第6回ヒロシマの高校生が描いた「原爆の絵」展in有楽町

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

2024年8月11日(日)~17(土)
11:00~18:00(初日は13:00~、最終日は17:00)
東京交通会館「2Fギャラリー」(三菱UFJ銀行隣り)
(東京都千代田区有楽町2-10-1)
【協力金(入場料)500円】(税込、中学生以上)*小学生以下及び障がい者は無料
【主催】井伏鱒二先生生誕125周年記念「黒い雨」プロジェクト実行委員会

今日(8月11日)の東京は最高気温が36℃と連日の猛暑です。
こうした中、母校の広島市立基町高校の創造表現コースの生徒が被爆者の体験を直接聞き取り、絵画として描いた「原爆の絵」展に4年連続で行って来ました。
初日のオープンの13:00に到着し、事務局長の大越貴之さんにご挨拶し、1時間20分かけて約35点のパネル展示を鑑賞しました。
描いた場面の説明、描いた高校生のコメント、被爆体験証言者のコメントもあり、素晴らしい催しでした。
今回、原爆にまつわる絵本(ひばくポンプ、おこりじぞう)の朗読会や被爆者の遺品の展示等もありました。
閉塞感を感じる日本及び世界情勢及び自分自身の置かれた状況ですが、母校の「継続は力なり。」との教えを思い出し、今回も参加しました。
今回、小さなお子さま連れのご家族を目にしました。
是非、皆様にも会期中に足を運んで頂きたい。
(学22期 Y・Y)

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コロナ禍GWの読書、私がはまったジャンル それは「藤沢系譜の時代小説」~藤沢周平から葉室麟そして砂原浩太郎~

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

宇部・三陽小野田支部 MYZ(学17期)さんからの投稿

きっかけ

Eさんと参加している「豊言倶楽部」最後の会合が、今年の3月に開催された。その折に、Uさん(元、宇部市琴芝小学校校長)が、皆さんにと既に読み終えた数十冊の「本」を、ご提供された。私は、その中から葉室麟著「蛍草」を頂戴した。「蛍草」は、数年前に、NHK「土曜時代ドラマ」(主人公の奈々役 清原果耶)で放映され、毎週心を揺さぶられて観ていたことを思い出し、原作を読んでみたい気持ちになったからである。頂戴したその日のうちに読み終えたのは、後述のとおり必然であった。

「葉室麟」について

人間の機微を描いた「藤沢周平」の時代小説、「蝉しぐれ」をはじめ数冊読んで、彼の端正な筆致で、人情、哀愁、喜び、悲しみを描いてあまりある世界を、私は学んだ。読み終えた後は心が洗われ、こんな世の中だが、なんとか生きていこうと改めて背中を押してくれる作品と感じていた。この藤沢の後を継ぐ作家と目された一人が、「葉室麟」であるといわれている。私は、正直「葉室麟」の時代小説はあまり読んだことはなかった。そこで、「葉室麟」についてインターネットで検索してみると、数多くの作品を残しており、彼の作品の中でも映画化やテレビで放映された作品も数点あった。前述のきっかけもあり、続けさまに「蜩ノ記」「陽炎の門」を読んだ。まさしく、藤沢文学の後継者だと理解できた。しかし、葉室は2017年12月(67歳)にまだまだこれからという時、この世を去ってしまったことは、残念だ。

藤沢系譜の時代小説について

人生の哀歓を描いてなお生きる力を与える小説は、生半可な腕では書けない。人生経験を重ね、洞察力、文章力がないと太刀打ちできない。おいそれと書き手は現れない。それなのに現代はコロナウイルスが蔓延し、様々な差別意識は吹き出し、ネット社会は広がっている。この混迷の時代に、心が癒され、明日への活力を与えてくれる小説はますます必要とされている。「苦しみ」「しがらみ」「制約」の世を生きる武士や庶民の姿を通じて醸し出している、「人間の矜持、志、道、おてんとうさま」に、人間本来の「善なる姿、美しさ」を藤沢、葉室作品は思い起こしてくれる。

藤沢、葉室に続く「時代小説の新鋭」は

藤沢系譜の作品は、名もなき下級武士、庶民の生活から日本人の美しさが匂い立つものに、私たちの心をとらえて離さないのではないか。この時流を汲んで久々に登場したのが「砂原浩太郎」の「高瀬庄左衛門御留書」(2021.1月第1刷、4月に5刷発行)と言われている。早速、宇部市立図書館で検索したが未だ購入されていない。仕方なくアマゾンで購入(1,800円)した。読後、改めて藤沢、葉室の後継者と理解できた。舞台は「神山藩」(架空の藩という設定は藤沢の海坂藩、葉室の羽根藩を思い起こさせる)、様々な迷いもあった人生を振り返った主人公が、今の人生を受け入れる姿。そして、生きることの喜び、悲しみ、あきらめも希望もすべて吞み込んだ物語である。しみじみと胸に迫るものがあった。

(以上)

山口七夕会 年次総会&懇親会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】


◆令和6年度 山口七夕会年次総会が8月3日(土)10時30分~飯田橋のインテリジェントロビー・ルコであり、昨年に続き3回目の出席となりました。(一昨年5月末入会)

◆総会第一部は議長役の秋草史幸会長の挨拶で始まり、令和5年度事業報告、令和6年度事業計画等の議事進行、本部役員・ふるさと山口本部役員の紹介がありました。
秋草会長は我々が経済学部で経済史を受講した秋草実教授のご子息です。
伊藤和貴山口市長のご挨拶及び入江幸江市議会議長のご祝辞がありました。
その後、山口七夕ふるさと大使の任命がありました。
休憩を挟んで、第26代気象庁長官 関田 康雄氏による
「気象の予測と防災」と題する講演が1時間ありました。
配達助手の仕事をしておりますので、仕事柄、毎日の雨や風に一喜一憂していますので、天気予報には特に関心があり、興味深く、お聴きしました。
その後、休憩を挟んで昼食懇親会があり、歓談後、山口県東京事務所清水所長のご祝辞、商工振興部山田部長他による山口市ふるさと納税のご案内等があり、15時前に大変な盛り上がりの中、山口市総合政策部吉村部長による中締めとなりました。

◆今回は入江幸江山口市議会議長と名刺を交換し、ご出身高校の山口中央高校の55年前の話題についてお話する機会がありました。
又、同じテーブルの方でお話するうちにFacebookで友達になっていただいている某国会議員の秘書の方で、実家が山口市下竪小路出身で、学生生活は仙台で過ごされ、私と同学年の方とわかり、私は学生時代に中後河原の下宿に住んでいたことがあり、身近に感じ、大いに話が盛り上がりました。

◆山口市幹部職員を含めて、多くの会員の方が出席され、盛り沢山の趣向を凝らした企画の数々に首都圏から山口市を応援する弾みになりそうです。
(学22期 Y・Y)

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幕末から明治、外国人に映った日本の日常②イブラヒムその1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 8月トピックス】  

このシリーズでは、幕末から明治にかけて外国人が見た日本の日常の光景を、彼らの日記等から紹介している。

◆タタール人・イブラヒム

時代は下るが、1909年(明治42年)に来日したロシア国籍タタール人のアブデュルレシト・イブラヒム。

ムスリム導師(イマーム)であり、ジャーナリスト、旅行家でもある。

イブラヒムはイスタンブールに活動拠点を置き、帝政ロシア下のムスリム民族推進運動も行っていたが、時の政権が民族活動の取り締まりを強めたことでロシアの近くから離れ、モンゴル、満州、日本、東南アジア、インドを廻る旅に出た。

廻った国々の中で、日本が気に入ったとみえて、半年間と比較的長く日本に滞在し、庶民の生活の中に身を置き、明治の日本を観察している。

彼の日本観察がこれまでとは異なり、非西洋・非キリスト教の視点であったため好評だったこと、またロシア帝政に批判的であったこともあり、アジア進出を目指す日本の各団体から招かれて講演をし、伊藤博文や大隈重信などの大物とも会見している。

◆日本滞在記「ジャポンヤ」

彼の日記には非西洋・非キリスト教者である彼が、長い歴史を経てかたち造られた「素の日本人」の日常や行動様式に触れ、体験をし、観察したことが書き留められている。

・治安は完璧であり、職業や身分に関係なく新聞や本を読むこと、チップを要求しないこと、家族で芝居を見に行くことに特徴を見出しており、郵便ポストが便利な制度であると評価している。

また、宗教には熱心ではないとしながら、身分の低い者まで政治や経済のことを論じることに驚いている。

この日記は、日本人の姿を彼の同胞であるイスラムの民、トルコ系の民に日本人観を紹介した本であり、彼の日本人観は今日のトルコや中央アジアのトルコ系の人々の日本に対するイメージとほとんど変わっていないという。

つづく

(学23期kz)

前列中央がイブラヒム氏 伊藤博文公の側近と

朗読劇「アサガオの雫」 横浜市開港記念会館にて観劇

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】


◆7/7(日)の東京は36℃の予報が出ていて半端なく暑かったです。
こうした中、昨年11月に母校の広島基町高校東京支部同窓会で舞台女優の中村香織さんと知り合い、彼女が原爆を題材にした「アサガオの雫」という朗読劇をされていることを知り、横浜・関内まで行って来ました。

◆久しぶりの横浜を堪能したく、JR関内駅から炎天下、馬車道を経由して、赤レンガ倉庫迄迂回して1時間近く歩き、横浜市開港記念会館に引き返し、辿り着きました。

◆朗読劇の観劇は初めてで、先ずは舞台装置もなく台本を手に持って朗読されるのに吃驚しました。(朗読なので当り前か)
事前の紹介等の勉強も殆どせずに当日、ぶっつけ本番で出向きましたので、ストーリーがわかり辛く、更に一人二役の方もおられ、面食らい、終演後の録画配信を購入し、繰り返し観て、漸くストーリーを理解しました。
そういえば、20代の頃、被爆二世を扱った「ぼく行きたかった」という舞台か何かを広島で観た微かな記憶があります。

◆舞台は原爆投下後の広島ではなく、12年後の三人の若者が主役となっています。
毎年リニューアルし、今回が8年目の公演とか。
6月に公開された米国映画「オッペンハイマー」、今回の朗読劇、8月に毎年開催されているヒロシマの高校生が描いた「原爆の絵」展IN有楽町」(2024年は8/11~8/17開催)がお薦めです。

◆終演後も34歳から5年間勤務した思い出のいっぱい詰まった関内近辺の街を歩いてみました。
(学22期 Y・Y)

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鳳陽会ゴルフコンペのご案内

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

鬱陶しい季節となりました。

第97回の鳳陽会ゴルフコンペのご案内です。

今回は平日、千葉の総武カントリー・総武コースでの

開催となります。林間、フラットなコースです。(キャディ付き歩き)

ぜひたくさんの方の参加をお待ちしています。

第97回 鳳陽ゴルフコンペ 実施要領

日時 2024年9月27日(金)0915 キャディマスタ室前集合

場所:総武カントリー総武コース 

   西コーススタート0930から4組

   プレーフィ ¥18,500  (昼食付き)

   会費    ¥3,000

競技方法:ダブルペリア

出欠は8/31 までに、上野宛のメール. atomton@msn.com

に返信いただくか

下記 調整さんに 入力をお願いします。

第97回鳳陽ゴルフコンペ | 調整さん chouseisan.com

37期 上野啓 09061243835

外国人に映った開国日本 ①総領事ハリス

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

幕末から明治にかけて

◆日本の土産

コロナ後、外国人の旅行客が増えた。

彼らの日本土産の人気は和柄の巾着、折詰の寿司・弁当キャンディー、扇子、キット・カットミニの詰め合わせ、花紋の箸袋付き箸セット。舞妓姿のチョコボールというのもある。

幕末から明治にかけて外国人によく売れた土産は、日本の風景を映した写真だったという。

日本有名な庭園や名所旧跡を映したものではない。庶民の何気ない生活の一片を切り取った写真だ。

すなわち「木と紙」でできた家に、白い紙が張られた左右に動か出る戸(障子)の前に子供が遊ぶ姿。こうした庶民の一部を切り取ったものだったという。

石でできてはいない家屋。脆弱で安全とは思えない造りであり、そこに驚いたようだ。「安全性に乏しい」とは外国人から見た危機管理上の感覚であり、日本ではこうした家でも犯罪はごく稀にしか発生しなかったのが不思議に思えたのだろう。

以下、日本に滞在した外国人の日記から、彼らの目にどのように日本が映ったか、その一端を紹介する。

◆総領事タウンゼント・ハリス

ハリスは日本贔屓(びいき)ではなかったが、日記にこう書き残している。

「下田は貧困の地であったが、人々は楽しく暮らしており、食べたいだけ食べ、着物にも困っていない。家屋は清潔で日当たりもよく気持ちが良い。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で、下田におけるよりも良い生活を送っているところはあるまい」。

混浴の評価

また彼は日本人を評して、喜望峰以東民族で、最も優秀であるとしている。ただその日本人がなぜ「混浴」のような下品なことをするのか理解できないとしている。

混浴を下品とみたハリス。

しかし、これは文化の違いだ。ところ変われば文化も変わる。

彼が「下品」と感じたのであれば、それはそれで仕方ない。

下品な振舞い

下品といえば・・・

ハリスは有名な問題を起こしている。

金と銀との交換比率が日本と諸外国で3倍の開きがあることに目を付け、日本での俸給を金(きん)に替え、大儲けした。

しかも公職在任中、通貨(為替)交渉の最中だ。

オールコック駐日公使や他の在外公館の館員や商人もこれを真似て、このため日本の金貨が国外に大量に流出するという問題が起きた。

この問題の張本人となったのがハリスだった。

これは混浴などのような文化の違いの問題ではない。

下品で破廉恥な錬金術だ。

いや、下品というより、外交官としてあるまじき行為だ。

現に、オールコック公使は母国から処分を受けている。

(学23期kz)

原爆ドームに涙がにじむ

 「8・6」

 日本人が忘れてはならない日。

 昭和20(1945)年8月6日午前8時15分

原爆が広島上空で炸裂した。

米軍のB-29爆撃機が投下したのだ。

人類史上初めて実戦で使用された核兵器。

強烈な熱線が放射された。広島の街は焼けつくされた。

死者14万人・・・。

私はこの夏(令和6年6月8日)、広島に行った。

鳳陽会(山口大学経済学部同窓会)の通常(全国)総会に参加した。

広島ではぜひとも訪れたい場所があった。

原爆ドームである。

広島駅から路面電車に乗る。

「原爆ドーム前」で下車。歩いてすぐ。川のそば。あの印象的な建造物が建っていた。

対岸(広島平和記念資料館側)からは何度か原爆ドームを望んだことがあるが、まじかで見るのは初めてだ。

原爆ドームは広島県物産陳列館として建設された。

爆心地に近かった。3階建ての本体部分はほぼ全壊した。

だが、中央のドーム部分だけが残った。

原爆ドームの周辺。少年と少女たちが座り、写生している。

原爆ドームを詳細に描いている。

私たちは決して忘れませんと意思表示をしているかのようだ。

私は初夏の陽光に照らされている。

じっと、原爆ドームを凝視する。

涙がにじんでくる。

(鳳陽会東京支部 S)

涼を求めて書道展

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

◆鳳陽会18期・T先輩の作品が展示されている書道展に出かけた。

会場は六本木の国立新美術館。

先輩の作品は毎日書道展の「秀作賞」を受賞。

【文末の写真参照】

面白いもので、涼しげな美人画を描く大家・鏑木清方。

その鏑木の「文(ふみ)」を書の形にしたものだ。

もっとも鏑木は若い時に文筆家を目指したようで、文も達者。

文には夏らしい単語が並んでいた。

庭に打水

つくばい

清水満々と湛え

伊予すだれ巻きあげた軒先

灯籠

夏の夜の趣

◆独特の作品も

会場には多くの作品が展示されている。

26,700点の作品の中から選ばれたという受賞作品1,520点が1階から3階までびっしりと展示されており、一通り見て回るだけでもかなりの時間がかかる。

面白いもので、作品の中には、抽象画としても展示できるような「書」がある。

書というよりも「アート」だ。

松柏盆栽の根張りや白骨化した神(じん)、舎利にも似た味も、筆の「かすれ」で表現されており、盆栽にも通じる面白みがあると気付くことになった。

作品の写真は撮ってきたものの、著作権の関係で紹介できないのがもどかしい。

◆仮名

「かな」の書をみると、不思議に心が落ち着き、気が和む。

作品の中には有名歌人の歌を作品にしたものもある。

このうち二つの歌を紹介する。

この二つの書はいづれも女性の作品で、綺麗な書軸に縦書きでさらさらと涼しげに書かれている。

●山里は 春まだ寒し 旅人の 桜かざして いづくより来し

正岡子規

●夕焼の 紅の雲 限りなく 乱るる中の 美しき月

与謝野晶子

外は炎暑。

クーラーの効いた館内で、涼しいひと時を過ごすことができた。

(学23期kz)

「金利のある世界」が始まって思い出すこと

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】  

宇部・山陽小野田支部・MYZ(大17期)さんからの投稿〉

日銀は7月31日の金融政策決定会合で政策金利を0.25%に引き上げることを決定した。前黒田日銀総裁が進めてきた異次元の金融緩和策からの決別である。日本もいよいよ金利のある世界(正常な金融市場)に戻ったのである。しかし、この十年間金利ボーナスの世界にはまり込んでいた国の財政は、これから相当の覚悟が求められる時代に突入したのであろう。

私の脳裏には、1978年7月、私が大手金融機関の証券部に転勤となり、証券の世界に足を踏み込んで数年後の1980年に始まった「ロクイチ国債」の暴落の記憶が蘇った。国債の大量発行は1975年に始まり、「ロクイチ国債」も約8.8兆円発行されていた。当時はオイルショック後の景気後退によって税収不足が生じ、赤字国債を含む国債の増発を余儀なくされたのも要因の一つとされている。

しかし、1978年頃から景気回復軌道が確認され、折しも国債の流通利回りは急上昇し1980年4月には長期プライムレートは9.5%まで上昇したのである。「ロクイチ国債」の暴落は当然のことだった。

さらに銀行に追い打ちをかけたのは金融市場で間接金融(融資)から直接金融(市場)へと大きな流れが始まってきた時期でもあった。

銀行業務と証券業務の相互乗り入れには様々な法的規制があり、銀行は、直接市場に参加できないジレンマに陥っていた。当時の国債発行は引受シ団方式が採用され、銀行はあくまでも投資家の一員として証券会社から国債を購入し大量に保有していたため、この暴落の影響は多大であった。国債の流通市場に参加できていなかったことが大きな要因であろう。銀行の投資業務への危機感は相当なものであったと想像する。

そのことも関係しているのか、1985年6月に銀行にもフルデーリングが認められた。2006年には国債の引受シ団発行方式が廃止され国債市場特別参加者制度(日本版プライマリー・ディーラー制度)が創設され入札による公募方式で国債は発行されている。

翻って、今日までの政策金利の動向は少なからず日本の金融市場に大きな影響を及ぼしてきた。バブルの発生から崩壊、そして様々な要因による国債の増発は金利ボーナスを享受した金利体系の中でその歴史を繰り返してきた。

今回の「金利ある世界」へと舵を切った日銀の植田総裁、これからの日本金融市場をどのように導いていくのかその手腕に期待したい。さらに国は国債を如何にして安定消化(日銀買取額減額及びプライマリーバランス黒字化)して国の財政を運営していくのか見極めていきたい。