とゼロになったというではないか。もちろんこの中には歴代藩主の菩提寺も含まれているが、そこも含め廃寺になっている。

また土佐でも615あった寺のうち7割に当たる439が廃寺になったようだ。

◆残った興福寺の五重塔

古都奈良の興福寺・五重の塔に逸話が残る。釈迦の舎利を納める墓標である五重塔。当時の仏教寺院おける権威の象徴とされていたが、廃仏毀釈により、競売にかけられ25円で落札されたという。

25円とはいかほどか。この当時(明治8年ごろ)巡査の初任給が4円だったという。現在の巡査の初任給を調べてみると、高卒で22万円、大卒で26万円であるから、現在では130~150万円相当となる。

当時の落札者は五重塔の建物自体に関心はなく、塔に収められた金物・金具が欲しかったようで、このため手っ取り早く五重塔を焼却して金具を取り出そうとしたが、類焼を懼れた近隣住民から反対運動起きたため焼却を断念、このため五重の塔は今でもその姿を留めることになったという。

2001年にタリバンがバーミヤンの遺跡を破壊したことが、大きなニュースになったが、同じことが150年前の日本で行われていたのだ。

・・・つづく

(学23期kz)

2022/11/5  筆者撮影

鳳陽会東京支部

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松野浩二 一般社団法人鳳陽会元理事長のご逝去について

2023年5月31日

各位

一般社団法人鳳陽会元理事長松野浩二(まつの こうじ)様におかれましては、令和5年5月25日(木)、92歳で逝去されました。ここに謹んでお知らせ致します。

なお、5月28日(日)に家族葬が行われており、ご長男様から「弔問、香典等はご辞退」とのご連絡を頂いております。

松野元理事長のご冥福を心からお祈りします。

鳳陽会東京支部

お見合い雑感(雨中のゲーム編)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

30歳頃だったと記憶していますが、会社に出入りの新聞社の人の紹介でお見合いをしました。
お相手が珍しく相撲好きな女性で大相撲の話題で随分と盛り上がりました。

そして初デートが広島市民球場での大洋—広島戦の観戦でした。
5月だというのにみぞれの舞う2月を思わせる天候で震えながらの雨中のゲームとなりました。
いつ、ノーゲーム又はコールドゲームになってもおかしくない試合でした。
広島の先発は我らの北別府投手。
途中、球場の薄暗い大衆食堂で安いカレーライスを食べました。
北別府の快刀乱麻のピッチングの途中で帰るわけには行きません。
試合が成立しても9回の試合終了まで見届け、北別府の完投で、僅差で広島が逃げ切りました。やったぁ。

翌日、新聞社の人から会社に電話があり、相手のお母さまが、「Yさんは一体全体、娘のことを何だと思っておられるのでしょうか」と。
返す言葉もなくゲームセットでした。

つまらぬ投稿をしました。💦

北別府 学さんの近況)
2020年1月に2年前から成人T細胞白血病と診断されたことを公表され、その年の5月に骨髄移植を受ける為に入院。
2022年6月感染からくる敗血症を患われて、現在も闘病中のようです。
私も血液の癌で、実質9ヶ月入院し、闘病したことがありますので、一日も早い解説者としての復帰を願って応援しています。

写真は本文とは一切関係がありません。
(学22期 Y・Y)
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廃仏毀釈と古美術品 その1

仏教を廃し、釈迦の教えを棄却する

山口大学経済学部同窓会

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【2023年5月トピックス】

◇海外に流出した古美術品

海外の有名美術館では仏像コレクションを目玉にしているところもある。

モースやフェノロサのコレクションを集めたボストン美術館、鉄道王フリーアのコレクションを集めたワシントンのフリーア美術館やメトロポリタン美術館、欧州ではギメ東洋美術館や大英博物館が有名だ。

こうした仏像や仏具のコレクションの多くは明治期に日本から流出している。明治維新以降、社会構造の変化により、「大名道具」と呼ばれた大名やその家臣たちが「家宝」として持っていたような古美術品が売られている。当時は古い物より、欧米先進国の最新技術や知識に目が向き、ただ同然の捨て値で大量に売りに出されたのだ。

こうした「大名道具」が売られた背景にはこうした要因のほかに、寺が暴力的に取り壊され、そこに収納されていた仏像や仏具、巻物など、仏教美術品が被害にあい、ただ同然で売られた時期があった。明治初めの廃仏毀釈運動だ。

 ◇神仏分離令

廃仏毀釈運動に火が付いたのが明治元年(1868年)の神仏分離令であった。

神道と仏教。

なぜ「神仏分離」なのか。神仏分離とは何なのか。

分かったようで分からない。

なぜ仏教伝来以降、千年にわたり神仏習合という形で社会に溶け込んでいた宗教の伝統を壊してまで、神・仏を分ける必要があったのか。

それは幕末の黒船襲来だ。

黒船のインパクトは蒸気船や大砲だけではなく、特に為政者にとってはキリスト教という異教だったかもしれない。

欧米の列強国の宗教は一神教のキリスト教だ。

当時、黒船騒ぎの前にアヘン戦争でキリスト教国の支配下に置かれた清国の痛ましい状況が日本にも伝わっており、幕府はこれに大きなショックを受けたのだ。高杉晋作この光景を上海で目に焼き付けている。

しかしペリーだけではない。外国の列強国が日本医押し寄せている。

開国はもはや免れない。

開国となればどうなるか。キリスト教は排他的な一神教であり、神の前には「ミカド」も「ショウグン」も否定されかねないとの類推が働く。

これと対抗するためには、国民の宗教観を整え直し、キリスト教に対応するほかはない。

こうアドバイスしたのが、明治新政府に絶大な影響力を持っていた宗教家で禅僧の鴻雪爪(おおとり・せつそう)であったという。

すなわち、「外国伝来の仏教」を排し、日本古来の神道を純化することで外国勢と向き合うべきと説いた。

このため、大政奉還を受けた明治新政府は王政復古を宣言。天皇による君主制を復活させ、神道の国教化が目指された。

 ◇過去の例

日本は大陸とは日本海で隔てられており、米国との間には太平洋が横たわっているため古来、敵国の襲来はさほど多くはなかった。しかし外国襲来に触発されたナショナリズムの高揚の結果としての宗教の純化は過去にも例がみられる。

鎌倉時代には元寇の襲来があった。

この時に神職の吉田兼倶によって大成されたのが神道唯一教(唯一神道)で、本地垂迹ならぬ神が本地(真の姿)で仏が垂迹(仮の姿)とする、いわゆる本末転倒の「反本地垂迹説」が流行り、江戸期まで続いた。

 ◇廃仏毀釈運動

明治新政府の神仏分離令は、本来はあくまでも神仏習合の禁止、神社の仏教色の排除であり、寺院や仏像・仏具の焼却・廃棄することを命じたものではなかった。

しかし、神仏分離令が寺社を燃やし、仏像を取り壊す廃仏毀釈運動という形で全国に燃え広がったのには、奢侈に走る「堕落僧侶」に対する民衆の怒りという要因もあった。

・・・続く

(学23期kz)

国立ギメ東洋美術館(パリ)

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お見合い雑感(寿退社なるか編)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【2023年5月トピックス】

昔、広島勤務時代に1年後輩のIさんに女性を紹介したことがあります。
Iさんは後輩とはいうものの、私より役職は上であり、お母さんを東京に残しての地方勤務であった。
東京のC大を出ていて、学生時代は柔道部で活躍の猛者であった。
女性側の紹介者は私が若かりし頃、映画サークルでお世話になったCさんであった。
当時は広告会社勤務を辞めて、広島の流川という歓楽街でスナックを経営していて、時々飲みに行っていました。
その女性は一度、私の会社のイベントにも来られたことがあり、受付付近でお会いしたことがあったが、絶世の美人であった。

私は男性には喜んでもらえるとの自信はありました。
身上書や写真を交換しました。
男性側も、女性側も双方が大変気に入ったようで、男性は、これで東京に彼女を連れて帰れると喜んでいたし、女性は、会社の上司に相談し、会社を寿退社する段取りまでつけていると漏れ伝わった。
当時、男性は41歳、女性は33歳であったと記憶する。
お互いにいい年をした大人なので一対一で会ってもらうことにした。

お見合いは順調に進み、私は自分のことのように成り行きを見守った。
ところが、結果は女性側のノーであった。
全ては順調で良かったのに。
男性は女性に豪華料理を奮発してご馳走したようで話も大いに弾んだようである。
ところが、最後に残った料理を前にして、男性が、高いものなので包んでもって帰ったらと店の人に頼んだようである。
土壇場の最後に暗転したようである。

私も何もそこまでしなくてもいいものをと思ったが、あとの祭りである。
興ざめというか、男性のイメージが崩れたということか。
でも、考えようによっては、男性は始末屋さんで、実直で見方を変えれば、いいことでもあると思うのだが。。。
私のような見栄晴君より、余程いいと思うのだが。。。
結局、私は断られた理由は男性のIさんには言えなかった。

あれから月日は流れ、その後、Iさんをよく知る先輩の人に確認するが、Iさんは東京でお母さんと一緒に暮らし、面倒を見られているようである。
私が、早期退職する時に挨拶のメールを送ったら、何も次の就職先が決まっていないのに自分から辞めることはないと心配して呉れた心優しき人である。
嬉しかった。

写真は山口市仁保川の鯉のぼり
(学22期 Y・Y)
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